退魔屋Badluckの一日 1
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朝。不満足な目覚め。疲れが取れていない感じ。
金雀枝めぐはカーテンの閉じた薄暗い部屋で、しばし二度寝するかどうかを考えた。時計を見ると朝の六時半だった。事務所までバイクでニ十分、始業は九時。昨日は深夜零時五分前に帰宅。就寝は深夜一時。仕事内容は命がけ。二度寝どころか今日は休みたいくらいだ。気持ち的には。
だが今日は事務所に行く前に寄るところがあるし、午後には一件仕事がある。
起きた。ベッドを出てカーテンを開け、窓を開け、朝日と新鮮な空気を部屋の中に引き込む。キッチンで水を入れた薬缶を火にかけ、冷凍したご飯をチン、納豆を軽く混ぜ、そのあと容器から器に移して生卵と醤油と辛子を入れて再度混ぜる。最後に細ネギをちらす。ついでヨーグルトを器に出し、食物繊維入りのプロテインを振りかける。バナナを房から一本もぎった。そうこうしているうちに湯が沸いていた。ティーバッグをポットに入れて、湯を注ぐ。
「いただきます」
言ったり言わなかったりする食事の挨拶を今日は言ってから、朝食。
片付け、歯磨き、洗顔、スキンケア、着替え、化粧。そのほか諸々。
それらを済ませると、時間は七時五十五分。
まだ少し余裕がある。新聞紙を居室の床に二枚敷いた。それから、部屋の隅で寝かせてある刀袋を取り、中身を引っ張り出す。
「まだ寝てていいぞ」
起きろと言わなきゃ起きないだろうが、一応、霊剣にそう伝える。
ブルートゥースのイヤホンをして、スマホから音楽をかけ、鞘から大太刀を引き抜いて手入れを始めた。五曲ほど音楽を聴いた。
八時二十五分。出かける前に電話をかける。出るわけないだろうが。
呼び出し音。三回、四回、五回。留守番電話に切り替わる。
「……蓮華。覚えてないだろうが、今日は朝協会に行くからな。お前も来いよ。遅刻すんな。九時にビル前」
言うだけ言って、電話を切る。ちょっとため息が出た。
「いってきます」
部屋を出て、鍵を閉めた。
めぐの足であるサイドカー付きのBRONCOは少し古い型で、めぐを退魔屋にした先輩から引き継いだものだ。225ccの馬力はゆったり目で、イエローの車体は密かにお気に入りだった。サイドカーに刀袋に入った霊剣鮫島を載せ、車道へ出た。
K県K市《葦船》。
Y市からK市にまたがる大きな街だ。名前の葦船は古事記由来と言われ、イザナギ、イザナミが両者の間に生まれた最初の神を葦船に乗せて流したのが、この街の真横に流れる川だという伝説がある。〝葦船〟というものは日本だけでなく、人類学的にも重要な航海の手段で、聖書にも言及があるという。
そんな曰く付きの名前のせいか、この街には魔術・呪術に関するモノ、ヒト、そして心霊や怪物たちが流されるように集まってくる。
そして、めぐたちのような退魔屋もまた、食い扶持や使命感のため、または己の力を試すために、ここに流れ着くのだ。今、まさにめぐが向かっている施設もまた、この街の性質ゆえに設置された施設と言っていい。
少し道が混んでいた。それでも九時前には、目的地であるY市との境のビジネス街の、とあるビルの前に着けた。
ビジネスパートナーの姿は、案の定ない。
「……くそ」
いつもの事だ。鮫島を掴んで裏手に回り、芸能関係の会社が名を連ねるオフィスビルに入った。
「おはようございます。搬入ですか?」
このビルに入る時、いつも顔を合わせる警備員が、受付でめぐに尋ねる。
「いや、打ち合わせ」
「カードをお願いします」
めぐは黙って、このビルに入っている会社の社員証を差し出した。
警備員はそれを受け取ると、洒落た造りのカードリーダーの下部に、カードを置いた。変わった造りのカードリーダーで、何故か振り子時計の下にカードリーダーの本体がある。めぐのカードが置かれると、振り子が徐々に激しく揺れ始めた。赤いレーザーがカードの表面をなぞる。社員証だったはずカードが、みるみるうちに退魔屋協会の会員証に変化していく。
「カードをお返します。どうぞお通りください」
警備員が満面の笑みで言い、バータイプのゲートのロックが外れた。
《退魔屋協会》はその名の通り、日本で活動する退魔屋のための組合である。その成り立ちは古く、明治の頃にまで遡るらしいが、めぐはその辺りよくは知らない。全国規模で退魔屋の仕事のサポートや講習会を開き、国際的に通じる認定制度の運営も担っている。退魔屋を生業とするならほぼ確実に会員にならなければやっていけないが、中には退魔屋の名だけを名乗り、協会に属さないまま活動する者もいる。
退魔屋という職業自体は一般には公開されていないが、霊障や怪異に遭遇してしまった人間が自然と繋がれるように、『特殊退去・祭礼サービス』の名で、社会のあちこちに窓口が用意されている。一方、退魔屋協会の支部は一見してそれとはわからないように、各地のあらゆる企業や店舗、施設に偽装して設置されている。
めぐたちの事務所から一番近い支部が、この芸能プロダクションに偽装した支部だ。何故芸能プロダクションなのかというと、めぐのように一般人が持ち歩かないような大きな刀を持っていても、ドラマや映画の小道具だと言い張れるから、だそうだ。
「二十四はねえだろ」
支部オフィスの一画にある狭いボックス席で、めぐは協会の担当者に向かって言った。
四十過ぎらしい黒髭の担当者は、大げさに眉根を寄せて怪訝な顔をしてみせた。
「……年齢の話?」
「違う。報酬の話。昨日のは大仕事だった。ヤクザの事務所に踏み込んで、刃物を大量にぶら下げた女と戦ったんだ。もう少し色がついてもいいだろ」
「はあ。朝から金の話か」
「ほかにもあるが、まずは金の話だ。うちが一応コンビでやってんのは知ってんだろ、アイコーさん」
「あー……まあ、二人で分けたら、ね。バイトひと月分ってところかな」
黒髭の担当者――愛甲はうんうんと頷いた。
「でもねー、金雀枝さん。報酬ランクの事は知っているでしょ。昨日の仕事はランクC。〝第三階梯〟の人が受けられる仕事の中では一番高いし、報酬額も規定通り。これ以上は出せないよ」
〝階梯〟というのは、平たく言えば退魔屋としてのレベルである。第一階梯から始まり、第十階梯まで設定されているが、世にいる退魔屋の多くが第一~第三の階梯、もしくはそれ以下の階梯なしである。
報酬ランクはEに始まり、A+までが報酬額が設定されている。報酬額と同じくEからA+へとランクが上がるにつれて、想定される仕事の難易度も上がっていく。例えば、ランクEの仕事は多くが浮遊霊の成仏、またはポルターガイストなどの霊障の解決である。ランクCで人間を死に至らしめるほどの危害を加えるが出現範囲の限られる悪霊の祓、ランクA+は広範囲、不特定多数の被害が想定される大悪霊とでもいうべき存在への対処である。
ランクS以上の仕事もあるとは聞くが、もはやそれは戦争、国難、もしくは大怪獣が出てくるレベルの話だそうだ。
「そうは言っても最初に怪しい仕事だって報告したし、それも込みで受けてくれって言ったのはそっちだろ。それに、あたしらが戦った八つ裂き女はどう見積もってもランクB+以上。報酬もプラスがなきゃおかしいって」
「ところが、肝心の怪物の強さを証明するものは何もない。まあ確かに、調査も込みでお願いはしたけどね。結局手がかりはなし。この仕事をあなたがたに知らせてきた謎の霊能コーディネーターの正体もわからず、おまけに重要な証拠になるかもしれなかったスマホはなくしちゃったんでしょ? 規定通り報酬が出ただけでも良しとしてよ」
「あのスマホは、まじで勝手に消えたんだ。あたしも蓮華も触っちゃいねえよ」
「ところで、その蓮華君は?」
「さあ。遅刻か。寝てんのか。来ねえんじゃねえかな」
「――来るよ」
聞き覚えのある声がした。ボックス席の入り口に、髪のとっちらかった蓮華が立っていた。アロハシャツに短パンといういつもの恰好だが、どうも少し乱れている気がする。
それに、普段は持っていないトートバッグを下げているのも気になる。
「うお、びっくりした。来るのかよ、お前」
「来るよ。おれ、真面目だもん」
遅刻しておいてよく言う。そう思っためぐの思考を理解しているかどうかは定かではないが、でかい図体の蓮華が狭いボックス席のめぐの隣に腰を下ろした。
「おい。立て。狭いんだよ。遅れてきたくせに」
「ごめんって。でも遅れてきたのはわけがあるよ。ほら」
言って、蓮華はトートバッグの中から何枚かの紙の入ったクリアファイルを取り出した。
「これ、昨日の現場の呪力変動測定値や、器物変成痕のデータね。これだけでも当時現場にかなりの呪力があった事がわかるでしょ。協会ランクB+相当だ。あるいは、もう一つ上のAかもしれない」
――呪力変動測定値は特殊な機械を用いて測定する、特定の区域での呪力量の推移である。呪力の単位である『CS』は、英語のcurse=呪いに由来する。呪力や魔力は特殊なエネルギーであるため、存在するだけで周囲に影響を与える。特に呪力はその量に応じて凄まじい変化を起こさせる事もあるため、呪力が展開された場にあった壁や床などにはほぼ必ず器物変成痕と呼ばれる特殊な痕跡が残されている。
愛甲はしばし、蓮華が差し出した紙を眺め、
「どこでこれを?」
「加持祈禱班に知り合いがいるもんでね。うちでも報告書の作成で使うから先んじて貰ってきた。どのみち、いずれは協会経由でうちらのところに来るけれど、データが変わってしまわないとも限らない」
サングラス越しの蓮華の視線と、無表情のままの愛甲の視線が交錯する。
「……やれやれ。協会はそこまであくどくはないよ。適正に評価するさ」
「もちろん信頼しているよ。ただこっちも商売なんでね。ちょっと先手を打たせてもらった」
にっと笑う蓮華に、愛甲はやがて仕方なさそうにため息をついた。
「掛け合ってはみるよ。ただまあ、あまり期待はしないでほしいね」
「嬉しい答えだ。ありがと、アイコーさん」
「一応言っておくが、次からは正規の手順で根拠を提出してくれ。上に話通すのも大変なんだから。すまないけど、ちょっと外すよ」
そう言って、愛甲は席を立つとオフィスの奥へと消えた。
狭いボックス席に蓮華とめぐの二人だけになった。退魔屋協会のオフィスはいつも通りがやがやとしており、協会スタッフのほかにも退魔屋らしい恰好の人間が何人か見受けられる。
「加持祈禱班に知り合いなんかいたのか?」
隣に座るビジネスパートナーにめぐは訊いた。着崩れたアロハシャツを直しながら蓮華は頷く。
「一人ね。昔のよしみさ」
「聞いてねえぞ」
その気はなかったが――自分が気が長くないほうなのは自覚があるが――声に険が混じってしまった。
蓮華が困ったような顔をした。
「別に秘密していたわけじゃない。言うタイミングがなかったんだ」
「半年も組んでるのに? 加持祈禱班だって何回か絡んだだろ」
「デリケートな話なんだ。向こうも秘密にしたがっている」
「あたしにもかよ」
「めぐちゃん、ごめんって。まじで言えなかったんだ」
「遅刻癖なうえに連絡もろくに返さねえ。おまけに秘密も抱えてやがる。いいビジネスパートナーだよ、まったく」
「確かにおれには問題がある。秘密もね。でもそれも込みで組んだんじゃないか。そんなに怒らないでくれよ」
愛甲がいくつのかの書類を手に持って戻ってきた。微妙に剣呑な空気を感じ取ったのか、怪訝そうな顔でこっちを見てくる。
「……喧嘩?」
「そんなわけないよ。仲良しなんだから、おれら」
「そんな事するほど仲良くねえよ。仕事上の付き合いだ」
めぐと蓮華の言葉が重なり、愛甲はさらに変な顔をした。
「……まあ、何でもいいけど。問題があるならきちんと話し合ったほうがいい。退魔屋の死亡事例の三十パーセントは足並みが揃わなかった事による仕事中の事故だ。二人組なら、たいていどちらか片方が命を落としている」
「ためになる話だ」
サングラスを直しつつ蓮華は頷き、
「ちなみに一番多い死亡原因は?」
頬杖をついたままめぐが尋ねた。
「手に負えない相手に会った」
愛甲は書類に目を落としながら言った。
「さて、話は変わるけど例の霊能コーディネーターだ。偽物の奴」
「正体がわかったの?」
「いいや。でもお二人にこいつを追ってもらう事はない」
「え、何でだよ。あたしらが一番被害被ってんだぜ。調べさせろよ」
「いや、協会から依頼はできない。事件性の観点から言っても特犯(特殊犯罪捜査係。警察組織のうち、秘密裏に心霊関係の事件を扱う非公開セクション)の捜査になるだろう。いち退魔屋が出る幕じゃない」
「けどよ――」
「ランクの観点からも、やはり依頼はできない。この謎の人物は正体不明だ。複数犯、あるいはもっと大きなグループの可能性だってある。正体がわからない以上、もし退魔屋に依頼するにしても第五階梯以上の人間に頼む事になるだろう」
そこまで言って、愛甲はあらためてめぐたちの顔を見た。
「二人の事はもちろん信頼している。実力だってわかっている。だが協会はルールに従って仕事の割り振りを行う。第三階梯や階梯なしに、この仕事は振れない」
愛甲はきっぱりと言い切って、それからこう付け足した。
「あとになって、手に負えない相手だったなんて後悔するのは御免だからね」




