退魔屋Badluckの一日 2
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変わった留置場だ、というのがそこに入れられた山崎の感想だった。三畳ほどの部屋に、鉄格子というのはお定まりだが、明かりは小さな電球一つ。廊下は明かりもついておらず、隣にも部屋があるのかどうかもわからない。時代劇か何かで見るような手枷を嵌められ、室内には小さなベッドに便所があるほかは床に何故か大きな星のマークが描かれている。
「おーい。メシはまだですかねー。腹が減って死にそうですよー!」
暗闇の廊下に向かって、叫ぶ。昨日の晩に逮捕されてから、まだ一度も食事にありついていない。どころか、正直なところ記憶もあまりない。手錠を嵌められ、事務所のあるビルの一階について、パトカーのランプが見えたあたりで気を失った。次に目が覚めた時は、すでにここにいたのだ。
「くそっ」
手錠よりも厳重な手枷を取ろうと、左右に引っ張ってみるも無駄な足掻きだった。怪物の腕に変じられたはずの右腕が、いつの間にか元の、人間の腕に戻っている。しかも、山崎の意思一つで変化したはずなのに、今やどれだけ念じても腕が変わる気配はない。
呪力――怪物の腕に変化する時に感じるあのエネルギー――改造されてからは事務所の拷問部屋にいくつもの赤い粒子が漂うのをこの目で見られたというのに、この留置場には呪力がない。山崎自身にも呪力を感じない。
「どうなってるんだ」
元より怪物へと変化する力を与えられただけ、魔力や呪力についてもほんの基礎的な知識しか与えられていない山崎には知る由もなかったが、床に描かれた星のマークこそは五芒星――セーマン、あるいは晴明桔梗と呼ばれるもので、陰陽道における魔除けの神紋である。これが空間に作用し、山崎の呪力を打ち消しているのだった。
警察組織が有する施設のうち、ここは山崎のような心霊・呪術に関する犯罪者を一時的に留めておくための場所だ。昨晩の事件で逮捕された山崎とその部下は、全員がここに収容されていた。だが、その情報が山崎に与えられる事は、決してない。
「めんどくせえ……」
自由の利かない両腕にうんざりしながら、硬いベッドに背を預ける。人権侵害もいいところだ。次に自分がどういう扱いを受けるか、わかったもんじゃない。
『――改造はして差し上げましたが、仕込んだものが真に花開くかは山崎さん次第です』
つい先日、自分を怪物へと変化できるように改造を施した、あの偽物の霊能コーディネーターの言葉を、山崎は思い出していた。
『どうすりゃいいんだ? 何人か……イケニエっつーか、そんな事をすりゃいいのか?』
『そういう目標達成のための作業めいた行いはいらないんですよ。正気の人間がやる事ですからね、それは』
奇妙な恰好をしたあの霊能コーディネーターはそう言って、山崎でさえぞくっとする黒い目で、こちらの両目を覗き込んだ。
『大切なのは己の願望を見つめる事です。表層にあるものじゃない。自分の奥深いところにあるものです。正気では達成できないもの。人間のルールを外れたもの。しかし実のところ、あなたが真に実現したいと願っているもの。それを見つければ自ずと覚醒の時はやってくる――……』
「……そんな事言われたってな」
山崎の欲望といえば、金だ。山のような金。狂うほどの金。欲しいのはそれだけだ。あとは暴力。その時その時の気分に合わせた体のいい弱者。そういう奴らを徹底的に痛めつけたい。それくらいだ。
――黒い目。あの恐ろしい目。
しかし、認めたくはないが、恐怖と同時に、山崎はほんの少しだけ、あの目に笑い出してしまうような、胸の奥を引き攣らせるようなものを感じた。
廊下を見る。明かりの届かない廊下。無音の暗闇。山崎は、どうしてそこにあの霊能コーディネーターがいてほしいと思った。あの黒い目が山崎を覗き込んでくれていたら、もしかしたら山崎自身も気付いていない、自らの奥深くにある願望とやらを見つけられるかもしれない……。
「なあ、いないのか?」
山崎は、暗闇に向かって問うた。返事はない。あるはずもない。どうにもおかしい。ヤキが回っている。もうずいぶんと長い事裏社会にいるというのに。これじゃ蒙昧な中年だ。まったく。
「俺とした事が……」
「いいや。アナタはその程度です」
後ろから、顔が抑えつけられた。掌だ。山崎の顔にぴったりと貼り付いている。息が、息ができない。耳元に吐息を感じる。この声。あいつだ。あの霊能コーディネーター……!
「せっかく改造したというのに、腕しか変化させられないなんて。お任せした悪霊までフイにして、使えないとはまさにこの事」
山崎の背後に、黒い靄が現れていた。人間の姿ではない。靄の一部が形を取り、山崎の顔を抑えつける掌と、そして語りかける口の形に変化している。
留置場に警報が鳴り響く。床に描かれたセーマンの魔除けが破られたためだ。山崎の顔に貼り付いていた掌が再び靄と戻り、そのまま山崎の口へ滑り込み、喉へ、さらにその奥へと侵入していく。
「おごっ……ぐ…あっ……ごっ」
呼吸ができない。頭がおかしくなる。内側から止めどなく身体中に呪力が溢れていく。制御できない。意識が、山崎の魂そのものが、人でないものへと書き換えられていく。
「こんな強引な手段を取るのは気が引けるんですが、あなたに仕込んだ種が無駄になるよりはマシです。その命、最後の最後までワタシの役に立ってもらいますよ」
足音がする――何人分も――たぶん警官――駄目だ、消える。山崎の意識が――乗っ取られる。こいつに――この霊能コーディネーター――いや、違う。もっと邪悪な。
呪術師。
「さあ。まずは脱出です」
黒い靄が囁く。山崎の両手が、自分の意思とは関係なく、鉄格子を掴んで力任せに歪めていく。
「ひとまず、自由になりましょう」
退魔屋協会支部のある市街から少し離れた郊外に、その建物はある。一階が車庫、二・三階が居住スペースとなっているビルトインガレージ。二階と一階の境にあたる外壁にはでかでかとネオンの看板が掲げられている。
――《Badluck》
元々は、二階スペースがダイニングバー、三階スペースにオーナー夫婦が住んでいた建物だった。とある事情から手放され、今はめぐと蓮華の退魔屋事務所になっている。
《退魔屋Badluck》
名付け親は蓮華だ。
「ただいまー」
車庫にバイクを停め、鮫島と買い物袋を掴んで二階の事務所に上がる。居抜き物件のため、ダイニングバーの内装はそのままだ。キッチン付きのバーカウンター、テーブル席、ビリヤード台、そのほか諸々。
「おかえりー。コーヒー飲む?」
「んー」
曖昧な返事をしつつ、めぐは買ってきた日用品やら食料やらを戸棚や冷蔵庫に振り分けていく。コーヒーのいい香りがした。認めるのは癪だが、蓮華は料理やら喫茶関係やらが得意なのだ。いわく寺での修行の成果だそうだが、寺でもコーヒーを淹れたりするのか、めぐはよく知らない。
「はい。どうぞ」
「おう。サンキュー」
湯気の立つコーヒーが入った、めぐ専用のマグカップが手元に置かれた。事務机代わりにしているテーブル席でノートパソコンを立ち上げる。メールの確認。テンプレートを使った報告書の作成。今月のスケジュールの確認。
本日、午後十三時に一件の仕事。
以降のスケジュール、なし。
「やっべえ……」
めぐは頭を抱えた。仕事がなさすぎる。協会ランクC相当の仕事を、今月あと二件は受けたいところだというのに。
「依頼、来てる?」
自分のマグカップを手に、蓮華が向かいの席に座った。ついでにお茶請けのお菓子が載った小皿も置かれる。二階事務所は場合によっては来客もあるため禁煙である。
「スパムばっかりだ」
念のため、何度も見た受信フォルダをスクロールし続けるが、見落としはなさそうだ。
「冗談じゃねえぜ。先月まではまだぼつぼつ仕事があったってのに、今月に入ってこれかよ」
「うちらの名前、売れてきたと思ってたんだけどねー。どうする? おれ、パチンコ行って一勝負してこようか? さっきの二十四万で」
「おうおうおう馬鹿は気楽で頭もいいなあ。何であたしの取り分まで軍資金にしようとしてんだよ。だいたいお前が勝つわけねえだろ」
動物の絵柄の入ったチョコレート菓子を一つ摘まむ。糖分は頭を回転させる。コーヒーは計算力を上げる。ゼロを一にしないといけない。二でもいいし、三ならもっといい。
「蓮華、お前なんかない? いつも行くお店のお姉ちゃんたちがとり憑かれているとか、ポルターガイストが収まらないとか、呪いの動画見たとか」
「あーないない。おれ、いるんだよ? そんじょそこらの悪い霊が寄り付くわけないじゃない」
長らく寺にいた蓮華は、本人曰く全身に浄の気が満ちており、ランクEくらいの霊障ならば埃を払うレベルで祓えるのだそうだ。俗世に染まり切っているようにしか見えないが、まあ腕があるのは確かだ。
「仕事がないなら、また〝異界探索〟は? 今度こそお宝見つけて一獲千金しようよ」
異界探索――文字通り、この世とは違う別世界、異界の探索である。古くからの伝承、神話で言うならば『アヴァロン』、『ニライカナイ』、『ティル・ナ・ノーグ』。身近なところなら、悪名高き『きさらぎ駅』、古びた鏡、あるいは呪われた鏡が入口となる『反転世界』、ある時間に、ある事を念じながら走り抜けると辿り着くという『苔の道』……。
異界への入口は探そうと思えば至るところにあるが、この世の生き物が異界に入るには、多少なりとも霊的な資質に目覚めている必要がある。逆に、異界の者たちがこちらの世界に入ってくる事もままあり、そうした闖入者は退魔屋などの専門家の手によって対処される。
異界には、この世のものではない貴金属、鉱石、書物、武器、植物、動物が存在し、それらを持ち帰る事ができれば、高額取引の対象となる。めぐが聞いたところではきさらぎ駅のような異界駅から持ち帰られたレールの一部が、数百万単位で売買されたという。もっとも、売ったほうも買ったほうも、その後消息不明になったようだが……。
「前回の時、やばかっただろ。お宝どころか呪物しかなかった。〝妖精のコイン〟だの〝生え変わり銀〟だのが見つかりゃいいけど、実在するのかどうかもわからねえし。ていうか行きたくねえよ、異界」
「んじゃ、どうするのさ~」
「仕事を探すんだよ。こっちで。ほかにない」
めぐは少しだけ間を置くと、改めて口を開いた。
「蓮華、階梯取り直しちまえよ。第三くらいだったらすぐいけるんだろ?」
途端に、蓮華の顔が嫌いな食べ物を前にした子どものように歪んだ。
「えぇ~~~? いらないよ、階梯なんて。だいたいおれ、寺出た時に階梯取り消されてるから、二年くらいは再取得できないって言ったじゃん」
ややこしい事に、今の蓮華には階梯がない。きちんと坊主をやっていた頃は持っていたそうだが、還俗する時に寺と大揉めしたらしく、霊能に関する実績は白紙に、階梯も含めたいくつかの称号も剥奪されたのだそうだ。残されたものといえば、退魔屋協会の会員資格と、『蓮華亜空』という名前だけだ。
「ホントはこの名前も取り上げられるところだったんだけど、さすがにないと困っちゃうからね。新しい名前つけるのも面倒だし」
「名前はいいけど、階梯はいるだろ。お前が第三になれば二人でもう少しでかい仕事が受けられる。何とか再取得できねえのかよ」
「まあ、無理だろうね。元いた寺に睨まれてるし。だいたい、でかい仕事なんて言うけど、退魔屋のでかい仕事なんて皆大変だよ? 失敗すれば末代まで祟られるどころじゃないんだから。階梯がなくなったなら、それも運命さ。身の丈に合った仕事をすればいいの」
言うだけ言って、蓮華はぽーんとチョコレート菓子を放り投げると、ぱく、とそれを口でキャッチしてみせた。
大きい仕事にはそれだけのリスクが付きまとう。それは確かだ。
だがしかし、明日の仕事がないというのは、リスクどころか破滅への坂道を転がり始めたようなものだ。
「……じゃあ営業。営業してこい。あたしはひとまず昨日の報告書上げるから」
「営業ぅ~~? やだよ、どこに営業かけるの。小学校とか? 学校の怪談、全部消しますよとか言えばいい?」
「金が出るんだったら、この際それでもいい。花子でも貞子でもぶった斬ってやる」
『めぐ様、退魔屋の仕事を怪物駆除みたいに言うものではありませんわ』
いつの間に起きていたのか、霊剣鮫島が口を挟んだ。
『いかに人に仇なす悪霊怪物に成り果てたといえど、そこに至るには必ず事情がありますわ。それを鑑みて適切に処置しないと、彼らはいずれまた戻ってきますわ』
「わかってる。言葉の綾だ、綾」
鮫島はこういうところに口うるさい。まあ、大事な心構えだとは思う。街中をふらつく浮遊霊でさえ、きっかけ一つで悪霊に化けるのだ。舐めてかかるとえらい目に遭う。
『ま、先の仕事より目の前の仕事ですわ。そろそろ午後に備えて動かれてはいかが?』
めぐはノートパソコンの時計を見た。何だかんだで、もうすぐ十一時になる。
「……あ、おれちょっと出てくるよ。エッちゃんの店に届け物するの忘れてた」
蓮華が思い出したように言った。言ったかと思ったら、もうがさごそと何か荷物をまとめている。
「え、今からかよ。二時間後に仕事だぞ」
「十分間に合うって。十三時に依頼人の家で落ち合おう」
「いやお前絶対遅れる。百パー遅れる。まじで遅れる。あとにしろよ」
「だめだめ。急ぎなんだから。あ、お昼作ってある。フライパンにミートソースね。麺は自分で! それじゃ、あとで!」
「そんな大事な用を忘れる――」
めぐがそう言いかけた時には、蓮華はすでに階段を降りていた。
『いまいち掴みどころのない方ですわね。蓮華様も』
「忘れるくらいならスケジュール帳でもつけとけってんだよ」
言って、めぐは立ち上がりキッチンに入る。蓋をされたフライパンの中には、確かにうまそうなミートソースがあった。
「……ひとまずメシにするか」




