第九話「サブレ様の本当のこと」
軍は、渡し場まで来たが、引いた、と聞いた。
渡し場の番人が、将軍と話をした。将軍が考え直した、と集落の大人が言っていた。
「渡し場が、守られた」とセナは言った。
「番人たちのおかげだ」とルカは言った。
「サブレ様に話そう」
二人は丘へ行った。
サブレ様は、それを聞いて、長い間黙っていた。
「渡し場が守られた」とやがて言った。
「そうです」とルカは言った。
「そうか」とサブレ様は言った。「そうか、渡し場は続くか」
「サブレ様」とセナは言った。「渡し場の番人のことが、心配でしたか」
「心配だった」とサブレ様は言った。「常火は渡し場と繋がっている。渡し場が終われば、常火も揺らぐ。だから心配だった」
「でも大丈夫でした」
「大丈夫だった」とサブレ様は言った。「今の番人たちも、強い」
「知っているんですか。今の番人を」とルカは言った。
「遠くから見ている」とサブレ様は言った。「鬼の目は、遠くまで見える。川の向こうの渡し場が、この山から見える」
「いつも見ているんですか」
「時々見ている。渡し場に二人がいる時は、安心する」
「二人がいると」とセナは言った。
「一人ではないということは、それだけで火を強くする」
ルカは少し黙った。
それから、ずっと聞きたかったことを聞いた。
「サブレ様」とルカは言った。「一つだけ聞いていいですか」
「どうぞ」
「サブレ様は、何者ですか。本当のことを、教えてもらえますか」
サブレ様はルカを見た。
セナもルカを見た。
ルカは続けた。
「渡し場の火を知っている。常火を守っている。炎を持つ者に炎を継がせてきた。何百年も生きている。それは全部、事実だと思います。でも——それだけじゃない気がします」
サブレ様は空を見た。
木の葉の間から、空が見えた。
「長い間、誰にも言わなかった」とやがて言った。
「俺たちに言ってください」とルカは言った。「俺たちは、ここへ来た。これからも来ます。だから——」
「だから、知りたい」とセナも言った。
サブレ様はしばらく、空を見ていた。
それから、二人を見た。
「私は」とサブレ様は言った。「この里の最初の住人ではない」
「そうですか」
「ずっと前、川のこちら側に生まれた」とサブレ様は言った。「人間の側に」
二人は息を止めた。
「人間だったんですか」とセナは言った。
「人間だった。最初は。しかし、川を渡った。向こう岸へ渡った。そこで、鬼に会った。一人の鬼に」
「その鬼が」とルカは言った。
「私に、常火を見せた者だ」とサブレ様は言った。「渡し場を守ってきた者たちの血を引く鬼だった。その者に会って——私はこちら側に留まることにした」
「人間の側へ帰らなかった?」
「帰らなかった」とサブレ様は言った。「帰れなかったのではない。帰らないことを選んだ。こちら側で生きることを選んだ」
「なぜ」とセナは言った。
サブレ様は少しの間、黙っていた。
「好きだったから」とやがて言った。
それだけだった。
それだけで、十分だった。
「その方は」とルカは言った。
「逝った」とサブレ様は言った。「鬼は人間より長く生きるが、永遠ではない。私より先に逝った」
「サブレ様は人間だったのに、なぜ今も生きているんですか」とセナは言った。
「常火を守ることで、時間が変わったのかもしれない」とサブレ様は言った。「常火の傍にいると、普通の人間よりも長く生きる。なぜかは分からない。しかし、そうなった」
「では、サブレ様は人間でも鬼でもない」とルカは言った。
「そうかもしれない」とサブレ様は言った。「どちらでもない。しかし、どちらでもあった。そういうことかもしれない」
ルカはその言葉を聞いた。
渡し場の番人も、どちらでもない者だと聞いた。
ハルという半鬼も。ミナという渡し場育ちも。
どちらでもない者が、境界を守る。
「サブレ様」とルカは言った。「人間の頃の名前は、何でしたか」
サブレ様はルカを見た。
「長い間、誰も聞かなかった」と言った。
「聞いていいですか」
「いい」とサブレ様は言った。「聞いてくれて、良かった」
少しの間があった。
「サレン、といった」とサブレ様は言った。「人間の頃は、サレンといった」
ルカとセナは、その名前を聞いた。
何かが、胸の中で動いた。
懐かしいような、知っているような、古い感覚が。
「サレン」とルカは繰り返した。
「そうだ」とサブレ様は言った。「今はサブレという名で呼ばれている。しかし、最初はサレンだった」
「サレン様」とセナは言った。
「サブレでいい」とサブレ様は言った。「長い間、サブレで生きてきた」
「でも」とセナは言った。「サレンという名前が、ちゃんとあったことを、私たちは知りました」
サブレ様は、セナを見た。
金色の目が、揺れた。
悲しい目でも、温かい目でもなく、今日は別の目だった。
何かが解けたような、ほっとしたような目だった。
(第九話 了)
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