07.重なりそうで重ならない
それは、本当にただの偶然だった。
――少なくとも、最初は。
「ねえ美鈴」
昼休み、購買のパンを片手に戻ってきた陽咲が、少しだけ早足で私の席に近づいてくる。
その時点で、もう嫌な予感しかしない。
「なに」
「七海、今日部活ないって」
「へえ」
それがどうした、という顔を向ける。
でも陽咲は、少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。
「でね、帰り、一緒にカフェに寄って帰れるかもって」
「……あー」
そこでようやく理解する。
七海。
そして、その先にいる“繋がり”。
「別に普通じゃない?」
「そうなんだけど」
「何を期待してるの」
先回りして言うと、陽咲は一瞬だけ言葉に詰まった。
分かりやすすぎる。
「期待してないよ」
「嘘」
「してないってば」
むきになる。
その時点でアウトだ。
「じゃあなんでそんな顔してんの」
「どんな顔」
「今にも何か起きそうな顔」
「……そんな顔してない」
してる。
でもそれを指摘しても意味はない。
この子は、自分で気づかないと止まらない。
「で、七海は何時に帰るの」
「放課後すぐ」
「ふーん」
私はパンを一口かじりながら、少しだけ考える。
七海と帰る。
それ自体は何でもない。
でも、その“先”に何があるかは、少しだけ違う。
「で?」
「でって?」
「そのあとどうする気」
「どうもしないよ」
即答。
でも、昨日と同じ匂いがする。
「ほんとに?」
「ほんと」
「色麻工業高校の前、通らない?」
あえて直球で聞く。
陽咲は一瞬だけ固まった。
「……通らない」
「間があった」
「ない」
「あった」
視線が泳ぐ。
完全に図星だ。
「別にいいけどさ」
私は肩をすくめる。
「行くなら行くで、ちゃんと自覚しなよ」
「自覚ってなに」
「偶然じゃなくて、自分で選んでるってこと」
少しだけ真面目に言う。
陽咲は黙った。
その沈黙が、答えだった。
――やっぱり、止まらない。
放課後。
約束通り、七海が教室に来た。
「おまたせー」
軽い声で手を振る。
いつも通りの七海。
でも、その隣にいる陽咲の空気だけが、少し違う。
「帰ろっか」
「うん」
自然な流れで、三人で教室を出る。
廊下を歩きながら、七海が他愛もない話をする。
先生の話、部活の話、クラスの誰がどうだとか。
普通の会話。
でもその中で、陽咲は少しだけ静かだった。
聞いていないわけじゃない。
でも、どこか意識が別の場所にある。
――たぶん、道の先。
駅を出て、分かれ道に差し掛かる。
右に行けば、いつもの通り道。
左に行けば――
「こっち、ちょっと近道なんだよね」
七海が、何気なく左を指した。
陽咲の肩が、ほんの少しだけ揺れる。
私はそれを見逃さなかった。
「へえ」
私はあえて何も言わない。
ただ、その選択を見ている。
「行く?」
七海が振り返る。
陽咲は一瞬だけ迷って、それから小さく頷いた。
「……うん」
――決めた。
三人で、左の道に進む。
見慣れない景色が、少しずつ増えていく。
住宅街を抜けて、大きな通りに出る。
そして、その先。
「あ、あそこ」
七海が指差す。
少し離れた場所に見える校門。
昨日、陽咲が一人で来た場所。
でも今日は違う。
“偶然”という形をした、必然。
陽咲の足が、ほんの少しだけ遅くなる。
「どうしたの?」
「……なんでもない」
そう言いながらも、視線はまっすぐ前を向いている。
逃げない。
でも、近づきすぎもしない。
その距離の取り方が、妙にリアルだった。
「この時間なら、まだ部活やってる人いるかもね」
七海が軽く言う。
「へえ」
陽咲の声が、ほんの少しだけ硬くなる。
私はその横顔を見る。
昨日とは違う。
今日は、“一人じゃない”。
だからこそ、逃げ場もない。
校門の前を通り過ぎる。
中の様子が、少しだけ見える。
グラウンド、校舎、行き交う生徒。
その中に――
いるかもしれない。
でも、分からない。
誰が誰かなんて、見分けはつかない。
「……普通だね」
陽咲がぽつりと呟く。
「そりゃ学校だし」
私は返す。
当たり前の光景。
特別でもなんでもない。
「なんか……変な感じ」
「昨日も言ってたね」
「うん」
陽咲は小さく頷く。
「近いのに、全然分かんない」
その言葉が、やけに残る。
距離は近い。
でも、何も分からない。
顔も、声も、仕草も。
写真の中の断片しか知らない。
それなのに、ここまで来てしまった。
校門を過ぎて、少し歩いたところで、陽咲はふっと息を吐いた。
「……会えなかったね」
「そりゃね」
私は肩をすくめる。
「会えたら逆に怖いでしょ」
「それもそうだけど」
少しだけ笑う。
その笑いは、少しだけ寂しそうだった。
七海は特に気にした様子もなく、前を歩いている。
この温度差が、少しだけ不思議だった。
「ねえ、美鈴」
「なに」
「さっきさ」
少しだけ間があって。
「ちょっとだけ、期待してた」
正直だな、と思う。
「知ってる」
「やっぱり?」
「顔に出てた」
「最悪」
そう言って笑う。
でも、その笑いは完全に消えきらない。
ほんの少しだけ、何かが残っている。
期待と、現実の差。
重なりそうで、重ならない何か。
私はその空気を感じながら、空を見上げた。
夕焼けが、少しずつ色を濃くしていく。
その下で、三人は並んで歩いている。
でもその中に、確実に存在している。
ここにはいない、誰かの影。
――重なりそうで、重ならない。
その距離が、一番厄介だ。
そしてきっと。
それは、まだしばらく続く。




