耳が痛い
私も厩を出るかと痛む尻を撫でながら一歩踏み出したが、アルバートルが転がっていた馬房前のイグサ置き場の上にある、ほとんど棚のような二階のスペースから蜂蜜色の暖簾がふわさっと突然に現れて私の足を引き留めた。
「ぎゃあ!り、りりあな!」
どんな美女でも、想定外の所から、それもだらりと言う風に現れられれば脅えの方が先に立つ。
彼女は本気でやる気がなさそうに、うつ伏せの上半身をだらりと下へとぶら下げている。
「な、なにをなさってるのかな、かな。」
「普通に昼寝よ。私はあなたのように子供が好きじゃ無いもの。偶には静かな場所で命の洗濯がしたいじゃない?」
「あなたはダグド領のみんなのお姉さんじゃなかった?」
「ふふ。私が言っているのは、あなたの周りの男の子ちゃん達のこと。私の教え子たちはみーんなお利口さんよ。そしてね、私は領土の端で誰かが躓いた音まで聞こえるから、こうして静かな場所で一人寂しく黄昏ることも必要なのよ。」
私は耳がとにかく良いというリリアナの聴力が、ここまで人離れしているなんてと、初めて聞いたと驚いていた。
「あなたが時々頭が痛いって言っているのは、耳が良すぎる、から?」
「ふふ。そう。ダグド様が私を野菜工場からお役御免にしたのはそれが理由。彼は何度も計器を見ろって言うけれど、機械のブーンって音が私は大嫌いだし、空気の音や植物が水を吸い上げる音で気温も気圧も湿度も全部わかるもの。機械が煩いからってオートメーションの監視装置を止めちゃった事があるのよ。」
私はダグドに言われたことを思い出した。
――君達はしないでねって言った先からするものね。
私とモニークの事だと思っていたが、この垂れ下がる死体のような状態の人こそダグドには最凶だったのではないのだろうか。
「ふふ。ああ、あなたがアルバートルに気に入られるのがわかるわね。」
「な、なにを急に言うかな!」
「人のね、心臓の音。血の流れる速度。呼吸の回数。ぜんぶ、その人間の心が現れるの。ふふ、ノーラは丸わかり。きっと、そこであなたには嘘が無いってわかるから、彼はあなたの事を揶揄って遊んでいるんだと思うわ。」
「モニークこそ嘘が無いでしょう。」
「あの子はすぐに泣いちゃうでしょう。」
「わたしだって泣くわよ!」
リリアナはコロコロと笑い声をあげると、そおれと、外見からは想像できない位に軽やかに天井近くから落ちてきた。
いろいろな所がブルんと言いそうなのに、彼女の着地は猫のように静かだ。
「泣かないじゃない。泣いたって、涙で気を惹く泣き方じゃないでしょう。」
「モニークだって気を惹くために泣いたりしないし……。私だって何度カイユーの腕の中で泣いたか知れない。」
「そうね。モニークは妖精みたいに壊れやすそうなだけよね。あなたが男の子みたいだから、女の子なモニークはあなたに惹かれたのね。」
「あら、中身が男の子はモニークじゃ無いの?私は普通に妬み嫉みの嫌な女タイプよ。」
「あら、男の嫉妬の方がしつこくて怖いって言うじゃない。」
私はリリアナがただの天然なのか私に喧嘩を売りに来ているのかわからないが、彼女の遠回し過ぎる、いや、直球か、アルバートルと私の密会を彼女は叱りつけようとしているのだろう。
以前も彼女に見咎められて叱られたじゃないか。
「彼はカイユーが倒れてからガタガタね。」
「え?」
リリアナの呑気そうな物言いのその言葉こそ私を揺るがす重大な事であり、私は彼女を見返した。
すると彼女が私と目が合うや両眉を上げ下げしてきたので、これこそ私に伝えたかった言葉なのだと気が付いた。
「カイユーは、ねぇ、カイユーは大丈夫なの?」
「ええ。生きてはいるわ。とっても静かな子になっちゃったけど。」
私は厩を飛び出て、飛び出れなかった。
がっちりとリリアナに腕を掴まれていたのだ。
「一緒に行きましょう。あなた一人だったらいつものように追い返されるけれど、私が一緒だったら会えるかもしれないでしょう。」
「ありがとう。でも、どうしてあなたと一緒だったら。」
リリアナはふふんと笑って、カシュクールになっている胸元から変な四角い箱を取り出した。
「あ、それは。」
「ふふ。シロちゃんから借りた新作のゲーム。」
情けない事に、リリアナが見張り台の男達を子供と揶揄する通り、彼等は三日前くらいからテレビゲームなるものに嵌っている。
もしかして、カイユーが倒れたのはゲームをやりすぎたから、とか?




