鳥になった青年
私を起こしたのは窓ガラスがコンコンと小さく鳴ったからだ。
小鳥がつついた時のような、そんな小さなコンコンだ。
私は微睡みながら窓をに視線を動かして、窓の人影に一瞬で目が覚めた。
がばっと起き上がって、何が起きたのだろうかと首を傾げながらも窓の方へと急いで駆け付けた。
だって、窓ガラスを叩くのはカイユーなのだ。
私は急いで鍵を開けて窓を開けた。
月の明りで照らされた彼の髪は金色に滲み、対照的に顔は影になって表情が読めないが、私は有無を言わさない勢いで彼を抱き締めて部屋に連れ込んだ。
正しくは、窓辺にいた彼を強く引っ張ったがために、私達は抱き合う形で私の部屋の床に転がってしまった、だ。
泣き腫らして真っ赤になった瞼やむくんだ顔を見られたくなかったということもあり、私は感情のまま彼を抱き締めて引き寄せたのだ。
「あ、ごめ。」
カイユーはすぐに身を起こして私から離れようとしたが、私はカイユーを離さなかった。
彼の背中に回した腕を解かなかった。
もっと力を込めて自分に引き寄せた。
コート越しで、彼の肉体など感じないが、これが彼を抱き締める最後のチャンスなのである。
「ノーラ。」
「婚約を解消しても、私はあなたが好きなままなの。」
私はカイユーに抱きしめられた。
床に転がりながらだが、カイユーに抱きしめられる事で私はなんともいえない安心感と、それから、何という事か、もっともっと彼を抱き締めたいという飢餓感までも湧き出しているのだ。
「ノーラ、ノーラ放して。駄目だよ、このままじゃ駄目だ。俺はノーラに話をしにきただけなんだ。」
私は彼を抱く腕に力を込めた。
彼だって私から腕を解かないのだから。
「いや。あなたの婚約解消は受け入れた。でも、これ以上のあなたの拒絶は聞きたくない。私はあなたを傷つけるのも嫌だけど、あなたが離れていくのはもっと嫌なの。でも、あなたの為に解消だって認めたのだから、お願い、今だけはこのままでいさせて。」
「駄目だよ。このままじゃノーラが汚れてしまう。俺はちゃんと話し合いに来ただけなんだよ。俺はノーラを愛している気持ちは変わらない。だから、ノーラが傷ついたままは嫌だ。だけど、俺はノーラに愛されていることこそ辛いんだ。」
「カイユー?」
「俺は君を絶対に幸せにできない。」
私はカイユーの言葉に腕の力が一瞬緩んでしまった。
それがいけなかったのだろう。
彼は私の腕からするりと抜け出すと、横たわったままの私を残してすっとその場に立ち上がった。
月明りを浴びている彼は黒いシルエットになっており、黒い人影に金色の縁取りがあるようにも見える。
均整の取れた細い肢体は美しいの一言で、横たわったままの自分が鈍重なアザラシのようにも思える程だ。
どうして私は起き上がらないのか。
これを夢で済ましたいからだ。
カイユーは私に自分への思いを断ち切れと最後通牒に来たのだ。
自分は私を愛していても、私が彼を愛する事は許さないなど、なんて残酷な男なんだろう。
私は受け入れるしかないだろうが、しばらくは悪夢の一場面でしかないと自分を騙していたいのだ。
「ああ。私はモニークとイヴォアールのようにあなたとなりたかっただけなのに。私がモニークになれないように、私には彼女のような幸せは来ないのね。」
「俺もイヴォアールじゃないから、俺はモニークのような幸せを最初から君に与えられる訳はないじゃないか。」
「そういう意味じゃない。」
「うん。わかっている。でも、俺には無理だよ。俺は今日は死にかけた。ノーラが気になって集中が出来なかった。君を一人残す事を考えて、初めて死にたくないと戦場で考えて、俺は足が竦んで体もうまく動かなかったんだ。だからね、だから。」
私は両手で顔を覆った。
絶望か、泣いて終わりか?
いいえ。
私は一生独り身だと覚悟を決めたことだってあったはずだ。
「カイユー。私を振り払いたいのなら私を抱いて。それでお終いにしましょう。」
「ノーラ。」
「私は全部あなたにあげるし、私はあなたの全部が欲しい。私と別れたいのなら、お願い、思い出を頂戴?私はそれであなたを思い切るわ。」
私はゆっくりと起き上がると、彫像のように動かなくなったカイユーの目の前でネグレジェを脱いだ。
下にはまだ袖のないロングスリップもあるし、膝丈のズロースだって履いているが、カイユーは暗がりでもわかるほどに真っ赤になった。
私ははあっと大きく息を吐くと、スリップをも捲り上げて脱ぎ去った。
寒気に触れたことで肌は粟立ち、小さな乳房の乳首がつんっと尖った。
恥ずかしいが、それでも、私はカイユーが欲しいのだ。
ズロースを脱ぐために腰に手をやったところで、カイユーが私を止めた。
カイユーは私の両手をそっと抑えただけだが、彼は私の唇へと彼の唇を寄せて来たのである。
彼の唇が完全に私の唇を塞いだ時、裸の胸から心臓が飛び出してしまいそうなほどに大きくドキンと鼓動を打った。
軽く唇同士が触れただけの口づけ。
一瞬で離れた唇に私は一瞬で泣きそうになったが、すぐに彼の唇は私の唇に戻ってきた。
唇だけではなく、私は彼に下唇を齧られて、そして、彼の柔らかい舌の感触をも受け入れる事となった。
力を失った私の背中はいつの間にかカイユーによって支えられ、自由になっていた私の両手はカイユーの背中を求めて彼の防寒着の中へと入り込んだ。
私はそっとベッドに横たえられると、彼の体は私から離れて防寒着どころかシャツまでも脱ぎ去り、再び私の裸の身体に腕を回してきた。
凄いとクスクス笑いが出たのは、彼がその一連の動きの間でも、彼の唇が私から殆ど離れなかったという所だ。
「やっぱり俺を笑うの?」
「幸せで笑いが漏れたの。」
「俺も今幸せだ。いいの?このまま続けて良いの?」
「もちろんよ。」
私はカイユーの裸の背中に両腕を回した。
さらっとした肌のところどころに小さな凹凸を感じるが、きっと今までの戦いで出来た傷跡なのだろう。
カイユーは再び私に口づけ、彼の手が私の胸の頂に触れたところで、彼は突然に大きく火傷をしたかのようにびくりとし、私から飛び跳ねる様にして離れた。
「どうしたの!」
私は起き上がってベッドから転げ落ちたカイユーを見下ろしたが、彼は床で四つん這いになって大きく息を吐いていた。
何度も、何度も、だ。
「どうしたの?」
「ああ、駄目だ。ノーラ、布団の中に入って。俺がこの部屋を出るまで絶対に俺にそのきれいな胸を見せるんじゃない。」
「どうして!」
「まだ君と別れたくないからだ!」
「え?」
カイユーは立ち上がり、まだ布団から起き上がっていた私をぎっと睨むと乱暴に布団を巻き付けて私の身体を隠し、次には私から背を向けて服を着始めた。
「カイユー。」
「まだ、しない。まだ、別れない。明日ダグド様の所に行ってもう一回俺は頭を下げることにする。」
「カイユー。別れないなら、婚約者のままでいるなら、尚更に最後までしても良いのよ。」
「そういう事は言わないで!」
彼は半分泣きそうな声で叫ぶと、窓を開け放って飛び上がった。
彼はルシファーを担いで私の部屋に飛んできたらしい。
私は飛んで行った彼の姿を目で追いながら、別れないでいてくれるのは嬉しいけれど、別れなければ彼と結ばれる事は無いのかと少々パニックに陥っていた。
「意味が分からない。したって別れなくてもいいし、別れるなら思い出にして欲しいってだけの話なのに!変な二者択一になっちゃっている!ああ、やっぱり私は彼を追いかけなきゃ。今度は結婚で!ああ、でもそれじゃあ、またカイユーは引いて逃げちゃう!ああ、どうしたらいいのよ!」
私は頭を抱えてしまうしかない。
本当にどうしたらいいの!




