第6話:月光の畑と、眠れる領民たちの朝
眠りは、城の外にも広がっていった。
ルキウス様が眠れるようになって数日。彼の魔力の暴走が鎮まると、城を覆っていた呪いのような不眠が、潮が引くように薄れていったのだ。
最初に変わったのは、城の使用人たちだった。隈が消え、足取りが軽くなり、口数が増えた。料理人は腕を取り戻し、朝の食卓に、湯気の立つ焼きたてのパンが並ぶようになった。
そして、領民たち。
「奥方様! 聞いてくだせえ、うちの婆さんが、五年ぶりに朝までぐっすり眠ったんでさ!」
城下の広場で、年老いた農夫が、涙ながらに私の手を握った。
ノクターン領の民は、長いあいだ、領主の呪いの余波で満足に眠れずにいた。慢性的な不眠は、人から気力を奪い、畑を枯らし、笑顔を奪う。この荒野が「死の地」と呼ばれたのは、土が痩せていたからではなかった。誰も、眠れなかったからだ。
「お役に立てたのなら、何よりです」
私は、そっと頭を下げた。
眠れるようになった領民たちは、見違えるように働きはじめた。荒れていた畑が耕され、種が蒔かれる。不思議なことに、夜のあいだに月光を浴びた土は、痩せた荒野とは思えぬほど、芽吹きが早かった。
「奥方様の夜は、土まで肥やすのかね」
誰かがそう笑った。私は曖昧に微笑んだけれど、内心では、母様の子守唄のことを考えていた。
——あなたの眠りは、いつか誰かの夜になる。
眠りは、ただ目を閉じることではないのかもしれない。
疲れたものを癒やし、荒れたものを鎮め、明日のための力を蓄える——そういう、生きるための営みなのかもしれない。私が「不浄」と呼ばれてきた力は、本当は、そういうものだったのかもしれない。
「セレネ」
畑の畦道で、ルキウス様が私を呼んだ。彼は、しゃがみ込んで土をいじっている子どもたちを、少し離れたところから見つめていた。
「子どもが、笑っている。……この領で、子どもの笑い声を聞いたのは、何年ぶりだろうな」
その横顔は、穏やかだった。けれど、どこか痛みもにじんでいた。長いあいだ、彼は「自分が領を呪っている」という罪の意識に、たった一人で耐えてきたのだ。
「あなたのせいでは、ありませんでした」
私は、そっと言った。
「あなたは、呪われていただけ。誰よりも、この領を愛していたから、誰よりも苦しんでいた。違いますか」
ルキウス様は、答えなかった。
ただ、隣に立つ私の手を、ためらいがちに、けれど確かに、握った。大きくて、少し冷たい手だった。その手が、ほんの少し、震えていた。
畑の隅では、いつかの月見草が、もう一面の白い絨毯になりかけていた。
子どもの一人が、その花を摘んで、押し花にして、私にくれた。
「奥方様。これ、おまもり。よる、こわくなくなるおまもり」
たどたどしい字で、しおりに「せれねさま、ありがとう」と書いてあった。
私はそれを、母様のペンダントと一緒に、そっと胸元にしまった。
荒野に、緑と笑顔が戻りはじめました。
次回は、ルキウス様の過去に、そっと触れる夜のお話。「独占欲は、子守唄より甘く」。
そして、私が口ずさむ母の子守唄に、実は大きな秘密が隠されていたことが、少しずつ明かされていきます。
評価・お気に入り登録、よろしくお願いいたします。




