第5話:王都に、初めての眠れぬ夜が来た
——王都、アウローラ宮殿。
王太子ユーリスは、その夜、寝つけずにいた。
めずらしいことだった。覚醒の加護を受けた王家の者は、いつも頭が冴えわたっている。眠りなど、加護を持たぬ凡夫がするものだと、彼は思ってきた。
だが、その「冴え」が、夜になっても収まらない。瞼を閉じても、思考が高速で空回りし、心臓が早鐘を打つ。寝台の上で何度も寝返りを打ち、気づけば窓の外が白みはじめていた。
「……気のせいだ」
彼は呟いた。あの不浄姫がいなくなって、せいせいしたはずだ。あの女が傍にいると、いつも瞼が重く、頭に靄がかかったようだった。今はその靄が晴れ、頭は刃のように研ぎ澄まされている。これこそ王の証だと、彼は自分に言い聞かせた。
翌朝、彼は侍従に八つ当たりした。侍従もまた、目の下に薄い隈を浮かべていた。
「殿下……実は、私も昨夜、一睡もできませんでした。私だけではございません。宮殿の者の幾人かが、同じように……」
「たまたまだろう。気を抜くな」
ユーリスは一蹴した。
だが、その「たまたま」は、日を追うごとに増えていった。
妹のアウレリアもまた、苛立ちを隠せずにいた。
「お兄様、近頃お肌の調子が悪いのです。眠りが浅くて。それに……」
彼女は鏡の前で、自分の指先を見つめた。覚醒の加護。金色の光の粉が、いつものように舞う。けれど、その輝きが——ほんの少し、鈍い気がした。
「気のせいよね。お姉様がいなくなって、清々したのだもの」
二人は知らなかった。
この国の繁栄を支えてきた「覚醒の加護」が、ずっと昔から、ただ一つの対の力に支えられて均衡を保っていたことを。
昼は、夜があるから昼でいられる。覚醒は、眠りがあるから覚醒でいられる。
その「眠り」を、彼らは自らの手で、北の果てへ追い払ってしまったのだ。
——その頃、北の辺境では。
「セレネ」
ルキウスが、めずらしく早足で私のもとへやってきた。手には一通の手紙。
「王都からだ。といっても、君宛てではない。商人たちの間で、妙な噂が回りはじめている」
「噂、ですか」
「王都で、眠れぬ者が増えているらしい。原因不明の不眠。医者も匙を投げ、聖女に祈祷を頼んでも効かぬと」
私は、ペンを止めた。胸の奥が、かすかにざわついた。
「……それは、私のせい、でしょうか」
「いや」
ルキウスは静かに首を振った。けれど、その瞳には、何かを見透かそうとする鋭さがあった。
「むしろ逆だと、私は思う。眠りを追い出した国が、眠りを失った。ただ、それだけのことかもしれない」
窓の外、月見草の鉢は、いつの間にか三輪、四輪と花を増やしていた。
北の荒野が、少しずつ夜を取り戻していくのと反比例するように——遠い王都の昼は、終わらない眩しさの中で、静かに軋みはじめていた。
眠りを捨てた国に、眠れぬ夜が来る。
これはまだ、ほんの序章にすぎません。
次回は再び辺境へ。「月光の畑と、眠れる領民たちの朝」。荒野が、変わりはじめます。
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