第46話:千年前に砕かれたものを、継ぎ直す
第七坑の底の広間は、灯で満たされていた。角灯が二十。壁の窪みに立てられ、球形の岩壁を蜜色に照らしている。
その中央、円い窪みの縁に私は座っていた。坑夫たちが、担いできた欠片を一つずつ手渡してくれる。私はそれを受け取って窪みの底へ置き、母の唄を一節、繋ぐ。
銀の糸が、石と石のあいだに渡る。三つ置いて一節。十置いて一小節。それだけの単純な作業だった。
最初の日は、道の砂利が運ばれてきた。二里の道は、女たちと子どもたちが剝がした。麻袋に詰め、荷車で運び、梯子を三つと斜坑を二つ下ろしてくる。
二日目は、壁だった。長屋の壁から抜かれた石は、どれも黒く煤けて角に漆喰がこびりついていた。何十年も家を支えてきた石だ。運んできた男が、私に渡す前に一度、手のひらで撫でるのを、私は何度も見た。
三日目は、かまどと、井戸の縁と、坑口の鉤だった。鳥籠を吊るしていた、あの鉤も来た。籠は外して、坑口の脇に置いてきたという。
「捨てると坑道が落ちるんでしょう」
私が聞くと、運んできた老坑夫は真面目な顔で言った。
「落ちません。もう、返しましたから」
地上の熱は、少しずつ引いていった。千を数えるごとに乾いた風がわずかに湿る。二千を数える頃には、井戸の水位が戻りはじめたと、上から報せが来た。
けれど、私のほうは逆だった。繋ぐたびに指の感覚が減っていく。三日目の午後には、石を受け取る手が自分の手だという気がしなくなっていた。目の前が時々、白くなる。
「代われるものなら、代わりたいのだが」
背後で、ルキウス様が言った。彼は三日間、私の後ろに座り続けていた。夜の守人の影を薄く私の周りに張り続けている。地の底の熱から私一人を庇うためだけに。
「……ルキウス様も、お休みになってください」
「君が寝たら、寝る」
「意地悪です」
「四百二日、起きていた男に、意地を張らせるな」
私は笑った。笑ったら、少し指の感覚が戻った。
三日のあいだに、忘れられない受け渡しがいくつかある。
一つは、二日目の夜。若い母親が赤子を背負って降りてきた。抱えていたのは平たい大きな石だった。
「産屋の石です」
彼女は言った。
「この子を産むとき、腰に当てて力んだ石です。……返して、いいんでしょうか」
「返さないという道も、あります」
私が言うと、彼女は首を振った。
「この子に、夜を見せてやりたいので」
もう一つは、三日目の昼。白髪の男が、小さな石を布に包んで持ってきた。包みを開くと、中の石は他とは違って丸く磨かれていた。長い年月、掌で撫でられ続けてきた石だ。
「五十年、持ってました」
男はそれを窪みへ置く前に、一度、頬に当てた。
「うちのが死んだ晩に、握らせてやった石です。冷たかったのに、この石だけ、光ってた」
私は、その石を受け取って、窪みの中央に近い場所へ置いた。
「……いちばん奥に、置かせてください」
「そりゃ、どうも」
男は目元を拭って、梯子を登っていった。
この谷の人たちは、赤い石を憎まなかった。千年のあいだ自分たちの夜を奪っていたものだと知ってなお、誰もそれを恨みの目で見なかった。壁であり、灯りであり、亡くなった人の手の記憶だったものを、丁寧に運んで、丁寧に返していった。
私が繋いでいたのは、石ではなく、その手つきだったのだと思う。
三日目の夕刻——といっても空は赤いままだったけれど、最後の一袋が運ばれてきた。バルドリックが自分の背で担いできた。館の床下から掘り返した、いちばん濃い欠片たちだった。
私はそれを一つずつ受け取って、窪みへ置いた。最後の一つを置いたとき、広間が静かになった。
円い窪みは、埋まっていた。三日前までこの谷の道であり、壁であり、かまどであったものが、千の欠片になって元の場所へ戻っている。
私は、両手を窪みの上にかざした。母の唄を、頭から。
銀の糸が走った。欠片と欠片のあいだを縫い、繋ぎ、編み目を作っていく。それは私が織ったものではない。運ばれてきた石が自分たちで元の並びを思い出していくのを、私はただ糸で押さえているだけだった。
千年ぶりに、要石の形が戻ってくる。球体。抱えきれないほどの、大きな球体。その表面を、銀の糸が包み——
中心で、途切れた。
私は、息を呑んだ。球の中心に、拳三つ分の穴が空いていた。欠けているのだ。いちばん深く沈められ、二年かけて掘り出され、いま尾根の上の堂で陽に晒されているもの。
「……核が、無い」
糸が緩んだ。繋いだばかりの欠片たちが力を失って鈍い赤に戻っていく。器はできた。けれど、中心が無い器は夜を溜めない。
背後で、坑夫たちが言葉を失っていた。三日、剝がして、崩して、担いで、下ろして——それでも、足りない。
「奥方様」マレーヌが言った。「あと一つ、ですか」
「あと、一つです」
私は立ち上がった。立てたのが、自分でも不思議だった。
「上へ行きます」
地上へ出ると、夜だった。いや、夜ではない。空は赤い。けれど三日前ほどではなかった。天蓋の赤が薄れ、その向こうに雲の形が見えるようになっていた。
坂を、尾根へ向かって登る。途中で何度か膝をついた。そのたびに、ルキウス様が黙って腕を貸した。
「私が行こう」
「いいえ」
「あの男は、私を憎んでいない。君だけを見ている」
「だから、私が行くのです」
尾根の上に、堂の影が見えた。
アドリアンは、そこにいた。三日前と同じ場所に、同じ姿勢で。台座の前に立ち、その上の赤い核をじっと見下ろしている。白かった衣は灰と汗で汚れていた。
誰も、彼を襲わなかった。三日間、誰一人この尾根に登ってこなかった。谷の全員が、石を運ぶのに手一杯だったからだ。それが、この人にはこたえたのだと思う。
私が近づくと、彼はゆっくりと顔を上げた。その顔を見て、私は足を止めた。目が落ちくぼんでいた。頬がこけ、唇が割れ、瞼が痙攣するように震えている。
三日間、彼は立ったままだった。
「……巫女様」
声は、掠れきっていた。
「谷の連中は、なぜ、私を殺しに来ないのです」
「忙しかったのです」
私は堂に入り、崩れた敷石の上に腰を下ろした。武器も、術も、持たずに。
「石を返すのに、三千人でも足りませんでした」
三千人が三日で、千年分を返しました。器は戻りましたが、中心がひとつ、欠けています。
そして尾根の上では、誰にも襲われなかった男が、三日間立ち続けていました。
次回、「眠りなさいと、誰も言わなかった人へ」。第3部の決着です。
名もない受け渡しを三つだけ書きました。どれかひとつでも残ったなら幸いです。ブックマークをぜひ。




