第31話:太陽の都に、千年ぶりの夜が降りる
盟約から、季節がひとつ巡った。
王都は、見違えるように、穏やかになっていた。
人々は、夜になれば眠り、朝になれば働く。当たり前の営みが、戻っていた。眠れぬ狂気に蝕まれていた街は、嘘のように、落ち着きを取り戻していた。夜の闇は、もう恐怖ではなく、安らぎの時間になっていた。
かつて、眠れぬ者たちが闇を恐れて煌々と灯し続けた魔導灯は、今は、宵のうちにそっと落とされる。窓のひとつ、またひとつと明かりが消え、街は静かな寝息に包まれていく。星空の下、寝静まった屋根が、月光を浴びて青く沈む。あの灼けるような白昼の地獄を知る者には、この何でもない夜の静けさが、どれほど尊いものか、痛いほどわかった。
市場では、よく眠った商人たちが、活気のある声を取り戻していた。子どもたちは、悪夢に怯えることなく眠り、朝には笑って駆け回る。眠りひとつで、街はこんなにも、人の顔を取り戻すのだ。
王太子ユーリスは、王位継承権を、自ら返上した。
ゼフィールの傀儡として国を傾けた責を負い、彼は表舞台を去った。けれど、それは、罰だけではなかったのだと思う。眠りを取り戻した彼は、初めて、冷静に自分を省みることができたのだ。
彼は、地方の小さな領地で、一から領主の務めを学びはじめたという。かつての傲慢な王太子は、もういない。眠れる夜を得た彼は、ただ、静かに、自分の罪を償う道を選んだ。
そして、妹のアウレリア。
彼女は、夢見の都を、訪ねてきた。
覚醒の加護を失い、けれど、穏やかな眠りを得た彼女は、すっかり面差しが変わっていた。憑き物が落ちたような、静かな表情。
「お姉様」
彼女は、月見草の咲く庭で、深く頭を下げた。
「許してもらえるなんて、思っていません。私は、お姉様の力を奪い、お姉様を嘲笑い、追放に加担しました。……でも、一つだけ、お願いがあります。私を、この都で、働かせてください。眠りの巫女の側仕えとして。償いのために。残りの人生をかけて」
私は、妹を見つめた。
憎しみは、やはり、湧かなかった。彼女もまた、覚醒の加護に縛られ、父に、王家に、ゼフィールに利用された、一人の娘だった。そして今、彼女は、自らの意志で、ここに来た。
「アウレリア」私は、そっと言った。「許すとは、まだ言えません。でも——おかえりなさい。あなたの居場所が、ここにあってもいいと、私は思います」
妹の目から、涙がこぼれた。今度は、悪夢の涙ではなく、安堵の涙だった。
「眠りは、奪うものではなく、分けあうもの」彼女は、私の言葉を、噛みしめるように繰り返した。「私、やっと、その意味がわかりました。お姉様」
妹は、その日から、都の片隅に居を与えられ、見習いとして働きはじめた。慣れない手つきで月見草を摘み、領の女たちに教わりながら、夜着を縫う。かつて宮殿で誰よりも華やかに笑っていた令嬢の姿は、もうどこにもなかった。けれど、その横顔は、以前よりずっと、安らかだった。
奪うことをやめた者にだけ、夜は還ってくる。母様の言葉は、妹の上にも、確かに届いていた。
その日の夜。
夢見の都の空に、満月が昇った。
月見草の白い波が、銀色に揺れる。夜風が渡るたび、花びらが月光を弾いて、まるで地上に星が散ったようだった。城下では、領民たちが、安らかに眠っている。眠り猫ノクスは、暖炉の前で、丸くなっている。その小さな寝息さえ、この夜の平和の一部だった。
遠い王都にも、今夜は、優しい夜が降りていることだろう。
私は、ルキウス様の隣で、そっと、母のペンダントを握りしめた。
(母様。あなたの夜は、ちゃんと、世界に戻りましたよ)
かつて私を捨てた人々の、それぞれのその後。
復讐ではなく、許しと、居場所と、安らかな夜を。それが、夢見の都の選んだ道でした。
次回、いよいよ第2部・最終話。「夢見の都の月と、次に眠れぬ地の灯」。
評価・お気に入り登録、よろしくお願いいたします。




