第28話:夜の守人、本来の力を解く
ルキウス様が、目を閉じた。
「これまで、私はこの力を、抑え込むことしか考えてこなかった」彼は、静かに言った。「暴走すれば人を害する、呪われた力だと。だが——違ったのだな。これは、夜を守るための力。誰かの灼ける昼に、影を差し伸べるための力だ」
彼が、両腕を広げた。
夜の守人の魔力が、これまでとは比べ物にならない規模で、解き放たれた。墨を流したような闇が、彼を中心に広がり、灼熱の空へと昇っていく。それは、暴走する第二の太陽を、ゆっくりと覆い隠していく、巨大な日陰だった。
その闇は、恐ろしいものではなかった。むしろ、優しかった。灼けつく白光に焼かれていた人々の上に、ひんやりとした木陰のような安らぎが落ちていく。地に伏していた者たちが、生き返ったように、深く息を吸う。
これが、千年のあいだ「死神の力」と恐れられてきたものの、本当の姿。誰かを傷つける力ではなく、灼ける者に影を差し伸べ、暑さから守るための、夜の手のひらだったのだ。
ルキウス様の銀灰の髪が、立ち上る夜気に揺れていた。その横顔は、もう、孤独な死神のものではなかった。
「ぐ……これは、相当な力を、喰う……」
ルキウス様の額に、汗が滲んだ。こめかみを伝った雫が、顎の先から落ちる。日輪の覚醒の力は、あまりに膨大だった。彼の夜の力だけでは、覆い隠すだけで精一杯。鎮めることまでは、できない。歯を食いしばり、両腕を広げたまま、彼は全身でその灼熱を押し返していた。少しでも気を緩めれば、影は破れ、また白光が人々を灼くだろう。
その姿を見て、私は胸を締めつけられた。この人は、いつもそうだ。自分が砕けてでも、誰かの夜を守ろうとする。千年の呪いに耐えてきた、その背中で。
「ルキウス様!」
「大丈夫だ」彼は、苦しげに、けれど力強く笑った。「私は、影を作る。日輪を、覆い隠す。——その影の下で、セレネ。君が、織るんだ。暴れる覚醒を、安らかな眠りへと。これは、私一人では、できなかったことだ」
夜が、太陽を覆う。
その影の下に、束の間の、薄闇が生まれた。完全な夜ではない。けれど、夢織りを始めるには、十分な、夜の予兆。
私は、その薄闇の中央に進み出た。
胸元のペンダントが、月の谷で完全になった楽譜を、銀の光で宙に描き出す。前半と後半、母が二つに分けて遺した調べが、今、ひとつに繋がって、夜気の中に静かに浮かんでいた。母様の指が、見えない手が、私の背に添えられているような気がした。
「ガイ」私は、振り返った。「もし、私が織りきれなかったら——」
「織りきれます」ガイが、きっぱりと言った。涙ぐみながら、けれど確信を込めて。「あなた様は、イレーネ様の娘。眠りの巫女です。奪うためではなく、分かちあうために、ここにおられる。母上が遺された言葉を、思い出してくださいませ」
——夢織りは、奪う者には宿らない。分かちあう者にだけ、力を貸す。
私は、深く息を吸った。
灼熱の悲鳴に満ちた王都。倒れ伏す民。錯乱する貴族。妹も、ユーリスも、敵だった者も、味方も、すべての疲れ果てた魂が、夜を待っていた。
憎しみは、なかった。
あるのは、ただ、この人々に、安らかな夜を分け与えたいという、祈りだけ。
「始めます」
私は、ルキウス様の作る、夜の影の下で——
銀の糸を、織りはじめた。
夜が、太陽を覆い隠す。その影の下で、巫女が眠りを織る。
夫が影を作り、妻が夜を織る。これは、二人でなければ成し得ない奇跡です。
次回、いよいよクライマックス。「銀の糸で、世界に夜を織る」。
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