第17話:覚醒の大司教、眠りを「異端」と断ず
第2部、開幕です。
元婚約者は、ただの哀れな駒にすぎませんでした。
本当の敵は、千年前に「夜」を世界から消した男——覚醒の大司教ゼフィール。
結婚から、ひと月が過ぎた頃。
夢見の都に、王都からの正式な使者が立った。けれど今度は、ロデリックのような小者ではなかった。
純白に金糸の祭服。太陽を象った錫杖。年の頃は五十がらみ、けれど背筋は槍のようにまっすぐで、その目には、人を見下す者特有の、凪いだ冷たさがあった。
「お初にお目にかかる。覚醒の大司教、ゼフィールと申す」
名乗りを聞いた瞬間、私の隣でルキウス様の気配が、ぴりりと張り詰めた。
覚醒の大司教。王都の不眠の、真の元凶。母を、そして私を、千年にわたって「世界の異物」として追ってきた一族の、現在の長。
「ノクターン辺境伯夫人——いや」
ゼフィールは、私を見据えて、薄く笑った。
「『眠りの巫女』の生き残り、と申し上げたほうが正確かな。よくぞ、生き延びられた。あなたの母君を取り逃がして以来、我らはずっと、その血を捜しておった」
「……何の、ご用でしょうか」
「単純な話だ」
彼は、錫杖の先で、ことりと床を突いた。
「あなたには、消えていただく。この世界から、『眠り』という不浄を、根絶やしにするためにな」
あまりに静かな宣告に、私は背筋が冷えた。
「我ら覚醒の一族は、千年前にこの真理に至った。眠りとは、人の弱さ、怠惰、逃避——魂の澱だ。人が眠るのは、覚醒に耐えられぬ弱さゆえ。ならば、眠りそのものを世界から消せば、人は永遠に冴えわたり、働き、栄える。我らはそう信じ、眠りの加護を『不浄』と断じ、巫女の血を狩り続けてきた」
「……それで、王都はどうなりました」
私は、静かに問うた。
「眠りを失った王都は、悪夢と狂気に沈んでいます。人は冴えるどころか、壊れていく。あなた方の『真理』は、間違っていたのではありませんか」
ゼフィールの目が、一瞬、揺れた。けれどすぐに、冷たい笑みで覆い隠す。
「些末な過渡期の混乱だ。眠りという松葉杖に頼り続けた人類が、それを失う痛みに、まだ耐性がないだけ。あと数十年、眠れぬ世代を経れば、人は真に覚醒した種へと進化する。——その完成のために、最後の『眠り』であるあなたが、邪魔なのだ」
狂信だった。
数百万の民が眠れず苦しんでいても、彼はそれを「進化の痛み」と切り捨てる。顔のある、けれど、誰よりも遠くを見ている男。
「お引き取りを」
ルキウス様が、私の前に立った。低く、しかし鋼のような声で。
「彼女に手を出すなら、ノクターンの全軍を敵に回すと思え」
「ふむ。死神も、ずいぶん丸くなったものだ」
ゼフィールは、悠然と踵を返した。去り際、彼は一度だけ振り返り、こう言い残した。
「近く、審問の使いを寄越そう。眠りの巫女が『異端』である証を、世に示すためにな。——せいぜい、その短い夜を、楽しんでおくがいい」
錫杖の音が、遠ざかっていく。
残されたのは、ひやりとした予感だけだった。
「……来ますね」私は呟いた。「あの人は、本気で、世界から夜を消すつもりです」
「ならば」ルキウス様が、私の手を握った。「我々が、夜を守るだけだ。千年前にできなかったことを、今度こそ」
真の敵、覚醒の大司教ゼフィール。
彼にとって、眠りは「滅ぼすべき不浄」。これは、たった一つの夜をめぐる、世界との戦いの始まりです。
次回「悪夢に沈む王都と、贖罪の妹」。あの妹が、思わぬ形で再登場します。
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