第15話:「眠りは、もうあなたのものではありません」
翌朝、ユーリスは、なおも食い下がった。
一夜を都の外で明かした彼は、それでも眠れなかったらしい。憔悴は、いっそう深まっていた。彼は、私とルキウス様の前に、再びやってきた。
「セレネ。考え直してくれ。お前が、王都に戻り、加護を振り撒けば、すべて元通りになる。お前の地位も、名誉も、回復させよう。公爵令嬢として……いや、望むなら、王太子妃の座も——」
「殿下」
私は、静かに、けれどきっぱりと、彼を遮った。
「眠りは、もう、あなたのものではありません」
その一言に、ユーリスの顔が、凍りついた。
「私は、あなたの道具ではありません。あなたが眩しすぎたとき、夜を冷やすための、便利な不浄姫ではありません。私は、ここで、必要とされています。ここで、愛されています。私の夜は——もう、この地のものです」
私は、ルキウス様の腕に、そっと自分の手を添えた。
「どうか、お帰りください。そして、ご自分の国の夜を、ご自分の手で、取り戻してください。私を捨てたあなた方が学ぶべきは、奪うことではなく、敬うことです」
ユーリスは、長いあいだ、立ち尽くしていた。
やがて、彼は、力なく踵を返した。みじめな背中が、よろよろと、馬車へと消えていく。妹のアウレリアが、最後に一度だけ振り返り、深く、深く頭を下げて、去っていった。
夢見の都の門が、静かに閉じた。
長い、長い因縁の、ひとつの区切りだった。
「……これで、よかったのか」
ルキウス様が、気遣わしげに私を見た。
「はい」私は微笑んだ。「不思議と、すっきりしています。憎しみで、誰かを引きずり下ろすよりも……自分の夜を、大切な人と守るほうが、ずっと、心が満たされます」
ところが、その夜。
都の祝福ムードに、冷や水を浴びせる報せが届いた。
ガイが、一通の密書を手に、私たちのもとへ駆けつけたのだ。
「閣下、奥方様……。王都の不眠、その真の元凶が、判明いたしました」
「真の元凶……?」
「左様。王太子殿下の暴走は、きっかけにすぎませんでした。古い文献によれば——遠い昔、眠りの加護を『不浄』と断じ、世界から排した張本人。それが、アウローラ王家の覚醒の加護を司る一族、『覚醒の大司教』の系譜にございます」
ガイの声が、低く沈んだ。
「現在のその座にあるのが——大司教ゼフィール。彼は今も、覚醒の加護を独占し、王家を裏から操っております。そして、眠りの巫女の血筋——すなわち、奥方様を、いまだに『世界の異物』として、排除しようと狙っているとのこと」
覚醒の大司教、ゼフィール。
その名を聞いたとき、私の胸に、冷たい予感が走った。
王太子は、ただの哀れな駒だった。本当の敵は、もっと深く、もっと根深いところに——世界の均衡そのものを、歪めた者がいる。
「……来るなら、来ればいい」
ルキウス様が、静かに、けれど力強く、私の手を握った。
「君の夜は、私が守る。誰にも——その大司教にも、二度と、君を不浄などと呼ばせはしない」
月見草の波が、夜風に、決意を確かめるように揺れた。
元婚約者との決着。そして、真の敵「覚醒の大司教ゼフィール」の登場。
物語は、より大きな運命へと動き出します。
そして次回はいよいよ、第1部の最終話。「死神辺境伯夫人として、初めての夜」。
二人の、愛の成就を、どうぞ見届けてください。
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