第14話:跪く元婚約者と、氷のように静かな私
ユーリスは、月見草の上に、膝をついた。
かつて、この国の次代の王として、誰の前にも頭を垂れなかった人が。
「セレネ……頼む。王都を、救ってくれ。私を……私を、眠らせてくれ」
彼の声は、震えていた。隣のアウレリアも、青ざめた顔で、すがるように私を見ていた。
私は、その二人を、静かに見下ろした。
不思議と、心は凪いでいた。憎しみも、勝ち誇る気持ちも、湧いてこなかった。ただ、遠い昔の出来事を眺めるような、静かな心持ちだった。
「殿下」
私は、ゆっくりと口を開いた。
「あなたは、あの夜会で、私にこう仰いました。『お前の眠りは、私の輝きを鈍らせる。眠りの不浄姫め、北の死神にでも喰われてしまえ』と」
ユーリスの肩が、びくりと震えた。
「私は、その言葉に従い、北へ参りました。死神に喰われるのだと、覚悟して。……けれど、私を待っていたのは、化け物ではありませんでした。私の力を、呪いではなく、救いだと言ってくれる人でした」
私は、隣に立つルキウス様を見上げた。彼は、何も言わず、ただ私の言葉を、見守っていた。
「殿下。あなたは、私の眠りを『不浄』と捨てました。妹は、私の力を奪って、自分の手柄にしました。——それが、すべての答えです」
「な……」
「覚醒と眠りは、日と月のように、一対です。片方を捨てれば、もう片方も、いずれ堕ちる。あなた方は、私を捨てたのではありません。ご自分たちの、夜を、捨てたのです」
アウレリアが、泣き崩れた。
「ご、ごめんなさい……お姉様……私、知らなかったの……加護が、お姉様のものだったなんて……お父様が、儀式でお姉様から……っ」
その言葉に、周囲がざわめいた。
妹の覚醒の加護が、私から奪われたものだった——その事実が、初めて、公の場で明らかになった瞬間だった。
私は、妹を見た。
憎しみは、やはり湧かなかった。彼女もまた、覚醒の加護に縛られ、王家の都合に利用された、一人の娘だったのだと、今ならわかる。
「お顔を、お上げください。アウレリア」
私は、静かに言った。
「あなたを、許すとは申しません。許さないとも、申しません。ただ——あなたが本当に夜を取り戻したいのなら、まずは、奪うことをやめなさい。眠りは、力ずくで手に入るものではありません」
「では……どうすれば……」
「眠りは」
私は、月を見上げた。冴え冴えとした、満月。
「奪うものではなく、分けあうものです。あなた方が、人から奪うことをやめ、互いを思いやることを覚えたとき——きっと、夜は、また訪れます。それは、私が与えるものではなく、あなた方自身が、取り戻すものです」
ユーリスは、何も言い返せなかった。
彼は、地に額をつけ、嗚咽を漏らした。かつての傲慢な王太子は、もう、どこにもいなかった。
私は、復讐などしなかった。
ただ、事実を告げただけ。けれど、その事実こそが、彼らにとって、何よりも重い裁きだった。
ルキウス様が、そっと私の肩を抱いた。
「行こう、セレネ。彼らの夜は、彼ら自身が、取り戻すべきものだ」
私は頷き、踵を返した。
背後で、月見草の波が、さやさやと揺れていた。
主人公は、手を汚しません。ただ、事実を告げるだけ。
それでも——いえ、だからこそ、それは何よりのざまぁになるのです。
次回「『眠りは、もうあなたのものではありません』」。元婚約者との、完全な決着。そして、新たな影が——。
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