第13話:夢見の都の、はじまりの夜会
夢見の都は、月の光でできているようだった。
かつての荒野は、見る影もなかった。月見草の白い絨毯が地平まで続き、夜風に揺れて、銀色の波のようにきらめく。家々の窓には、温かなオレンジの灯。畑には麦が実り、水路には澄んだ水が流れる。そして何より——人々の顔に、笑顔があった。
その夜、都の広場で、初めての夜会が開かれた。
領民総出のささやかな祝祭。豪奢ではないけれど、心からの喜びに満ちた夜だった。
「奥方様、お美しい……!」
私は、領の女たちが縫ってくれた、月白のドレスを纏っていた。銀糸の刺繍が、月光を受けてやわらかく光る。
「セレネ」
ルキウス様が、私の手を取った。彼もまた、礼装に身を包み、もうどこにも死神の影はなかった。眠れる夜が、彼に、本来の凛々しさを取り戻させていた。
「美しい。……いや、その言葉では足りないな」
彼は、不器用に微笑んだ。笑い方を思い出した人の、まだ少しぎこちない笑顔で。
「踊ってくれるか。私は、踊りなど、もう何年も忘れていたが」
「ふつつかですが、喜んで」
月光の下、私たちは踊った。
領民たちの手拍子と、楽士の奏でる素朴な調べ。完璧ではない、けれど、世界で一番幸せなワルツ。回るたびに、月見草の波が、私たちを祝福するように揺れた。
ふと、人垣の向こうに、見慣れぬ令嬢の姿があった。
ツンと顎を上げ、扇で口元を隠した、近隣領の令嬢——クラリス・ド・ヴァントゥール。噂を聞きつけて、視察に来たのだという。
「ふん。死の荒野が聞いて呆れますわ。……まあ、その、悪くは、ありませんけれど」
彼女は、月見草を一輪手に取り、ぷいとそっぽを向きながら、頬を赤らめていた。
「認めませんわ。認めませんけれど……この都、少しだけ、素敵だと思っただけですわ!」
その素直でない様子に、私は思わず微笑んだ。後にこの令嬢が、私の一番の味方になるとは、このときはまだ知らなかったけれど。
——その、幸せな夜の只中だった。
都の入口の方で、ざわめきが起きた。
馬の蹄の音。けれど、それは祝祭の客のものではなかった。粗末な、疲れ切った馬車が一台、よろめくように都へ入ってくる。
馬車から転がり出てきたのは——窶れ果てた、二人の人影。
黄金の髪は色褪せ、頬はこけ、目は落ち窪んでいた。けれど、私はその顔を、忘れるはずもなかった。
王太子ユーリス。
そして、その後ろに、亡霊のように付き従う、妹アウレリア。
かつて私を「不浄姫」と嘲笑い、布きれ一枚で追放した二人が——今、泥にまみれ、震えながら、夢見の都の真ん中に、立っていた。
「セレネ……」
ユーリスの、ひび割れた唇が動いた。
かつての傲慢さは、どこにもなかった。あるのは、ただ、底なしの渇望と、みじめさだけ。
「頼む……眠らせて、くれ……」
月見草の波が、しん、と静まった。
夜会の喧騒が、止まった。
すべての視線が、私と、泥にまみれた元婚約者へと、注がれていた。
ついに、元婚約者との対面です。
跪き、眠りを乞う、かつての断罪者。私は、彼に何を告げるのか。
次回「跪く元婚約者と、氷のように静かな私」。ざまぁ、決着の回です。
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