第12話:泥を啜る元婚約者
——王都、アウローラ宮殿。
王都は、もはや、かつての輝きを失っていた。
眠れぬ夜が二月、三月と続くうちに、人々は限界を超えていた。判断力を失った官僚が政務を誤り、苛立った騎士が市民と衝突し、不眠に耐えかねた者が次々と職務を放棄した。覚醒の加護を誇った宮廷ほど、その崩壊は早かった。
夜になっても眠れぬ街には、明かりが煌々と灯り続けた。けれどそれは、繁栄の灯ではなく、眠れぬ者たちが闇を恐れて灯す、怯えの灯だった。
王太子ユーリスは、玉座の間で、虚ろな目をしていた。
黄金の髪は艶を失い、頬はこけ、唇はひび割れていた。眠れぬ日々が、彼から王太子の威厳を、一片残らず削り取っていた。彼は、もう何日も、まともに政務を執れずにいた。
「眠りたい……」
彼は、誰にともなく呟いた。
「眠りたい。たった一夜でいい。深く、夢も見ずに、眠りたい……」
かつて、彼が「目障りだ」と切り捨てたもの。
今、彼は、それを世界の何より渇望していた。
妹のアウレリアは、さらに悲惨だった。
彼女が誇った覚醒の加護は、完全に枯れ果てていた。金色の光は、もう指先から舞わない。それどころか、加護を失った反動で、彼女は誰よりも深い悪夢に苛まれていた。眠ろうとすれば、眠れぬまま悪夢のような幻覚に襲われ、悲鳴を上げて飛び起きる。
「お姉様……」
窶れ果てた彼女は、鏡の前で、ぽつりと呟いた。
「お姉様の力は、こんなにも……こんなにも、大きなものだったの……?」
彼女は、ようやく気づきはじめていた。
自分が誇ってきた加護が、姉から奪った借り物だったこと。姉を追い出したことが、自分たちの土台を崩したのだということを。けれど、気づいた時には、もう、何もかも手遅れだった。
「殿下! 大変です!」
宰相が、転がるように玉座の間へ駆け込んできた。
「北の……ノクターン辺境領が、信じられぬ繁栄を遂げているとの報せが……! 荒野が緑に変わり、民は皆、夜ごと安らかに眠っていると……! そして、その中心に——セレネ様が」
「……セレネ」
ユーリスの虚ろな目に、一瞬、光が戻った。憎しみと、すがるような渇望の入り混じった、醜い光が。
「あの女が、眠りを……独り占めしているのか……」
彼は、震える手で、肘掛けを握りしめた。
「行く……北へ、行くぞ……。あの女に、頭を下げてでも……いや、命じてでも……眠りを、取り戻すのだ……」
誇りも、矜持も、もう残っていなかった。
かつて公爵令嬢を布きれ一枚で追い出した王太子は、今、その令嬢に縋るために、自ら泥の中を這おうとしていた。
——その頃、北の辺境では。
私は、何も知らずに、領民たちと夜会の準備をしていた。
荒野は、見違えるほどの「夢見の都」へと姿を変えつつあった。その完成を祝う、初めての夜会。
月見草の咲き乱れる都に、まもなく、招かれざる客がやってくることを、このときの私は、まだ知らなかった。
かつての婚約者が、泥を啜ってでも眠りを乞いに来る。
ざまぁは、いよいよクライマックスへ。
次回「夢見の都の、はじまりの夜会」。荒野が、どんな姿に生まれ変わったのか——どうぞご覧ください。
評価・お気に入り登録、励みになります。




