第10話:母が遺した、眠りの楽譜
きっかけは、母様のペンダントだった。
ある夜、子守唄を歌い終えたあと、私はなんとなく、月のペンダントを月明かりにかざしていた。すると、銀の盤面に刻まれた細かな模様が、月光を受けて、淡く浮かび上がったのだ。
それは、模様ではなかった。
音符だった。古い、見慣れぬ記譜法で書かれた、小さな楽譜。
「ガイ……これは」
翌朝、私はペンダントを老執事に見せた。ガイは、それを一目見るなり、皺だらけの手を震わせた。
「……やはり。やはり、あなた様は、あの方の……」
「ガイ。あなたは、母を知っているのですね。本当のことを、教えてください」
長い沈黙のあと、ガイは、ゆっくりと語りはじめた。
「奥方様のお母上は——イレーネ様は、『眠りの巫女』であらせられました」
眠りの巫女。
聞いたこともない言葉だった。
「遠い昔、この世界には、二つの加護が一対でありました。昼を司る『覚醒の加護』と、夜を司る『眠りの加護』。覚醒は人を働かせ、眠りは人を癒やす。日と月のごとく、両者は支えあって、世界の均衡を保っておりました」
ガイの声は、古い物語を読むように、静かだった。
「ですが、ある時代から、王家は『眠りは弱者の逃避だ』と唱える者の声を容れ、眠りの加護を『不浄』として退けはじめたのです。眠りの巫女は迫害され、国を追われ、その血筋は、絶えたものと思われておりました。……イレーネ様は、その最後のお一人。覚醒を尊ぶソレイユ家に、身を隠すように嫁がれたのです」
私は、息を呑んだ。
父様が母様を疎んでいた理由。私が「眠り」を持って生まれた理由。私が「不浄」と呼ばれてきた理由。すべてが、一本の糸で繋がっていく。
「イレーネ様は、ご自分の身に危険が迫っていることを、知っておられました。ですから、あなた様を守るため、眠りの加護を制御する秘術——『夢織りの術』を、子守唄に偽装して、あなた様に遺されたのです。狙われぬように。けれど、いつか必ず、思い出せるように」
「夢織り……銀の糸を、織れば、悪い夢も、よい夢に変わる……」
私が口ずさむと、ガイは深く頷いた。
「左様。それは、暴走する眠りを鎮め、悪夢を安眠に、安眠を豊穣へと変える術。あなた様が無意識に荒野を蘇らせ、閣下を眠らせたのも——すべて、その術が、あなた様の中で、おぼろげに働いていたからにございます」
私は、ペンダントの楽譜を、改めて見つめた。
まだ、半分しか浮かんでいない。残りの半分は、欠けている。
「ガイ。この楽譜は、これで全部ではないのですね」
「……はい。残りの半分は、おそらく、イレーネ様が、別の場所に。あなた様が、本当に夢織りを完成させねばならぬ時が来たら、自ずと巡り会えるよう、遺されたのでしょう」
窓の外、月見草の白い波が、夜風に揺れていた。
母様。あなたは、こんなにも遠くから、私を守ってくれていたのですね。
不浄と呼ばれた力は、本当は、世界の片翼だった。
その事実が、温かく、そして少しだけ、重く、私の胸に降りてきた。
不浄姫の正体は、失われた「眠りの巫女」の血筋でした。
そしてもう一人——眠れぬ呪いを負った死神ルキウス。彼の呪いにも、実は深い理由が隠されています。
次回「死神が『死神』と呼ばれた理由」。二人の運命が、交わりはじめます。
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