第9話:不遜な使者と、死神の静かな宣告
王都から、使者が来た。
ロデリックと名乗るその宮廷官は、立派な馬車から降りるなり、城を見上げて鼻を鳴らした。目の下には、王都の者らしい隈が刻まれている。それでも、なお傲慢さは衰えていなかった。
「思ったより、まともな城ではないか。死神の巣窟と聞いていたが」
彼は、私の姿を認めると、薄く笑った。
「これはこれは。セレネ様。お元気そうで何よりですな。さて、単刀直入に申し上げましょう。あなたには、王都へお戻りいただきたい」
「……戻る?」
「左様。実は王都にて、原因不明の不眠が蔓延しておりましてな。一部の学者が、これはあなたの『眠りの加護』が失われたせいだ、などと世迷い言を申しております。私は信じておりませんが——念のため、あなたに王都で『加護を振り撒いて』いただきたい、と。殿下の御意向です」
虫のいい話だった。
不浄姫と罵り、布きれ一枚で追放しておきながら、都合が悪くなれば「戻って加護を振り撒け」と言う。まるで、井戸の水でも汲むように。
「お断りいたします」
私は、静かに答えた。
「私は、ノクターン辺境伯夫人となる身です。王都に戻る理由は、ございません」
「ほう。逆らうのですか。あなたを生かしてやったのは、王家の慈悲だというのに」
ロデリックの顔が、醜く歪んだ。そして、私に詰め寄ろうと、一歩を踏み出した——その時だった。
ぞくり、と。
部屋の空気が、凍りついた。
「——それ以上、彼女に近づくな」
声は、低く、静かだった。けれど、その一言で、ロデリックの足は床に縫い止められた。
いつの間にか、私の背後に、ルキウス様が立っていた。
眠れるようになった彼は、もう、憔悴した死神ではなかった。背は高く、佇まいは静かで、けれどその全身から、抑え込まれた力が、見えない圧となって滲み出ていた。これが、本来の彼。眠りを取り戻した、ノクターン辺境伯の真の姿。
「き、貴様……死神ルキウス……」
「セレネは、私の妻になる人だ」
ルキウスは、ロデリックを見据えた。声を荒げもしない。ただ、淡々と告げる。それが、かえって恐ろしかった。
「君たちは、彼女を不浄と呼び、布一枚で凍える荒野に捨てた。その彼女に、今さら『戻って加護を振り撒け』と? ……ずいぶんと、虫のいい話だ」
「こ、これは王家の命令で——」
「王家の命令が、私の領で通ると思うな」
ルキウスの瞳が、すっと細められた。その瞬間、室内の温度が、本当に下がった気がした。ロデリックの額に、脂汗が浮かぶ。
「帰って、君たちの王太子に伝えるがいい。眠りが欲しければ、まず、彼女に詫びることだ。彼女を捨てたことを、国を挙げて悔いることだ。……もっとも」
彼は、私の肩を、そっと抱き寄せた。
「たとえ国中が頭を垂れても、私が彼女を渡すことは、決してないがな」
ロデリックは、青ざめた顔で、何も言い返せなかった。
彼は逃げるように馬車へ乗り込み、ノクターンの城を後にした。来た時の傲慢さは、もうどこにもなかった。
「……怖くは、なかったか」
馬車が見えなくなると、ルキウスが気遣わしげに私を見た。先ほどの威圧が嘘のように、その顔は不器用な優しさに戻っていた。
「いいえ」私は微笑んだ。「あなたが、守ってくださいましたから」
死神閣下の、静かな宣戦布告でした。
さて次回は、物語の核心に少しだけ触れる回です。「母が遺した、眠りの楽譜」。
私の子守唄に隠された、本当の意味が、明らかになりはじめます。
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