第8話:枯れゆく王都と、眠れぬ王太子
——王都、アウローラ宮殿。
ひと月が過ぎる頃には、王都の不眠は、もはや隠せぬ規模になっていた。
貴族も、平民も、騎士も、商人も。夜になっても眠れず、昼は朦朧として倒れる者が続出した。覚醒の加護を誇った宮廷ほど、被害は深刻だった。冴えわたるはずの頭が空回りし、判断を誤り、些細なことで激昂する。眠れぬ人々は、日に日に苛立ち、痩せ、目を血走らせていった。
ユーリスもまた、その一人だった。
「なぜだ……なぜ、眠れぬ……!」
寝室で、彼は枕を壁に叩きつけた。もう何十日も、まともに眠っていない。覚醒の加護が暴走し、頭の中で常に光が瞬いている。眠ろうとすればするほど、思考が研ぎ澄まされ、神経が焼け切れそうになる。
鏡の中の自分は、別人だった。黄金の髪は艶を失い、頬はこけ、目の下には醜い隈。あれほど嫌った、あの不浄姫の「眠たい顔」よりも、よほど死人めいていた。
「聖女を呼べ! 大司教でもいい! 誰か、私を眠らせろ……!」
だが、回復魔法も、覚醒の祈祷も、不眠には何の効果もなかった。むしろ覚醒の祈祷は、症状を悪化させるばかりだった。
「殿下」
憔悴した宰相が、震える声で進言した。
「医師団が、ある仮説を……。この不眠は、もしや、追放されたセレネ様の……『眠りの加護』が、王都から失われたことと、関係があるのではないか、と」
「馬鹿を言うな! あの不浄姫の力なぞ、災いでしかなかった!」
「ですが、殿下。古い文献に、こうございます。『覚醒と眠りは、月と日のごとく一対なり。片翼を欠けば、もう片翼もまた、いずれ堕つ』……」
「黙れ!」
ユーリスは、宰相を突き飛ばした。けれど、その手は震えていた。
——もし、それが本当なら。
自分は、何を、追い出してしまったのか。
その問いを、彼はまだ、認めることができなかった。
一方、奥の間では。
アウレリアが、鏡の前で蒼白になっていた。
彼女の指先からは、もう、金色の光がほとんど舞わなくなっていた。誇りだった覚醒の加護が、急速に衰えていく。
「どうして……どうして、私の加護が……」
彼女は知らなかった。
その加護が、もともと姉セレネの中に眠っていた均衡の力を、王家の儀式で無理に移し替えたものだったことを。土台たる眠りの担い手が国を去った今、借り物の加護は、根を断たれた花のように、枯れていくしかなかった。
——その頃、北の辺境では。
眠れる夜が、領地の隅々にまで広がっていた。月光の畑には麦が実り、子どもたちは笑い、夜ごとに月見草が咲き乱れた。
二つの土地は、まるで天秤のようだった。
北が夜を取り戻すほど、王都の昼は、終わらぬ眩しさの中で、枯れていった。
私はそれを、遠い噂として聞くだけだった。手を下したわけではない。ただ、私はもう、あの国にいないというだけのこと。
なのに、王都は、坂を転がるように傾いていく。
追い出した眠りは、戻ってこない。
やがて王都は、その傾きの原因を「北の辺境のせいだ」と言い出します。
次回「不遜な使者と、死神の静かな宣告」。死神閣下の、静かな怒りが描かれます。
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