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エルディア魔法学院の敷地は広い。
大講堂から離れ、整備された石畳が途切れる頃には、周囲の建物の質が明らかに落ちていた。
向かう先は、学園の最果て。
鬱蒼とした森の手前に佇む、蔦の絡まった古い洋館が黒根団の寮だった。
パサリ、と肩の上で羽音がする。
ルミナが、俺の首筋に小さなくちばしを寄せてきた。
くすぐったい。指先で軽く突つくと、嬉しそうに目を細める。
「お前、本当に物好きだな」
話しかけても、ルミナは「きゅい」と短く鳴くだけだ。
だが、その体温は確かに温かい。
「おい、待ちやがれ。術位F」
背後から、不躾な声が飛んできた。
振り返ると、そこには見覚えのあるローブを着た男が三人立っていた。
胸元には、誇らしげに蒼炎団のバッジが光っている。レオードの取り巻きたちだ。
「何の用だ」
「用があるから呼んでんだよ。おい、その肩に乗ってるルミナをこっちに渡せ」
中央の男が、顎でルミナを指さす。
「それは学園の備品だ。測定の補助用として管理されているものを、お前みたいな灰人一歩手前が私物化していいわけがないだろ」
「測定官からは何も言われていない。不服なら、魔法評議会にでも書類を出してくれ」
俺は、足を止めずにそう返した。
まともに相手をするだけ時間の無駄だ。
「てめえ、誰に向かって口を利いてる!」
男の一人が、色めき立って懐に手を伸ばす。
マナの気配が、わずかに膨らんだ。
俺は歩みを止め、彼らをまっすぐに見据えた。
手のひらに、体内のマナが集まる。
6つの系統に等分された、極小に見えるマナ。
しかし、その本質は――。
ピシリ、と空気が張り詰める。
「……チッ、やめとけ。こんなゴミを相手にして、こっちの術位が下がったら割に合わん」
リーダー格の男が、連れの肩を掴んで抑えた。
彼らは俺を蔑むような目で見捨て、吐き捨てる。
「どうせ明日からの実技授業で、自分の身の程を知ることになるんだ。せいぜい、その最弱の小鳥とおままごとでもしてろ」
男たちは、嘲笑を残して去っていった。
俺は、引いた右手の拳を静かに開いた。
奥歯の裏に残る不快感を、息と一緒に吐き出す。
(今に見ていろ)
感情を言葉にする必要はない。
ただ、結果で黙らせる。それだけだ。
[* * *]
黒根団の寮の扉は、きしんだ音を立てて開いた。
中は、外観以上の惨状だった。
床から天井まで、溢れんばかりの古書や壊れた魔導具の山。
整理整頓という言葉は、この寮には存在しないらしい。
「うわっ、ちょっと待って。そこ、踏まないで」
本の山の陰から、一人の少女が飛び出してきた。
大きなとんがり帽子を斜めに被り、衣服のあちこちにインクのシミをつけている。
黒根団の先輩、ミア・ソルテだった。
ミアは俺の顔を見ると、すぐにその視線を俺の左肩へと移した。
その瞬間、彼女の大きな目がさらに見開かれる。
「嘘……ルミナ。それも、完全に絆結びの一歩手前じゃない。なんでそんなにべったり懐いてるの」
「さあ。測定のときに、勝手に乗ってきた」
「勝手にって、あり得ない。ルミナは警戒心が強くて、普通はマナの量が多いエリートにしか興味を示さないのに。君、名前は」
「レン・キリス。今日からここでお世話になる」
「レン君ね。私はミア・ソルテ。一応、ここの先輩。……ねえ、そのルミナ、ちょっと触らせて」
ミアがにじり寄ってくる。
だが、彼女の手が近づいた瞬間、ルミナは威嚇するように小さな羽を逆立てた。
「きゅーっ」
「ほら、やっぱり。私にはあんなに怒るのに、君の首にはすり寄ってる。……不思議。君、マナの系統は何」
「散在型だ。術位はF」
その言葉を聞いた瞬間、ミアは一瞬だけきょとんとした。
しかし、すぐに納得したように顎に手を当てる。
「あー、なるほど。散在型。すべての系統にマナが散らばってるから、測定器には極小としか出ないやつね。でも、だからこそ幻獣には――いや、これ以上は私の研究領域か」
ミアは一人でぶつぶつと呟くと、ぽんと俺の背中を叩いた。
「歓迎するよ、レン君。ここは変わり者の集まりだから、術位なんて誰も気にしない。部屋は二階の突き当たり。好きに使って」
[* * *]
案内された部屋は、狭いが最低限の家具は揃っていた。
窓からは、学院の裏に広がる深い森が見える。
俺はベッドに腰掛け、ルミナを木製の机の上に下ろした。
ルミナは机の上をトコトコと歩き、こちらをじっと見つめている。
「さて。お前の構造を見せてもらうぞ」
俺は指先を伸ばし、ルミナの小さな額に触れた。
意識を集中させる。
前世の理系知識、そのすべてを脳内に展開する。
この世界の術式言語は、ただのプログラムだ。
ならば、幻獣の体内にある魔法回路もまた、一種の数式として翻訳できるはず。
じわり、と俺のマナがルミナの体に流れ込む。
6つの系統に等分されたマナが、ルミナの持つ【光輝】の回路と接触した。
脳裏に、複雑に絡み合った光の数式が浮かび上がる。
(――ひどいな、これは)
一見して、無駄の多さに頭痛がした。
定数の設定が不正確で、マナの伝達効率が著しく悪い。
この世界の人間が「最弱の幻獣」と呼ぶ理由が分かった。
ルミナが弱いのではない。ルミナの持つ初期の数式が、あまりにも未完成なのだ。
(ここをこうして、変数を最適化すれば……)
俺は、脳内の数式を書き換えていく。
前世で学んだ、論理的で最も美しい最適化のアルゴリズム。
書き換えた数式に沿って、俺の微弱なマナをルミナの回路へと滑り込ませる。
その瞬間。
ルミナの体が、小さな太陽のように輝いた。
ただの明かりではない。
大講堂でレオードが見せた蒼い光とは異なる、どこまでも透き通った、純白の光。
部屋の隅々までが、昼間よりも鮮やかに照らし出される。
「きゅい……っ」
ルミナが、驚いたように自分の羽を見つめている。
その瞳に、知性の光が宿るのが見えた。
マナの出力が、先ほどまでの数倍に跳ね上がっている。
光が収まると、ルミナは勢いよく俺の指先に飛びつき、嬉しそうに甘噛みを始めた。
チクチクとした痛みが、心地いい。
「……これなら、いけるな」
確信が、胸の中で形になる。
エリートどもがゴミと笑った散在型のマナ。
そして、最弱と見下したⅠランクの幻獣。
この組み合わせが、どれほどのバグを引き起こすか。
それを証明してやる。
翌日、学院での最初の実技授業が始まろうとしていた。




