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第6話:守る

枝を置く。重ねる。さっきより、ゆっくり。アダムが、手を止める。空を少しだけ見る。

「……さっきより、ちゃんと置けてるな……無駄に動いてない……一回見るだけで、ずれなくなってる……」


ハワーが、枝の向きを揃えながら。

「……うん……急がないと崩れない……力も余らない……今のほうが、ちゃんと残るわね……」


風が抜ける。アダムが、静かに息を入れる。

「……今日な……」

少し止まる。だが、迷いではない。

「……このまま終わらせるものじゃない……やって終わりにすると、足りない……向ける先がある……」


ハワーが、手を止める。

「……足りない?」


アダムが、視線を上げる。

「……ああ……手の動きは整ってる……置き方も、崩れなくなってる……でもな……それだけで終わらせると足りない……受け取ってるのに、返してない感じが残る……」


ハワーが、静かに聞く。

「……誰に?」


アダムは、すぐに答える。

「……分かってるだろ……俺たちを地上に降ろした、天におられるあるじだ……ここは、もう天の中じゃない……前とは違う場所だ……」

空を見たまま、続ける。

「……でもな……離れたからって、切れたわけじゃない……今も保たれてる……生きてることも、立ってることも、それで足りるくらいにな……距離はあっても、届かなくなったわけじゃない……」


ハワーが、ゆっくり視線を上げる。

「……うん……でも、どうやって向くの?」


アダムが、静かに言い切る。

「……向きさえあればいい……天は、どれだけ遠くても、つながる……形は、まだ定まってない……でも、それでいい……」

少し息を落とす。

「……最初の向きは、心から始まる……動きが先じゃない……先に、在り方だ……」


ハワーが、小さくうなずく。

「……言葉にしなくても、いいのかもね……今みたいに、止まって向くだけでも……ちゃんと通る感じがする……」


二人、同時に空を見る。何も言わない。アダムが、ゆっくり息を吐く。

「……今日、崩れなかったこと……まだ立っていること……それだけでも、返すに足りる……」


ハワーが、静かに重ねる。

「……うん……一人じゃないことも……ちゃんと残ってることも……それ、消えてないものね……」


風が抜ける。枝が揺れる。アダムが、低く。

「……届いている」


ハワーが、少しだけ笑う気配。

「……返ってはこないけどね……」


アダムが、短く。

「……拒まれてもいない……」


ハワーが、静かに。

「……それで十分かもね……」


アダムが、手を動かす。

「……続けよう……これは、続けるものだ……」


ハワーも、同じように動く。

「……ええ……そのまま続けましょう……」


枝を置く。今度は、迷わない。アダムが、ぽつりと。

「……こうやってやる……止まって、向いて、それから続ける……」


ハワーが、やわらかく。

「……うん……形はまだないけど……向きは、もう決まってる……」


風が抜ける。空は、変わらない。光は、まっすぐ落ちてくる。地面が、じりじり熱を返している。二人は、また手を動かす。


アダムが、枝を並べ直す。先端を揃える。重なりを少しずらす。隙間が空かないように押さえる。

「少し暑いな……さっきより、体の中に熱が残る……動いて止まっても、抜けきらない……」


ハワーが、首元に指を当てる。皮膚に残った熱を確かめる。

「……ええ……同じね……汗が引いても、軽くならない……中に溜まってる感じ……」

風が、変わる。さっきまで同じだった向きが、横にずれる。周りの葉が、一斉に裏を見せる。ハワーが、目を細めて空を見る。

「……雲……あそこ……さっきまで何もなかったのに……薄いのが広がってる……」


アダムも、顔を上げる。

「……動きが速いな……形が変わるのが見える……さっきの空とは違う……」


——ぽつ。


乾いた土に、濃い点が一つ落ちる。すぐに、もう一つ。ハワーが、手を上げる。

「……冷たい……指に当たった……さっきの空気と違う……雨ね……上から落ちてきてる……」


アダムが、手のひらを上に向ける。一粒、二粒、掌に当たる。

「……ああ……当たったところだけ冷える……触れるとすぐ分かる……」


次の瞬間、粒が増える。点が、線になる。線が、続いて落ちてくる。ハワーが、肩をすくめる。

「……一気に来るのね……避けても、すぐ当たる……全部を防げない……」


アダムが、水を受けようとする。だが、指の間から全部こぼれる。

「……逃げるな……このままだと、全部落ちる……入っても残らない……」


もう一度、手を出す。ハワーが、その手を見る。

「……今の、全部抜けてる……当たってるのに、残ってないわ……」


アダムが、指を寄せる。隙間を狭める。

「……こうか……指の間を閉じる……」

今度は、少し水が溜まる。掌の中心に、小さく集まる。

「……今は残るな……」

口に運ぶ。

「……飲める……冷たい……そのまま喉に落ちる……引っかからない……」


ハワーが、小さく息を落とす。

「……うん……さっきの実と違う……そのまま通る……体に入ってくる感じがはっきりしてる……」


アダムが、もう一度試す。

「……やり方だな……同じ水でも、残るか落ちるかが変わる……そのままだと全部失う……合わせると残る……」


ハワーが、足元の大きめの葉を拾う。平らな面を上に向ける。雨が、そこに溜まる。すぐに、葉の真ん中に水が集まる。

「……これ……広げると溜まる……手みたいに隙間がない……そのまま受け止められる……」


差し出す。アダムが、受け取る。葉の上の水を見て。

「……いいな……逃げない……そのまま残る……」


二人、少し位置を変える。水が多く落ちる場所へ。枝の下を外れ、空が開けた場所へ出る。ハワーが、雨を見たまま。

「……同じように降ってるのに……そのままだと流れて消える……でも受けると残る……受け方があるのね……」


アダムが、短くうなずく。

「……ああ……来るのは同じだ……でも残すかどうかはこっちだ……」


ハワーが、ゆっくり重ねる。

「……雨は、与えられるものなのね……でも、残るかどうかは、受ける側で変わるのね……」


アダムが、空を見たまま。

「……俺たちの都合で、雨は来ないな……欲しいときに落ちるわけじゃない……でも、受け方はこっちだ……」

一拍。

「……降るものが、自分で自分に命じてるわけじゃないだろ……雨が勝手に“今だ”って決めてるなら、少し変だ……」


ハワーが、静かに聞く。

「……じゃあ、命じる側は?」


アダムが、視線を上げる。

「……他のところにある……雨そのものじゃない……それを落とした側にある……来るものには、源がある……」


ハワーが、小さくうなずく。

「……ええ……与えられてるのは雨だけじゃないのね……その向こうにあるものも、一緒に来てる……」


アダムが、足元を見る。地面に、水が流れ始めている。細い筋になって、土の低い方へ進んでいる。

「……見ろ……まっすぐ行かない……石を避けて曲がってる……」

しゃがむ。

「……押さえると止まるな……土に溜まる……溜まると、あふれる……形が崩れる……」


ハワーが、小さく。

「……だから壊れるのね……」


アダムが、うなずく。

「……合わせると通る……石に当たったら回る……止まらない……」


ハワーが、続ける。

「……通った分だけ、残る……地面が濡れていく……」


雨が、少しずつ弱くなる。音が、ばらける。二人、足元を見る。細い流れが、枝の間を抜けていく。アダムが、指で流れをなぞる。

「……自分で道を作ってるな……止まらないで、抜ける方に行く……」


ハワーが、同じように見る。

「……止めると溜まる……動かすと流れる……」


アダムが、低く。

「……合わせると壊れない……」


ハワーが、静かに。

「……今の、覚えたほうがいいわね……見て分かる……」


アダムが、短く返す。

「……ああ……押さないで通す……それが残るやり方だ……」


雨が、止む。空が、また明るくなる。だが地面は濡れ、空気は冷えている。土の匂いが立ち上る。


ハワーが、自分の手を見る。水が残っている。

「……同じ場所なのに……全然違うわ……さっきより冷たい……空気も変わってる……」


アダムが、ゆっくり息を吐く。

「……場所じゃないな……関わり方が変わった……受け方が変わった……」


ハワーが、小さくうなずく。

「……ええ……同じものでも、残り方が変わる……」


アダムが、低く。

「……また一つだな……」


二人、濡れた手を見る。沈黙。だが、止まっていない。


夜が、戻ってくる。光が引く。 湿った地面が、足に残る。音が、消えない。


アダムが、足を止める。

「……音、残るな……踏んだあとが消えない……さっきの雨のせいか……」


ハワーが、足元を見る。

「……ええ……草の音も長い……こすれる音も、残ってる……近くに感じるわね……」

遠くで、短い音。


——キッ。


ハワーの肩が、わずかに止まる。

「……今の……何……?」


アダムの首が、ゆっくり向く。

「……声だな……昼のとは違う……軽い……だが、近い……」

もう一度。


——キィ、キッ。


今度は少し長い。ハワーが、小さく。

「……鳴き方が変わる……同じ場所からじゃない……動いてる……」


アダムが、低く。

「……近づくな……」


ハワーは、動かない。草が、揺れる。風じゃない。何かが、踏んでいる。軽い。だが、速い。一歩。二歩。湿った土が、小さく沈む。


アダムが、棒を拾う。握る。

「……軽いな……だが、ないよりはいい……」


ハワーが、少しだけ寄る。

「……それで足りる……?」


「……分からん……だが、何もないよりはましだ……」

草の奥で、影が動く。低い。だが、横に長い。止まる。また動く。


ハワーが、息を止める。

「……低い……地面に近い……」


アダムが、目を細める。

「……背が高くない……だが、足が速い……」


影が、少し前に出る。輪郭が、切れる。頭が、前に突き出ている。首が、長い。尾が、後ろに伸びる。


ハワーが、低く。

「……獣……でも、形が違う……」


アダムが、短く。

「……ああ……二足だな……前のやつとは違う……」

一歩、前に出る。影が、止まる。


——キィ。


今度は、短く鋭い。ハワーが、小さく。

「……見てる……こっちを……」


アダムが、低く。

「……測ってるな……距離……動き……」

ラプトルが、頭を少し傾ける。一歩、横に動く。速い。だが、突っ込まない。


ハワーが、息を押さえながら。

「……まっすぐ来ない……回る……隙を見てる……」


アダムが、動かない。

「……ああ……ぶつかるやつじゃない……選んでくる……だから、動くな……」


ハワーが、小さく。

「……うん……」

ラプトルが、もう一歩近づく。止まる。目が、合う。ハワーが、わずかに声を落とす。

「……目が違う……怖いっていうより……考えてる……」


アダムが、低く。

「……ああ……普通の獣じゃない……だが、獣だ……」


沈黙。誰も動かない。ラプトルの呼吸が見える。細く、速い。足が、地面を軽く掴む。アダムが、わずかに棒を持ち直す。だが、振らない。


ハワーが、小さく。

「……来る……?」


アダムが、短く。

「来るなら、もう来てるな」


ラプトルが、地面の匂いを嗅ぐ。足跡をなぞる。雨の匂い。人の匂い。顔を上げる。もう一度、見る。アダムを。ハワーを。そして、向きを変える。草の奥へ。速い。音が、連続する。すぐに、消える。静かになる。少し遅れて、虫の音が戻る。


アダムが、棒を下ろす。息を、ひとつ落とす。

「……行ったな」


ハワーは、まだ目を離さない。闇の奥を見たまま。

「ええ……今は戻ってこない。来なかった」


アダムが、低く返す。

「来なかったんじゃない。選んでた。来るかどうか、見て決めてたな」


ハワーが、ゆっくり息を戻す。

「私たちも、見られてたのね。ただ通ったんじゃない……距離も、動きも、全部見てた」


アダムが、短く。

「隙も見てたな。どこから崩れるかも。夜は、そういう場所だ」


ハワーが、小さく。

「油断できないわね。何もしてなくても、測られてる」


アダムが、少しだけ肩を落とす。

「だが、分かった」


「なにが?」


「全部が来るわけじゃない。来るやつは、見て決めてる」


ハワーが、静かにうなずく。

「……ええ。だから、こっちも崩れないで立つのね。動きすぎても、逃げても、変わる」


アダムが、はっきりと。

「ああ。立ってるかどうかを見てる」


ハワーが、ぽつりと。

「……行ったね」


「……ああ」


ハワーが、静かに。

「怖かった?」


アダムは、すぐには答えない。ほんの少しだけ考えてから。

「分からん。怖いっていうより……身体が先に動いた。気づいたら前に出てた。守る位置に、勝手に立ってた」


ハワーが、小さくうなずく。

「考えてないのに、そうなってたのね……」


「ああ。選んだ感じじゃない。ただ、その場所に収まった。逃げるより先に、立ってた」


ハワーが、視線を落としてから、もう一度上げる。

「それでいいと思う。あのときは、もう始まってたもの。ちゃんと、前にいたわ」


アダムが、視線を落とす。

「守れたかは分からん」


ハワーが、すぐに重ねる。

「でも、逃げなかったでしょう。崩れなかった」


アダムが、短く。

「……立ったな」


二人は並ぶ。さっきより、ほんの少し近い。棒は地面に置かれる。だが、手の届く場所に。ハワーが、低く。

「次も、来るかもしれない」


アダムが、うなずく。

「ああ。でも同じだ。来るなら、来る前に分かる。身体が先に動く」


ハワーが、静かに重ねる。

「そのとき、また立つのね」


アダムが、ぽつりと落とす。

「ああ……立つっていうのは、こういうことかもしれんな」


ハワーが、少しだけ首を傾ける。

「どういうこと?」


アダムが、前を見たまま。

「ただ立ってるだけじゃない。崩れないで、向いたまま、その場にいることだ。さっきみたいに……前に出て、逃げずに、そのまま在る」


ハワーが、静かにうなずく。

「……向きのまま、立つのね」


アダムが、低く。

「ああ。形はまだないが……これが最初の立ち方だ。向いたまま立つ。それで、十分だ」


夜は、完全には静まらない。虫の音が、少しずつ戻る。だが、さっきとは違う。二人は、動かない。逃げず。崩れず。ただ、向いたまま、そこに立っている。呼吸だけが、ゆっくり戻る。 それだけで、十分だった。


静まったのは、音だけだった。夜は、まだ続いている。胸の奥で分かる。まだ、その中にいる。


呼吸が、ゆっくり整ってくる。遠くで、枝がひとつ鳴る。胸が、一瞬だけ跳ねる。だが、身体は動かない。地面は湿っている。足の裏が、重い。


ハワーが、膝をつく。そのまま、腰を下ろす。背中を木に預ける。

「……もう、目が開かない……勝手に落ちてくる……」

息が、少し途切れる。

「……止めても戻らない……もう体が先に行ってる……」


アダムは、振り返らない。

「眠れ」


ハワーが、かすかに。

「……あなたは……?」


「……すぐに」

一拍。

「……今は、まだ立てる」


ハワーの呼吸が、ゆっくり長くなる。

「……先に行くね……起きてたら……呼んで……」


まぶたが落ちる。アダムは、動かない。棒は地面に立てかけたまま。手は、まだそこにある。指が、木のざらつきをなぞる。それ以上は動かない。肩の力が抜ける。首が、少し落ちる。目は、閉じない。ただ、閉じないまま。


夜は静かだ。だが、安全ではない。それでも、身体は休もうとする。


アダムは、立ったまま、眠りに近づく。落ちない。その場に留まる。ただ、立っている。呼吸だけが残る。


遠くで、鳥が一声鳴く。まだ朝ではない。だが、夜は動いている。


呼吸が、整う。もう一度、鳥が鳴く。今度は、少しはっきりしている。まだ朝ではない。だが、夜は、向こうへ行き始めていた。


闇は、一気には消えない。輪郭だけが、ほどけていく。地面の色が戻る。木が、分かれて見える。空気は、まだ重い。


ハワーが、ゆっくり目を開く。冷たい。頬に残っている。視線を動かす。隣に、アダム。座ったまま。背を少し丸めて、腕を膝に置いたまま。眠っている。横になっていない。起きたまま、落ちている。呼吸は深い。だが、少し乱れている。


ハワーが、小さく息を整える。

「……そのまま寝たのね。ずっと、起きてたの……?」

返事はない。ハワーは、昨日の背中を見る。前に出た位置。動かなかった足。

「……最後まで、立ってたのね……」

音を立てずに身体を起こす。葉を取る。まだ少し湿っている。アダムに近づく。

「……起こさないほうがいいわよね。今は、休ませたほうがいい……」

そっと、葉をかける。肩。背中。完全には覆えない。だが、風は弱くなる。手が止まる。近くで見る。

「……思ったより、残ってる……体に……」

肩の線。首の傾き。

「……抜けきってないのね。頑張りすぎよ……」


届かせない声。もう一度、葉を整える。それから、少し離れて座る。同じ方向を見る。空は、黒じゃない。まだ白くもない。鳥が、一声。


ハワーが、膝を抱える。

「……静かね……でも、止まってない。ここで待つだけで、足りるのかも……」


何もしない。ただ、いる。それで、足りている。光が、少しずつ前に出る。アダムが、先に目を開く。開こうとしたわけじゃない。身体が、先に起きる。ハワーが、気配で分かる。


アダムが、空を見たまま。

「……勝手に開いたな……もう動ける……昨日より軽い……」


ハワーが、小さく。

「……戻ってるのね……」


アダムが、短く。

「……ああ……無理はしない……崩れるからな……」


ハワーが、ふと。

「……昨日、立ってたでしょう」


「……ああ」


「……そのまま寝たの?」


「……そのまま落ちた」

一拍。

「……そのまま、朝まで来た」


ハワーが、静かに。

「……続いてるのね……」


アダムが、立ち上がる。

「……ああ……切れてないな……」


ハワーも、少し遅れて立つ。光が、少しだけ強くなる。

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