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第43話:後回しにされた真理

朝でも昼でもない時間が、まだ続いている。空気も流れも、さっきのままだ。


配りは止まらない。器が渡る。札が外れる。役目が入れ替わる。誰も急がない。でも遅れない。回っている。


俺は歩いている。列の外でも、内でもない場所を。さっきの言葉が、まだ胸に残っている。出しても、止まらない。それはもう分かっている。それでも——

「なあ」

歩きながら声を投げる。

「お前たちさ。飯もあるし、仕事もあるし、家族もいるよな」

少し前を歩く男たち。振り向かない。

「それって、どこから来てる?」


すぐ返ってくる。

「街の仕組みだな。みんなが同じように動くから回る。水も飯も順に回ってくる」


後ろから声。

「誰かが止まらなきゃ、それでいいんだよ。役目が順に回ってるだけだ。それで街は困らない」


俺は少しだけ笑う。

「ほんとか?」

一拍。

「じゃあさ、その仕組みで飯も水も来るって言うなら、太陽も昇らせてみろよ」

何人かが反射的に空を見る。すぐ視線を戻す。俺は続ける。

「雨も降らせてみろ」


少し間。でも列は止まらない。荷車が一つ動く。人が自然に分かれる。返事が来る。

「……そこは違うだろ」


年配の女の声。

「でもな」

器を渡しながら続ける。

「今はこの仕組みで足りてる。水も回るし、飯も来る。だからみんな困ってない」


頷きが一つ。俺は肩をすくめる。

「足りてる、ってだけだな。じゃあさ。雨が降らなくても、この仕事回るのか?」

一拍。

「日が昇らなくても、同じように飯食えるのか?」


誰かが小さく息を吐く。でも足は止まらない。

「……そこまでは考えてないな」


俺はもう少しだけ押す。

「雨も日もなかったらさ、昨日と同じように食えると思うか?」

一拍。

「それでもこの街、回るのか?」


間。でも列は崩れない。俺は最後に落とす。

「じゃあもう一つ。今、お前の心臓が動いてるのも、それも、この街の仕組みのおかげか?」

一拍。

「心臓が止まったら、それでも街はいつものように回るのか?」


笑いが混じる。若い男が肩をすくめる。

「すごいこと言うな、お前」

歩きながら続ける。

「でも心臓が止まってもさ。代わりに仕事できるやつは、いくらでもいる。 街は回るよ。人より長く残るからな」

少し笑う。

「要するに、補えるってことだ」


俺は歩きながら返す。

「それさ、いつまで続くんだ?」


「何が?」


「代わりがいるってやつ。誰かが抜けても、すぐ別のやつが入るって前提」

少しだけ肩をすくめる。

「みんな死んだらどうする?人が減ったらさ」

前を見たまま続ける。

「この街の仕組みって、ずっと同じように回るのか?」


すぐ声が返る。

「変わったら組み直すよ。今までもそうしてきた。足りなくなれば、やり方変えるだけだ」


別の声。

「問題が出たら直す。直せるうちは直す。それで回るなら、それでいい」


俺は少しだけ間を置く。

「じゃあさ、この流れって、百年後も続くと思うか?」


釘を持った手は止まらない。

「そこまでは考えてないな。でも止まったら、その時に直す。止めないように動かすだけだ」


別の声が重なる。

「もう直せなくなったら、別のやり方にする。街なんてそんなもんだろ。回る形に組み直すだけだ」


誰も立ち止まらない。俺はもう一つだけ落とす。

「……終わりは?」


肩が小さく上がる。

「考えてないな。まあ、そんな時が来たらその時だろ。今は回ってるんだから、それでいい」


荷車が横を通る。人が少しずれて道を空ける。すぐ元の流れに戻る。誰も止まらない。俺の言葉は、人の動きの上をそのまま滑っていく。引っかからない。止めない。


俺は黙る。理由は伝わっている。でも、必要だとは思われていない。それだけだ。


配りは続く。役目は入れ替わる。札が外れ、別の札が掛けられる。声が重なり、またほどける。同じ日が、まだ終わらない。流れは、一度も止まっていない。


その中で、音が短くずれる。木の箱が一つ傾く。


——ゴトン。


乾いた音。箱の底が跳ねる。縁が内側に倒れる。中身がこぼれる。粒が床を転がる。


一人が声を出しかける。その前に、二人が動く。

「そっち抑えて。箱もう少し起こせ。そのまま押さえてりゃ戻る。中身はあとで拾う」


「分かった。こっち持つ。底がずれてるだけだ。起こせば回せる」


箱はすぐ起きる。その瞬間。縁に残っていた手が、遅れる。木の角が手首に噛む。鈍い音。男が息を詰める。

「……っ」


声にならない。一歩下がる。右手を離す。左手で手首を押さえる。少し角度を変える。骨の位置を探る。顔は歪めない。血は出ていない。関節の内側だけ、少し盛り上がっている。誰も近づかない。箱はもう次に回っている。別の箱が運ばれる。


後ろから声。

「そこ気をつけろよ。さっき箱傾いたからな。底が滑るとまたこぼれる」


男は小さく頷く。まだ手首を押さえている。別の声。

「手どうした?箱に挟んだのか。骨いってないなら、そのまま動けるだろ」


男は首を横に振る。

「……いける。動く分には問題ない。少し遅れるだけだろ」


横から声が入る。

「止まるほどじゃないだろ。箱も割れてないし、中身も戻せる。手も動いてるなら続けよう」


誰も責めない。誰も止まらない。男は左手で箱を取る。右手は少し遅れる。動きが一瞬ずれる。だが誰も数えない。箱が運ばれる。


別の声が飛ぶ。

「次こっち回せ。この列もうすぐ空く。その箱終わったら前に出して」


流れは続く。止まっていない。だから、起きていない。俺はそれを見る。ここでは、止まったものだけが問題になる。怪我は数に入らない。仕事が続くなら、何も起きていない。誰も悪くならない。誰も引き受けない。


俺の言葉も、同じ場所に置かれる。止めなければ、なかったことになる。それが、この街の正しさだ。


俺は横から声を出す。

「なあ」

少し遅れて、続ける。

「さっきの怪我さ。あれ、誰が責任持つんだ?」


箱を運ぶ手は止まらない。返事がばらける。

「責任って言ってもな。あいつが箱押さえきれなかっただけだろ。働けないなら、向いてなかったってだけだ」


別の声。

「ここじゃみんな同じだよ。箱落とすやつもいれば、持ち直すやつもいる。働けるやつが続けるだけだ」


粒を拾う手が動く。俺は続ける。

「でもさ、この街のやり方で怪我したんだろ。それでも誰も責任持たないのか?」


すぐ返ってくる。

「持てないだろ。誰が悪いって話でもない。箱が落ちただけだ」


別の声。

「働けなくなったら残念だな。でも止めるわけにはいかない。全部が回ってるほうが大事だ」


箱が次に回る。俺は重ねる。

「じゃあさ、この流れ、順調に回らなくなったら?全部止まったら、誰のせいにする?」


間はない。

「止めなきゃ、責任は出ない」


別の声。

「だから止めないようにしてるんだよ。誰かが止まると全部詰まる。詰まれば、みんな困る」


箱は元の場所に戻る。通路も戻る。俺はもう一つ聞く。

「じゃあさ、善いとか悪いとかは?」


ほんの一瞬だけ動きが重なる。でも止まらない。返事が来る。

「働けるかどうかだろ。動けるなら続ける。動けないなら外れる」


別の声。

「善い悪いより、回るかどうかだ。止まったほうが困る。だから止めない」


粒が器に戻る。床が払われる。誰も振り返らない。さっきの音は、もう残っていない。


俺は黙る。責任は分けられたんじゃない。消えた。誰の手にも残らない形で。


ここでは、正しさは速さで決まる。流れは前へ進む。


少しして、人が腰を下ろす。短い休憩だ。器が置かれる。水が回る。影が少し伸びる。誰も横にならない。休むというより、切り替える。笑いはない。でも険しくもない。


俺は、その輪の外から声を出す。

「なあ」

何人かがこちらを見る。

「この仕事さ。毎日こうやって回してるけど……結局、何のためにやってるんだ?」


すぐ返ってくる。

「意味なんて要らないだろ。今は回すので精一杯だ。止めなきゃ、それで十分だよ」


誰かが器を口に運ぶ。水を飲み干して、息をつく。


別の声。

「まず今日を回す。それだけだ。水も運ぶし、箱も動かすし、列も崩さない。それができてりゃ、今は困らない」


俺は続ける。

「ならさ、意味っていつ決めるんだ?」

一拍。

「死ぬ前か?」

少し間。

「それとも、死んだあとか?」


肩が小さく上がる。

「必要になったら考えるよ。余裕ができたときにな。今はそんな暇ない」


別の声が続く。

「今は忙しいんだよ。水も飯も止められないし、列も回さないといけない。まずそれが先だ」


俺は頷く。

「でもさ、今の調子だと、その余裕来ないだろ」


誰も反論しない。俺はもう一つ聞く。

「それってさ、人の愛とか。家族とか、人との関係とか。そういうのは意味にならないのか?」


少しだけ間。返事が来る。

「……概念だろ」


別の声。

「今は使えない。仕事の役には立たないしな。考えても動きは早くならない」


さらに別の声。

「今は仕事で手一杯だよ。愛だの人間性だの考えても、箱は運べないだろ。だったら手を動かした方が早い」


誰かが淡々と言う。

「そんなこと考える暇あるならさ。一箱でも多く運んだ方がいい。その方が街は回る」


いくつか頷く。器が空になる。水が飲み干される。誰かが立ち上がる。

「次、東」

「了解」


休憩は終わる。意味の話は出た。でも、何も変わらない。列が、また動き出す。俺は少しその場に残る。人の背中が遠ざかる。声は流れに溶けていく。

少し高い所に上がる。街が見える。道が分かれて、また合流する。水が光る。荷が動く。止まっているものはない。


俺はその流れを見ながら声を出す。

「なあ」

少し下の通りに向けて言う。

「この街でさ。お前たちって、何を持ってるんだ?」


返事はすぐ返る。

「土地だな。畑もあるし、水路もある。それがあるから食える」


別の声。

「仕組みもある。水の流し方も、仕事の回し方も決まってる。それで街が回ってる」


俺は続ける。

「……じゃあさ、自分の命は、持ってるのか?」


一拍。返事が来る。

「持ってるって言い方はしないな。管理してるって感じだ。体を壊さないように気をつけてるだけだ」


俺は聞き返す。

「“持ってる”とは言わないんだな」


肩が少し上がる。

「まあな。そういう言い方はしない」


人は歩き続けている。荷は止まらない。俺はもう一つ聞く。

「じゃあさ、自分の命を持ってないならさ、結局、誰が持ってるんだ?」


声がばらける。

「そんなの分からないな」

「そこまで考えたことはない」


一人が肩をすくめる。

「身体は動かせるけどさ。命そのものを持ってるって感じじゃない。 気をつけて壊さないようにしてるだけだ」


俺は続ける。

「命は管理できるとしてさ。でも、心臓が打つのは この街の仕組みのおかげか?」


すぐ返事が来る。

「いや、それは身体の仕組みだろ。人の体ってそうできてる。だから勝手に打つ」


別の声。

「仕組みなら、まあ管理はできるだろ。飯食って、寝て、体壊さないようにしてれば。それで長く動く」


俺は少し間を置く。

「でもさ、その心臓って、自分で打たせてるのか?」


少し沈黙。声が返る。

「普通に打つだけだろ。何が打たせてるかまで考えたことないな。そこまで考えても仕方ない」


別の声。

「まあでも言いたいことは分かるよ。身体は動かせるけどさ。心臓は自分の意思じゃない」


さらに声が続く。

「勝手に打ってるだけだ。急に止まったら、それで終わり。誰にもどうにもできない」


少し間。別の男が言う。

「……確かに。俺たち、命を持ってるわけじゃないな。壊さないようにしてるだけだ」


さらに続く。

「守ってるつもりでいただけだ。身体を壊さないように気をつけてるだけで。実際は、生きていられてる側だな」

肩をすくめる。

「誰に生かされてるのかは分からないけど」


別の声。

「俺たちが心臓を打たせてるわけじゃない。勝手にそうなってる。止まったら、それで終わりだ」


別の男が言う。

「まあ、身体ってそういうもんだろ。生まれたら動くし、飯食えば続く。止まったら、それまでってだけだ」


誰かが続ける。

「細かい仕組みは知らないけどな。身体がそうできてるんだろ。考えてもどうにもならないし」


さらに別の声。

「医者でも分からないこと多いしな。心臓だって、急に止まるやつは止まる。誰がどうしてるかなんて、俺たちには分からない」


俺は小さく頷く。

「……勝手に、か」

少し間。

「じゃあ、それを“勝手に”してるのは、誰だ?」


足は止まらない。誰かが息を吐く。

「さあな、そんなこと考えたことない」


別の声。

「身体の仕組みだろ。そうできてるだけだ」


俺は、その言葉を拾う。

「……そうだな」

少し間を置く。声を少し落とす。

「それを認めるならさ、この街の仕組みって、誰が作ったんだ?誰のおかげで、ここまで来た?こうなるまでの積み重ねってさ、お前たち分かってるのか?」


一瞬、視線が宙に浮く。返事が来る。

「……分からないな」


少し間。別の声が続く。

「でも、誰か一人が作ったわけじゃないだろ。気づいたらこうなってた感じだ。仕組みも流れも、積み重なっただけだろ」


さらに声が重なる。

「誰かが全体を見て作ったわけじゃない。でもちゃんと動いてる。止まらず回ってるなら、それでいいんじゃないか」


俺は頷く。

「……この街を、誰が“使った”のかも分からないってことだな」


頷きが返る。

「まあ、結果としてそうなったってだけだ。今はちゃんと回ってる。それで足りてるだろ」


俺は通りを見ながら続ける。

「じゃあさ、この街の流れって、結局誰のおかげで成り立ってるんだ?」

一拍。

「ここまでの街を作るにはさ。いろんなことが、うまく重ならないと無理だったはずだろ」


返事は軽い。

「まあな。途中で失敗しててもおかしくなかった。でも今はちゃんと動いてる」


別の声。

「それでいいだろ。どうやって出来たかまで知らなくても、今回ってるなら問題ない」


さらに声が重なる。

「疑う理由もないしな。ここまで回ってるならさ。明日も同じように回るだろ」


俺はその言葉を拾う。

「……止まるかもしれないって、疑わないんだな」

一拍。

「うまく回ってる限りは」


返事が来る。

「考えても意味ないだろ。止まらなければ問題は起きない。止まらないなら、それでいい」


別の声が続く。

「実際、今まで止まってないしな。水も来るし、飯も来る。街はずっとこうやって回ってきた」


さらに声。

「誰かが毎日働いてるからな。箱運ぶやつも、水回すやつもいる。それで流れは続く」

肩をすくめる。

「だから疑う理由もないだろ。今まで回ってるんだからさ。明日も同じように回るだろ」


別の男が言う。

「止まるなんて考えても仕方ない。もし止まったら、その時に考える。今は回してる方が先だ」


俺は小さく頷く。

「……なるほどな」

少し間。

「じゃあさ。お前たち、自分は何も信じてないって思ってるだろ」


すぐ返る。

「まあな。神様だの何だのは考えてない。ここはそういう場所じゃない」


別の声。

「俺たちは仕事してるだけだ。水回して、荷運んで、列崩さない。それで街が回るなら、それで十分だろ」


俺は首を振る。

「違う。お前たち、ちゃんと神を信じてる」

一拍。

「この仕事をな」

少し間。

「明日が、必ず、いつものように来るって、信じてる」


誰かが笑う。否定ではない。声が返る。

「仕事は事実だからな。信じるとかじゃない。やれば回る、それだけだ」


別の声が続く。

「毎日見てるからな。止めなければ街は回る。それが分かってるだけだ」


俺は静かに言う。

「それを、まだ神だと思ってないだけだ」


少し間。頷きが返る。

「……まあ、そうかもしれないな。確かに俺たちはそれを頼りにしてる。止まったら困るからな」


別の声。

「でも神ってわけじゃないだろ。ただの仕事だ。毎日やってることだ」


誰も立ち止まらない。街は同じ速さで動いている。神は否定されていない。ただ、神性が、仕事の中に溶けている。


それでも流れは続く。誰も止まらない。時間だけが先へ進む。


日が落ちる。


空の色がゆっくり変わる。だが、この街は変わらない。水の音は昼と同じ強さで続く。舟が動き、荷が揺れる。遠くで声が飛ぶ。夜なのに、止まらない。


灯りが増えていく。火と油の光が水に揺れる。人は集まらない。列の速さも変わらない。この街にとって夜は、終わりじゃない。続けるための時間だ。


俺は空を見上げる。星はある。でも、街の灯りに紛れている。


ラヒーマが川面を見つめ、小さく息をこぼす。

「……きれいね」

油の火。舟の灯り。岸に並ぶ光。ラヒーマが水に映る灯りを指でなぞるように見ながら続ける。

「昼より、ずっときれい。灯りが水に映って、全部整って見える」


サジークが周りを軽く見回す。影の濃さ。人との距離。視線の抜け。

「きれいだな。暗くない。夜なのに、全部ちゃんと見える」


ラヒーマがうなずく。

「うん。夜なのに暗くないのね。灯りが多すぎて、昼の続きみたいね」


そのとき、前を誰かが横切る。通りすがりの男が軽く声をかける。

「通ります」


ラヒーマが体を少し引く。

「どうぞ」


声が割り込む。会話が一瞬途切れる。ラヒーマが灯りをもう一度見上げる。

「……でも、静かじゃないのね。村の夜って、音が減るでしょう。人の声も、足音も、だんだん小さくなる」

水面に視線を落とす。

「音が減るとね……心が前に出てくるの。自分の気持ちとか、考えてることとか。夜って、そういう時間だった気がする」


俺は黙っている。足音がまた通る。水の音は止まらない。ラヒーマが空を見上げる。

「……逆ね。音が続いてるから、心が引っ込む。考える前に、また別の音が来る」


また誰かが横を通る。荷を抱えている。通りすがりの声。

「すみません」


サジークが軽く体をずらす。

「いえ」

視線が戻る。サジークが周りを見渡す。

「……守られてる感じがしない」


灯り。人の流れ。距離。

「危ないわけじゃない。灯りもあるし、人も多い。でも背中を預けられる感じがない。人はいるのに、誰にも寄りかかれない」

川を見る。

「夜なのに、休む前提がないっていうか。みんな昼の続きみたいに動いてる。村だとさ、暗くなったら線が引かれるだろ。ここから先は外、家に入ったら中って」


首を振る。

「でもここは、その線がない。止まっていい場所がないんだ。疲れても、黙っても、誰かが受け取ってくれる感じがない」

一拍。

「止まったら、ただ邪魔になるだけだ」


ラヒーマが確かめるように首を傾げる。

「……自分で立ってる感じ?」


サジークはゆっくり首を振る。

「違う。立たされてる。この街に」


言葉がそのまま残る。アミーヌは何も言わない。川を見ている。灯りが水に落ちて砕け、流れていく。遠くを歩く男たちの声が届く。荷を担いだ男が肩を回しながら笑う。

「夜でも忙しいな。昼と変わらないじゃないか。灯りがあると、つい動いちまう」


隣の男が箱を持ち直す。

「止まらないからね。この時間の方がむしろ楽だぞ。昼より涼しいし、人も少ない」


もう一人が軽く肩をすくめる。

「それに、夜の分を回しておけば、朝が楽だろ。止めるより、そのまま続けた方が早いんだ」


誰かが後ろから声をかける。

「南の列、まだ動いてるぞ。今のうちに三箱回しとけ」


短い笑いが混じる。

「ほらな。結局こうなる。夜でも昼でも関係ないさ」


足音は止まらない。灯りが揺れ、水が流れ続ける。街は明るい。整っている。でも俺たちは輪にならない。同じ場所に立っている。同じ景色を見ている。それでも、囲まれていない。


俺はしばらく川を見てから、口を開く。

「なあ」

ラヒーマが振り向く。サジークも視線を寄こす。俺は灯りの並ぶ水面を見る。

「この街さ、天を拒んでるわけじゃないんだな」


ラヒーマが首を傾げる。

「……どういう意味?」


俺は肩をすくめる。

「ほら、天の名前を禁じる札もないだろ。祈るなって言うやつもいない。でも、誰も思い出さない」


サジークがゆっくり言う。

「……必要ないからか?」


俺は頷く。

「そう。困ってない。水は流れる。飯も回る。仕事も止まらない。だから、呼ばれない」


ラヒーマが静かに聞く。

「天が?」


俺は答える。

「ああ。拒まれてるわけじゃない。ただ……思い出されない」


サジークが腕を組む。

「敵でもないってことか?」


俺は頷く。

「そう。敵なら簡単だろ。ぶつかればいい。戦えばいい。でもこれは違う」

灯りの流れを見る。

「怒る理由もない。ぶつかる理由もない。ただ、必要とされてない」


少し沈黙が落ちる。ラヒーマが川を見ながら言う。

「……静かな遠ざけ方ね」


俺は首を振る。

「遠ざけてもない。後回しだ」


サジークが眉をひそめる。

「後回し?」


俺は頷く。

「聞こえてはいるんだよ。でも今じゃないって、ずっと先に置かれる。この街は忙しいからな」


遠くでまた声が飛ぶ。

「南の列、回せ!」


足音が続く。サジークがぽつりと漏らす。

「それ、結構まずいな」


俺は苦く笑う。

「たぶんな」


ラヒーマが小さく言う。

「拒んでる方が、まだ分かりやすい」


俺は頷く。

「そう。拒んでくれた方が楽だ。ぶつかれるから。でもここは違う。天を拒んでない。ただ……必要としてない」


誰も返事をしない。川は昼と同じ速さで流れている。灯りが増え、また揺れる。遠くでまた声が飛ぶ。

「次、回せ!」


流れは止まらない。俺は川を見る。

「雨も降る。太陽も昇る。心臓も打つ。子どもも生まれる」

一拍。

「天は、確かに支えてる。何も失われてない。この街にもちゃんといる」


ラヒーマが首を傾げる。

「……でも?」


俺は肩をすくめる。

「誰も気づかない。息をしてるだろ。心臓も勝手に打ってる。でも、自分がどうやって息してるのかなんて、ほとんどのやつは考えない」


サジークが腕を組む。

「……当たり前すぎるからか」


俺は頷く。

「そう。当たり前すぎると、人は自分から遠ざける」


ラヒーマが静かに言う。

「人って、遠いものは探すのにね」


俺は川を見る。

「そう。近すぎると、大事なものほど見えなくなるんだ」


少し沈黙が落ちる。俺は少し空を見上げる。

「人は気づかないままでも……」

一拍。

「お天道様は、ずっと見てるな」


川が流れる。灯りが揺れる。

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