第24話:置かれた差
朝。
影は短い。土の色が出ている。畑は、前と同じ。区切りも、石も、向きも、変わらない。
外だけが、違う。背の高い影が、増えている。足音が、重なる。集まる数が、前より多い。もう、一つの家では収まらない。
カービルは、畑にいる。手に、鍬。振り下ろす。
——ゴツ。
もう一度。
——ゴツ。
刃が、返る。カービルが、止まる。一瞬だけ、空を見る。雲はない。風も弱い。視線を、戻す。鍬を入れる。深く。
——ザリ。
土が割れる。だが、軽い。掘る。白い。乾いている。触る。崩れる。
カービルが、低く息を吐く。土を見たまま、口を開く。
「……違うな。去年と、出方が違う。ここは、一番揃ってた場所だ。芽も、並びも、深さも、全部ずれてなかった」
指で、土をなぞる。
「一列、全部、同じ高さで出てた。抜けもなかったし、途切れもしなかった。見ればすぐ分かる並びだった」
視線が、今の畑をなぞる。
「今は違う。出てるのもあるけど、揃ってない。並びもずれてるし、葉も小さい。色も弱い。途中で切れてるとこもある」
短く息を吐く。
「手順は守った。石も外したし、土も割った。やり方は変えてない」
一拍。
「……それで、出てない」
声が、少しだけ落ちる。
「数も、伸びも、足りてない。どこを見ても、去年の形になってない」
視線が、少し外れる。
「……あっちは出てる。同じ日で、同じ空で、ちゃんと揃ってる」
すぐに戻す。
「でも、それは関係ない。俺のとこは、俺のやり方でやってる。変えてないし、抜いてもいない。それでも出ないなら、どこかが違う。でも、その違いが見えない」
鍬を置く。手で土を掘る。白い。乾いている。指を入れる。
「……同じ土のはずだろ。掘れば分かる。触れば違いが出るはずだ。やった分は、残るはずだ」
崩れる土を見る。
「でも、残ってない。触った跡はあるのに、揃わない」
少しだけ、声が低くなる。
「見れば分かるはずなんだよ。違いが出れば、どこを直せばいいか分かる。でも、どこ見ても同じで、手応えが出てこない」
一拍。
「……出てはいる。でも、それでいいのか決めきれない。どこも同じに見えて、違いが引っかからないまま進んでる」
土を握る。崩れる。
「……引っかからないまま進むのが、一番よくない。どこが足りないのかも、どこを触れば変わるのかも、分からない。だから、動けない」
沈黙。少しして、また手を入れる。
「……いや、止まるのは違うな。出てこないなら、出るまでやるしかない」
石に当たる。
「ここか。まだ残ってる」
指を差し込む。
「上じゃない。下にある。だから出てこない」
力を入れる。
——ギリ。
「……来たな。引っかかりが変わった」
同じ向きで、もう一度。
——ザリ。
石が外れる。
「これで一つ。邪魔なのは、こうやって外すしかない」
置く。次へ。
「まとめてやっても動かない。一つずつ外すしかない。だから、やり方は変わらない」
指を入れる。
——ピッ。
止まる。手を見る。
「……切れたか。でも、関係ない。動かしてればこうなる」
血が落ちる。土に吸われる。それを見る。
「……何もしないな。血でも水でも同じだ。入れても、返ってこない。でも、手は入れた。触った分は、確かに入ってる」
視線を落とす。
「見えないだけで、消えてるわけじゃない」
また、石に触れる。
「……こうやって、一つずつ外す。邪魔なものを全部抜く。それで通るようになる。やり方は間違ってない。だから変えない。見えないものは、いじれない」
石を外す。
「だから、見えるところからやる。それしかない」
作業が続く。最後に、手を見る。泥と血。
「……手は、掛けてる。それは、残るはずだ」
風が通る。カービルは、もう一度、土に手を入れる。
草地。
低い丘。羊が、散らばっている。だが、ばらけてはいない。
ハービルは、途中に立つ。動かない。風が通る。草が揺れる。一匹が動く。もう一匹が、それに寄る。音が、重なる。
少し離れて、弟妹たち。しばらくして、一人が口を開く。
「……ねえ、昨日より増えてない?なんか奥のほうまで広がってる気がするし、前より数も多く見える」
ハービルは、すぐに答えない。群れの端を見る。
「……分からない。でも、減ってはいない」
別の子が続ける。
「でもさ、ちゃんと数えたほうがよくない?増えたのか減ったのか分かれば、どこ見ればいいかも決まるし」
ハービルは、少しだけ視線を動かす。群れの外側。
「……数えると、そっちに引っ張られる。端の一匹を追うと、他も動く。そうなると散る。今は、寄り方を見る。どこが広がってるか、どこが空いてるか、それで足りる」
弟妹が、少し眉を寄せる。
「……でも、一匹いなくなってても気づかなくない?」
ハービルが、静かに続ける。
「気づくよ。数じゃなくて、隙で分かる。間が空くと、そこだけ草の揺れ方が変わるし、音も軽くなる。今は、詰まってる。だから問題ない」
別の子が、前を見たまま。
「……さっき一匹、下に行きかけてたよね。ああいうの、追わなくていいの?」
ハービルは、首を振らない。
「……あれは出てもいい。全部止めると、逆に詰まる。少し外れて、また戻るくらいがちょうどいい。本当に外れるやつは、戻る前に分かる。足の向きと、耳の向きが変わるから」
弟妹が、少し身を乗り出す。
「……じゃあ、何見てるの?ずっと立ってるけど、何もしてないように見える」
ハービルが、ゆっくり。
「……やる前の動き。草の倒れ方と、風の当たり方。それと違う動きが出ると、すぐ分かる。動いたあとじゃ遅い。動く前なら、立ち位置だけで戻せる」
少しだけ足をずらす。風の流れが、変わる。羊が、わずかに寄る。弟妹が、小さく声を漏らす。
「……あ、戻った」
ハービルは、そのまま。
「……触ってないでしょう。押してもいない。場所を変えただけ。それで自分で戻るなら、無理に手を出さないほうがいい」
弟妹の一人が、息を吐く。
「……なんか、ゆっくりだね。でも、そのほうが散らない感じする」
ハービルが、小さくうなずく。
「……早く動かすと、その場は揃う。でも、あとで散る。戻すのに時間がかかる。最初から散らないようにしておくほうが、ずっと楽」
しばらく沈黙。一人が、ぽつりと。
「……じゃあ、増えてるかどうかは、別にいいの?」
ハービルが、短く。
「……今ここにいるなら、それでいい」
一人、近くに座る。もう一人。また一人。ハービルは、動かない。羊は、草を噛む。風は、通る。誰も、数えない。




