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第18話:見られてる気がした

朝の光が、少し遠くなっていた。高くなったわけじゃない。ただ、影の伸び方が、前と同じにならない。足が大きくなった。肩も、少し広がった。声も変わった。前にはなかった低さが混じる。笑ったあと、すぐ次の声が重ならず、一拍遅れて返る。息の置き方にも、前にはなかった間がある。


五年、過ぎていた。


そのあいだに、ハワーはまた双子を産んだ。一度では終わらない。家の中には、何度も新しい泣き声が増えた。布が増え、水の器が増え、寝る場所の取り方も変わった。大きい子の声に、小さい子の泣き声が重なる。笑う声。呼ぶ声。取り合う声。あやす声。静かになったんじゃない。ただ、数が増えて、広がっただけだ。


畑は、同じ場所にある。植えたものも、変わらない。列も、畝も、そのままだ。それでも、そこに出る手の動きだけが、前とは違っている。


雑草を抜く。根を探す。土をならす。水を回す。同じ順番。同じ作業。


けれど、こういう仕事は、すぐには形にならない。今日やったことが、今日のうちに目に見えるわけじゃない。やっても、やらなくても、夕方の景色だけでは差が分からない。だから残るのは、うまくやれたかどうかより、誰に見られていたかのほうだった。


ハービルは、しゃがんだまま。目は、根元。 指は、土の中。細い根を切らないように、先に土をゆるめてから引く。一つ。また一つ。呼吸は、乱れない。


アクリーマが、横で小さく。

「……丁寧だね。根、切ってない。ほら、そのまま抜けてる。こうやると、あとでまた生えないんだよね」


ハービルは、顔を上げない。

「……切ると残る。途中で切ると、また出る。だから先にゆるめてから抜く」

一つ、抜く。土を落とす。

「……ここ、まだ残ってる。細いやつ。これ残すと、あとでまた出る」


アクリーマが、少し身を乗り出す。

「ほんとだ。見えないやつだ。そこまで見るんだね」


カービルは、同じ列にいる。草を抜く。速い。

「……こっち、終わった。この列、全部抜いた。残ってるやつない。太いのも細いのも全部取った。もう水流していいだろ」

少し、顔を上げる。

「……見て」

カービルが、次の株に手をかけたまま。

「……水、回す。ここ、もう抜いたから。流しても止まらない。詰まるとこもない。水、ちゃんと通る」


アクリーマが、カービルを見る。

「うん、早いね。さっきの倍くらい進んでる」


アダムが、ようやく目を向ける。

「……見ている」


カービルは、うなずかない。

「……ちゃんと見た? 全部見た? この列、最初から最後まで、残ってないか」


アダムが、畑を見渡したまま。

「……全体は見ている」


カービルの指が、わずかに強くなる。草を引く。

「全体じゃなくて、俺のとこ」

視線は上げない。

「今、俺がやったとこ。ちゃんと抜けてるか、水流していいか、それを見てほしいって言ってる」


アクリーマが、前を見る。それから、カービル。

「……さっきから見てないよね。ハービルのほう、ずっと見てる。根のとこ。何回も」


カービルの呼吸が変わる。

「……だから言ってる」

草を抜く。

「俺のほう、終わってる。次行けるとこまでやった。水も流せる。そこ見てから言えよ」


アダムが、一歩動きかけて止まる。

「……順番は、決めていない」


カービルが、顔を上げないまま返す。

「決めてなくてもあるだろ。今、どこ見てるかで分かる。誰の仕事を見てるかで決まる」


アクリーマが、小さく。

「……うん。今はハービルのとこ見てる」


カービルが、草を握ったまま続ける。

「俺のほうも見ろよ。終わってるって言ってるだろ。ちゃんと抜けてるか、水流していいか、それ見てから言え。“見てる”だけじゃ分かんねえ」


アダムが、ようやく足元へ視線を落とす。

「……抜き方は、速い。だが、土の中までは、まだ見切れていない」


カービルが、すぐ返す。

「……どこ」


アダムが、指を出さずに目線だけ落とす。

「……ここだ。表は取れている。だが、細い根が残っている。水を流すと、そこに詰まる」


カービルが、すぐ土を開く。

「……」


細い根。アクリーマが、横から覗く。

「……ほんとだ。見えなかったやつだ」


カービルの呼吸が、少し荒くなる。

「……じゃあ最初に言えよ。見てるなら、その時に言え。終わってから言われたら、またやり直しになるだろ」


アダムが、すぐには返さない。少しだけ間を置く。

「……自分で気づけるように、そのままにしていた」


カービルが、初めて顔を上げる。

「……は?」


アクリーマが、すぐ横で拾う。

「つまり、見てたけど止めなかったってこと?」


アダムは、否定しない。

「……そうだ」


カービルの眉が寄る。

「……なんで。見てたなら言えよ。そうすれば一回で終わるだろ」


アダムの声は、変わらない。

「……一回で終わることが、正しいとは限らない」


沈黙。カービルが、小さく。

「……今、俺の番じゃない?」


アクリーマが、静かに聞く。

「番って?」


カービルは、目を落とす。

「……見られるやつ。ちゃんとやったか、次行けるか、それ決めるやつ」


アダムは、答えない。視線だけが、戻る。畑へ。ハービルへ。そして、カービルへ。でも、同じ時間は、置かれない。ハービルは、顔を上げない。草を抜く。根を整える。見られていることも、見られていないことも、同じ速さで通り過ぎる。


カービルは、もう一度、土を見る。さっきの細い根。指で、引き抜く。

「……」

何も言わない。でも、呼吸だけが、少し変わる。


アクリーマは、すぐ後ろ。同じ列。半歩、近い。手は、止めない。

「……さっきさ、ちゃんと見てたよ。最初から。カービルがやってたとこ、ぜんぶ」


カービルの手は、止まらない。草を、抜く。

「……どこ」


アクリーマは、少しだけ考える。

「根のとこ。最初、ちょっと固いとこあったでしょ。でもそのまま引かないで、ちゃんとゆるめてた。急がないで、残らないようにしてた。ああいうの、見てたら分かるよ」

土を払う音。

「途中で切らなかったし、細いやつも見逃してなかった。あれ、めんどくさいのにちゃんとやってたよ」

もう一歩、近づく。

「水運ぶ前も、戻ってきたあとも、同じやり方だった。さっきだけじゃないよ」


カービルは、顔を上げない。

「……一回?」


アクリーマは、首を振らない。

「何回か。ちゃんと続けてた。途中で変えないで、そのままやってた」


カービルの指が、少し止まる。

「……ずっとじゃないだろ」


アクリーマは、一拍おく。

「ずっと、じゃない。でも、ちゃんと見てた。カービルのとこ、きれいだったよ。あとで困らない形にしてたし、水流しても崩れないようになってた」


カービルの喉が、わずかに動く。

「……そっか」


アクリーマは、そこで終わらない。

「速いだけじゃないよ。ちゃんと考えてやってた。適当に抜いてないし、最後までちゃんと見てた。見てて、安心するやり方だった。任せられる人だなって思った」


カービルの手が、また動く。少しだけ、力が入る。

「……そっか」

草を抜く。今度は、ゆるめない。根元から、そのまま引き抜く。土が、乾いた音を立てる。跳ねる。


アクリーマが、横目で見る。

「……さっきのほうがよかったよ」

軽い。止めない。でも、戻す。


カービルは、止まらない。次の株へ。速い。さっきより、半拍。

「……終わらせる」


アクリーマが、かすかに。

「今日?」


カービルは、首を振らない。

「全部」


次の列へ。水桶を持ち上げる。重さを量らない。肩に乗せる。行って、戻る。すぐまた行く。水が土に吸い込まれる。葉が、わずかに光る。アクリーマが、横で。

「早いね。さっきよりずっと速い。止まらないじゃん。でも、雑じゃないのがいいよね。速いのに、ちゃんと残るやり方してる」


カービルは、返さない。水を回す。同じ順。同じ列。でも、止まらない。確かめない。振り返らない。


アダムの視線が、遅れて動く。一瞬。カービルの背中に落ちる。それを、感じる。振り向かない。でも、知っている。


もう一度、行って戻る。桶の縁が、腕に食い込む。そのまま、アクリーマが、小さく。

「……見てると思うよ」


カービルは、息を整えない。

「……今は」

一拍。

「お前は?」


アクリーマは、止まらない。

「見てるよ。さっきからずっと。どこまでやるかも、分かるし、どうやってやってるかも見てる」

少しだけ、言葉が柔らかくなる。

「カービル、途中でやめないでしょ。ちゃんと最後までやるじゃん。だから見てたら分かるし、ちゃんと見たくなる」


カービルの足が、止まらないまま、わずかに力を強める。

「……そっか」

小さい。でも、今度は、ちゃんと受け取っている。

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