第17話:分かれ目
朝でも夜でもない。時間の切れ目が、もう部屋の中では分かりにくい。カービルたちが少し大きくなったあと、また赤ん坊が増えた。
今、ハワーのまわりには、新しく生まれた子らの布がいくつもある。泣き声も、前みたいに一つずつじゃない。別の場所から、別の高さで、重なって上がる。一つ。すぐ、もう一つ。少し遅れて、また一つ。同じ場所じゃない。布の中から、別々に上がる。
アダムが顔を上げる。
「……また同時だな。もう二つ三つを順に見てるだけじゃ追えない。こっちは短く切れる声で、こっちは長く引く。泣き方がもう分かれてるだろ」
ハワーは、片腕に一人、胸の近くにもう一人を寄せたまま動く。足を止めない。視線だけで、床の布と水の器と空いた場所を拾う。
「……うん、新しい子らが増えてから、もう前みたいにはいかないのよね。同じ赤ん坊に見えても、強い子、すぐ切れる子、間で揺れる子、全部違うわ。順番で追うんじゃなくて、今崩れる子から取るしかないのよね」
泣き声がまた増える。アダムが一歩動く。
「……待て、全部一気に行くと外すな。強いのから行くか、切れそうなのを先に落とすか――」
ハワーがすぐかぶせる。
「……違うわ。今は崩れるのから。長く引くのは少し持つけど、短く切れそうなほうは今触らないとそのまま続くのよね。そっち先でいいわ」
「……ああ、分かった」
その横。カービルは泣き声のほうを見ていない。入口を見ている。風で押された入口の布が、内側へめくれて、端が床に落ちかけている。
カービルが一歩出る。
「……あれ落ちるって。ほら、もう端出てる。あのままだと下ついて汚れるし、踏んだらもっとぐちゃってなる。今取らないとだめだろ」
もう手が動く。
「……今やる。こういうの、あとでいいってやるともっとめんどくさくなるんだよ。今ならすぐ戻せるし、今のうちに止めたほうが早い」
アクリーマがすぐ横切る。カービルの前に入る。
「いいよ、わたしやる。カービルはそっち見てて。今は赤ちゃんのほうが先なんでしょ? ここはすぐ終わるし、わたしのほうが近いから」
「……いや、俺も――」
「大丈夫だって。もう手届いてるし、こういうのは先に動いたほうが早いんだよ。カービルが見つけたんだから、それでいいじゃん」
もう拾ってる。布を踏む。端を持ち上げる。風が入る向きを見て、折る。
「……これ短いけどいける。半分に折れば足りるし、こっちを中に入れればもう落ちない。ほら、こうやって押し込めば止まる。だから今はこれでいい」
止めない。決めてる。カービルはまだ外を見る。
「……あとで外のやつ取る。あっちの布のほうが長いし、入口ちゃんと止めるならあっちのほうがいい。今は無理でも、あとでやれば直るだろ」
アクリーマが振り返る。
「風強いよ?今行ったら飛ぶって。外まで行ったら戻る前にまた中ぐちゃぐちゃになるよ。今は中が先でいいよ」
カービルの視線は外のまま。
「……だから今見てる。どこ止めたらいいか、あとで行く前に見とかないとだろ」
その奥。ハービルは動かない。赤ん坊の泣き声を聞いている。どれが近くて、どれが遠いか。どれが短く切れて、どれが長く残るか。
「……違う。今の、同じじゃない。さっきのはすぐ切れるけど、今のは中で溜まってる。返り方も違うし、止まり方も違う」
レイユダがすぐ横で拾う。
「……どれ? どっち? 今いっぱいあるよ。わたし、まだ同じに聞こえる」
ハービルは水の器と布の位置を見る。泣き声の重なりを聞いたまま、少しだけ指す。
「……これ近い。すぐ止まるやつ。今ここを直せば、先に落ちる。こっちは遠い。長い。少し後でもいい。順番じゃなくて、今切れるやつから見たほうがいい」
レイユダがうなずく。
「……じゃあこっち先だね。これ止める。そっちはあと。今は近いのを先に静かにする」
器を少し寄せる。布を直す。端を押さえる。
「……ここに置く。動かないように。これで倒れないし、手も当たらない」
「……うん、それでいい。今はそれで崩れない」
「あー……!」
また泣く。アダムが振り向く。
「……増えたな。新しい子らが入ってから、もう三つ四つが重なる。順番で見てたら間に合わない」
ハワーが短く笑う。
「……最初から無理だって言ってるでしょ。強さと長さで分けるしかないのよね。全部同じに扱ったら外すわ」
アダムが息を吐く。
「……布足りないな。もう一枚いる」
アクリーマが即。
「あるよ。短いけど使える。折ればいけるし、重ねれば足りる。今この場所だけならこれで回るよ」
「……それ昨日も言ってたな」
「……でも足りてるでしょ?困ってないし、今は回ってるよね。だったら今はこれでいいじゃん」
もう広げてる。カービルが外のまま。
「……外の取ればいい。あっちのほうが長いし、最初からそれ使えば足りる。短いの何回もいじるより早いだろ」
アクリーマが即返す。
「今じゃないって。飛ぶって。今行ったら戻る前にまた泣くし、そしたらもっと足りなくなるよ。あとでいいって」
「……じゃあ後で行く。落ち着いたらすぐ行く。見たままにしときたくない」
「……うん、それでいいよね。それなら大丈夫」
ハービルはまだ聞いている。
「……今の強い。これ、続くやつ。切れないから、今触らないと広がる」
レイユダが見る。
「……これ?さっきと違う?同じに聞こえるけど」
「……違う。これは中で溜めてから出る。だから長い。こっちはすぐ切れる。長いのと短いの、別で見たほうがいい」
ハワーがすぐ拾う。
「……そっちね、分かったわ。じゃあ今はそっち先でいくわね」
動く。アダムが一瞬止まる。
「……なるほどな。もう“順番”じゃないな。強さと長さで分けるしかない。数だけ追っても無理だ」
ハワーが笑う。
「……やっと分かったの? さっきからそうしてるのよね」
「……最初から言えよ」
「……言ってるわよ」
その横で。カービルは外を見ている。アクリーマはもう動いている。ハービルは音を分けている。レイユダはそれに合わせている。全員、違う。アダムがぽつり。
「……静かにならないな」
ハワーがすぐ。
「……なるわけないでしょ。赤ん坊がまた増えたのよ? 前と同じ静かさに戻るわけないわよね。でも回ってるわ」
アダムが小さくうなずく。泣き声。足音。布の音。全部、重なる。誰も止めない。止められない。そのまま、部屋の中だけ時間が続く。気づけば、光の向きだけが変わっている。
朝。
泣き声は、まだ残っている。でも光は動く。
入口の外。踏まれて、少し固くなった地面。雨の跡が、まだ乾ききらない。
カービルが、そこにしゃがみ込む。呼ばれていない。でも、もう目が行っている。指で押す。ぐっ。土が沈む。
「……お。見て、へこむ。逃げない。さっきのとこより、こっち固い」
もう一度押す。今度は少し強く。指の形が残る。
「……ほら、残る。戻らない。ここ、踏んだら消えないやつだ」
足音。アクリーマが来る。聞く前に、もう横にいる。
「なにそれ。ほんとだ、へこんでる。わたしもやる、そこ貸して。つめたい?どこが一番へこむ?」
カービルは場所をずらす。指で横を示す。
「……こっち。ここ、もっと入る。ほら、こう。押すと丸く残る。強くやると深くなる」
アクリーマがすぐ押す。指が土に入る。
「……あ、つめたい。ほんとだ、入る。しかも残る。見て、わたしのも残った。こっち丸い。カービルのは長い」
カービルが自分の跡と見比べる。
「……おれの四角いな。お前の丸い。じゃあここ丸の場所、こっちは四角の場所」
アクリーマがすぐ決める。
「じゃあこっち全部まる!こっちはカービルの四角!いっぱい作ろう、どこまで残るか見よう」
二人の指がまた入る。押す。離す。土が変わる。カービルが少し前に出る。
「……見て。こっちあんまり消えない。こっちはすぐくずれる。固いとこあるし、やわらかいとこもある」
アクリーマもすぐ乗る。
「ほんとだ。ここ固い。こっちはふわってなる。じゃあ固いとこ歩くとこにして、やわらかいとこはさわるとこにすればいいんじゃない?」
少し離れたところ。アダムが立っている。近づけば止められる距離。
「……待て」
口に出る。でもそこで止まる。二人の手元を見る。沈んだ跡。崩れてない縁。散らかっていない土。言葉が続かない。
その後ろから、ハワーが来る。土を見る。二人の手を見る。残った跡を見る。
「……今はいいわね。ぐちゃぐちゃにしてるわけじゃないし、どこが残るか見てるんでしょ」
アクリーマが顔を上げる。でも指はまだ土の中。
「いい?もっとやる。ここ、まだ残る。見て、押しても消えない」
ハワーは少しだけうなずく。
「うん。でも崩すんじゃなくて、残るとこ見なさいよね。そこが分かるなら、今はいいわ」
カービルが、すぐ押す。今度は広く。指を少し引きずる。土が線になる。
「……見て。こっちは残る。こうやると道みたいになる。ここ、人通れる」
アクリーマが並んで線を作る。
「じゃあこっちも!わたしこっち作る!こっち広くして、こっちは丸にする。そしたら歩くとこ分かる!」
カービルが息を強くする。もう遊びじゃなくなりかけている。
「……ここ、固いから通れる。こっちはやわらかいから沈む。じゃあ固いとこ、増やせばいいんだ。もっと押せば、もっと残る」
アクリーマがすぐに。
「うん、やろう。ここ押して、こっちならして、道にする。そしたら次もここ通れる」
アダムは何も言わない。止めない。教えない。ただ見ている。
ハワーは一歩下がる。前には出ない。でも離れない。遠くで、また泣き声が重なる。別の場所。別の用。それでも今は、止めない。
土の上で、二人の手がまだ動いている。押す。ならす。残る。同じところを、何度も触る。踏む。離す。もう一度、踏む。
少しずつ、沈み方が、変わる。さっきまで戻っていた跡が、戻らない。形が、そのまま残る。
カービルが、足を止める。下を見る。
「……あれ」
もう一度、踏む。ぐっと強く。沈む。止まる。
「……さっきと違う。戻らない」
アクリーマもすぐ踏む。
「……ほんとだ。今は消えない。残ってる」
カービルが、息を少し強くする。
「……なんでだ?」
土を見る。踏んだ場所。踏んでない場所。
「……」
土は、まだ、出ない。アダムは何も言わない。
カービルが一歩出る。踏む。ぐっと重さを乗せる。土が沈む。止まる。
「……ほら、ここいける。踏むと水が押し出されるから、下が締まる。ぐにゃってしないで止まるだろ」
もう一歩。
「……さっきまでベタベタだったのに、今は足が沈まない。踏めば固くなるんだよ。だから今やる、こういうのは」
さらに踏む。
「……上から何回も押せば、中のやわらかいとこも潰れる。そしたら全部固くなる。だから今のうちに固める」
アクリーマがすぐ後ろで踏む。
「……ほんとだ、さっきより冷たくないし、ぐにゃってしない。水がなくなってる感じする」
もう一度踏む。
「……これなら何回踏んでも崩れないね。ちゃんと道になるやつだ。ぬかるんでない」
カービルは前だけを見る。
「……まだ足りない。下まで固めないとまた戻る。上だけ固くても、中が残ってたらまた崩れる」
踏む。強く。
「……だから今やる。乾くの待ってたら遅いし、その前に形なくなる。踏んだほうが早い」
その横。ハービルは踏まない。足を止める。少しだけ土に近づけて、止まる。
「……そこ、まだ水残ってる。上は固いけど中が動く。今踏むと横に逃げる」
視線は下のまま。
「……押すと、形が広がる。固めてるんじゃなくて、ずらしてるだけになる」
一拍。
「……ここ、まだ止まる場所決まってない。どこで崩れるか見ないと、全部同じ形にならない」
一歩、横へ。
「……だからこっち。まだ触ってないとこ。水の動き、そのまま見える」
レイユダがすぐ後ろ。
「……ここ、まだ跡ない。どこがやわらかいか分かる」
ハービルがうなずく。
「……うん。先に見る。どこが沈むか分かってからやれば、全部一緒に止まる」
アクリーマが振り返る。
「……でもさ、カービルのほう、もう固くなってるよ?踏んだとこはちゃんと止まってるし、すぐ使えるじゃん」
一歩カービル側へ。
「……水押し出してるから固くなってるんでしょ?だったらそのまま踏んだほうが早いよ」
カービルがかぶせる。
「……そう。水があるうちに押さないと意味ないんだよ。乾いたら固まるけど、その前に崩れる」
足で示す。
「……今はまだ動くから、押せば形作れる。あとでやると、もう形変わってる」
ハービルは首を振らない。
「……今は動くからダメ。動くときに押すと、全部同じ方向に流れる。止まってから押せば、全部同じ形で固まる。今やると、ばらばらに固まる」
アクリーマが間に入る。
「……じゃあ分ければいいじゃん。こっちは今踏んで道にして、こっちはそのまま残して見る」
半歩動く。
「……すぐ使うとこは踏む。あとでちゃんとしたいとこは触らない。両方やればいい」
カービルは何も言わない。もう一歩踏む。
「……ここ伸ばす。まっすぐでいい。今使える形にする」
ハービルは踏まないまま進む。
「……こっちは回る。まだ触らない。どこで止まるか決まるまで」
レイユダがその後ろ。
「……ついてく。あとで固くなるとこ、見てから踏む」
アダムが少しだけ前に出る。
「……いいな。水押し出して今固めるやつと、動き止まるまで待つやつ、両方ある。どっちも使える」
ハワーが足元を見る。
「……うん。同じ土でも、水の抜き方と待ち方で全然変わるのよね。今作る子と、あとで残す子」
アクリーマがすぐ動く。
「……じゃあ両方やる。道は今、形はあと。どっちもあったほうがいい」
カービルは前へ。ハービルは外へ。同じ地面。でも、土の扱い方が、もう分かれている。
そのとき、別の音が、ある。低い。擦れるような、短い息。風じゃない。草が、揺れる。一つ。また、一つ。白い。ハービルが、止まる。走らない。足を止める。
レイユダが、小さく。
「……なに、あれ。白いの動いてる。鹿じゃないよね。ちっちゃい」
ハービルは、目を細める。
「……羊。二ついる。こっち見てる。まだ逃げてない」
草の揺れ。影の戻り方。レイユダが、少し前に出る。
「……近いよ。行けるんじゃない?走ったら捕まえられるかも。あれ、遅そう」
ハービルは首を振らない。
「……走ったら逃げる。びっくりしたら散る。だから今は、見てるだけでいい」
一拍。
「……こっちが動くと、向こうも動く。だから先に動かないで待つ」
レイユダが、息を落とす。
「……じゃあどうするの?何もしないの?ほんとに見てるだけ?」
ハービルが、少しだけ前に寄る。踏み込まない。
「……近づく。でも追わない。向こうが来た分だけ、こっちも動く。それ以上は行かない」
指を少し上げる。
「……ここまで。これ以上行くと逃げる」
羊が、一歩、横へ。ハービルの目が動く。
「……そっち。逃げ道。あそこ空いてる」
レイユダが、小さくずれる。
「……こう?」
「……うん。近すぎない。道ふさがない。逃げる場所、残す」
レイユダが少し戸惑う。
「……なんで?ふさげば捕まえられるじゃん」
ハービルは、静かに。
「……ふさぐと跳ねる。走る。どこ行くか分からなくなる。道があると戻る。怖くないと離れない」
羊が、止まる。耳が立つ。レイユダが、息を止める。
「……見てる。こっち見てる」
ハービルが、小さく。
「……今」
レイユダが、小さく。
「……行く?」
「……行かない。待つ」
羊が、一歩、前に出る。レイユダが驚く。
「……来た。なんで?さっきまで遠かったのに」
ハービルは動かない。
「……怖くないから。追ってないから。だから近づく」
羊が、もう一歩。止まる。それから、首を下げる。草を、噛む。レイユダが、息を止める。
「……食べた……ここで?逃げないの?」
ハービルは、静かに。
「……いい場所だと思ってる。だから残る。追わないと、離れない」
レイユダが、小さく笑う。
「……じゃあずっとここにいる?」
ハービルが、少しだけ首を振る。
「……動く。でも、戻る。ここ覚える」
羊が、もう一口、噛む。耳が下がる。レイユダが、小さく。
「……ほんとだ。落ち着いてる。さっきより動かない」
ハービルが、低く。
「……今は」
指を、ゆっくり下ろす。
「……もういい。これ以上やらない。これで来るようになる」
レイユダが、小さくうなずく。
「……じゃあ、また来る?」
ハービルが、短く。
「……来る」
そのまま、動かない。羊は、逃げない。草を、噛む。距離は、そのまま。
少し後ろ。アダムが、立っている。何も言わない。ハワーも、動かない。ただ、見る。追わない。囲わない。でも、そこに、留まらせている。




