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事象1  作者: ゆーくりうすきゃる
第一章
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15/16

第一章15『たの死いね』

※「本質」という言葉の定義を拡大解釈、改変しています。

「何をしてらっしゃるの?....」


心配そうに声をかけるのはサンクチュエール総合学園2年、17歳、伝宮流一奈(でんみやるいな)という少女だった。


教材のビデオテープの返却のために向かった部屋

人気の少ない別校舎の2階のビデオルーム。ホコリの被った古臭い幻灯儀やカセットテープ、数世紀にも遡るようなデザインの地球儀とナルシなポーズを決めこむ使われなくなった人体模型。臓器や筋肉にたかる黄ばみやホコリが経年のそれを語っている。

前方には黄ばんだ大きなスクリーンが見える。

本棚には映像資料や教本の数々が陳列しているが、どれもレトロチックな80年代の暑い黄色フィルターがかかるような日々を感じられる。

それらを差し置いて彼女がああ言い放つには相当が光景が今、彼女の真紅の瞳に映し出されている。


彼女のかける声先はハツラツとした印象が見受けられる少女がにんまりとした笑顔で鉄椅子に腰掛けていた。

非対称に右側に黒髪がカーテンのように肩にかかっていて、制服はラフに着崩している。

左耳のハート型のピアスには僅かにヒビが入っているのが見えた。なんとも美しいアメジスト色の。

手に握るのは錆模様のついたカッター。

刃には赤い液体がこびりついている。


「やってみる?たのしいよ!」と彼女の悪意なんて程遠い可愛らしい声で行為を誘った。

るいなは唇を噛み締めて冷静を装った。

一旦彼女の名を、既に知ってはいるが相手からしたら初対面なもんでリガトーニみたいに太くうねった山吹色の髪を人差し指に絡ませながら尋ねて様子を伺った。

その慎重さは、ゴリラの縄張りに入り込む無謀な探検家も顔負けで心に滝汗をかかせた。


貴女(あなた)、お名前はなんとおっしゃるの?」


喜一来(きいら)!―ワタシは楽河喜一来(らんがきいら)!きみは?」


(わたくし)は、伝宮流一奈(でんみやるいな)と申します」


瞬きや呼吸、脈動するよりも速いレスポンスだった。

彼女は「よろしくね!」とだけ返して依然変わりなくカッターの刃を手首に押し当ててその様をじっくりと楽しんでいるように見えた。

嬉々として飼い主の投げた棒を涎を垂らして走る柴犬のように彼女の目は明るいままに、手首に刻んでいる。

この少女の抱えるもの、本質を知るのはるいなにとっては十八番の朝飯前である。

ただその本質の意図や目的は就寝中のナプキンを気にするよりもイヤイヤしく、頭にも入れたくなかった。


「きいらさね、どうしてそのような事をされますの?」


「たのしいから!これがワタシにとっての娯楽(おあそび)だし!」


「常人とは変わった娯楽(おあそび)をされてらっしゃるのですね、きいらさね」


淡々と会話を交わすたびに彼女の行為に悪意だとか病んでるだとかの印象はつきにくい。

どう見ても彼女の顔は悪事知らずの、純粋無垢の笑顔。

とてもいい笑顔で知ったばかりのるいなと話していたからだ。


自分の目が重度の飛蚊症でない限り、彼女が刃を走らせた箇所がプラナリアみたいに自然治癒していた。

その治癒していく様は人間離れしていて気持ちが悪い。

彼女はこんなにも年相応の可愛らしい見てくれなのがその異様さを際立たせる。

きいらという少女の奥底に住まう、本質は渦巻いているようで腹黒さもなく、一つの"喜"が笑っていた。

「メンヘラ病み垢ごっこでもされてらっしゃるの?」

だなんて声を掛けてみればどういった顔や物言いをするか全く想像がつかないほどにきいらという人間がわからない。

雨が鳴る園庭が目の一際に見えて、紅茶でも嗜みたくなった。

目の前のカッターで自身の手に彫刻を施すような少女と話しても気分はのらない。

彼女はいつまで経ったって手を刻むことに執着する。

オールまでゲームをし続ける目元が黒い人間と同じような表現で。彼女は手首を傷つける。


「きいらさね、それは痛くないのかしら」


刃は右手の橈側手根屈筋腱でピタリと止まった。

その呼びかけに応じる顔は笑ったように困った表情をしている。


「痛いよ?」


「不思議ですわね。切られたところは何故ナメック星人みたいに再生するのかしら」


「そんなの知らないなぁ、ワタシもそれに気づいたの昨日だし」


貴女(あなた)、何者ですの?」


「名前ならさっき言ったじゃん、るいなちゃん。ワタシは楽河喜一来(らんがきいら)だってば!」


はつらつな声で血の垂れる刃をこちらに向けながらぴしゃあと笑った。

彼女の黒い瞳には本物の光があった。

胸に秘める"喜"がそれを証明している。

カッカッカッというカッターの刃が繰り出される音と、皮膚に刻むサラっとしたような軽い音、雨がザーと鳴り響き建物にぶつかり響く音が今耳に入る。


「そういえば、るいなちゃん。きみはここに何しに来たの?」


彼女はカッターをクリーム色のテーブルの上にあるポケットティッシュで拭って、黒い瞳にハテナを宿してこう訊いてきた。


思えば教材テープを返すというこの部屋に来た目的を彼女を見たせいでまるっきり忘れていた。

入ってそうそうに目に入るのがリスカしている血塗れの女の子であればこうなってもおかしくはなかった。

そんな彼女からは病んでいるような雰囲気は一切取り巻いていない。

彼女の出す声や滲み出る人間性を初対面であるるいなが見ても聞いても、とても常人的で一般的な現代社会に生ける人間というイメージにしか結びつかない。

甚だ気味が悪い。―彼女の"本質"は気味が悪かった。


「るいなちゃんってばー、聞いてるー?」


「あっ、大変失礼致しましたわ。(わたくし)はこちらの教材のビデオテープを返却するために、この部屋へ赴いてきました」


「あー、なんかテープ持ってるね」


「こちらからも質問させて頂いてもよろしいこと?」


「え、何?」


「きいらさね、貴女(あなた)はいつもこの部屋でそのようなことをされてますの?」


彼女の瞳は少し赤みがかった。"本質"によればそれは怒りらしい。

彼女の今沸いた怒りはもの静かで少し青みも含んでいる。今言ったことが癪に触ったことはわかった。

彼女は物静かな怒り顔で真っ黒なネイルをキツツキのように小刻みに机に打ちつけている。

しかし、案外意外にもその怒りを吐くようなことはしなかった。


「まぁそうかな。人がいなくて静かなとこが好きってだけかも?」


口調も先程と変わらず、宅にあげる来客をパルマンティエでもてなす穏便な老婆のような温かみすら感じる。

"本質"は嘘をついたりはしない。

そこらへんに転がる石だとか空き缶、吸い殻が嘘をつかないように。彼女の見抜く"本質"は絶対的だ。


"本質"はきっちりと彼女の怒りを指摘していた。

胸に秘めるベンタブラックよりも真っ黒な幕をめくってそこを指差している。

彼女は「変なこと聞くんだね」と続けて返して雨が鳴る外をぼんやりと眺めだした。「変なのは貴女では?」と言葉に出すのも何か地雷にかかりそうでビクりとするもんだから喉奥で静かに反論する。


"本質"によれば今の彼女から怒りは消えて、物静かな青を示していた。


言動や大まかな人柄に反してアンガーマネジメントが出来ることに意外だなと思いながら胸を痛めて"本質"を睨む。

何度もそれは訴えている。彼女は落ち着いていることを。朽ちゆく炎を見てるのと同じことだ。

彼女はリスカしたり、嘆いたり、スマホをいじったり、話したり、手混ぜして指をかじったりもしない。

ただ雨という自然現象を楽しんでるだけに過ぎない状態だった。

部屋を入ったばかりの時と比べてアンニュイな雰囲気を纏いだしたのだ。


「るいなちゃんはさ、雨好き?」


瞳は雨粒に向けたまま、口角を上げて一つ訊いた。


「そうですわね、雨は好きですわ。とっても落ち着きますもの。きいらさねもその様子ですと、雨は比較的お好きな方ですの?」


「うん。大好きだよ、雨」


その時の声色はアリの喧嘩よりも静かに聞こえた。


「雨って、エモいとかそういうのじゃないんだよね。まるでアレみたい。なんてゆーか?人の人生的な?」


「雨が.....人生?」


「雨ってどこか儚いんだよね。ただ地面に落ちるだけってゆーか、そこが人生と似てるなって感じて」


「お言葉ですこときいらさね、人は雨と違ってそれぞれの生き方、つまり一方方向ではありませんわ」


ついこう反論してしまったが、どうにもなんだか浅く聞こえてしまって、こたえられなかった。

自身の不見識と違って彼女のはどこか崩れている。

自身のコペルニシウムよりも少ない語彙でなんとか弁論してみるも、彼女は首を曲げたりはしなかった。


彼女の語る雨粒人生論は根拠の弱い類似性を上げるだけで、それに対してるいなの美学は納得しなかった。

ほぼ否定された持論のことを省みず、彼女は感情を曲げず冷静を保ったまま、また雨を眺めてエモがった。

ビデオルームにかけられた3の刻を指す古びたアンティークの鳩時計と、それに隣り合うリュミエール兄弟の写真を流し目してこの空間を(くつろ)いだ。


"本質"は有無を言わない状況だった―。


今いる部屋、もしくはこの校舎がそのものが一つの防音室みたいに静寂が包んでいる。(響く雨を除いて。)


きいらは変わりなく雨を(たしな)んでいる。

彼女がネコなら喉を鳴らすほどにリラックスしていることだろう。

これから彼女が何を言い出そうと塩で返そうと構えるほどにビデオルームは湿っている。


「ラクロスをしよう」だとか「一緒にリスカ」しようなどと掛けられてもそっけなく返せる。

リスカがレグカであってもだ。

そう"本質"は今は安定していることを首を掴んで伝えていた。

その安定の固定観念にあられもなく囚われて、身を倒した。


彼女はこう言ってきた。


「―ワタシも雨になってみたいな」


叙情的なことを口にしたって変わらないつもりでいた。

ようはあれだろう、雨みたいに静かに人生を送りたいとか生きてみたいだとかの比喩だろうと勝手に解釈した。


だが妙だった。いきなり沸くコバエような妙な感じが迫ってきた。


―それは彼女の"本質"からだった。


あの発言は彼女にとって単なる比喩ではなく、刹那の願望そのものだった。

ぽっと出で、したいことが出来るのは人間らしく見えるがその内容が人の条理とかなりかけ離れている。

"本質"に纏っているモヤは赤い。しかし、その赤はさっきみたいな怒りとは全く違うものでサビついてるみたいな色彩だ。

その真意がとても気になって小指で小突くように訊いた。


「それはどういった意味ですの?きいらさね。ぽっとでの独り言ですの?」


「人の命も、雨みたいにぽちゃりと消えちゃうもんでしょ?そこは一緒じゃん?」


「また訳の分からないのことを仰って、そのお話はもう済んだことでしょう」


"本質"にまた怒りがともった。彼女は立ち上がって窓の方に歩いていく。


「あの大雨に、大雨達に、ワタシも仲間に入れて欲しいなって。そう思ったの」


「何を仰ってるのか、本当によく分かりませんわ―どう言った意味の比喩なのかしら?」


「ひゆ?そんな軽いことじゃないよ!ワタシだって雨になれる!ワタシって()きることを知らないし」


自慢げに語りながら窓を叩く彼女に唖然とした。



ほんとうに、何を仰ってるの?.....この方は......



塩どころかピンクペッパーをまぶされた気分だった。

しかもそれを彼女から。


そして悪寒という名の蟻走感(ぎそうかん)が感情の他に、背筋を襲った。

そんなものの正体はわざわざ胸を痛めつけて彼女の"本質"を覗くまでもなく分かりきったものだった。


彼女はハミングしながら窓のロック部分に手を伸ばして、それを外した。

窓を開けると風の疾風感やの入り込む雨の雫が額にかかるのを感じた。


彼女は左脚を窓枠にかけて、右脚もそれに続かせた。

悪寒は焦りと確信に変わって、るいなをいつ折れるかも分からない脆く細い棒の上で急かすように迫った。


低い気温の今日で、冷や汗も出なかったが雨の雫が代役を務めた。

心臓はギロチンにかけられる死刑囚よりも緊迫して脈を打って、るいなの呼吸を荒くさせる。


「―待って!!!何する気?!!いきなり、いきなりどうしたの?!危ないから早く.....早くこっちに来なさい!!!」


今の状態の相手にどう声を掛ければ良いか分からない。

(おきて)の口調すらも忘れて焦りの錯乱に駆られた。

ここまで声を荒げるとは当然思ってもみないことだ。

そのせいで張りすぎて喉がジンときた。

そんな喉のことは二の次、三の次、百の次で、目の前の少女のやろうとしている行動にどうにか掴みかかりたいものだった。


彼女は横顔を晒してさらに口角を上げた。

靡く髪が瞳を覆っていてどんな目をしているのか捉えられない。


「―言ったでしょ?雨になりたいって」


「それって、つまりさ....とにかくやめて?...どういうつもりか知んないけど、とにかく...降りて?...やめなさい...」


「何焦ってるの?るいなちゃん。ただ雨になるだけだから、いいから見てて」


嘲笑するように彼女は言葉を弾ませる。


「...待ッッッ―?!


奇妙な雨が余韻を包んだ。

2階とは言えどかなりの高さはある。おおよそ9メートル。

小柄なザトウクジラ1頭分。

彼女の小柄な体躯から見てあそこから命を保てるとは到底考えられない。つまりあり得ない。


最後に聞こえた音は彼女の声ではなく、下に植えられた白い花の咲く生垣の衝撃に揺れる音。

見えた景色は窓からちょび出た黒いタイツの人間の下半身。靡くスカートも僅かに見えた。


さっきまでの緊迫した緊張感の走る感情は見当たらない。息も正常に吐けるし、呼吸だって出来る。

足はくすんで動かせない訳でもなくただ突っ立っているだけ。


こんな衝撃をおさえるようなクッションは彼女の経験則には載っていない。

霞がついた足を恐る恐るに窓の方へ向かわせる。


窓から下へ、ゆっっっくり、ゆっくりと瞳孔を下のY軸へ移動させる。


瞳孔は倒れ込む"カタマリ"と一部が赤く染まった生垣を写した。

そのカタマリの頭部には亀裂と、そこからししおどしみたいに血が湧き出てていて、四肢は正常とは逆の向きに指を向かせて折れ曲がっていた。身体の端々からはウニのような脂肪が飛び出ていて、雨に晒されてテカっている。

生垣は何となくその血を美味しそうにたらふくと味わっているような気がした。

無慈悲に雨粒がそのカタマリを撃ち続けて滲み出る血をサクラみたいな色に薄めていった。


口にも感情にも悲鳴すらも何も言い出せずにその様を眺めて、はっと我を叩き起こす。

とにかくこの部屋を出てこの始末をどうにかしなくてはと我急がせるも頭を掻いて悩ませた。

ただ落ち着きますと神に告げるように深呼吸をして髪を無作為にいじって最後にあの様を一瞥して、蹴っ飛ばすようにビデオルームの扉を開けて廊下を駆けてタッタッと音を立てた。


走る中であの何気ない一瞥からまた奇妙さを感じ取っていた。

緊張の痛みなのか"代償"の痛みなのか、分かりはしない。


ただあのカタマリの―楽河喜一来(らんがきいら)の胸に潜む"本質"は.....間違いなく、喋っていた―。



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