第一章12『白花チイレ』
――――――――――――
「あんたはいつもそう。気持ち悪いったらありゃしない」
「女にばかり目がいく。お前まさかそういうやつなのか?気味が悪い」
「お前がそんなやつなら生かさねぇ方がマシだったな」
常日頃から気持ち悪いだの何だの。ただそれだけを言われ続けた。
両親はあたしの抱く"カタチ"に寄り添ってくれなかった。
あたし自身も理解しきれてないし、考えてない。
両親がくれるものはそれに対する罵倒と無意味な暴力。
はやくここから離れたい離れたい離れたい離れたい。
ただ離れたいだけ。他に望むものはあたしの抱くカタチに合ったものだけ。ただそれが欲しい。
理解よりもこのクソでしかない場所から抜け出したかっただけ。なんだって良いはずなのに、頑なにそれを認めようともしない、考えを改めない自分本位な意見を並べて詭弁を一方的に浴びせてるだけ。
実にクソでしかない体験と記憶。
自分の脳を抉り出して捨てたいほどに人生から消したい事象。クソの2文字でしか言い表せない。
あたしのカタチはそういうものじゃない。人の言葉や理論で定義付けられるものなんかじゃない。なんて言うんだろう、「虚構の愛」とでもあたしは呼ぼうかな。
―あたしから離れないで....
親友、友達。そう呼ぶのがなんだか違和感。
中学の時、あたしのカタチに深く寄り添ってくれていた子。いつもマゼンタ色の花の意匠のペンダントの髪飾りをつけていた子で、お淑やかな印象のポニーテールの女の子、
―菊地マツバ
「チイレちゃんは私のことが好きなんだね。気付けば、いつも私のそばにいるもの」
「好き?...うん、まぁ....マツバのことはトモダチとしては好きかな」
「私は嬉しいよ、私もチイレちゃんが好き」
あの時そう言ってくれた。あの時の笑顔が今でも脳髄に焼き付くほどに、カタチにそった素敵な笑顔。
その笑顔を見た時の胸の高鳴り。心臓から身体にかけて巡る血管全てが熱かった。間違いないほどにあたしの理想のカタチにそった子。あたしはそのカタチをその子に打ち明けなかったけど、あの子はなんとなくあたしの「好き」を理解しているようにみえた。好きだよって言ってくれた時の消えてしまいそうな声とあの笑顔でなんと無くそう思った。
その子は転校した。それを耳にした時は制服にしみるほどに涙が流れていた。
涙でよれよれになったティッシュがその時のあたしをよく表していたと思う。
―「あの子、とある子にしつとく付き纏われるのがイヤで転校したかったんだって」
―「気持ち悪い子がいるから転校したらしい」
あのとき言ってくれた「すき」って何だったんだろう。
結局はみんなと一緒だったんだ。あたしのカタチをコケにして裏切って侮辱して、あたしのそばから消えた。
でも不思議なことが雨の日のバス停であった。
これが決定打だったのかもしれない。
「.....チイレちゃん?」
「え?.....」
無心でバスを待っていたら、なつかしいカタチが目の前に現れた。相変わらずの髪飾りがあの子を想起させた。
あの子もあたしがいたことに驚きを隠さずにいた。中腰で伺うような姿勢と困ったような表情。あの時の事を思い出してあたしは何て言った?...
「久しぶりだね...!チイレちゃ
「話しかけないで」
雨音だけが静謐に割って入る。
そこには返ってくる言葉もない。
「...え?チイレ..ちゃん?」
「あんたなんか知らない。あたしの知ってる人じゃない。話しかけないで」
「チイレちゃん、どうして?....ごめん...私...何かしちやっ
「話しかけんなって言ってんだろ!!!あたしの視界から失せろよ!!失せろ!!!!!!!!」
「チイレちゃん....もしかして私がいなくなってあれがチイレちゃんにうつっちゃったのかな...」
「あれ?...」
「ごめんねチイレちゃん...言えなくて。私...実はいじめられちゃってて....チイレちゃんにこんな事言いたくなかったし..チイレちゃんも...その...」
涙ぐむ顔をして俯く彼女をいまでも思い描ける。
震える声とその表情を見て、変な高揚感。
高鳴る心臓と震える瞳。
未知の''カタチ"を見つけた。
「マツバ」
そう呼びかけてこちらへ顔を向ける彼女の左頬に強く手を打ちつけた。
その手に込めた感情は怒りではない。
彼女なりの愛情....カタチ。
「―いった...ち、チイレちゃん何するの?....」
「あたしの前からいきなりいなくなった。何も言ってくれなかったから何だか腹が立っちゃったの。あんたはあたしの事どう思ってるの?」
「チイレちゃんのこと...好きだよ...?チイレちゃんのことはずっと好きだから....」
彼女の涙で震える声と崩れた表情。
生物として無防備で弱々しい姿。さらに好きなカタチなのかもしれない。
涙を救うための目に当たる人差し指と、泣いた時に見られるあの過呼吸、非常にかわいらしい。かわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいい。
転校した事なんてもうどうでもいい、ウワサもただあのクズどもが評判を下げるためだけにつきやがったウソ。
そんなことよりも今の胸の高鳴りの正体を知りたい。
―もっと見たい。
「チイレちゃん...?トイレに連れ混んで何する気?..わ、私そういうの経験なくて...」
再びに頬に衝撃を加える。
ただ自分が好むあの姿を見るために手に加減はしない。
「いっ...チイレちゃん...痛いよ...何でこんな事するの?」
「あんたが好きだから。あんたの顔、声。それと今のあんたの怯える顔と声がさらに好きだから」
「チイレちゃん...私、そういう好きは受け取れないよ...」
「今度は本当に裏切る気なの?」
「裏切ったりなんてしてないよ!...私はチイレちゃんが好き...でもこんなチイレちゃんは初めて見た....ちょっとびっくりしてるの」
動揺して赤くなった頬に手を当てる彼女。恐怖してる事がわかる声色。
まだまだこのカタチを愛たい。
彼女が欲しい、自分のカタチにしたい。
だから、彼女を手放したくない。
またあの焦りを感じるのはもう嫌。裏切られたなんて思いもしたくない。
「マツバ、あたしはあんたが欲しいの」
「それってどういう意味?....」
彼女のか細い首に手をかけてその温もりを感じ取った。
人特有のあの温もり。
彼女は苦しそうに喘いで涙が手に乗る。
その涙も生ぬるい。彼女は抵抗する素振りを見せなかった。
自身の持つ僅かなくだらない人道論のためにその手を解いた、満足していたから。
「げほっ...ぐごほっ...ゔぐぁ......」
「苦しかった?」
「チイレちゃん.....もうこんな事はやめて.....」
首を抑えて苦しそうな顔と辛そうな涙を地に落として彼女はそう訴えかけてた。
「なんで?」
「こんなの...ヘンだってならない?....私のこととっても好きなのは嬉しいんだけど...ゲホッ...私はやっぱり理解してあげられない...」
人が涙する理由なんてどうでも良かった。
どんな些細な事だって人は涙を流す。
感情に揺さぶられなくとも涙は勝手に流れる。
ただ見たいのは目の下に滴っていく涙と涙に溺れる声、涙に濡れる顔、曇る表情。
そんなカタチが好き。
彼女はそのカタチを優美に彩っていたの。
彼女の声と顔は涙との相性がひっつき合うようにドンピシャで一致してる。
間違いのない奇跡、あたしのカタチに沿った子。
―あたしのカタチの子...手放したくない。
「あたしの目を見てマツバ。これで分かるでしょ?あんたのことがどれほど大好きなのか。むしろ言葉で伝える方が難しいの」
「ち、チイレちゃん....わかったよ...分かったから...痛いことはやめてほしいなぁ....あはは...」
「全くわかってないじゃん」
彼女はどれほどだろう、どれほどの愛情に応えてくれたのだろうか。
頬は赤みがかるほどに衝撃を加えて甘噛みをしたりもしてみた。
その時の感じた味は涙と合わさって"つらさ"を感じる味。
とても美味しいとは言い難い。
これがあたしの望んでいた味だったのかもしれない。
何より嬉しかったのは歪む彼女と声がいつにも増してあたしの琴線という琴線を奏でるほどに美してかわいらしかったこと。
作り笑顔と涙で枯れたダミ声で「好きだよ」と囁いて更にあたしを悦に浸す。
これがあたしなりの自慰、そんなもの低品なコトよりも豪勢な快感があたしの身体と精神を包んでくれる。
彼女は笑って泣いて笑って泣く。
それがあたしにとってのその時の幸福そのもので二人のカタチをつくっていたと言っても過言じゃなかった。
いつの日だろうか。いつの日から彼女はあたしの目の前から消えたのだろう。あたしのカタチを壊したのだろう。
学校の樹木で首元にをぶら下げてる彼女を見た時からずっとこの疑問が胸に張り付き縫い付けられるように離れない。足元に見えた髪飾り。
心なしかあたしを見つめるように落ちていた。
花の意匠に砂がこびりついて本来の色とはかけ離れていた。
あたしは何となく涙を流した。彼女に散々涙ぐませまように、あたしも彼女を見て涙ぐんだ。
滴る涙一粒一粒にマツバという亡骸を写す。
乳飲み子は最初に涙を流して、何の言葉も発さずに死ぬ。
マツバは自身を手にかける前、何という言葉を残したのだろう。
想像もつかない。悔やむことに想像がつかなかった。
涙はただ砂に吸われ雨音のような華奢な音も立てない。
風にゆられて樹木の葉は擦れ合って共鳴しささやく。
吊るされたマツバもそれに応えるようにゆらゆら揺れる。
あたしは後悔した。最後に彼女の笑顔が見たかった。
純粋に笑顔を拝んでおきたかった。何となく間違っている気がしていた。盲信しすぎていた、心酔しすぎていた。先を曇らせすぎていた。後悔なんてするはずないのに、
―あたしって最低だな。もういいや
また新しいカタチに合う子を探せばいい。
都合がよくて顔がよくて声もよくて、また新しいマツバを見つけたら良い。
そうやって言い聞かせて、樹木と踊るマツバの元を離れた。手に握りしめられた手紙に目に留めず。
砂を小蹴りして、涙を拭かずに流して、てまぜして、昔のカタチを忘れることにした。
涙を据える彼女の姿を拝めなくなったのは本当に惜しい。
彼女の手にかけた時の温もりを感じられなくなったのも惜しい。
彼女の涙ぐむ声が聴けなくなったのも惜しい。
彼女を認識できなくなったのもオシイ...。
これでいいの?白花チイレ、カタチの言いなり。
それは恋心や劣情、欲望とは違った存在。
人が抱く感情の違和感。イレギュラーな心の感覚。
一度はカタチに囚われずにいるべきだろうか。
それでも付き纏ってくる、離れたって顔面に張り付いてくる。
母親の手を握る幼子みたいに内からは消えたりしない。
あたしも、あたしの内なるカタチも互いを引き寄せたがってる。決して離れることのない呪縛。
「あたしは何が好きなの?あたしの好きって何?」
この自問に対する答えはただ一つに定まる。
涙に溺れて悶絶するあの時のマツバ。
あたしが好きなのはそのマツバの姿だった。
手を出すことに何の罪悪感も抵抗もなかった。
ただ彼女が好きだったから、彼女を泣かせるのが好きだったから。
彼女の依代が欲しい。
例の学園ならあたしの新しいカタチが見つかるのかな。
可憐で純真、楚々とした子達が集うあの学園なら.....。
また"マツバ"と会える...。
再びあの二文字が表面上から覆ってくれる....。
それなら......
―満足できるのかもね。




