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事象1  作者: ゆーくりうすきゃる
第一章
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第一章11 『喧騒の廊下』

安堵と僅かに残る不安と恐怖が精神を蝕む。

微かに耳に入るミユリという少女の優しい声かけすらも鼓膜を撫でる程度にしか入らない。

腹部は痛み、胸も焼ける。ズキズキと何かが突く。

今、安らぎを与えてくれるものを手を握ってくれる彼女だけ。彼女は依然として少し眉を下げながら安否を問う。容姿や言動よりも香りが特に印象深かった。

川の流れのようなキレイなストレートの黒髪からも制服からも、あまつさえ声からもその匂いが鼻をつくような気がした。それに対して何を言うでもなく見知らぬ少女に無防備に身を任せるだけ。咳き込む度に彼女は一つ一つ丁寧に「大丈夫?」の声かけをする。

この学園にこんな人間がいた事に不確かな喜びと不思議を感じる。


―「大丈夫だからね.....」


意識が朦朧とする中、心地のよい一声が来る。

保健室に辿り着く前にこの古い校舎のつめたい廊下に次第に身体が沈む。歩行介助していた少女は先程の穏やか声色から一変して慌てた情けない声をあげて驚いた。


「だ、大丈夫...?!ね、ねぇ!しっかり!しっかりして!!!」


意識は完全に閉ざされてミユリの嘆く声も届かなかった。ミユリは慌てながらも"細胞"を駆使して容態を確認する。


「酷いアザ....あの子に何されちゃったの...」


腹部の青みが強いアザを見てひどく心に来ていた。

この腹部から見てあのトイレの個室で何が起こったのかは想像に駆られなくとも察しはつく。

ミユリは無意識ながらも怒りが湧いていた。

それに気づかず下唇を甘噛みしながら自身の"細胞"を横たう少女の口内へ注ぐ。


わたしの細胞ちゃん達はあくまで傷を癒すのをはやめるだけ...これだけ酷い内出血を癒せるかは分からないし、確証なんてどこにもないけど....放っておくなんて絶対ムリだもの.....すみれちゃんとの約束だから....


橙色の光が指す旧廊下に横たう少女を眉を下げて見守る。その中で彼女は怒りの他に涙をこぼしている事にも気がついた。涙は右目から頬をつたっている。人差し指ですくってその涙が何故出たのかを考えてみても理解には及ばなかった。


―人のために泣いたことあったかな...


ミユリは一度心を落ち着かせて、意識不明の少女の額で愛撫する。愛でる中で邪な感情を押し除けながら彼女の瞳に光が灯るのを待つ。安らぎの静寂の中に異音が再び鳴る。コツコツと聞き覚えのある足音が階段から安静の二人に駆け寄っているのが身に感じる。ミユリは不審な顔をしながら彼女を庇うようにその音の出所を辿っていく。煙くさい臭いが鼻につく。その煙の出元を見れば白く細い艶のある人差し指と中指に挟まれたピンク色のタバコ。顔を見れば先程のテオの意識を不明にさせた例の"少女"の姿がミユリの両瞳にきっちりと写った。長い白の前髪に隠れるその少女の瞳は僅かにニヤっと笑みを浮かべていた。少女は白い煙を吹かして口角もわずかにあげる。


「だれぇ?あんた」


「きみ....」


「ここでへばられても困るから後で迎えこよう戻ってみれば....なんか変なのがあたしの"磁気"に引っかかってたみたい」


「きみ...この子に何したの?....」


「何って...ただの遊びだよ?トモダチだもん。あたしら」


「トモダチって人のお腹にひどくアザがつくほど殴ったりするものなの?....」


「はぁ?なに?人の友情表現にイチャモンつけんの?これがあたしのそいつに対する友情表現だっての」


舌打ちをしながら口を小さく窄めて煙を吐く。彼女の吐く煙は三人の空間を漂った。彼女は見下すような目でフィグサインをして続け様に罵倒する。


「んで訊いていんの、あんた誰?って。はよ答えて?」


「わたしは幸田ミユリ....きみは?....」


「答える訳ねぇじゃん。あんたにキョーミない、名前が知りたかった訳じゃねぇんだわ。」


「きみのユージョーっやつに水を刺すようで悪いけど...もうこれ以上この子をあなたとくっつけちゃダメな気がする」


「....あ?」


小柄な体躯ながらも彼女からは十分な威圧感を感じ取れる。比較的かわいらしい声をしておきながら暴虐的な言動ばかりが目立つ。その目は常に血走っている。


「なんの事情も知らないあんたがテオとくっついちゃダメだって?.....初対面でどのツラ下げてそんな事いってんの?...」


「友情にもカタチって色々あるけどこれは違うよね..?」


「そんなのあんたの感性じゃん?」


「感性どうこうじゃなくて人道に背いてるってこと...こんなの友情からは程遠いよ?...」


「人道ってのも所詮は人様がでっちあげたエゴ。くだんね」


啜り笑い飛ばしながら彼女はそう言い飛ばす。話の通じない相手に困惑が顔や声に出るほどに彼女という人間が掴めない。


「わたし達の前から消えて...この校舎から出て行ってくれる?...」


「はぁ?消えて欲しいのはあんたなんだけど?あたしはそいつ連れ出しに来ただけ。はやく消えてくんない?邪魔」


「この子の今後の事を考えると...それは願わない頼み事かも...」


そう言われてチイレは怒りに怒って舌打ち、タバコをミユリの胸元に当たるようにほかして、右手の指を差した。それに答えるように眠るテオがチイレの元に引き寄せられた。瞬時にテオがチイレの腕に抱えられるのみてミユリは目を疑った。


「きみ...それ...」


「あぁもう。これ、こいつ以外に知られたくなかったんだけどなぁ...はぁうざいわあんた」


眠るテオの頬に自身の頬を擦って一言はなつ。

テオをらしくもない優しい手つきで壁際に座らせた。


「あんたはこの古い校舎と共に消えな」


胸元に投げつけられたタバコが床から再び胸元に吸い付くように動く。それに連鎖するようにステンドガラスがひとつの窓枠から外れてミユリ目掛けて激しい速度で向かう。


「―痛ッ?!....」


放たれたステンドガラスはミユリの胸元に直撃した。窓ガラスは直接しても地に落ちることなくミユリの胸元にタバコと同じように吸い付く。引き剥がそうとも身体の一部であるかのようにびくともしない。ステンドガラスは強みを増して胸元に食い込んでいく。


「ゔうぅ...」


「どー?これであたしら二人の前から消えてくれる?」


「ぞ..そんなわけに....は.....だめ...」


「そ。じゃあそのままでいれば?そのガラス、あんたを半分にして楽にしてくれるよ」


慢心な目で彼女を眺めていると胸元からステンドガラスは引き剥がされた。愕然とする中で胸元に目をやると紺色のモヤが胸元周辺を包んでいた。


「あんたにも事象(それ)が?」


胸部を一瞥した彼女は予想外な出来事に犬歯を晒す。


「げほっ...ゴホッ....その子を返してもらえる?...」


「あんたのもんじゃねぇよ!!」


憤怒に身を任せた声でそう怒号をあげる。


あたり一面のステンドガラスがミユリの位置する座標に定めて、イカズチのごとくの速度で向かっている。

ステンドガラスはミユリの身体のあらゆる方向から吸引されるように激突して砕け散った。そこで生み出された力はおそらくキロニュートンにも及んでいる。

ミユリは人間の身体の限界を超えた衝撃を受けて血液を口から吐き出した。前歯、奥歯、中切歯はぬるい生き血がまとわりついていた。彼女の吐き出した血液はチイレの制服にもわずかにシミとして残った。


「はぁ...しらねぇアバズレの血反吐がついちゃったじゃん......どぉしてくれんの?これ」


耳にしたミユリはうずくまって呻吟の音をあげるだけだった。

口元は唾と血の混じった液体で濡らして、言われて返すのはただのうめき声だけだ。

そんな状態の彼女を気にも留めずに高慢な少女は歩み寄ってうずくまるミユリの背中に前足部を押し付けた。


「ゔ...うぅ...ぐ...ぅゔぐ....」


「あーかわいそーに。オリモノでも来ちゃった?すぐそこにトイレあるから行ってきなよぉ?」


会話にもならない会話相手を蔑んだり罵倒して押し当てる前足部に力を加えてさらにいたぶる。

完全に彼女を手玉に取る側に自身がついたことをチイレは確信していた。しかしその心情はあっけなく揺さぶった。彼女が次に目にしたのは押し当てている右足にしがみつくミユリの姿。ミユリはなぞるように足に指を触れさせている。


「―うぇぁ!!んだよ?!これ?!?!」


慌てて足を揺さぶっても彼女も微動だにしない。何も言葉を発さずただしがみつく。

次に目にしたのはさっき目にしたあの"モヤ"だ。

あの紺に近しい色合いのモヤがしがみつく彼女と共に足に付着していた。

チイレはやむを得ずすかさず"極"を付与させた。

チイレの右足としがみつくミユリの間に紫の閃光が走り二人は互い反発し合った。


ミユリは血反吐の撒かれた床へ転び、優美な制服の何もなかった部分が赤に染められた。

ミユリは不確かながらもチイレの保有する事象(それ)の正体に近づいた。


「あんた!!なんで立ってられるの?!さっきまであんなにうずくまってゲホりまくってたのに?!血吐いてたのに?!何で...何で?」


ミユリは衝撃がくる直接、ギリギリながらも細胞による治癒を間に合わせていた。


「教えてあげられないかな、今はただその子をあなたから引き剥がすだけだから」


「ふざけんな....このトンマのメスブタ女!!あたしからあいつを引き剥がせられる訳ねぇじゃん。あいつは絶対にあたしから離れない。永遠にくっついたままだっての」


―よく磁石は恋に例えられたりするけど、この子の場合は....そんな恋とは真反対...むしろ離れたくなるようなイヤな子....


「じゃあそこで立っててね。わたしが目を覚まさせてあげる」


「はぁ?何言ってんだ..おま―


なんだよこれ....右足が動かない...さっきあいつが気持ち悪りぃ触り方してたから??絶対それだ、絶対それだろ..くそくそくそくそ...!!


―?!


「動きたくても動けないでしょ?あなたはその子に同じ事をしてる」


ミユリの左腕は数多の細胞で肥大化し、数メートルの拳の彫像をぶら下げて硬直するチイレの元へ足を運ぶ。


「うるせぇよ!!はやくこの右足をどうにかしろ!」


彼女の声は明確に荒げて掠れていた。


「その子を自由にするのなら解放する」


「もういい!!!あたしから抜け出してやる!!!」


チイレの右足の脛から豪勢な勢いで反発するようにして細胞が飛び出た。


―嘘でしょ....わたしの細胞まで?...


「痛い....くそ....!!いてぇえぇ!!!これ以上あたしをイラつかせんなよ...あたしの右足...おじゃんになりそうじゃん...!!!」


「その子に対する関わり方を変えないのなら片方もおじゃんするから...!!」


「してみろよ!!!!ぼけ!!!!!!」


彼女は右手を天井に、左手を床へ指差した。その刺された天井と床はミユリの位置する座標と一致する。

ミユリの位置する天井と床は互い瓦礫の掠れる音を立てながら引き合った。ミユリは姿形をひとつの細胞にしてその位置から自身をずらす。


「気持ち悪、よけんなよ」


次に刺されたのはミユリの位置する廊下の両方の壁。

またその次に刺されたものは壁にかけられた絵画とステンドガラス。どれもミユリに何一つの接触はなかった。


「ならあんたからぶつかってこいよ」


次にミユリの右手の指が指す方向はミユリ自身だ。左手の指が指すのは吸引し合った床や天井の瓦礫たち。

瓦礫たちは吸引や反発を繰り返してミユリという別の"極"に反応を示す。

瓦礫は再びミユリの胸元に衝撃を加える。


「...!!..くっ...!」


「もっとくっつけよ!!!ほら!!!遊べよ!!あたしともっと遊べ!!!!」


空き教室のロッカー、洗い場の蛇口から滴る水、用具入れのバケツ。

何から何まで興奮に身を任せでミユリに目掛けて引き寄せる。

衝撃が加えられ続ける事でミユリの自身の細胞化にも限界が構えている。


「じゃあもう歩けないようにしてあげる!!!その子を返さないとね!!」


「やってみせてよ。そうなるのはあんたなんだから」
























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