第一冊目の上巻『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』
とりあえず第一冊目です。村上春樹さんの『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を取り上げています。結末までめっちゃネタバレしていますし、全部ネタバレしていきます。ただネタバレしてつまらなくなるような小説ではないですけどね。あとここで繰り広げられる会話は評論のようなものとは捉えないで下さい。あくまでも作中人物の考えたこと、ただそれだけで私の意見でもありません。
2014年5月15日 24;51
「あなたは川の中に落ちた雨粒を選りわけようとしているのよ」
「いいかい、心というのは雨粒とは違う、それは空から降ってくるものじゃないし、他のものと見わけがつかないものじゃないんだ。もし君に僕を信じることができるんなら、僕を信じてくれ。僕は必ずそれをみつける。ここには何もかもがあるし、何もかもがない。そして僕は僕の求めているものをきっとみつけだすことができる」
「私の心をみつけて」しばらくあとで彼女はそう言った。──『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』
今日は私が課題本を提案したフランクフルト学派研究会の読書会第一回の開催日だった。自分で書く度に疑問が沸き起こるけれど、フランクフルト学派研究会っていったいなんなんだろう。私と山口さんの二人で集まる限りにおいてはそんな名前は一切でないんだけども、私が誰かをこの会に勧誘する場合、この組織名をいわなくてはならないのではないか? まあでもそうなったとして、別に隠しておけばいいだけかな。こんな酔狂な名前をわざわざ吹聴したがるのだって出山先生ぐらいしかいないだろうし。
とはいえ本日は読書会だった。読書会って、こういうふうなのかな、っていう、私なりの想像・予測がもちろんあったわけだけれども、うーんどうなんだろう? いろいろ外れているような気もするし、集まった人間がとてもヘンテコな人たちに寄っているような気がする。私がヘンテコかどうかはおいといて、山口さんも出山先生も、人類……とまではいかなくても、日本人のさまざまな要素を平均して値を出した時に、彼女たちの反応や性格的な部分が著しくその平均値から乖離しているのは、間違いがないことなんじゃないかと思う。そういう意味で言えば私はかなり平均値に近い側にいるのではないかと想像するけれどもやっぱり自分のことはよくわからないし、こうした計測をどのようにやったら統計的に有意な値になるのかも疑問だ。
読書会のことを書く時に、私達はたいへん多くの事を語り合っている。私はそれを別段録音しているわけではないし、全部覚えようと熱意に突き動かされていたわけでもない。こういう日記は、もはや私にとっては自然体となりすぎていて日記を書くために何かをしようという動機にはなりえないみたいだ。だから、まあ、覚えている範囲でなんとか読書会で何が起こったかの状況再現をここに記していきたいと思う。何しろこの会合自体はまだまだ続きそうだし、私自身多少興味が湧いてきている。面白くなるか? といえば疑問でしかないし、得るものがあるか、といえば、読書は依然として私にとっては個人的な営みであって、人の意見にさほど興味はもてないけれども、それでも何かは起こるような気がしないでもない。状況再現を試みるにあたって、今回も小説のような表記になってしまうけれども、注意されたし⇒読み返す未来の自分へ
先週と同じく2限が終わった山口さんと教授棟の4階へと向かう。ちなみに私達が英語の授業を受けている教室は最近出来たばかりの新しいオフィスで、教授棟が並んでいるエリアとは道路一本挟んだ向かい側にある。たかだか道路一本だから、教室を移動するのにそう時間はかからないけれども、きっと大きい大学は移動だけで10分使いきっちゃったりするんだろう。そういう場合は合間の休憩時間が長いんだろうか? 大学を移動する予定もないから無駄な心配だけれども。
移動中の僅かな時間で、多少探りを入れてみる。山口さんは『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んでどのような思いを抱いたのか?
「読んだ? 村上春樹の」
「読んだ読んだ〜。ちゃんと出山先生は読んできてんのかね。上下巻だったけど」
「さすがに立場的に読んできてるんじゃないかな〜〜仮に忙しかったにしても。学生が読んできて先生が読んできてないんじゃ、面目丸つぶれなんじゃない」
「まあ、そうだよね。私の感想は今のところは秘密──というか態度を決めかねているところがあるんだよね。今回が初村上春樹だったしさ。でも古びてはなかったね? なんというか、今読んでも新しいってういか」
それは私も思うところだった。
「そうだね〜ほとんど象徴的な意味合いで構成されているところもあるし、あの後の作品もずっとあんなんだし。村上春樹作品にかぶれたクリエイターがいろいろと、自作に引用しているからってのもあるんじゃないのかな」
「ああ、なるほどね。それはありそうだね」
と話しているうちにあっという間に教授棟の4階まで辿り着いた。まだ出山先生はきていないようだ。山口さんは荷物を机に置くとじゃあ私読んでくんね〜といって離れていってしまう。はーいと返事をして、私は私で自分の荷物から今回のためにもう一度読み返した『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』上下巻を取り出す。
私にとってこの作品はなかなか好きな部類に入る一冊だ。村上春樹作品については、長編小説についても一通り全部読んだが、中でもこの作品の印象が強い。私はそうしたことの一つ一つについて、深く理由を考えたことがこれまでなかった。面白いものを読んだら面白い! と喝采をあげて、つまらないものを読んだら、ああこれはつまらなかった、時間の無駄だったと思ってそれで終わりだった。私はそうした感想を話す相手がいなかったし、私がつまらなかったり面白かったりしたからといって私が飼っている金魚が死んだり死ななかったりするわけではなかった。ぜんぜん、どこにも影響が起きないのが私の感想なのであって、行き場のない感想はそもそも産まれもしなかったのだろう。
ただそれだけにあの二人の反応は気になる。肯定的なのか否定的なのか? いろいろ聞かれたらどうしよう? だいたい全然意見があわなかったら、私はその意見に反論したりするべきなんだろうか? それとも黙って意見を拝聴すべきなのか? そういえば出山先生は東大の院まで出ているインテリだったはずだ。ぜんぜん、お前の読みはなってないよといわれたらどうしよう。まあ、そしたら諦めるしかないのだろうけれども……それに、前回あった時は冴えないおじさんといった感じで、そう鋭く人にたいして意見をぶつけてくるようなイメージはなかったな。
そんなことを考えている間に山口さんが出山先生を連れてやってきた。ちなみに出山先生はここの一階下の部屋だが、わざわざ一階上の部屋を指定したのは自分の部屋にやってくるゼミ生を避けたかったに違いない。やたらと人気者の先生のようで、ひっきりなしに生徒が何らかの話をもちかけにやってくるのだ。この読書会も、そうした活動の一貫なのだろうと思う。
「やーやーごめん、遅くなっちゃってね。待った?」
「いえ、私達はどっちも2限まで授業なので今来たばかりですけど」と私が答える。
「そうかい」と言いながら出山先生が私の正面にあたる椅子に座る。そして私の右隣に山口さんが。三人だけの、こじんまりとした読書会だ。
「それじゃあ第一回フランクフルト学派研究会の読書会を始めようか」と出山先生が話を切り出した。
「はい」「そうですね」と私がはいといって山口さんと二人了解の合図を出す。
「そもそも読書会ってどうやってやるんですか? 私やったことがないんでなんにも、全然わからないんですけど」と私からまず切り出してみる。本当に何にもわからないのだ。
「あ、それ私もなんですけどー。普通、一般的な手順ってなんかあるんですか?」と山口さん
「いやあ。そんなのないんじゃない? 俺が学生だった頃にやってたのも、ただただ集まって適当にだべってただけだし? ジェーン・オースティンの読書会とか読んでる?」
「読んでないです」私と山口さんの返答がだぶる。
「読んでないか。まあいいんだよそんなのはどうでも。本を読んだ人間が集まって、適当にだべればさ。別にこれをどっかに公開するわけじゃないんだし。というわけでまずは本の提案者である多根崎さんからなんか言ってってみれば」
「はあ。なんかってなんなんです?」と私
「まあ、感想かな? まずは。自己紹介は終わっているわけだし。」
「そうですねえ」とここで私は自分からいうはめになるとあんまり考えていなかったので多少考える必要に迫られることになった。といっても、私は思考は早い方で、この時に考えていた時間はたぶん3秒もなかったと思うが。今思うと焦って多くのことを思い浮かべたような気もする。要は、本を読んだ時のぼんやりとしたイメージは大量にあったとしても、それは別に並び立てられているものではなく、ひどく漠然とした川の中を泳いでいる魚のようなものだった。つかまえて、種類ごとに分類して、なんとかそこの生態が見えてくるといった感じで、私の感想はあやふやなままだった。でもとにかく網でもなんでもつかってざっくりとしたイメージを伝えなければならない。二人と大きく感想が異なると厄介だが、言い出しっぺの法則で一番手にされてしまったのだからそれは望むべくもない。
「まず私は提案者なので、この本のことは全体的に好きですね。どこが好きなのか──というと、非常に難しいところがあります。まず第一にこの長編は、村上春樹さんが初めて「世界」を捉えようとしたものだと思って、その挑戦が面白いなと思いました。」
「世界ってどういうこと?」と山口さんが聞いてくれる。
「ようはこれまでの、風の歌を聴けだとか、羊をめぐる冒険のような作品って、非常に個人的な、いってみればミニマルな冒険だったと思うんですよね。主人公は自分の内面的な問題と向き合って、対処する必要に迫られる。そこにたぶん、多少の社会的な要素も入っていたと思うんですけれども、それでもメインではなかった」
「でも、どっちかっていうとこの本でもそれはメインじゃなかったと思うけどね。基本的にうじうじぐだぐだしてさ」とこっちは出山先生。この返答一発でこの本に対してあまり好感を持っていないことがわかった。
「もちろん、この作品は最終的に主人公の、内的な納得といったところに落ち着くのは確かです。 ですよね? でもたとえばシステムとファクトリー、それから囲い込まれた壁と心を失った住人といったメタファーとしての部分は大きな物だと思いませんか? 私はこういう「社会全体をメタファーとして落としこんでいこうとした最初の作品」がこの『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』なんじゃないかな、と思ってるんですよ」
「ふうーん。それはまあ、そうなのかもしれないなあ。面白いね」と出山先生がいう。こっちは本当に面白がっているような反応だ。
「壁と卵の話とか、最近村上春樹さんが講演で語ったこともありますけど、既にこの作品の中で壁というのは重要なモチーフとして現れてきます。のちの村上春樹作品の基調となるトーン、方向性を作った作品として私は好きですし、それに何より主人公が非常に淡々として、次々と起こる問題にそれなりに冷静に対処していくのが、けっこう好みでした。」
私がイメージとして捉えていたことの十分の一も言えなかったと思うし、それすらも満足に伝えられなかったけれども、物事には場の流れというものがあって、私も長々としゃべり続けているわけにはいかなかった。話しているうちに何を言ったらいいのかわからなくなって、強引にそれっぽいところで話をまとめてしまったし。たぶんこのまましゃべり続けていたら、大惨事になっていただろう。
「なるほどね、俺はどちらかといえばこのナイーブさは非常に鼻についたんだけどな。山口さんはどう?」
「私ですか? うーんそうですね。私の感想は多根崎さんみたいにちゃんとしたものじゃないんですけど、なんだか何を言っているのかよくわからなかったって感じですね。話がわからない。ところどころの描写として目を惹かれるところはあるし、面白いな、と笑うところがあるんですけどね。たとえば最後の場面って結局どういうことなんですかね? さっぱりよくわかりませんでしたよ」
「最後の場面か。解釈がわかれるような感じだったっけ?」とこれは出山先生
「あの、現実っぽい側の主人公がどうやら意識が世界の終り側に統合されて、世界の終り側は影と自分が脱出しようとして自分がいやいや俺はここでやることあっから残るっぺよといって残る場面ですよ。彼が残るってことは一体全体どういうことなのかな? って。結局このあと、意識は統合されちゃうのかそれとも元に戻るのか、どう思います?」とこれは山口さん。おお、なんか、びみょーな反応だったけど、ちゃんと読んではいるんだなあと私は感動した。
「ああ、あそこの話か。うーんどうなんだろう。あんまり考えずに読んでたな。」
「私は結局、あそこは影と僕が一緒に脱出することではじめて現実世界側の彼は意識を取り戻すのであって、僕だけが元に戻ってしまったら意識を取り戻すことはないんじゃないかと思います」とこれは私。あらかじめそのような問答になるのではないかと思い、考えていたことではあったが思ったよりもお披露目が早かった。誰もが疑問に思うところは同じということか。
「うーんそうなのかな? でもなんだか世界の終りの方の僕はよくわかんないけどまだここにも心があるみたいなこと言ってるじゃん? それに残る理由もよくわかんないな。自分がここをつくったから残る、その責任があるんだって言うじゃん? 別に責任なんてなくない? 建築家だって、別に自分のつくった建物が、建築基準法に適してたら、その後でそこで殺人事件が起こったり実際に作る人達が間違えて突如ガラガラと崩れ落ちても関与しないでしょ? どうにもすっきりしないラストなんだよなー」とこれは山口さんだ。
ぺらぺらと最後の方のページをめくっていた出山先生がいう。
「あー、ここか! 確かに確かに、ここはよくわからないねえ。えーと、うーん……。そもそもこれって、博士によって人工的につくられた場所なんじゃないかな? だったら自分が作ったものですらないような気もするなあ」
「でも、主人公はもともと適正があって、ストーリーを最初から作っていたみたいなこともいってましたよね。だったらこの世界の終り自体は最初から彼の内面にあったんじゃないですか」と私。
「それもそうだね。てことはやっぱり自分が作ったものについては責任をとるってことなのかなあ」と出山先生がいう。
「ちょっと考えたんですけどー」と私は手をあげていう。本当にこれは今話しながら考えたことだ。このラストについてはそれほど深く思考していたわけではない。あんまり重要性を感じていなかった部分だ。それでも話しているうちに思い浮かぶこともあった。
「結局のところ、この世界の終りの場所は象徴的な意味合いがとても強いじゃないですか。川、影、心、森、夢、それになんといっても影。で、象徴的な場所での闘いというか葛藤と、現実っぽい場所での葛藤が同時に進行していくわけですよね。物語的にいえば象徴的な場所での闘いの勝利が現実っぽいところの勝利につながったほうが、爽快感があります。単に、書いていた時にそうした安易な解決から脱却したかったんじゃないかな。そうすれば私達みたいにあーでもないこーでもないって話し合うことになるし」
「ふーん、シビアな意見だね。私も話していて思ったけど、やっぱりこれは何らかのキイが世界の終りそれ自体に眠っていて、影と引き離されはするものの彼自身はココロを取り戻すことがいずれできるんじゃないかな。少女の分裂した心を探しだしたみたいにさ。あのシーンは良かったし。希望が見えたからこそ、残った」と山口さんがいった。なるほどなあーと思う。
「普通に読むとそういう風に解釈できるように、物語的には書いてはいるかなあ。多根崎さんがいったように、安易な結末に落ち着けたくなかったからぶん投げ案も魅力的だけど。そうそう、ついでだから俺の意見も言っちゃうけど、どうも村上春樹は好きになれないんだよね。やたらと文章の装飾が多いし、話が全然前に進まないしさ。話だけ極度に単純化させたら、物凄い単純なこといってない? これさ。好きな人は好きなんだろうけど、俺はちょっと全然ダメだったなー」
なんとなく想像できていた反応だけれども、やっぱり出山先生はダメだったのか。私自身はこの作品のことがとても好きで、魅力をいくつも知っていると自分では思っているけれども、かといって出山先生のような反応が理解できないわけじゃなかった。理解できないわけじゃないというか、それで自分の中に波風が立つわけでもないというか。それでも一応キチンと反応は、返しておいたほうがいいのかしらん? 山口さんがどう反応するかで反応を決めたいところではあるけれど、彼女はどう反応するだろうか。仮に私を肯定派、出山先生を否定派とするならば、彼女は中立派のようであるし。
待っていてもらちが明かなそうだったので、話を広げるため=私の意見を表明するために多少意見をさしはさむことにした。
「話自体は単純・シンプルだと思いますけど、でもこの象徴性を重ねていくようなスタイルがやっぱりウケたんじゃないですかね? 世界的に人気なのもこのあたりにキイがあると思います。実際、私が好きなのはも、この象徴性の部分が大きいですし。これだけでもないですけど」
なるほどね、これが読書会かと私は思う。自分が想像もしなかった意見を当てられる、私はそれに対して応答しなければならない。
一回の投稿で一冊書き切ろうと思っていたんですが時間が足りません。一冊につきヘタしたら二万文字ぐらい使うハメになるかもしれません。次か、その次ぐらいでとりあえずこの本は終わらせようと思っています。




