あたしゃしがない郵便配達員
「あ、覗こうとしても無駄ですよ」
浴室へ向かおうと立ち上がりながら、彼女は言った。湯張りを終えた事を知らせる自動音声が、この少し前に給湯器から流れた。
「シュヴァルツシールド展開しちゃいますから」
メイド服を未だに後ろ前に着たままの彼女は、そう付け加えた。
「シュヴァルツシールド?」
僕は彼女に尋ねた。
「ブラックホールもびっくりの光学迷彩の事で、我々のオーバーテクノロジーのひとつですよ。実際、このシュヴァルツシールドのおかげで、地球での調査任務も全くばれずに無事完了しましたから」
少なくとも何人かの地球人には迷惑掛けてるのに、無事完了と言えるのか甚だ疑問に思ったが、そこはあえてスルーした。
「覗こうとしたらどうなるの?」
言ってからしまったと思った。こんな事を聞いて、彼女に変態だと思われるのは癪だったからだ。
しかし
「覗きたければご自由に」
彼女は平然と答えた。そしてこう付け加えた。
「ただし由宇作の存在の保証は出来かねますが」
「僕の存在の保証? って何それ?」
「シュヴァルツシールドの原理はですねえ、近くにあるブラックホールを超光速で探索して、その特異点を劣化コピーしちゃうんですよ。すると、その劣化コピー特異点の周囲に、あらゆる物理的干渉を検閲して都合の悪い干渉を無かった事にしてくれる、特殊なシールドが形成されるんですね、因果律を歪曲する事で。だから由宇作が私の事を覗こうとして、それが私にとって都合が悪ければ、由宇作の存在が無かった事になる恐れがあるってわけですよ、これが」
そんな末恐ろしいオーバーテクノロジーを、こんな事の為に使うなよなと心の中で叫んだ。
彼女が浴室へ消えて暫くすると、変な音が聞こえてきた。耳を澄ますと、どうやら浴室の方から聞こえて来ているようだった。
更に耳を澄ますと
「あたしゃしがない郵便配達員~ あっちの星からこっちの星へ今日もお手紙配達します~」
こんな歌声らしきものが聞こえた。お世辞にもうまいとは思えなかったが。
「ねえ上様、ブラックホールもびっくりの光学迷彩の中から、なんでそんな騒音が聞こえて来るの?」
僕は浴室に向けて、大声で皮肉たっぷりに質問をぶつけた。
「シュヴァルツシールドの設定を調整して、音声は聞こえるようにしてあるんですよぉ。あっ、でも騒音に聞こえるんでしたら、調整がうまくいって無いんじゃないですかね」
調整の所為かよ! 思わず叫びそうになった。
「シュヴァルツシールドのスイッチもう切ったんで、由宇作もお風呂入っても大丈夫だと思いますよ、多分。故障して無ければの話ですが」
バスタオル1枚巻いただけの格好で、彼女は言った。頭には相変わらず猫耳が付いていた。
「故障してる可能性があるの?」
「だって由宇作さっき、騒音が聞こえるって言ってたじゃないですか。でも調べてみたら調整は問題無かったですから。そうすると私にも皆目見当が付かない、何らかの故障が発生している可能性が考えられますから。まあ万が一故障してても、せいぜい由宇作の存在が、無かった事になるくらいですけどね」
そう言うと片手を腰に当て、もう一方の手に持ったフルーツ牛乳をぐびぐびと飲み始めた。
この魔性の女は、一体どこから来た古代ローマ人なんだ! 僕は心の中で叫んだ。




