悩ましい手紙
夢ちゃん先生は、顔にかかった髪を耳の後ろに挟んで、顔を上げた。左指で結婚指輪が静かに輝いた。
「本当はね、とても好きだった。今にして思えば本当に些細な、顔を見たとか、言葉を交わしたとか、そんなことで胸がいっぱいになるような、ままごとのような感情だったけど、それなりに真剣だったのよ。今の子とはちょっと違うかな」
そんなことはないと思う、残念ながら僕には分からないが。
横で田崎が「一緒です」と消えそうな声で呟いた。
「彼も同じような感情を持っているかもしれない、もしかしたら同じ気持ちかもしれない、そんなことを感じる瞬間も何度かあったのだけれど」
何かを思い出したように長い溜息をついて、夢ちゃん先生は続けた。
「当時は、あまりそういうことを言わなかったのよ。『硬派』って言っていたんだけど、口に出さないのが格好いいみたいな風潮があったのよ。でも手紙は書くわけ」
呆れたような声で「真面目な顔をして『読んでくれ』って言われて渡された手紙がそれなの。どうしようと思っちゃうわよね」と続けて僕の手の中に視線を移した。
「あー。なんだかあの時の混乱した感情が蘇ってきた」
怒っているような、懐かしんでいるような夢ちゃん先生の声を聞きながら、僕たちは手紙をもう一度よく見た。
二つ折りにした便箋には左側に学校の教室で今でも使っているような椅子の絵が描かれ、右側にはミツバチともクマバチとも区別がつかないが、とにかく蜂の絵が描かれていた。そして、その蜂の背中には、瓶から液体が注がれその瓶には「酢」と描かれていた。便箋に記された文字は「酢」だけ、あとは二つのイラストだけだった。
そして便箋の真ん中、二つの絵の間の少し下、折り目にかかる場所に左向きの矢印が描かれている。
この絵手紙を真面目な顔をして渡す硬派な新聞部員、それを想像すると笑いがこみ上げてきそうになる。
「気持ちわかります」と田崎が真剣な表情で言った。「こんな手紙を渡されたら、混乱して夜眠れなくなります」




