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追いかけられる僕と追いかける彼女。本番直前リハーサル。あと音響さんはアル中

追いかける彼女 10


「さあてっ。今日から文化祭に向けてバンドの練習をするぞー」

 私は上機嫌で拳を天井に向け、宣言する。

「ようやくだな。随分と遠回りした気がするわ」

「おくれ巻きすぎると思うけどお」

「だまらっしゃい」

 私は二人を叱責する。正直、感無量だった。ここまでくるまでどれだけ苦労した事か。屋上の幽霊さんの音と出会い、音を合わせ、凜と春美を連れ添って、屋上の幽霊さんの心の外堀を埋め、昨日ようやく、屋上の幽霊さんと直接会うことが出来た。

 嬉しい誤算は、屋上の幽霊さんは女子生徒で、誰もがうらやむ容姿を持ち、ギターの腕前も私達と比べれば遙かに上手だという事だ。

 これほどの幸運は、中々ない。

 これまで散々恨んでいたが、屋上の幽霊さんと引き合わせてくれた、あの裏切り者に感謝したいぐらいだ。

 今日から三日間みっちり音合わせをした上で、屋上の幽霊さんには観客全員を野菜と思わせる事に注力すれば、滑り込みで文化祭に間に合う。

 というか、死ぬ気で間に合わせてみせる。

 部室の壁に飾られた時計を見る。時刻はもうすぐ夕方の五時だ。屋上の幽霊さんとの約束ではそろそろ部室に来てくれるはずなのだけど。

「幽霊さん遅いな」凜が手持ち無沙汰そうに、ドラムスティックを回しながら言った。

「そろそろ約束の時間だよねえ。もしかして、ドタキャン?」

「幽霊さんがそんな事するはずないでしょ」

 私は二人に悪態を吐く。悪態を吐くが、あの引っ込み思案の優等生である幽霊さんだ。可能性はある。

「顔青いわよ?」

「でもさあ。あの引っ込み思案の優等生の幽霊さんだよ」

「それはもう、心の中で私がやったわ」私は春美に突っ込みを入れる。

「そもそもさあ。幽霊さんが私達に協力する義理も責任もないんだろ?」

「あの子はそんな子じゃありません。絶対きます」

「過保護な母親かよ」凜がケタケタと笑う。「それは冗談として、あのいつ倒壊してもおかしくない部屋に閉じこもっていた筋金入りの幽霊さんよ。そんな子が文化祭の準備でごった返した生徒達の目をかいくぐって、ここまで来れる?」

 凜の致命的な一言に、私は体を硬直させた。

 そうだ。ただでさせ増改築のしすぎで迷路のようになっている校舎だ。そこに文化祭前の準備に奔走する生徒達の群れ。

 屋上からここまでくるなんて、幽霊さんに出来るのか。

 方位磁石も地図もなしに人跡未踏の森の中を歩くようなものだ。

「わ、私。屋上まで幽霊さんを迎えに行ってくる」

「ちょっと待ちなって。あなたが行って、行き違いになったらどうするのさ。今のところ、私と春美は瀬戸際のレベルで人間に認定されている野菜なんだよ」

「誰のせいかなあ」春美が嫌みったらしく言ってくる。

「私のせいですよっ」

「まあ、半分当てこすりの私達の意見は置いておいて」

「私は十割当てこすりだったけどお」

「とにかく、もうちょっと待ってみようよ。屋上の幽霊さん、一度しか会話してないけど、嘘を吐くような子じゃないって」

「ま、まあ。それは」私は凜に同意する。「じゃあ、あと十五分待ちましょう。その間に例の計画も進める、と」

「「了解」」」

 そのきっかり十五分後、屋上の幽霊さんは部室に現れた。それはいいのだが、なぜか部室に現れた屋上の幽霊さんは、すでに満身創痍だった。

 長い髪は乱れ、目は完全に隠れている。背中に背負っているのは屋上の幽霊さんが使っているトリプルオーの二八というギターだろう。

 一体、屋上からここまで来るまでに、何があったのだろう。

 屋上の幽霊さんは、ぷるぷると生まれたての子鹿のように震え、両腕で自分の体を抱くように「野菜が一つ、野菜が二つ」と呪詛のように唱えている。

「ご、ごめんなさいっ」

 私は自己嫌悪に押しつぶされそうになりながら、屋上の幽霊さんを抱きしめ、謝罪した。

「おお。無事にここまでこれたか」

「すごいわ。幽霊さん」

「黙っててっ」私は二人に吐き捨て屋上の幽霊さんに向き直る。「大丈夫だった?」

「は、はい。なんとか人が少ない道を選んだので」

「よく頑張ったわ」

 屋上の幽霊さんは弱々しく首肯し、応じた。先日とは違い、自分から深呼吸をすると、「ここが約束の場所であってますか……」と来る。

 屋上の幽霊さんの悲壮感ぶりに涙が出てきた。

「では、早く音合わせをしましょう」

 私は屋上の幽霊さんの目を見た。体こそは吹けば飛びそうな程疲弊しているが、可愛らしい瞳だけはやる気で燃え上がっている。

 この目は、やけくその炎なのか諦観の炎なのか。

 ともあれ、屋上の幽霊さんのやる気と体力が尽きないうちに、文化祭で演奏する三曲を通しで合わせておくべきだという事だけは分かった。

「凜。春美。幽霊さんの準備ができ次第、通しで音合わせをするよ」

「はいはい」

「りょうかあい」


 時計の針を見て、私は音合わせにかかった時間を計算する。ほとんどリハーサルに近い環境で通しておおよそ十分。私達に文化祭で割り当てられた時間は十五分だから、かなり余裕があった。

「時間的には十分ね」

「あの裏切り者がいたらもう少し時間がかかったものねえ」

 凜と春美が口々に感想を言う。二人とも額に汗が滲んでいる。やはり曲の時間を短くしたとはいえ、付け焼き刃の女子高生三人の体力では三曲が限界みたいだ。

 だけど、それじゃあ駄目だ。せめて後一曲分の体力は欲しい。

 瞠目すべきは、屋上の幽霊さんだった。

 ギターの上手さは知っていたが、三曲連続で演奏しても息一つ上がっていない。

 それに、音合わせまでは借りてきた猫のように萎縮していたのに、いざ演奏が始まると緊張感の片鱗も見せなかった。

 本当に幽霊さんは対人関係に難があるのだろうか、と疑問をもちたいほどだ。

「それにしてもすごいね」凜が汗を拭いながら口を開いた。「分かってたけど、ギターすごく上手い」

「あはは……」屋上の幽霊さんは居心地悪そうに笑う。

「それに、あのドラムみたいな音とポーンっていう綺麗な音はどうやって出してるのお?」

「えと、その。ドラムみたいな音はギターのボディを叩いて出していて、そのポーンって音は多分、ハーモニクスって音の出し方で……」

 屋上の幽霊さんは、しどろもどろに身振り手振りで質問に答えている。

「ちょっと」私は屋上の幽霊さんと凜と春美の間に割って入った。「二人とも幽霊さんに絡みすぎ。困ってるじゃない」

「別にいいじゃん」凜が口をとがらせる。

「そうそう。教えて貰っても減るモノじゃないし」

「減るわよっ。主に幽霊さんの体力が。でも私ごときが言えた義理じゃないけど、幽霊さん本当にギター上手よね。誰かに習ったの」

「ううん」屋上の幽霊さんは首をぶんぶんと振り否定する。「全部、独学だよ。だって……僕、ぼっちですし」

 屋上の幽霊さんのその発言で一気に部室の空気が重くなった。誰か私の後頭部を殴ってくれないだろうか、と後悔する。

 屋上の幽霊さんには、罵倒も賞賛も地雷にしかならない。

 どうするこの空気。責任の三分の二は凜と春美としても、残り三分の一の責任は私にある。

 どうにか、屋上の幽霊さんを傷つけず話題を逸らすことはできないかしら。

 何かないか。何かこの場の空気を納める妙案は。方策としては、凜と春美のアホ二人を私の持っているギターで殴り倒すぐらいしかないけど。

「ギター……」

 そういえば、一曲目と二曲目ではギターのチューニングが違ったはずだ。さきほどの音合わせでは屋上の幽霊さんは急いで一曲目と二曲目のチューニングをやり直していたけど、もし、私のギターでその代用ができたら。

 唾棄すべき友人二人を殴る道具にするよりはマシなのは、間違いない。

 とりあえず話題の切り替えには使えそうだ。

 私は藁にもすがる思いで「あの幽霊さん」と屋上の幽霊さんに声をかける。

「な、なんですか?」

「ギターのチューニングの話なんだけど、一曲目以外はスタンダードチューニングなんだよね」

「は、はい」

「だったらさ。一曲目のギターだけ、私のギターのチューニングをいじればいいんじゃない。私ほとんどボーカルだし」

「は、はあ……」

「ほら、これ私のエレキギターなんだけどいけそうかな」

「おお。これで一曲目と二曲目のタイムラグの問題も解決だな」

「そうだねえ」

 よし、と私は心の中で自分を褒めた。おそらく無意識ではあるが、二人の意識は再び文化祭で演奏する曲に戻った。

「じゃあ。私のギター持ってみて」

 私は肩から自分のギターをおろし、屋上の幽霊さんに手渡した。

 屋上の幽霊さんは震える手で、私のギターを受け取る。

 ここまでは想定通りだ。しかしながら想定通りに行かないのがこの世の常で、屋上の幽霊さんは私のギターを受け取った瞬間、重力に導かれるように腕から床に崩れた。

「おもっ!」

 おおよそ、屋上の幽霊さんからの口から出るとは思えない声量で、屋上の幽霊さんが叫ぶ。

「大丈夫!?」

「は、はい」幽霊さんはよろよろとギターを持って立ち上がった。「エレキギターってこんなに重いんですか?」

「たぶんどのエレキギターもそんなもんじゃないのかな? 幽霊さんのは違うの」

「僕のフォークギターは……」

 屋上の幽霊さんは、ギタースタンドに立てかけられた自身のギターを見やった。

「持ってみてもいい?」

「は、はい」

 私は屋上の幽霊さんの許可を貰い、屋上の幽霊さんのギターを持ち上がる。

「かるっ」

 屋上の幽霊さんのギターを持った感想がそれだった。よく考えれば当たり前だ。アコースティックギターは中は空洞だから、軽いに決まっている。

 一方で、エレキギターはどうなんだろう。空洞はないし、そのあたりが重さの違いなのだろうか。私も初心者なのでよく分からないが、重さの違う理由があるとすれば、ボディの構造の違いのように思われた。

 私は屋上の幽霊さんのギターをギタースタンドに戻し、「それで、そのギターで一曲目弾けそう?」と訊ねる。

「ええと……」屋上の幽霊さんは私のギターを持ってふらつきながら立ち上がると、部室の椅子に座り、ギターのチューニングをし始める。

「な、なあ」

 凜が屋上の幽霊さんに話しかけた。

「な、なんですか?」

「いやね。なんで、そんなこの世の地獄の全てを三秒ぐらいで見てきたような表情をしてるのかなって」

 確かに私も気になった。凜の指摘通り、ギターのチューニングをしている屋上の幽霊さんの表情は、拷問にでもかけられているかのように、歪んでいた。

「ぼ、僕、そんな顔してました?」

「してたよお。凜ちゃんの表現が生ぬるいほど苦悶に満ちた表情をしてた」

「春美っ。言葉」

「ごめんなさい……ちょっと怖くって」

「怖い?」私は首を傾げる。

「弦の音を合わせる時って、弦の音を上げる時よりも、下げる時の方が切れやすいんです。その時のバインッって音が心臓に悪くて……」

 言いながら、屋上の幽霊さんはチューニングを続ける。一分ほどその作業を続け、ふっと表情から緊張の色が消えた。

「弦切れずにいてくれて良かったです」

「なんか見ているこっちがハラハラするなあ」

「ドラムの凜ちゃんにはあんまり関係なくなあい?」

「五月蠅いよ。感情移入したのよ。感情移入」

 凜が憮然と返す。

「それでどうなのかな?」私は話を本流に戻すように、屋上の幽霊さんに訊いた。「そのギターで一曲目はいけそう?」

 私の質問に、屋上の幽霊さんは「たぶん」と自信なさげ答え、軽くギターを弾く。「たぶん大丈夫です」

 屋上の幽霊さんは、私のギターを肩にかけ立ち上がり、構える。

 次の瞬間、屋上の幽霊さんは「ひく……」と囁くように呟いた。

「低い?」私はきょとんと屋上の幽霊さんに語りかける。「何が?」

「いや。ギターの位置が随分と低いなあって」

「ああ」

 私はすぐに納得した。確かに、屋上の幽霊さんが構えているギターの位置が低い。ギターはちょうど屋上の幽霊さんの腰より下あたりにあった。

 私もギターを構えた時にはちょうどその位置だ。ネットの動画などを参考にしたが、たしかに最初は弾きづらいと思った記憶もある。

 今は慣れたが、最初は弦が押さえづらかった。

 屋上の幽霊さんのギターのポジションはお腹辺りだ。ポジションが低く感じるのも無理もない。

 私は「ちょっといい?」と屋上の幽霊さんからギターを受け取り、ギターを肩からかけるストラップを短く調整した。

「これでどうかな」

 私は再度、屋上の幽霊さんにギターを渡す。屋上の幽霊さんはストラップを首から通し、ギターのポジションを確認すると「これなら、なんとか出来そうです」と続けた。

「じゃあ、もう一回、一曲目から三曲目まで通してみようか」

「そうですね……。僕、頑張ります」

 屋上の幽霊さんの返事を聞いて、私達はもう一度、一曲目から演奏を始める。


      追いかけられる僕 10 

 

 短くかつ早い三日間だった。あれから、なし崩し的に僕も文化祭に参加する事になり、昼間は屋上に引きこもり、放課後は軽音部の部室で曲の練習をくり返すばかりの日々だった。

「今日が、木曜だから明後日は本番か……」

 僕はどんよりとした表情をつくる。金曜日は講堂で行われるライブのリハーサルだから、練習にさける時間は実質今日一日という事になる。

 さすがはお金と他大学とのコネだけはある高校だ。講堂で催されるイベントには、プロの音響さんが入るらしい。

 彼女の話によると、手品やら演劇やら随分と凝った催しも多いようだ。

 そんな中に、僕みたいなミジンコにも引けを取る人間が、顔を出してもいいのだろうか。 とはいえ、憂鬱ではるが後には退けないのも事実。それに、僕なんかにあれだけ期待してくれている三人を裏切るのは精神的につらい。

 ミジンコにだって責任感と罪悪感ぐらいはある。

 僕はスマートフォンで時間を確認する。

 時刻は夕方の五時少し前。

 約束の時間だ。僕はやおら椅子から立ち上がり、名ばかりの天文部の扉を開いた。悲しい才能だが、軽音部での打ち合わせの時に、どこに廊下を通れば他の人がいないか把握済みだ。伊達に二年間も人目を避けて生きてきたわけではない。

 この、増改築の末に出来上がった迷宮も、僕にとっては庭に等しかった。

 屋上を出て階段を下りる。階段を下りれば、当然ながら廊下が広がるが、その廊下はT字路のように分かれていた。一方は一般生徒達が使える廊下で、もう一方はどういうつもりで作ったか分からない職員用の廊下だ。

 僕は迷わず職員用の廊下へ進む。そのまま廊下を進むと更に下に降りる階段が見えてくる。教師の気配を探りつつ階段を下り、左折すれば、いつも僕が学校に潜入する時に使うらせん階段に繋がる渡り廊下に出る。

 そこまで行けば、一階まで下りて、素知らぬ顔で学園祭の準備で忙しい生徒達が溢れる校庭を横断し、軽音楽部へ続く階段を下れば任務は終了だ。

 ある意味、人が多いぶん目立たずに目標の場所へ向かえるのは幸いだった。

 だったら、堂々と生徒達に紛れて、まっすぐに軽音部野部室に向かえばいいとは思うけど、引きこもりのプライドがそれを許さない。

 軽音楽部へ続く階段を下り、扉の前に立つ。

 ここ数日で、凜という女子生徒と春美という女子生徒を野菜だと、自己暗示をかけなくても普通に接する事が出来るようになったのは長足の進歩だと思う。

 私は「お、お邪魔しまあす」と誰にも届かない小声を出し、ゆっくりと部室の扉を開けた。

 僕が扉を開けると、三人の背中が目に入った。彼女と、凜と春美の背中だ。三人はなにやら背中を丸め、ごにょごにょと小声で密談をしているようだった。

 何を話しているのか気にはなるが、盗み聞きは良くないと思い再度、扉を閉めようと半歩後ろに足を退いた。すると、僕の行動を邪魔するように、年季の入った古い扉は、ぎぃ、と乾いた音をたてた。

 当然、彼女たち三人は脊髄反射かと疑う速度で体をひねり、僕を見つめてくる。

「よう」凜が軽く手を挙げた。「今日は来るのが早かったね」

「そうだねえ。なんとも間がわるっ」

 春美の台詞が途中で途絶える。彼女の拳が春美の腹にめり込んだのだ。

「あんたは黙ってなさい。今日はいつもより早いのね」

 彼女の言葉に僕は「う、うん。ここまで来るのにだいぶ慣れて来ちゃったから」とおざなりに答える。

「そう。それだけ、私達と打ち解けて来たって事でしょ」

「それはいいんだけど」いや、まったくよくない。「春美さん。悶絶してるけど大丈夫?」

「ええ。大丈夫よ」彼女は力強く頷いて見せた。「こんなの軽いスキンシップみたいなものだから」

 彼女の言葉が嘘なのは明白だった。眼が泳ぎ、落ち着きがない。でも、あまりそのあたりの事情を探るのは趣味じゃないし、勇気もないので「そうなんだ」と僕も彼女に合わせる。

 でも、なんだろう。この胸の辺りがチクリとする感覚は。こんな感情、僕は知らない。いや、と僕は自分の考えを否定する。

 この感覚は、父と母の様子を見ていた時に似ている気がする。

 感情を言語かするのは得意じゃないけど、これはもしかして、疎外感? 

 そんな事を考え、僕は心の中で吹き出した。

 僕の語彙力は小学校中退レベルに陳腐だ。

 心のもやもやなんか、この際、脇へ置いておこう。今は、彼女たち三人と文化祭を成功させる事だけを考えるのが僕の命題だ。

「どうしたの?」

 彼女が中腰で僕の顔を除いてくる。僕は「なんでもないよ」と彼女と自分の気持ちをはぐらかす。

「本当に大丈夫う」物理的には一番大丈夫そうではない春美が訊ねてきた。

「そりゃ、部室に入ってきて一番、友達が友達の腹に拳をめり込ませている光景を見せられて驚かない訳ないわな。私達の事は大丈夫だよ。これが通常運転だ」

 凜が僕を気遣ってか、柔らかく、でもはっきりとした口調で言い切る。

「友達?」一瞬、頭の処理が追いつかなかった。「誰と誰が」

「それは幽霊さんと、私達の事でしょ」

 彼女がさも当たり前のような風情で言ってきた。

 友達なんて言葉、僕の辞書にはなかったのに、唐突な彼女の台詞に僕は顔を上気させた。

「顔赤いぞ」

「今日の練習はやめとくう?」

 凜と春美が心配そうに、僕を見た。

 僕は咄嗟に「大丈夫、大丈夫です」と首を振り、「今日が最後の通しだから、最後までがんばろう」と柄にもない台詞を口にした。

「そうね。でも、体調が悪いなら言ってね」

「うん。ありがとう。じゃあ、最後の通しをやっちゃおっか」

 彼女の言葉に私は、力強く頷く。

 友達。友達か。

 僕は、なんとも馴染みのない言葉を頭の中で反芻しながら、ギターケースから自分のギターを取り出した。

 さて、と僕は気を取り直してギターを構え、最後の音合わせの通しを始める。

 明日は講堂でリハーサルだ。


 音合わせの通しを終えた僕は、勝手に根城にしている屋上に帰ってきていた。

 まさか、たかが数日でここまで音楽の形になるとは思ってもみなかった。しかもソロギターしか弾けない僕と、つい先日まで面識もなかった彼女達とで、だ。

 誰かと共同歩調をとるのは苦手だった。だからこそ今の現状に甘んじていたわけだけど、ここ数日で、その環境が一変した。

 僕が誰かと、バンドをするなんて思ってもみなかった。

 家から逃げ、学校に引きこもり、保健室登校の生徒として三年間をやり過ごすつもりだった。

 それがどうだ。

 今は、軽音部の三人に振り回される形で他者と関係を持っている。

 意味が分からなすぎる。

 まったく、と僕は苦笑する。あの三人のおかげで僕のルーティーンが台無しだ。

 心の中でそう独りごち「ん? ルーティーン」と今度は声に出して独りごちた。

 何か、タイセツな事を忘れているような……。

 そこまで考え「やばっ」と爆竹が破裂すうるような声を上げる。

 母と父に毎日送るメールを失念していた。僕は慌ててスマートフォンを確認する。

 結果は予想以上だった。母と父からのメールが山のように通知されている。恐る恐る内容を確認するが、そのどれもが、僕の身を案じる内容だった。

「過保護なのか、放任主義なのか分からない。とにかくメールを返さなきゃ」

 なんて返信しようか、と僕は悩む。誤魔化そうか? いや無理だ。社会不適業者の僕にそんな高等テクニックが使える訳がない。

 つまり、消去方で正直に現状を母と父に伝えるしかない。

「どういう文を書けばいいんだ。正直に伝えると言っても、僕の語彙力じゃ、上手く伝えられるかな?」

 しかしながら、悩んでいる暇はなかった。僕の生活は両親が社会的常識を度外視して成り立っていいるものだ。とっとと今、自分が置かれている環境を説明する必要がある。

 どういう文章が正解だ?

 僕の人生に正解などあるのか、という疑問もあるが、とにかくスマートフォンに文章を打ち込み、母と父にメールを送信する。

『返信遅れてごめんなさい。明後日の文化祭、講堂でバンド演奏をします』

 こんなものでいいのだろうか、と思うがこれ以外の報告事項が思いつかない。

 僕はスマートフォンをポケットに直し、現実逃避の道を選んだ。

 とにかくここは現実を無視して、明日のリハーサルに意識を集中させよう。

「ああ。もう何が現実か分からない」

 僕はそんな台詞を吐きながら、窓の外からふんわりと落ちてくる月明かりを眺め、明後日のライブ本番に思いをはせる。

 

 次の日、僕は、彼女と凜と春美に挟まれる形でバンドの舞台である講堂に向かっていた。ぶつぶつと「三人以外は野菜。三人以外は野菜」と自分に言い聞かせながら歩く。

 さすがに人の目のつかない通路を熟知している僕でも、講堂まで他人に会わずに行く道など知らない。

 案の定というかなんというか、文化祭前日ともなると、生徒達の喧噪は半端ではなかった。

 誰も彼も、文化祭に向けて浮き立っている。当たり前といえば当たり前だ。一年生からすれば最初の文化祭で、二年生からすれば催しものに参加できる最後の年だ。三年生は受験になので、文化祭は見て回るだけだが、それでも最後の思い出になるのだから、高揚感はあるのだろう。

「ピーマン。大根。ニンジン。ニンニク……って野菜だって」

「大丈夫か? 幽霊さん」僕のボディーガードのように先導する凜が訊ねてくる。

「だ、大丈夫じゃないです」

「凜ったら意地悪な質問してえ。幽霊さんの顔色見てみなよ。どう見ても大丈夫じゃないよ。でも、気まずい空気の中あえて訊くけど、大丈夫?」

「だから、幽霊さんは大丈夫じゃないって言ってるでしょ」

 彼女が二人に声を飛ばした。

 僕の事を庇ってくれているのは分かるけど、僕の心をまっすぐに突き刺すような事実を口にするのはやめてほしい。

 たかだか講堂に行くだけで、ここまで精神的な負担があるんだ。我ながら本当に情けない。本当に明日おこなうライブなんて出来るのだろうか。

「ううん」凜が腕を組み唸る。「ここ何日かで、随分、人には慣れたなって思ってたんだけどなあ」

「意外となんとかなるかもよお。今日がリハーサルでよかったじゃない」

「私も良かったと思うわ。ぶっつけ本番じゃ幽霊さんの命が持たない気がしてたし」

「……あはは」私は乾いた声で笑う。

「それに、今日慣れてもらわないと、もう一つぶっつけ本番がっ!」

 凜が腹を押さえてその場に座り込んだ。彼女が凜の腹を肘で殴ったのだ。凜は、「あんたいきなり何をするんだ」と苦情を言う。

「口は災いの元だねえ」春美がクツクツと笑った。

「春美も同じ目に遭いたいの?」

 緩徐がドスのきいた声を放った。

「もう一つの本番ですか?」

「こっちの話よ。まあ、ヒントは嘘つきは善良な子を二回苦しめるって感じかしら」

「それって完全なるブーメランだとっ!」

 春美が言い終わるか言い終わらないかのタイミングで、彼女が春美の腹を膝蹴りした。

 その場にくずおれる春美を見ながら、僕は、彼女って意外とアグレッシブなんだなと感心した。

 僕にはない才能だ。

 彼女の行動に、意図があるのかないのか分からないけど、僕が唖然としている間に講堂の入り口が見えて来た。

 桜の木材で作られた重厚な門で、その脇には学校の創始者と思わしき銅像が飾られていた。灰色にくすんでいて、とてもじゃないが趣味が良いとは言いがたい。

 講堂の中に入ると、パイプ椅子が整然と並べられ、その中央には音響が設置されていた。その音響機材を数人の男性が調整している。

「これが、明日、あなた達がライブをする場所かあ」

 僕がのんびりとした感想を抱いていると「私達だけじゃなくて幽霊さんもよ」と彼女がウインクしてくる。

 彼女の言葉を聞き僕は我に返った。そうだ。僕は明日、この講堂でライブをするんだ。 講堂の広さと並べられたパイプ椅子の数を目算で確認すると、最低でも二百人は入場できそうだ。

「こんな所で演奏するんですか?」

「そりゃ、そうでしょ」凜は泰然と応じてきた。

「まあ、満席はないと思うけどねえ。私達の他にも催しする人達がいるから、それなりに人は入ると思うけどお」

「まあ、そう緊張せずにいきましょう。それじゃあ、私は音響の人達に挨拶してくるから、三人は明日ステージになる壇上に移動しておいて」

 彼女はそう言うと、早足で音響担当の人達の元へ向かっていく。

「じゃあ、私達はステージに行くか」

「そうだね。リハーサルも、時間割があるからねえ」

 凜と春美は私の背中を半ば押す形で、僕を壇上へ誘導する。

 壇上に上がって最初に感じたのは、講堂の広さだ。カメラの広角レンズで覗いたように現実よりも広く感じる。

 ここで私がライブを? 嫌な冗談だ。

 元々現実離れしていた話だったけど、壇上に立ってその現実離れした想像が、現実味をおびてきたことに息をのむ。

 どんっ、と私の背中に衝撃が走ったのはその時だった。凜が口角を上げ「あはは」と笑ったのだ。その表情には、僕にはある緊張感がどこにもない。

「絶景だな」

「緊張しなくても大丈夫だよお。それに今日はリハーサルで、お客さんもいないしねえ。予行練習ってかんじい?」

「あはは……。二人とも凄いね」

「こういうのは思い切りだって。どうせ本番だって、お金をとるわけじゃないんだから気楽にいけばいいさ」

「そういう事」春美はあくまで太平楽だ。

 僕が困った表情を浮かべこめかみを掻いていると、彼女が音響の人達と話をつけたのか、壇上に上ってくる。

「音響の人達、準備はOKだって。あなた達は?」

「私は準備できてるよ。ここに来る前に、ドラムセットは運んでいるしね」

「私もベースをアンプにつなげるだけだよお」

「僕も、自分のギターはアンプに繋ぐだけですので、いつでも大丈夫です。それにしてもやっぱり緊張しますね。音響の人達の前で演奏するのって」

「大丈夫よ」そう断じた彼女だ。「あの音響さんたちは野菜ですらないから」

「? どういう事ですか」

「音響さん達の手を見てみなさい」

 僕は彼女に促されるまま、目を細め音響さん達の手を見た。音響さん達の手には、缶がが握られていた。お茶か何かだろうか、とさらに子細に見他僕は言葉を失う。

 音響さん達は放課後とは言え、学校内で飲酒していた。

 芸術というか音楽は自由だ、と言うが、自由の意味をはき違えている。

「すげえな。なんの躊躇もなく飲酒してるよ」

「社会不適合者の鏡だねえ。誰? あの人達を連れて来たのお」

「まあ、音楽関係者ってノリだけの人もいるしね」彼女が平然と言い切る。「これで分かったでしょ? あの音響さん達は気にしなくて良いわ。それに学校側が用意した人材なんだから、間違いはないし。ある意味、幽霊さんにとっては都合がいいでしょ?」

「ま、まあ」僕はおずおずと答える。「あのまま泥酔してくれたらなお緊張しないんだけど……」

「いいね。それ。本番で私達がミスしても全部、あの人達のせいに出来る」彼女は鷹揚に笑い「それじゃあ、リハーサルの準備はいい?」と訊ねてくる。

 彼女の言葉に、凜と春美と僕は頷いた。

 それを確認した緩徐は音響さん達に「おおい。私達はいつでも始められますよ」と声を投げた。

 音響さん達は、手に持ったビール缶を掲げ、合図をしてくる。

 さあ、と僕は目を閉じ、呼吸を整える。

 さあ。訳の分からないリハーサルの始まりだ。


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