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追いかけられる僕と追いかける彼女の『メロディー』

     追いかける彼女 11 

 

 私は軽い足取りで帰路についていた。

 雲一つない空に星がきらめき、ほほを撫でる秋風は心地良い。

 結果としては、明日のライブに備えたリハーサルは上手くいった。

 これは、社会人としての良識を一切排した飲酒大好き音響さんの功績が大きい。音響さん達の緊張感のない仕事のおかげで、良い具合に、幽霊さんの緊張感がほぐれた。その結果、屋上や軽音部の部室で音合わせをしている時のように、自然な演奏ができた。

「あと残すのは、問題が四つある事ぐらいかしら」

 私は独りごちながら、すぐに今の発言を否定した。

 問題ではなく、課題だ。

 一つは、凜と春美と私で交わした先生との約束だ。これはおそらく大丈夫だろう。二つ目は、幽霊さんがライブ当日に緊張しないこと。これは課題でも問題でもない。幽霊さん次第だ。屋上の幽霊さんが、ライブに見に来てくれる観客を野菜と見なしてくれればそれでいい。

 これもおそらく大丈夫なはずだ。

 残り二つ内の一つは準備は上々、成果をご覧じろ、といった感じだ。

 最後の一つは、こればかりは私や凜や春美ではどうしようもない。ほとんど運任せに近いが、これまで、幽霊さんと刻んできた関係の集大成だと期待したい。そして、屋上の幽霊さんに報いたい。

 ここまでこれたのだから、パズルのピースは揃っている。

 私は、鞄からバンドスコアを取り出す。私達三人で演奏する三曲が綴られているものだ。そして、そのバンドスコアに隠されるように、最後の一曲が綴られている。最後の一つは、幽霊さんに渡したTAB譜を凜と春美と三人で、バンドスコアに改訂したものだった。

 幽霊さんなら、ぶっつけ本番で演奏できるだろう。

 ここから先は、神のみぞ知る世界だ。

「まあ、私の計画成就の為にも、幽霊さんには頑張って貰いましょう」

 私は、明日はどうなることかしら、と一人で強がりの笑みを浮かべる。


「さあて!」翌日の土曜日、軽音部の部室に集まった凜と春美に景気よく声をかけた。「あと二時間で私達のライブが始まるわよ」

「随分とまあ」凜が楽し気に白い歯を見せる。「やる気、満々だなあ」

「まあ、当たり前だよねえ」

 文化祭当日、この学校の流刑地とも言える軽音部の部室にも、文化祭の熱気が伝わってきていた。

 娯楽の少ない進学校なのだから当たり前ではあるが、私達がもりあがっているのは別の方向にある。

 屋上の幽霊さんの捕獲だ。

 屋上の幽霊さんには、ライブ開始一時間前に、この部室に来るようにという、嘘の指示を出している。本来であれば、あと一時間後にこの部室に集合の約束だ。

 つまり、今がライブ開始二時間前ということは、私の嘘により、屋上の幽霊さんは、今、屋上にいるという訳だ。

「先生、私達の事、見に来てくれるかなあ」春美がやや不安気に漏らす。

「そこは大丈夫でしょう。先生は約束は守るタイプの人だし」

「だよなあ」凜も私に同意し、そして醜悪な笑みを浮かべる。「約束を守ってくれる先生には、とっておきのサプライズが必要だよなあ」

「そういう事よ。さあて、先生と幽霊さんと、不確定要素の人達に対するサプライズ作戦を実行するわよ」

「はあい」

「了解」

 二人の返事を聞き、私は高らかに宣言する。

「これより、屋上の幽霊さんの誘拐作戦を決行するわ!」

「「おお!」」

 凜と春美に合わせて、私は拳を軽音部の天井に拳を挙げる。


      追いかけられる僕 11 


 文化祭当日、僕は天文部の部室で震えていた。人気のない屋上にも伝わってくる学校の生徒達の賑わいと、文化祭に来場してくる人達の良い意味での喧噪。

 部室の時計を見る。待ち合わせの時間まであと一時間だ。

 本当に大丈夫だろうか。僕なんかがあんな壇上へ上がっても。会場にはどれくらいの人が来るのだろう。その人達は僕を見て、どう思うのだろうか。身の程知らずの馬鹿が生意気にもギターを持っているという目線でも飛ばしてくるのだろうか。いや、視線だけならまだいいほうだ。下手を打てば視線ではなく石つぶてを投げられるかもしれない。

 かといって今更、あの三人を裏切る度胸はない。

「やるしかないのかあ」

 僕が頭を抱えていると、奇妙な物音が、部室の外から聞こえてきた。屋上が無闇に騒がしい。

 いや、騒がしくはない。自分の気配を消してゆっくりと屋上から部室に向かってくる足音が聞こえてくる。騒がしく思えるのは、僕の気持ちがそう聞こえさせているからだ。

 ゆっくりと屋上の扉が開く音が聞こえてくる。

 誰だろう?

 屋上は文化祭でも天文部員以外は立ち入り禁止だ。

 それこそ、僕の事情を鑑みず突撃してくる彼女達三人以外は、屋上にはこないはずだ。 でも今更、彼女達三人が、気配を消してこの部室に近づいてくるとは思えない。

「じゃあ、誰?」

 籠城しようか、とも考えるが、屋上の気配が消えてくれる兆しはない。というか、部室の扉の前で居座っているようでもある。

 約束の時間まであと一時間と少し。ここで、外の人達の足止めを喰らうぐらいなら、窓から脱出して、軽音部の部室に行った方がいい。

「人はみんな野菜。人はみんな野菜」

 ギターを抱え、魔法の言葉のように僕は呟く。今までは、この部室こそが我が永住の楽土と思っていたけど、今は、その真逆だ。

 ここは、勇気を出して、部室の窓から逃げよう。

 僕はそう決心して、窓の外を窺った。いつもの放課後のような夕日ではなく太陽は高い位置にあるので窓の外を視認しやすい。

 音を立てないように窓に近づき、外を確認する。

 もし、窓の外に人がいるなら陽光でつくられる影の有無で分かるはずだ。

「よし。窓の外には誰もいない」

 となれば、部室の窓から脱出して、部室の裏を通れば屋上の扉まで、誰にも気づかれずに行けるはずだ。

 了見を定めた僕は、音が出ないように窓を開け、細心の注意を払って外へ脱出する。

 上手く脱出できたか、という安堵感は、安易な暁光でしかなかったようだ。

 僕が屋上からの逃亡を計ろうとした瞬間、目の前が真っ暗になった。

 僕が陥った状況を整理する間もなく、奇妙な浮遊感に襲われる。

「え? 何?」

「やっぱり幽霊さんなら、窓からにげるよねえ」

「屋上の幽霊さん確保!」

「さあて。観念してもあるわよ。幽霊さん」

 どの声もこの一週間と少しで聞き馴染みになった声だ。

 だからこそ、なおのこと意味が分からない。

 何が一体どうなってるんだ?

「それじゃあ。幽霊さんをバックヤードにご案内」

 彼女の要領を得ない言葉から察するに、僕はどこかに運ばれるようだった。

 僕の頭の中では、二時間後に演奏する曲ではなく、ドナドナの曲が流れている。


「あのお」

 僕の体を襲う胃振動が収まり、最初に放った言葉がそれだった。今、僕は『バックヤード』なる場所に連れ込まれ、椅子に座らされているらしい。

「どうしたんだい。幽霊さん」この声は凜のものだ。

「どうしたのお」これは春美。

「まあ、手荒いとは思ったけど、こうするしかなかったのよ」

 彼女の声も聞こえてくる。

「その。これはどういう事ですか?」

「まあまあ。今、目隠しを外すから」

 私の後頭部に凜の手が触れる感触が来た。そこに来てようやく僕は、三人に目隠しされ、拉致されたという確信を得る。

 するりと布が髪の毛を撫でるように落ち、ようやく視界が戻ってきた。すぐに左右を確認する。簡素な壁面にパイプテーブルとパイプ椅子が設置されている。

「ここは? バックヤードって聞こえましたけど」

「正解だよお」春美がおっとりと応じる。「ここは、講堂の裏にあるスペース。部屋とも言えない小さな場所だけどねえ」

「それで、なんで僕がここに? それにライブまでまだ時間があると思うんですけど」

「ライブまではね」彼女が含みのある笑みを浮かべる。「でも、幽霊さんに魔法をかけるには一時間ぐらいはないといけないのよ」

「魔法?」

「そう。魔法よ。へい。スタッフ」

 彼女が指を鳴らすと、凜と春美が私の前に躍り出た。二人の手には、大きな箱が抱えられていたり、櫛が握られていたりする。

 どう考えても明るい未来は望めまい。 

 僕の考えとその後するであろう抵抗を予期してか、彼女が僕の事を羽交い締めにしてきた。

「ちょっ。は? なんですか」

「またまた分かってるくせにい」

「覚悟しなさい」

 凜と春美が僕ににじり寄ってくる。

「さあて。これからシンデレラの爆誕作戦がはじまるわよ」

 どうやら僕に拒否権はないようだ。というか本気でも体が動かない。「あ」とも「ん」とも言う間もなく、彼女達三人にもみくちゃにされる。

 僕が思考を停止してどのくらい時間が経っただろう。かれこれ、三十分は講堂裏にあるバックヤードで、よく分からない拷問を受けている。

 最初は顔に筆のようなもので何かを塗られた。次に超小型のチェーンソーで眉を切られた。その後は唇にグリスのようなモノを塗られ、同時進行的に髪の毛をいじられた。

 一体何をされているのだ僕は。

 僕のギターは無事だろうか。それだけが気がかりだった。雑な扱いを受けて壊されていないだろうか。まあ、アコースティックギターだから『ジャスティンキング』のギターのように大穴が空いても大丈夫といえば大丈夫なのだけど。

 首を動かそうとすると、凜と春美と彼女の「「「動かないでっ」」」という命令が飛んで来るので、視線だけで自分のギターを探す。その結果、僕のギターは部屋の隅にあるギタースタンドにかけられていた。その隣には彼女のギターと春美のベースもスタンドにかけられている。

 とりあえず、僕のギターは無事で、ライブは予定通り行われるのだろうと安堵する。

 遠くから、学校の生徒達の声援のようなものが聞こえてくる事に気づく。ここが講堂の裏にあるスペースにという事は、現在ただいま、講堂では別の人達が催し物をしているようだ。

 この歓声の大きさから言って、結構な数の入場者がいる事がうかがえる。

 僕、これからのそんなとこで演奏しなきゃいけないのか、と考えると億劫になってしまう。いっその事、僕達が壇上に上がった瞬間、入場者全員が消え去ってはくれないだろうか。

 僕が心の奥底にその願望を沈めていると、「「「出来た」」」という彼女達三人の声が響いてきた。

「出来た?」私は小首を傾げた。「何がです」

 僕を殺す準備だろうかと穿った見方をしてしまう。しかし、三人の良心に期待してその考えを振り払う。だが、三人の顔を見た僕は再びその考えを再浮上させた。

 三人とも、不適に笑っている。

 笑うという言葉は便利な言葉だ。普通に字面だけを考えれば平和的な言葉だが、その上に不適がつくと途端に暗雲が垂れ込めてくる。

 三人の不適な笑いの意味するところは何だろう。

「なに、青い顔してるんだ幽霊さん」

「そうそう。何をそんなに怯えているのお」

「せっかく綺麗の次のステージに出来上がったのに勿体ないわ」

 もったいぶった彼女達の台詞に僕は当惑する。

 彼女は満を持した様子で何かを僕に向けた。僕に向けられた何かは、光を反射してちらちらと僕の目を刺激してくる。

 その刺激に慣れた段になり、僕に向けられたのは手鏡だという事に気づき、その鏡に映されたものを見て、僕を目を見張った。

 鏡には、僕の知らない誰かが映っていた。

 詳しく表現できないが、控えめに見ても綺麗な少女だ。瞳が大きく、艶やかな髪は綺麗に編み込まれている。

「誰?」僕はぽつりと間の抜けた声を漏らす。

「あなたよ」彼女ははっきりと言い切った。

「はあっ」僕ははしたなくも大声を出した。「これが僕?」

 鏡に映ってている以上、おそらくそれは間違いないのだろう。だが、現実的ではないと思う。

 僕は、案山子にぼろ切れを巻き付けたような人間のはずだ。

「おお。さすが磨けば光ると思ってたけど、ここまで光るとはね」凜が口笛を吹く。

「すごいねえ。さすがは今日のおおどっ」

 彼女が、春美の口に手を当て、言葉を遮った。

「ともかく。せっかくの初ライブなんだから、化粧ぐらいはしないとね。うちの学校、衣装とか禁止だし。まったく融通が利かないんだから」

 よく見れば、僕だけでなく彼女達三人も、いつもより表情が華やいでいた。それは、感情的なものもあるのだろうけど、薄く化粧をしている事もその一因だとも分かる。

「えと、なんで、私にこんな事を?」

「それは蓋を開けてからのお楽しみね。それに私の嫌いな橘先生だったらこう言うわよ」

「橘先生? 誰ですそれ」

「説明はしたくないからしないけど、いけすかない教師よ。そいつだったら緊張したら『ペルソナをつけろ』って無責任に言うわね」

「ペルソナ?」

「簡単に言えば、仮面をかぶれってことよ。今日の幽霊さんは幽霊さんであって、幽霊さんじゃないって事」

 彼女は小悪魔的に笑った。

「おい。そろそろ。私達の出番よ」凜が彼女に声をかける。

「ここまでは、予定通りだねえ」

「あとは、いつも通りの演奏をするだけよ」

 僕はスマートフォンを取り出し、時間を確認した。拉致されてから、たかだた数十分だと思っていたのに、僕達のライブ開始まで十分を切っていた。

「じゃあ、幽霊さん。準備はいい?」

 いいわけがない。僕は混乱しながら「そのだからペルソナとか仮面とかって……」と疑問を口にする。

「いいから。いいから。切り替えよう」凜はあっけらかんと言い放つ。

「そうだよお。ここまで来たんだからねえ。楽しもう」

 春美は平常運転でのんびりとしている。赤信号は皆で渡れば怖くないとでも思っているのかな。

「ともかく。今日のライブの主人公は私達なんだから、気合いをいれて、いつも通りいきましょうっ」

「「おおっ」」

 なんなのだ、彼女達三人のこのアグレッシブさは。僕は彼女達に合わせる形で「お、おお」と小さく拳を挙げた。


追いかける彼女 12


 幽霊さんを拉致して、化粧をするまでは計画通りだった。コンディションも大丈夫だ。それにしても、と私は幽霊さんの変貌のしように驚愕していた。

 凜の言うとおり、元々、幽霊さんは磨けば光るとは思っていた。

 なにせ土台が私達とは桁違いに良かったからだ。私達が幽霊さんに施したのは、ただのナチュなるメイクだった。

 それで十分に幽霊さんは化ける。そういう自信があった。

 だが、結果はどうだ。期待以上の最上級の表現が欲しいと思うほどだ。

 私が男だったら、秒でナンパしている。

 そして、ナンパして難破している。

 あとはライブで難破しない事を願うばかりだ。

 下らない事を考えてはいるが、自分の手が震えている事に気づく。当たり前だ。あれだけ幽霊さんの事情を無視して、幽霊さんをひっかき回したのだ。全責任は私にある。

 それに、その責任を感じているのは私だけじゃない。凜も春美も同じようだった。表面的にはヘラヘラとしているが、やはり顔はどこか強ばっている。

 みんなが平等に緊張しているんだ、と私はどこか緊張感が緩和される気分になった。

 みんなだって先生との約束の為に、この一年間、楽器ド素人の分際で、騙し騙しやってきたんだ。

 更にそこに幽霊さんも巻き込んでしまった。

 だからこそ、今日のライブは成功させなくちゃいけない。

 私達の為と、幽霊さんの為にも。

 私は手の平に力を込め、思いっきり自分の頬を叩いた。風船が破裂するような鋭い音が、バックヤードに響く。

 その音に反応するように、凜と春美、そして幽霊さんが、驚いた様子で、私を見てくる。

 これは私が巻いた種だ。

 そう自虐的に思わないと開き直れない。

 だから自分で巻いた種は自分で刈り取る。それでいて、三人にも手伝って貰う。絶対、声には出さないけど。

「どうしたんだ?」

「どうしたのお」

「ど、どうしたんですか」

「もう一回、音頭を取りましょう」

 私の強い語気に、三人は少し虚を突かれたようだった。しばらくの間を空け、凜と春美は腹を抱えて笑う。

「音頭のアンコールなんて聞いた事ないわよ」

「まあ、先に自主的にアンコールしておくのもいいかもねえ」

「とにかくっ」私は自分を鼓舞するように言う。「そういう事だから、もう一度、景気よく音頭をとるわよ」

「分かったよ」

「ラジャ、だねえ」

「じゃあ、僕も頑張ってみます」

 もはや力押しの何物でもなかった。私は開き直りながら、三人の手を握る。

「今日のライブは絶対に成功させるわよ。エイエイオー!?」

「「「「エイエイオー!?」」」」

 なんか、初めて四人の声が合わさったな、と私は苦笑する。

 私達の声に反応するように、バックヤードに生徒会役員の一人が入ってきた。業務的な口調で「皆さんの出番まで、あと五分です。ドラム一式は音響の人に設置して貰ってます」と言うと、軽く礼をしてバックヤードから出て行った。

「やっと出番か」

「やっとというか、とうとうだけどねえ」

「それじゃあ、いきましょう。はい。幽霊さん」

 私は幽霊さんに、自分のギターを渡した。幽霊さん的には不本意だけど、一曲目だけはこの特殊なチューニングのギターが必要だ。

 幽霊さんはおたおたとギターを受け取り「やっぱり重いですね」と空笑う。「でも、少しだけ緊張が解けました」

「それはよかったわ」私は相好を崩す。「幽霊さんのギターはスタンドごと私がステージに運ぶから」

「お願いします」

「よし、じゃあ行くか」

 一番身軽な凜が率先してバックヤードを出る。そこに春美と私、そして幽霊さんが続いた。

 薄暗いすえた匂いの廊下を進み、階段を上と講堂の壇上に出る。垂れ幕で観客は見えないが、やはりそれなりの人数はいるようだ。

 その人数の約四分の一ぐらいは、顔の広い凜が集めたのだろう。その凜の集めた人が別の人を更に集めた結果だ。

「な、なんか。垂れ幕の向こうに凄い人の気配があるんですけど」

 幽霊さんが不安気に言ってくる。

 これはまずい。これ以上、幽霊さんを萎縮させる訳にはいかない。それでは今まで積み重ねてきた計画が頓挫しちゃう。

「大丈夫だよ幽霊さん。お客さんはみんな野菜よ。それに、照明のメインは私達三人に集まるように、指示を出してあるから、そこまで緊張しなくていいわ」

「そうそう。いつも通りの音合わせみたいな感覚で行こう」

「ぷっ」春美が何故か吹き出した。「上手くいくといいねっ」

 私は、春美の腹をあらん限りの力で殴る。この子はいつも余計な事を言いそうになるのが厄介だ。

 まあ、それも長所だとも言えるけど。

 事実、幽霊さんは「あはは」と上品に笑っていた。「皆さん。本番直前なのにいつも通りですね」

「少しは緊張がとけた?」

「はい。僕は今まで通り裏方に徹します」

「そう」

 こんな特殊奏法を繰り出す裏方はいないだろう、と思う。それと同時に、少しだけ罪悪感を覚えた。

 照明の話は二割ほど、嘘が混じっている。私は心の中で、向こう十回分の謝罪をして、ステージに立った。

 それぞれが楽器の最終調整をし、確認できた事をステージの脇に控えている進行係の生徒に伝える。

 進行を担当している生徒は軽く頷くと、ステージ脇に設置されたマイクに向かい「それでは、次の催しは『軽音楽部』によるライブ演奏です」と宣言する。

 次の瞬間、ステージの向こう側から黄色い声なのかヤジなのか分からない、大勢の声が聞こえてくる。

 垂れ幕が徐々に上がり、観客達の姿もみえてきた。

「これはこれは……」

 私は、満員御礼になっている会場を見て呟いていた。老若男女問わず、様々な来場者で埋め尽くされている。

 まあ、講堂での催しものを見る方が、他の出し物を見る合間の休憩にはちょうどいいから当然の帰結だ。

 私は幽霊さんにならって「ここにいる全ての人間は野菜」と自分に言い聞かせた。

 問題は、その野菜さん達の中から目的の人を見つけられるかだ。

 目を細めて会場を見るが中々見つからない。

「だあぁ!?」と大声を張り上げたのは凜だ。凜はドラムスティックで会場のちょうど真ん中辺りを指し示した「橘。なんでお前が先生と一緒にいるんだよ」

 私は、凜の指し示す場所を見て、唖然とした表情を浮かべた。

 凜のドラムスティックの先には、橘先生がいた。そして隣にいる女性を見て、さらに驚愕する。

 私達を軽音楽部に引きずり込んだ張本人である、先生がいた。そして、先生が抱きかかえているのは、小さな幼児だった。

「あはは……さすがに私でも言葉が出ないよお。たしかに育休でしばらく学校を休むって言ってたけど、え、まさか」

「そのまさかみたいね」

「たしかに、体調が安定したら、私達のライブを見に来るって約束はしたけどさ。まさか先生が体調を崩していた理由って……しかも、その原因と相手って」

「橘お前かっ!」凜が橘先生に吠える。「何勝手に先生と結婚してんだよっ」

「そうだよ。一体誰の許可を得て先生と結婚なんてしてたんです」

「やけに定時で学校からいなくなると思ったら、そういう事だったんですね」

 私達は口々に喚く。唯一、事情の知らない幽霊さんは、ぽかんとした表情で私達と先生達を交互に見ていた。

「うるせいよっ」橘先生が口汚く叫ぶ。「なんで俺が結婚するのにお前らの許可が必要なんだよ!」

「必要だろうがっ。私達の先生だぞ」

「必要ねえよっ。俺の妻だぞ。その訳の分からない言葉をどこから持ってきたっ」

「罵りの棚に偶然あったんだっ」

 もはや見るべきモノなど何もない二人のやりとりに、会場が沸いた。クスクスと口を押さえて笑う人もいれば、大声で笑う人もいる。

 私も予定外の出来事に狼狽するが、今は、それどころじゃない、と我に返る。

 私達に与えられたライブの時間は十五分だ。会場の一番後ろにいる生徒会役員が持っている画用紙には『14』と書かれていた。すでにスポットライトも私達に当たっているので、ライブは開始されたと判断されたようだ。

 こんな下らないやりとりで、一分も空費した事になる。

「凜っ」私は大きな子で凜の名前を呼ぶ。

「何よっ」

「橘先生はあとで血祭りに上げるとして、今はやることがあるでしょう。この十日間弱で、このライブは私達だけのライブじゃなくなったのよ。とりあえず先生との約束は果たせたわ」

「そうだよお。早く演奏しないとお」

「ぐっ」凜は押し黙り「ああくそっ」と自棄を起こしたように叫んだ。「橘てめえ、覚悟しやがれ」

「とっとと、ライブ始めろよ。持ち時間がドンドン減っていくぞ。なあ凜ちゃんよお」

 橘先生は先生の肩を抱き寄せ、勝ち誇った顔を浮かべる。

 その様子を見た凜は、ぽつりと「お前の親まで呪ってやる」と呟き、「幽霊さんお願い」とステージの片隅にいる幽霊さんに合図を送る。

 幽霊さんは「は、はい」と返事をすると、一曲目のイントロを弾き始めた。

 エレキギターの音が観客達の耳にぶつかり、その場にいる全員の口を塞がらせた。

 当然だ、スポットライトに当たっているのは私達三人が中心だ。他の人からは誰も楽器を演奏しているようには見えない。そんな強襲染みた演奏から始まるのだから、不意を突かれるのも当然だ。

 さあて、おそらく最初で最後になる私達のライブの始まりだ。


      追いかけられる僕 12 


 不思議な感覚だった。演奏する前までは緊張で体がガチガチでたまらなかったのに、突然の凜と橘先生という男性教諭が織りなす漫才染みた会話のおかげで、体の緊張がとけた。僕だけじゃない。会場にいる人達が出す空気のようなものが、がらりと変わった。

 あの橘先生という人はどこかで見たことがあるかもしれないが、よく思い出せない。

 隣にいる綺麗な女性が、彼女達とこのライブの約束をした先生なのだろう、という事ぐらいは想像できた。お子さんを抱いているあたり、彼女の言っていた『先生は多分来てくれる思う』という発言と関係がありそうだ。

 僕の視界にいる野菜から、三人の人間が現れた。

 まだ大丈夫だ。他の人達はみんな野菜だから、と自分に言い聞かせる。それに、僕にスポットライトは当たっていないから、そこまで目立たないはずだ。

 凜の「幽霊さんお願い」という言葉で我に返る。

 彼女のギターは重いし緊張はするけど、大丈夫、僕は幽霊だ。野菜達の目には触れないはずだ。

 指はどうだ。大丈夫だ。動く。いつも通りの音合わせのようにすればいい。

 まずはラグタイムからだ。

 僕は一曲目のイントロを弾き始めた。奏法の都合上、爪でギターを弾くので、どうか三曲だけは爪が割れませんように、ととってつけたような神様に祈りながらギターを鳴らす。 アルコールを摂取しているとはいえ、さすがは音響さんだ、と僕は感心する。僕に向かって出されるスピーカーから響く音のおかげで、自分の出している音をきちんと僕に届けてくれる。

 これならお客さんに気を取られずに、弾くことだけに集中する事が出来る。

 凜のドラムと春美のベースと彼女のボーカルに合わせて、自分のギターを弾けば良い。たかだか二分ちょっとの曲を終える頃には、すでに、息が上がっていた。

 次は、どうすればいいだっけ? 曲に集中しすぎて段取りを忘れてしまった。

 落ち着け、と自分に言い聞かせる。三人の邪魔だけはしてはいけない。これは、彼女達三人と先生がした約束のライブなのだから、何か、途中で予想外な出来事が起こっていたようだけど、一曲目は上手くいった。

 すぐに二曲目の前奏を弾き始めないといけない。

「しまった。すぐに、次のギターを取りに行かないと」

 私が大慌ててでステージに立てかけてギターを取ろうとすると、私の肩に誰かの手がのった。彼女の手だ。

 どうやら、彼女が先んじて僕のギターを持ってきてくれたらしい。もう片方の手には僕のギターが握られており、優しく今持っているエレキギターと取り替えてくれる。

「あ、ありがとうございます」

「あと二曲だけ、私達と付き合ってね」彼女は可愛らしい声色で言い、エレキギターをギタースタンドに立てかけた。「私がマイクに戻ったら、自分のタイミングで曲を初めて」

「は、はい」

 僕は彼女に返事をし、はてな、と思う。彼女が私のところに来てから、野菜達が騒がしくなった気がする。

 いや、気のせいだろう。自分を誤魔化すように僕は自分のギターを握った。やはり、自分のギターは手に馴染む。

 彼女がマイクの元に戻ったのを確認し、二曲目の前奏を弾き始める。

 ここからは、自棄を起こした特殊奏法の連発二曲だ。

 弦は交換して数曲弾き、馴染ませてあるので、弦が切れる心配はない。

 あとは、残りの二曲を楽しむだけだ。

 曲を楽しむ、という言葉が自分の頭にちらついた事に僕は戸惑うが、これは、ある意味成長からくる戸惑いだろう。

 そう思いながら、僕はギターを弾き続ける。


      追いかけられる僕と、追いかける彼女 0 


 やりきった。僕は生まれてから一番深い息を吐いた。

 三曲とも、いつも通り弾き通せた。それは凜も春美もそして彼女も同じようで、疲労感は見えるものの、満足げに笑顔を見せている。お客さんの反応も上々なようで、みんな黄色い声というかやんやの喝采が起きていた。

 これで、僕もお役御免だ。

 この感情が達成感なのか、あるいは、名残惜しさなのか僕には分からない。だけど、まちがいなく言えるのは、彼女たちとの交流はこれでお終いという事だ。

 この時間が終われば、僕は元の日常に戻る。


 やりきった。たぶん幽霊さんはそんな事を考えて、心の中で深い息を吐いているのだろう。

 三曲とも無事演奏し終えたし、橘先生とかいうイレギュラーを除けば、先生との約束も果たせた。軽音部の文化祭は成功したと言って良いだろう。

 ところがどっこい。そうは問屋が卸しません。

 私は、凜と春美の顔を見て、うなずき合う。そして、心の中でほくそ笑む。

 ここからは、私個人の大博打だ。今まで幽霊さんとの関係で手に入れた情報。その些細な点とも言える点を線で結んでやる。

 縁結びの神様がいるなら、そのぐらいの盛大なオマケをつけてくれてもいいだろう。

 私は会場の奥にいる生徒会が持った画用紙を確認する。

 私達の残り時間は残り五分。

 私はそれを見て、口角を上げた。

 五分あれば十分だ。私たち三人の一世一代のピエロ芸を幽霊さんに見せてやる。


 ライブが終わり、会場の空気を震わせる歓声も徐々に落ち着いてきた。あとは僕達がステージから退場すれば、僕の文化祭はおわりだ。

 僕がそんな事を考えていると、彼女がおもむろにマイクに向かって声を発した。

 お礼の言葉だろうか、と僕は物事を俯瞰する鳥の気持ちで彼女を見る。

「皆さん、ありがとうございましたあ!」歯切れの良い彼女の声が会場に響く。

 うん。最後の挨拶としては無難だ。これ以上、体力を削る必要はないんだから。

 次の瞬間、彼女の行動は僕の想像を超えてきた。

 彼女はマイクに向かって「今日は特別ゲストに来て貰ってます」と言い放ったのだ。

「え? 特別ゲストって誰?」

 僕は独りごちる。僕の知らぬところで思わぬ伏兵が潜んでいたのだろうか、とも考えるが、ライブ中に僕達以外の音は混ざってなかったから、それはない。

 嫌な予感が加速度的に肥大していく。彼女は悠然と僕に近づくと、半ば強制的に僕の腕を引っ張ってきた。

「ほら、こっちに来て」

「い、いや。そっちは」

 そっちはスポットライトが煌びやかに当たる地獄だ。僕なんかが行って良い場所じゃない。

「いいから。いいから」

 彼女は有無を言わせず、僕をマイクの前まで、つまるところスポットライトのど真ん中まで引っ張っていく。

 目映い光が僕を包んだ。反射的に目を閉じ、瞼の裏からお客さん達の反応を探った。視覚は絶っても、聴覚は機能してしまうのが人間の悲しいところだ。

 僕の耳には、さきほど沈静しかけた熱気が戻ってくる音が聞こえてくる。

「ねえ。あの子、今までステージにいた?」「いや、分からない」「でも、ギターを持ってるわよ」「それにしても可愛いというか綺麗な子ね。どこのクラスの子だろ?」「いたら俺が目をつけてるって。あんな子、見たことねえよ」

 ノイズだ。僕の耳に入ってくるのは、質はどうあれ、どれもノイズだった。

 逃げたい。とにかくこのノイズから逃げたい。逃げて、屋上に引きこもりたい。

「みんな野菜だよ。まずはその野菜の中から大切な人を探して」

 僕が聞いているノイズの間を縫うように、ふんわりとした穏やかな声が聞こえ、すぐに僕の耳を塞ぐ手があらわれた。

 考えなくても分かる。彼女の手と、彼女の声だ。

 ここ十日と少し、ずっと意味不明な音合わせをしてきた彼女の声だった。

 ライブは終わったはずなのに、なぜこんな事をしてくるのだろう。いや、と僕は自分を否定する。彼女が悪意があって、こんな暴挙に出るわけがない。

 絶対に何か理由があるはずだ。

 僕はなけなしの勇気を振り絞って、彼女の言葉を信じる決意を固める。

 ゆっくりと瞼を開き、会場を見渡す。誰も彼も野菜だ。でも彼女は野菜の中から大切な人を見つけろと言った。

 会場全体を見渡し、すべての野菜を除外していく。僕の目には皆野菜にしか見えない。でもその中に僕の大切な人がいた。

 会場の隅から、僕の事を見ている二人の男女。肩を寄り添って、仲睦まじく僕をまっすぐに見ている。

 お母さんと、お父さんだ。

 二人があんなに仲良くしているのを僕は初めて見た。

「お母さんにお父さん……なんで?」

 僕の反応に満足したのか、彼女が僕の耳から手を放した。

「そりゃ幽霊さん」凜が白い歯を見せる。

「二人とも、あなたの事が大好きだからだよお」こんな時に春美は毒を吐かない。

「あはは。私の勝ちだね。やっぱり、幽霊さんのご両親も来てくれた」

「か、賭けって何?」

「私達の足りない頭じゃ、お膳立てしかできなかったって事。メイクもその一環。幽霊さんのお母さんとお父さんが来てくれるかは一か八かだった。まあ、勝率はあの日のやりとりで、それなりにあるって思ってたけどね」

「あの日のやりとり……」

 そこで僕ははたと気づく。先週の土曜日に、彼女と文通のような会話をした。そして、その時、母と父の話もしてしまっていた。

「それじゃあ。これ」

 彼女はそう言って、どこに隠していたのか、一つのバンドスコアを取り出した。僕は反射的にそれを受け取り、中身を見る。

「苦労したんだよ。私達は幽霊さんと違って音楽の才能ないから」

 これはあの日、彼女から貰ったギターのTAB譜をバンドスコアにしたものだった。あちこち付箋がつけられており、バンド用に練り直した努力のあとが見られる。

「これをみんなで?」

「そういう事だな」

「でも発起人は初めてあなたと音を合わせた子だけどねえ」

「そういう賭に負けた時の言い訳を使わない。まあ、このバンドスコアはいらないよね。私達の頭には入ってるし、幽霊さんならTAB譜を見なくても弾けるでしょ。ボーカルは私に任せて、でも、この一曲に限り、私達は圧倒的に裏方だから」

「……は……め……た」

「ん? 何、聞こえないわ。もっとお母さんとお父さんい聞こえるように、自分の気持ちを出しなよ。恥ずかしいって感情と恥と思う感情は別物なんだし」

 確かにその通りだ。私は退化した声帯を震わしながら、必死に声を出す。

「えと、その」

 私の声が悪かったのか、すぐにハウリングが起きるが、アルコールを摂取している音響さんがすぐに対応してくれた。お酒を掲げながら同じ手で親指を立てる。

「さあ。あの飲んだくれの音響達も味方なのよ。思いっきり言いなさい」

「ひゃいっ」

 奇妙な声が出た。クスクスと押し込むような笑い声が聞こえるが、これは嘲笑のそれとは違う。

「野菜だって優しいのよ。頑張れ」

「はい」僕は彼女に頷き、お客さんを見やる。「ええと。今から演奏する曲は、僕の気持ちを表している曲です。僕がこの場に立てているのは、ここにいるバンドの皆と、僕の事を第一に考えて接してくれた、大切にしてくれた人たちのおかげです……」頭がくらくらするけど、ここまで来たら言い切るしかない。「僕は、そんな人達と会場の皆さんにこの曲を届けます」

 言い切った。思いの丈は言い切った。あとは曲名を言い、演奏を始めるだけだ。

「それで、その曲名は?」

 彼女が僕の肩を抱いてくる。

 お母さんとお父さんを見ると、お母さんはすでに号泣していた。お父さんは静かに目頭を押させている。

「曲名は……」

 僕はここで、こういう場合って曲名に副題をつけるものだっけ。

 ここまで来るのに凜と春美そして彼女の力を借りたから副題はつけたい。でも、この曲は人の物だし、勝手に副題をつくるのは違うと思う。

 なにより、最初に彼女と出会わなかったら、この曲を演奏できていない。

 色々と考えを巡らせ、ちらりと、この曲の副題を思いつく。

 でもこれは、自分の胸の中にだけしまっておこう。

「それで題名はあ?」

 彼女が煽るように言ってくる。

 僕は曲名にそぐわない声量で、目を閉じ精一杯に言い切った。

「曲名は! 『ひとりぼっちはやめた』です!」

 僕はその曲名を言い切ると、ギターの弦を爪弾きながらイントロに入る。と、同時にドラムとベースの音も会場に響き渡った。

 優しい曲だが小心者の僕にはぴったりな曲だ。

 会場の人達がなぜか沸いた。

 僕はギターを弾きながら心の中で、勝手に決めた曲名を口ずさむ。


 曲名『ひとりぼっちはやめた』

 

 副題『追いかけられる僕と、追いかける彼女のメロディー』


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