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追いかけられる僕と追いかける彼女。彼女との初めての音合わせと追従する女子二人

      追いかけられる僕 3 


 なんだったんだ。

 僕は、ここ二日間に起きた出来事を思い出しため息を吐く。

 一日目、つまりは一昨日の事だが、この二年間で初めてこの屋上に野獣が現れた。こちらの平穏を乱す不埒な女子生徒だ。

 一日目だけならまだいい。どのような事でもアクシデントはある。

 だけど、一度あることは二度ある。

 問題なのは二日目の昨日だ。一人だった野獣が、一人から三人に増えた。

 溌剌とした声の女子に、おっとりとした声の女子。そして初日に屋上で中身の見えない叫び声を上げていた女子。

「まったくもって『女という文字を三つで、賑やかとか、おしゃべり、という意味の姦』になるけど、あれじゃあ、車を三つ書いて轟きと言った方がいい」

 たった二日で、僕の静かな時間が消え去った。

 更にきついのは、二度あることは三度ある、という事だ。

 今日も、あの、かしまし娘達がこの屋上にやって来る可能性が高い。

 更に更にきついのは、それこそ意味が分からないが、二日目から、あの女子生徒三人の標的は間違いなく僕だという事が、彼女の会話から確定したことだ。

 なぜ、なんの縁もゆかりもない相手に狙わねばならないのか。心の底から意味不明だ。「しかもなあ」僕は、絶望的な表情を浮かべる。「まあた、あの夫婦が喧嘩し始めた事だよなあ」

 原因は分からない。というか、昨日久しぶりに家に帰ったら、また母親がいなくなっていた。父親に事の次第を訊くと「母さんが悪い」の一言で説明されてしまった。

 どうせ父が、母の気に触る事を言ったのだろう。父はいたって健全なサラリーマンだ。きっちり働いて、きっちり家に帰ってくる。

 他の女性にうつつをぬかすこともない。

 母にしてもそうだ。

 きっちり家事をして家計を切り盛りし、僕を育ててくれている。

 その夫婦が何故喧嘩をするのか、どんな名探偵でも解決不可能だと思う。しかも、時間が経てば結局は元の鞘に収まるのだから始末が悪い。

 母か父のどちらかに落ち度があれば、僕だって素行不良になる用意はあるが、グレそうでグレられないグレーゾーンを歩かされている僕の身にもなってもらいたい。

「家に残されてた僕の弁当は、三日分か」

 僕は母が残していった弁当に目を落としながら、がくりと呟く。何故か重厚なおひつに入ったお弁当だ。

 弁当の中身は、きんぴらゴボウに蒸し鶏。黒豆の煮たやつ、芋の煮っ転がしなど、見事なまでに痛みづらいおかずで埋め尽くされていた。

 どう見ても、おせちを先取りした内容だ。

 この季節なら余裕で三日は持つ。

 それだけ細やかな夫婦喧嘩をするなら、初めから喧嘩なんてしないで欲しい。置き手紙には『お米はないけど愛のあるお弁当』などと、僕に喧嘩を売っているとしか思えない文言が添えられていたが、正直に言うと思春期の体をなめないで頂きたい。

 健康にはいいし、日持ちもするだろうが、肉が少ない。愛はあっても肉がない。

 スマートフォンは与えられているので、母と父からは、一日に一回連絡がくるのも、無性に腹立たしい。

 過保護なのか放任主義なのか。

 いずれにせよ。この弁当で三日は過ごさないといけない。

 これが母の兵糧攻めだった。

 飢えるのは父だけで良いという、歪んだ愛情からくる判断なのだろう。

 母がいない間は、温かいご飯は食べられない。父はどうしているのか気になるが、どうにかして生きているのだろう。

 よく離婚せずに僕を養っているものだと、感心してしまう。

「とりあえず弁当は、日の当たらない所に保管しといて、と」

 三日分の食料という事は、四日後に家に帰れば温かい飯が食べられる計算だ。

 風呂は水泳部のシャワーを拝借するとして、厄介なのは洗濯は手洗いしかないという点だ。

 どこの世界に学校に住み着いている学生がいるんだ。

 僕がそんな疑問を覚えていると、屋上の扉が開く音が聞こえてきた。

 出たなかしまし娘、と僕は警戒し精神を集中させる。ここ二日間とは違い、今日は足音は静かで、人数も一人だ。

 僕は気配を殺し、部室の窓から女子生徒の様子を観察する。

 やはり人数は一人だった。相変わらず夕日の逆光で姿は見えないが、手に何かを持っている。

「あれは……ギター?」

 女子生徒はギターを担いでいた。ギターケースからギターを取り出すと、僕がいつもするように、部室の壁を背にして座り、ギターを構える。

 その様子を見ながら、僕は眉根をよせた。

 一人で夜の空に向かって大声を出したかと思えば、仲間二人を引き連れて、この部室に侵入しようとし、今度は一人でギターを構えて座ったぞ。

 行動に一貫性がない、と僕は謎の女子高生に辟易とする。

 何なのだこの状況?

 女子生徒は、おもむろにギターを弾き始めた。アコースティックギターの音でないという事は、エレキギターだろう。エレキギターにも色々種類があるらしいが、僕にはその知識がないので判断はつかない。

 チューニングでもしているのか、一向に曲が始まらない。

 僕が怪訝そうに壁に耳を当てると、突然、かすかにギターから曲が鳴り出した。と、同時に女子生徒の鼻歌も聞こえてくる。

 ギターを一回ストロークするごとに、鼻歌のメロディがのってくる。また違うコードのストロークが入るとまたメロディがのる。

 それのくり返した。

「んんと。どういうつもりなんだろう」

 僕には正体不明の女子生徒の意図が読めない。実の母親の意図も読めないのだから当たり前だが、この女子生徒は何がしたいのか?

 僕はしばらく女子生徒の挙動をうかがっていると、ようやくある事に気がついた。

「メロディの頭拍だけギターのストロークで合わせてるんだ」

 僕は幾度となくくり返される女子生徒の鼻歌と照らし合わせて、コードを拾っていく。

「番最初はCmで次がAm7それで次はF△7にGsus4にGか? たぶんだけど」

 オフビートな曲で僕好みの曲だな、と思う。ギターよりもオカリナとかが合いそうだが。それよりも、なぜあの女子高生は、このタイミングでこんな曲を弾き始めたのか。

 それこそ何を目指しての行動なのか、挙動が無軌道過ぎる。

 気でも触れたのか?

 数分間、謎が謎を呼ぶ演奏が続き、演奏者が納得したのか何なのかしらないが、ギターの音と鼻歌が止まった。

 僕は生唾を飲む。たかだか二年間ほどしかこの屋上に籠城していなかったが、こんな経験初めての事だった。

 窓から見える女子生徒の影は、ギターをケースに直し、何かもぞもぞとギターケースを探っている。

 女性生徒の影を作っていた夕日が完全に沈み、室内も含め屋上全域が夜の闇に包まれた。

 しばしの小康状態が続き、部室の扉がガタガタと揺れた。

 僕の許可なくしては永遠に回ることのないドアノブが動いているのではなく、ドアそのものが動いている。

 カチ込みでも来るのか? と僕は身構える。仮にこの扉を突破されたら、僕に逃げ道はない。窮鼠猫を噛むというが、僕は残念ながらネズミ以下の生命体だ。

 女子生徒に突入されれば、その瞬間、白旗を揚げるしかない。

 そして白旗を揚げても、助けてくれる見込みなどない。

 僕が、奥歯を噛みしめ目尻を鋭くし、子鹿のように怯えていると、ドアの振動がピタリと止まった。

 女性性との足音が遠ざかり、屋上の扉が開く音が聞こえる。屋上の扉が閉じ、女子生徒が階段を下りていく足音が聞こえてくる。

「はあ」僕は安堵するように胸に手を当てる。「何かのホラーかな。何だったんだ」

 僕は、やおら立ち上がる。先ほどまでポルターガイストばりに振動していた扉は、沈黙を守っていた。

 僕はゆっくりと扉に近づく。すると、足下からクシャリとという紙を踏みつけたような音が聞こえてきた。

 果たして僕が踏んだのはやはり紙だった。紙の束が扉と床の隙間から捻じ噛まれていた。

「? なんだ」

 僕は腰をかがめ、その紙を引き抜く。紙は紙でも紙の束だった。数枚の紙が部室内にねじ込まれていた。

 脅迫状か? と穿った思いも頭を過るが、僕を脅迫したところで誰の得にもならない。

 誰の薬にも毒にもならない事においては、僕は人後に落ちない自信がある。

 僕は子細に部室にねじ込まれた紙束を確認した。

 一番の上には手書きで『屋上の幽霊さんへ」とだけ書かれている。

「幽霊ねえ。僕が幽霊なら、君達はクリーチャーだぞ」

 呆れながらページをめくる。二ページ目を確認した僕は、これって、と眉をひそめる。

 二ページ目に記載されていたのはTAB譜のようだった。なんでTAB譜が。そこまで考え「あれ、これTAB譜じゃない」と漏らしていた。

 いやTAB譜では、あるのだが、これって……。

「バンドスコア?」

 ぱっとみた感じ。ドラム。ベース。そしてギターが二人の曲らしい。

 なぜこんな物を。

 更にバンドスコアを見ていると、ある楽器の部分に紅いマークがついていた。

「この曲は……さっきの」

 僕は手の中にあるバンドスコアを見ながら、自分の未来に暗雲が垂れ込めてくる実感を抱く。

 絶対、あの女子高生、明日も来るぞ。


追いかける彼女 4

 

「それで昨日はどうだったあ?」

 放課後、軽音部の部室に三人が集まり、一番最初に春美が口を開いた。

 積極性とは距離のある性格をしている春美が、一番最初にしゃべるなんて、珍しい。

「どうだったって?」私は質問を質問で返す。

「屋上の人とお話できたって事だろ」

「そうそう」

「まだよ」私は正直に白状する。「でも、屋上の幽霊さんとの外堀は埋めてきたわ」

「「はあっ」」凜と春美の声がユニゾンした。

「まだって。文化祭まであと十日と少ししかないんだぞ。というか、屋上の幽霊さんっていうあだ名をつけたのか」

「いいねえ。そのあだ名」春美が柔和な笑顔をつくった。「でも行動は早い方がいいよお。早く屋上の幽霊さんを勧誘しに行こうよ。過去の女の事なんて忘れてさ」

「過去の女とか汚い言葉は使わない」私は春美を注意する。

「じゃあ、イマジナリーユダ?」 

「それは私が責められている気がするから、駄目。というかこの下り何回すればいいの?」

 実際、イマジナリーユダの件は、百パーセント彼女が悪いのだから私が咎められるいわれはない。

「それじゃあ、今日こそ、三人で屋上に突っ込むか?」

「待って待って」私は慌てて凜を制止する。「今日も、私一人に行かせて」 

「ん? なんで」

「正直、屋上の幽霊さんと顔合わせは、あと二日ぐらい待って欲しいの。昨日、文化祭でやる三曲の内の二曲目を弾いて……とはいえないけど、弾いて。そのバンドスコアを部室にねじ込んできたわ」

「また、随分と遠回りな真似を」

「まずは、外堀を埋めなきゃ」

「間に合うかなあ。その外堀を埋めるのって」春美は不安げだ。

「でも、これしか方法がないの。あの屋上の幽霊さんの心の鍵を開けるには」

「物理的にこじ開けるってのはどう?」

「論外よ。私たちが相手にしてるのは、山羊の皮を被った狼じゃないの。山羊の皮を被った子羊よ」

「弱小じゃねえか」

「そう。だから、私達が三人で攻め込んでも、どうにかなるものでもならないわ」

 私の力説に、春美も凜も一応納得したようだった。

「でもさ」と凜が切り出す。「なんで二曲目を先に演奏したんだ?」

「色々と理由はあるんだけどさ。たぶん、屋上の幽霊さんって、おとなしい曲が好きだと思うの。一日目も二日目もそうだったし。だったら、まずは屋上の幽霊さんに関心を抱いて貰わないと」

 これはまず間違いない、という自信が私にはあった。

 私達が文化祭で演奏する曲は三曲。一曲目は飛びはねるようなリズムが曲調の少しアップテンポな曲で、二曲目はしっとりとした曲。最後は一番盛り上がるポップスの曲。

「でもさあ。ユダが私達のバンドから自主卒業した原因ってこの曲だよねえ」

 嫌な事を思い出させてくれるわね、と私は下唇を噛む。

 そうなのだ。ユダがバンドを抜ける原因になった曲は、昨日、屋上の幽霊さんに聴かせたものだった。

 事前の打ち合わせでは、今のように一曲目で曲を聴いてくれる人を盛り上げ、二曲目でしっとりとした気分になってもらい、三曲目で一番盛り上がるように選曲した。

 しかし、安定のユダはその予定を破壊する提案をしてきた。二曲目もテンションの上がる曲がいいと言い始めたのだ。

 全曲、ハイテンション名曲で突き抜けるほどの技量など、私達素人にあるはずがない。

 それをあのユダは持ち前の我が儘のすえ、現状ただいま、混沌に混沌を練り込んだような事態にしてくれた。

 正直、その三曲ですら上手くいく保証すらなかった。

 ただでさえ綱渡りなのに、四人いたメンバーの一人が流れ星のように消え去ったのだ。

 ここで、屋上の幽霊さんを逃したら、私達に未来はない。

「はあ。なんで、ここまで私達必死になってるんだろうね」春美が頬をふくらませる。

「そんなの決まってるだろ。さすがの春美も汚い言葉を使わない程度にはな」

「まあねえ。先生との約束だもんねえ」

「そういう事よ。どんな形にせよ。私達は文化祭で曲を披露しなくちゃいけないんだから」

 なんで、あんな約束をしたのか、と私は項垂れる。

 先生というのは、『元』私達の担任だ。

 私達が軽音楽をするきっかけになったとも言える人で、何故か、その先生と私たちは馬が合った。

 というか先生を中心に、私と凜と春美が集まっていたと言っていい。そういう、奇妙な磁力のようなものが、あの人にはあった。

 凜を除いては、私も春美も友達らしい友達などいなかった気がする。凜にしても、上辺の付き合いばかりで、実際問題、先生に一番なついていたのは凜だった。

 ほんの軽い思いつきだったのかもしれない。私達の本質を捉えていたのか先生は「三人で何か部活でもしてみたら?」と私達に言ってきた。

 その言葉を聞いた瞬間、私達は顔を見合わせて首を傾げたものだ。

 このなんちゃって進学校において、何かしらの成績を収められない部活に意味はないはずだ。

 下手を打てば内申点に響く。

 私達は「「「部活ってなんの?」」」と声を合わせたものだ。先生がその言葉を切り出した時には、すでに入学して半年が経過していた。

 結果の残せる活動などできるはずがない。

 先生は、少し悩むように唸り、しばらくの間をあけ「軽音とか?」と進学校の教師ならざる言葉をぶちかましてきた。

「「「全国の軽音部に謝れ」」」

 これが、私、凜、春美、の共通見解だった。

 私達の叱責に先生はケラケラと笑い「軽音を馬鹿にしてないよ。ただ、この学校にはない部活だな、と思ってさ。それに三人で始めるなら新しい部活の方がいいでしょ」と言い切った。「凜は人付き合いは上手いけど、薄っぺらいし、春美は体の中に悪魔でも飼っているのかっていうぐらい腹黒いし、君はまあ、そつなくこなしてるけど、学園生活を謳歌していないし。あ、これは他の二人も一緒か」

「私だけ没個性的って言いたいんですか?」

「まあまあ」先生は私をなだめる。「それはそれで素敵だと思うよ。何者にも汚されていない無垢な乙女って感じで」

「はあ。まあ、無理矢理褒め言葉として受け止めておきます」

「それに、この学校ぶっちぎりでつまらないじゃん。だったら学校でも楽しめる活動をした方がいいよ」

「それで軽音ってことか。先生、私は先生の良識を疑うぜ」

「私もお」

「それでいいんだよ。何事も楽しんだ者勝ちってね」先生はぎこちないウインクをする。

「だいたい。私達、誰も楽器なんてできませんよ。先生は何か音楽できるんですか」

「うんにゃ。私が楽器? 出来そうに見える」

 にべもない。私は額を押さえた。

「じゃあ、どうするんですか」

「何事もトライアンドエラーだよ」

「その言葉だと、トライしてエラーしまくるのは私達になりますけど」

「まあ、なんとかなるだろ。顧問は私がするからさ」

「「「そういう問題か」」

「まあ、まあ。私もできる限り頑張るからさ。目標は来年の文化祭で演奏披露にしよう。約束な」

 その約束を取り付けた先生は、すでに学校にはいない。かなり長期の休暇に入った。

 こういった経緯で、我が愛しの軽音部が爆誕したのだ。それから三人で軽音部をつくり、それこそ、この一年半、トライアンドエラーの連続でここまで形に仕上げた。

 バンドの本を買い、動画を見て、手練手管で、だ。

 その顧問も今は学校不在なのだから、はっきり言ってこの約束は反故にしてもいい気がする。

「っていうかさ。肝心の先生は学校にはいない訳だろ」

 凜の言葉が、私を記憶の世界から現実に引き戻す。

「そうだよねえ。新しい顧問だって私達の事、存在しないものとして見ているし」

「それに、突入で電撃加入したユダはバンドを引っかき回すだけ引っかき回して消えた訳だし。失敗しても仕方なくね? 約束も何もないわ」

「これは前向きな悪口なんだけどさ」私は思いの丈を口にする。

「なんだ?」

「なあに?」

「ここで私達が諦めたら」

「試合終了とか臭いこと言うなよ」

「もしそうなら草生えて林」

「春美は汚い言葉を使わない。まったく誰に似たんだか」

「たぶん先生だねえ」春美はのんびりとした口調で応じた。「で、本音は?」

「ユダみたいになりたい? 魂のランクが落ちるわよ」

 私は二人にはっぱをかける。

「「それはヤダ」」

 珍しく、三人の意見が一致した。

「それにきっと先生も約束は守ってくれるわよ」

「ま、期待せずに待ちますか」

「とりあえず。二人とも他の曲合わせはどう?」

「順調よ。あんたと以外は。だから、早く屋上の幽霊さんを引っ張ってこい」

「だから、あと二日必要なのよ。それじゃあ、私は屋上に行ってくる」

 ギターを担ぎ部室を出ようとする私の背中に、「ここが部室なのか、屋上が部室なのか」という凜の茶化す声が張り付く。


追いかけられる僕 4


 スマートフォンを操作して、メールの画面を見る。そこには二人からのメールが入っていた。

 母と父からだ。僕の交友区域の中にいる人間など、ましてやメールを送ってくる人など、この二人しかいない。

 僕は、母のメールから開く。画像添付付きのメールだ。メールの内容は

『ハハ ゲンキ ホテル ヤケイ キレイ ○○ホテル ヨリ』

 と書かれており、添付されている写真はとても煌びやなホテルのエントランスだった。

 次は父からのメールを確認する。内容は

『チチ キタク ショクリョウナシ ハハ セッタイニテ エイヨウ ハ アリ』

 というものだった。

 とりあえず、二人とも健在だという事は分かった。

 しかし、なぜ二人ともこうもしょっちゅう喧嘩をしているのだろう。今さらながらに疑問に思う。

 二人が喧嘩をする共通項が見当たらない。

 とりあえず、僕は二人に

『僕はいつも通りの場所にいます。二人とも早く仲直りするように』

 とだけ返信した。

 二人の電報染みた戯れに付き合う趣味はない。

「本当に、あの二人、なんで離婚しないんだろう。この家庭環境は離婚案件でしょ」僕は苦笑しながら、母が作ってくれた弁当を食べる。食べながら「問題は、これなんだよなあ」とげんなりしながら、スマートフォンをいじる。

 文明の利器とは便利なもので、昨日、女子生徒が置いていったバンドスコアの曲名を検索すれば、すぐに動画に出てきた。

 その曲を何度も聞き返す。

 バンドスコアにある、ギターのTAB譜があれば、あの女子生徒がやりたかった事がなんなのか、馬鹿でも分かる。

「僕を釣ろうとしている……」

 でなければ、あんな妖怪染みた行動をするはずがない。

 相手の策略にのるのは気に食わないが、どうせこちらは、両親の夫婦喧嘩の二次災害を喰らっている最中なので、暇は持て余している。

「まあ、こんなもんかなあ。とりあえず」

 自分なりに修正したギターのバンドスコアを見ながら頷く。

 昨日の段階で、前奏すらなかったので自分なりにアレンジしてみた。というかそれ以外やりようがない。

 エレキギターがどういうものかも詳しく知らないし、多分、音楽に正解なんてないのだろう。

 あの馬鹿親の関係のように。

 せめて、喧嘩のきっかけだけでも教えてくれればいいものを。

「まあ。僕も馬鹿だから血の繋がった肉親の心の機微すら分からないけどねえ」

 僕は自嘲気味に笑う。そして、すぐに首を振り、来るべき女子生徒を待った。

 もう放課後だ。育ちの良い生徒達は部活か下校か塾へ学習に向かう時間だ。

 あの女子生徒達以外は。

 僕は、お弁当に端を置き、部室の壁伝いに移動し、前もって置いてあったギターを構える。

 来るなら、そろそろだろう。

 耳を澄ませて、招いてもいない敵を待つ。

 来るなら来い、と僕は自分を鼓舞する。そして、できれば来ないでくれ、と神に願う。 僕の後者にかけた意気込みは、結果からいえば残念な結果だった。

 神は望む物を愚者に与える。ただし、それは女性に限る。

 自分でも何を考えているのか分からない言葉だが、今回は、女子生徒の積極性に神が味方したらしい。

「来た……」僕を静かに呟く。

 屋上の扉が開く音、その後に響いてくる静かな足音。

 あの女子高生だ。

 女子高生は、昨日と同じように夕日を浴びながら、部室の壁を背に座り、ギターを構える。

 予想通りというか、なんというか、女子生徒が昨日のようにギターを弾き始める気配はない。

 まるで釣り人が狙った魚を待っているかのような風格がある。

 勿論、その魚は僕だ。

 だよねえ。

 僕は覚悟を決め、女子生徒と壁越しに座りギターを構え直した。そして、昨日、女子高生に半ば強制的に渡されたバンドスコアを膝の上に広げる。

 ぶっちゃけた話、アレンジしたTAB譜は頭の中に入っている。あえて目の前に広げたのは一種のお守りみたいなものだ。

 演奏をミスしても、TAB譜を無視して適当に弾けばいい。

 TAB譜を目で追いかけて、その通り弾く技術など僕にはない。

「じゃあ、いきますか」

 僕は肩を回し、息を吸い、吐く。

 壁越しとはいえ、人前でギターを弾くのは初めての事だった。

 壁越しの女子高生は、いないものと見なす。そうすれば、無理とは分かっていてもいつも通り下手くそなギターを弾くだけでいい。

 前奏は。Cm7からだ。

 僕は渡された曲の前奏を弾き始めた。右手でベース音を叩き、同時に、左手で前奏のメロディを叩く。

 これで、前奏のベースとメロディを一本のギターで弾ける。

 おそらくは、前奏が終わった瞬間に、女子生徒のギターと鼻歌が始まるはずだ。

 あと三音弾けばAパートに突入する。

 頼むからAパートよ始まってくれ。

 始まってくれなかったら、それこそ、壁向こうの女子高生が企んでいる計画が分からない。

 僕の不安要素は杞憂に終わった。前奏が終了すると同時に、歌が始まった。

女子生徒の鼻歌は、僕のギターと混じって夕日に溶けていく。

 昨日と同じコードとメロディだが補佐があるだけで、これほど代わる物とは。

 ソロギターとは違うもんだ。

「まあ、僕には関係ないけど」

 僕は苦笑しながら、演奏を続ける。一番だけの曲だったので、演奏時間はものの一分半だ。僕はエンディングの最後のコードを弾く。

 最後のギターの響きが、夕日の沈んだ夜のしじまに消えていく。

「ふぃ」僕は額を拭い、すぐに自分の手の平を見た。

 震えている。

 人前で、というか壁越しなのだが、ともあれ、他人にギターを演奏したのは初めての事だった。

 これは緊張からくる震えなのか、高揚からくるものなのかは分からないが、人生で初めて他人に対してギターを弾いた事による感情なのは間違いない。

 自分でも掴みかねている感情の余韻に戸惑っていると、背後から「よっしゃあああ!」という咆哮が壁越しに響いてくる。

 その咆哮に返事をするように、校舎向こうにある山から「よっしゃあああ!」という山彦が聞こえてきた。

 山に何汚い咆哮をさせてるんだ、と僕は憤る。

 どうやら、何事もまく行かないのが世の常らしい。

 さっきの僕の感情はどこに行ったんだ? 誰か知らない人間が盗んだのか?

 僕が悶々としていると、部室の扉が激しい音を立てて揺れた。

「ねえっ。今の聞いた! 屋上の幽霊さん!」女子生徒の高い声が聞こえてくる。

 聞いた? 何をだ。君の醜い咆哮をか。

 彼女には一刻も早くこの屋上から退場して貰いたいので、僕がアレンジを加えたTAB譜を部室の扉と床の間から、外にねじり出した。

 しばらくの沈黙の後、「ありがとう! また明日来るからね」という声と共に、女子生徒は屋上から退いていった。

「ちっ。やっと帰ってくれた……ん?」

 あの女子生徒「明日もくる」とか言っていなかったか。

 僕の中で、嫌な予感だけがむくむくと膨れ上がる。


追いかける彼女 5


 ううむ。私は唸りながら軽音楽部の部室へ向かう。手にあるのは、昨日、屋上の幽霊さんに渡されたTAB譜がある。

 昨日の作戦は、願っていた展開だった。屋上の幽霊さんは私の思った通りにギターを演奏してくれた。

 しかし、問題は……。

 部室の扉を開ける。扉の向こうには、ニコニコと技巧的な笑みを浮かべている友人二人が待ち構えていた。

「どうだったんだ」凜が聞いてくる。

「昨日はどうだったのう?」春美もそれに続いた。

「……予想通り上手くいったわ」私は二人に返答する。

「その割にはなんとなく、そこはかとなく、暗い顔ね」

「ハトが豆鉄砲をくらって、びっくりした後、意気消沈してるように見えるよ?」

「汚い言葉は使わない」私は形式的に春美を注意する。「予想通り上手くいったんだけど、その……ね」

「? 妙に歯切れが悪いわね」

「怒られる覚悟ができてない子猫みたい」

「……とりあえず。これを見て」

 私は、屋上の幽霊さんがアレンジしたギターパートのTAB譜を二人に差し出した。凜と春美は、私が差し出したTAB譜を覗き込んだ。それを見た二人はすぐに目を丸くする。「「これって」」

「予想通り上手くいったけど、結果は予想以上だったというか」

 私は喜んでいいのやら、混乱すればいいのやら、判断できない笑みを浮かべる。

「何、このTAB譜」凜が目の縁をひきつらせながら言う。

「びっくだねえ」

「ええ。私もびっくりよ」

 そうなのだ。驚いた。屋上の幽霊さんがアレンジしたギターのTAB譜は、何が何やら分からなかった。

 前奏からして意味が分からなかった。ベース音とメロディが同時に鳴っていた。

 その後も私が鼻で歌ったメロディの合間には、次のメロディに繋がるようにハンマリングとプリングの連続が入っていた。他に表記されている記号に至ってはもはや何をしているのかわからない。

「一応、昨日の音とってあるけど聞く?」

「「聞く」」

 私は「分かった」と言い、ポケットからスマートフォンを取り出した。スマートフォンを操作し、昨日、録音しておいた屋上の演奏を二人に聴かせる。

 たかだか一分とちょっとの録音ではあるが、二人は黙ってスマートフォンから流れてくる音に耳を傾けていた。

 録音した音が終了し、しばらくの静寂が部室に広がる。

 最初に口を開いたのは凜だった。

「おい。屋上の幽霊さん。本当に一人なのか?」

「たぶん」

「でも、こんなの腕三つぐらい必要じゃない」

「だから、私も戸惑ってるんだって」私は抗弁する。「でも、ただ一つ言えるのは」

「言えるのは?」

「少なくともギターはメチャクチャ上手い」

「でもさ」凜がここで口を挟んでくる。「これだけ弾けるって事は、ライブ。屋上の幽霊さん一人でよくね?」

「わあ。言ってはいけないことを言ったねえ」春美が鷹揚に言う。「これ本当に一人で演奏できるなら、私達いらないよねえ」

「根本的な問題を言わないでよ」

「とりあえず、あれね」凜は何かを決心したかのように口にする。「お前には悪いが、今日は三人で突撃だな」 

「いやでも、まだ外堀が……」

「外堀なんてもう埋まってんだよ」凜が鋭い声を出す。「一日で、こんだけアクロバティックなアレンジを作る奴だぞ」

「そうだよお」春美も凜に同視した。「これ以上は、外堀を埋めても仕方がないよ。個人の交渉術でどうにかなるもんじゃないよ。なんとかバンドに協力して貰わないといけないし」

 二人の意見はもっともだ、と私は納得する。

 時間は有限だ。それに、二日の期限を貰ったとはいえ、これ以上、屋上の幽霊さんとの距離を縮める術が思いつかない。

 まさか、たった一日でここまで屋上の幽霊さんの外堀を埋めることができるとは。

 いや、と私は考え直す。

 あまりにも不自然過ぎる。

 普通、何処の誰ともしらない人間にこんな行動をとるだろうか。

 私だったらとらない。

 これではまるで、外堀を埋めているのではなく、もう一陣外堀を増やしただけのような。端的に言うなら「面倒臭いから。このTAB譜で手打ちにしよう」と遠回しに拒絶されていると解釈も出来る。

「はあ。ここまで来たらしょうがないわね」私は何か諦めたような表情を浮かべる。

「なにがしょうがないんだ?」

「凜達の言うとおりよ。今日は三人で屋上の幽霊さんに会いに行きましょう」

 鳴かぬなら鳴かせて見せようホトトギス、なる言葉が頭を過る。

 自分で考えてて悲しくなるが、方針転換が早すぎる。北風と太陽の北風だって、もう少し粘るわよ。

「三人で屋上に行く前に、ちょっとよるところがあるんだけど」

「どこに?」

「職員室?」

「「職員室?」」凜と春美の声が重なる。


 部室を出た私達は、いったん職員室に向かった。

 心なしか早足になるのは、屋上の幽霊さんとの唯一の接点である人物に会いに行く為だ。

「なんでお前、そんなに急いでるんだ?」凜が訊ねてくる。「職員室は逃げないわよ」

「競歩にでも目覚めたのお」春美が息を切らせながら、苦情を言う。

「競歩にも目覚めてないし、職員室も逃げない。けど職員室にいる人間は逃げるのよ」

「誰だよそれ。普通、先生って言うのは放課後しばらく職員室に留まるもんじゃないの?」

「何事にも例外はあるわ」

 私は階段を上がったり下ったりしながら、答える。歴史だけは古い進学校だけあって校舎の増改築が激しく、まるで迷路のようだ。

 学校運営が無計画なのか、古き良き木造建築を守りたいのか、その動機は定かではないけど、教室を移動するのにも苦労する。

 頼むから、あの教師と行き違いにはならないで。

 校舎の構造上、行き違えば永遠に出会える事はない。

「失礼します!」

 私は大きな声を上げて、職員室の扉を開く。先生達の目線が私達に向けられるけど、かまっていられない。私は、素早く目線を這わせ目当ての人物を探す。

 探すのは簡単だった。私から逃げようとしている男を捜せば、それが私の探し人だ。

「橘先生」

 私は形骸化した天文部の顧問の名を呼ぶ。

 私に名前を呼ばれた橘先生は、びくりと肩を上下させると、ゆっくりと首を動かし、私と視線を合わせた。

 あからさまに嫌な顔をされるのは気分がいいものじゃないが、橘先生に好かれたいとも思わないので、遠慮なく橘先生に近づく。

「ちっ」橘先生はこれ見よがしに舌打ちをした。「二日連続かよ」

「はい。二日連続です」

「用事があるって、橘先生だったの?」凜があんぐりと口を開く。

「橘先生に用事ある人なんて、死なない人間より稀かと思ってたよ」

「よほど俺の怒りを買うのが好きなんだな。厄介な奴を連れて来やがって。俺は急いでるんだ。帰るぞ」

「少しだけ待って下さい」

「なんだよ。これ以上俺を叩いても何も出てこないぞ。俺だって私事で忙しいんだ」

「少しだけでいいですから」私は食い下がる。

「もういいだろ? 橘先生に何のようなの?」

「この人が、屋上のボロ小屋を管理している先生だからよ。具体的に言えば、橘先生は天文部の顧問なの」

「えぇ」春美が口に手を当てて驚く。「この、何の生産性もなさそうな人が? 部活の顧問」

「マジで帰るぞ」

 橘先生は鞄を持ち職員室の出口に向かおうとする。

「ごめんなさい。謝りますからちょっと待って下さい。ほら、春美も謝って」

 私は春美の後頭部を掴むと、ぐいと橘先生に頭を下げさせる。

「頼むぜ」言いながら橘先生は腕時計を見やった。「本当に急いでるんだ」

「おい。橘先生それはないでしょ。ちょっとぐらい話を聞いてくれてもいいだろ」

「大体の話は昨日聞いたよ。ユダが現れたんだってな。それで、ちゃんと俺のアドバイス通りにしたのかよ」

「はい」私は首肯する。「なんとか距離感は縮まったんです。たぶん」

「たぶん?」橘先生が眉をひそめた。「また遠回しな表現だな」

「私の願望ですから」

「俺はお前の願望に貴重な時間を奪われているわけだ」

「おいおいちょっと待ってよ」凜が横やりを入れてくる。「生徒の力になるのが教師じゃないの?」

「ないのお」

「ないな」橘先生が断じる。「そもそも、俺はちゃんとこいつの相談には乗った。それでアドバイスはした。これ以上に何がいる?」

 私は橘先生に手を差し出した。手の平を上に向けて「鍵を貸して下さい」と単刀直入に言う。

「鍵?」

「はい。あのボロ小屋……天文部の部室の鍵です」

「そんなもん。どうするんだ?」

「直接、屋上の幽霊さんに会ってみます」

「勘弁してやれよ。俺もその幽霊の正体は知らねえけどな、客観的に見たらお前のしようとしているのはいじめだぞ? いきなり部室に入ってきて『やあ幽霊さんお友達になりましょう』なんて言われて『こちらこそよろしく』ってなるか?」

「ちゃんと平和的な交流をします」

「約束するから」と凜。

「私もする。とびっきりの笑顔で接するから」

「なら余計にやめとけ。獲物を前にした殺人犯だって、とびっきりの笑顔をつくるもんだ。しかも三対一の構図だぞ。まず間違いなく失敗する」

 橘先生は未来を予測するように、言い放ってくる。逐一それっぽい論理でもって言い返してくるから質が悪い。

 国語の教師はみんなこうなのか?

「じゃあ、仮入部って事で」私は橘先生の説得を試みる。

「これだけ、目的が見え透いている仮入部も珍しい。だいたい、お前らすでに部活してるだろう」

「なんで橘先生がそんな事知ってるんですか」

「関係ねえだろ。じゃあな」

 とりつく島もないとはまさにこの事だ。橘先生は、断固として帰宅する所存らしい。その堂々と居直った態度には、男気すら感じるが、私達だって時間がない。

「橘先生がこのまま帰るなら……」私は息をのみ、間を書ける。

「俺が帰るならなんだよ」橘先生が探るように私を見やる。

「泣きます」

 私の発言に、橘先生、凜、春美の時間が止まった。

「は?」橘先生が鋭い目を更に鋭くさせる。「なんだそれ?」

「橘先生が協力してくれないなら、私、この場で大声で泣きます」

「勝手に泣いてろ。家でな」

「いやです。ここで泣きます」

「私も泣くぞ。すごい大声で泣いてやる」凜も私に加勢する。

「わたしもお。先生のない事ない事、大声で叫びながら泣く」

「春美。ない事だけじゃ駄目よ。ある事も混ぜないと」

 私は春美を注意する。

「お前ら、いい年した女子高生が恥ずかしくないのか?」橘先生はあきれ果てるように額に手をやった。「交渉材料が『泣く』ってなんだよ。『泣く』って、うちのガキだってもっと真面な交渉するぞ。永遠の駄々っ子か何かか? 

 橘先生の言葉に引っかかりを覚えるものの、及び腰になりつつあるのは事実のように思われた。

「だいたい。なんでそんなに、屋上の幽霊に固執してるんだよ」

「メンバーが足りないんです?」

「メンバー?」橘先生は小首を傾げるが、すぐに「ああ」と察しのよさを見せた。「それが、言っていたユダがそれに繋がる訳ね」

「そうなんです。だから、是が非でも屋上の幽霊さんに協力して欲しいんです」

「なんで、そんなに急いでんだよ?」橘先生が興味投げに言ってくる。「いくら先細りの人生と言っても、お前らの人生は長いんだ。メンバーなんてゆっくり探せよ」

「だから、今じゃない駄目なんだってばあ」珍しく春美が苛立ちをあらわにした。

「私達にはあと十日とちょっとしか時間がないんだってば」

「十日とちょっと? ああ。文化祭か。それがどうしたんだ?」

「約束があるんですよ。先生とした約束が」

「先生……約束……文化祭」

 橘先生は、何かを考え込むように顎に手をやった。空いた手で、私達三人を順番に指指してくる。

「どうしたんです。先生」

「いや。なるほどねえ。お前ら、天文部と同じで形骸化した軽音部か?」

「だったら文句あんの?」

「いや。文句はねえよ。女子高生を敵に回してもいい目はでないからな」

「じゃあ。私たちに協力してくれるのお」春美の表情が華やいだ。

「いや。協力は出来ないな。より正確にはしたくても出来ない」

「また変なトンチですか?」

「違う。俺は天文部の顧問だけどな、部室の鍵を持っていない。しかも、部員とも面識がないしな。まだ、幽霊と少しは関係をもったお前の方が、俺よりマシだよ」

「なんだよ。使えないわね」

「取り越し苦労だねえ」

「まあ。そう言うな。天文部の部室の鍵は持ってねえが、扉の開け方は知ってるぜ」

「本当ですか?」私は喰い気味に質問する。「本当の本当に」

「ああ。顧問を押しつけられた時一度だけ、部室に行った事がある。その時に、鍵がなくても扉を開けるコツを見つけた。部員は見つからなかったがね」

「盗賊じゃん?」

「先生って本当に先生?」

「あのな。お前らが狙っている幽霊部員も、不法侵入して部室を私有化してるんだ。それを黙認してやってるんだから、おあいこだろ?」

「腐ってる……」

「その腐ってる大人の手を借りるんだから、お前らも同類だよ」

「腐ってるわね」

「腐ってるねえ」

「はあ。これ以上、お前らに理を尽くして説明しても埒があかないから、最後に言わせて貰うけどな。部室の扉を開けるのは最終手段にしておけ。ギリギリまで粘って、それでも駄目な時だけ、俺が教える方法で部室の扉を開けろ。で、幽霊に出会ったら、最初に土下座して謝れ」

「土下座? 私たちが」私は小首を傾げる。「なんでですか」

「それが一番、お前らの誠意が伝わるからだよ。ただでさえお前らは幽霊に依頼する立場なんだ。下手に出るしか選択肢はない」

「世の中世知辛いねえ」春美が表情を曇らせる。

「たしかに世知辛いわね」

「まるで、橘先生の人生の縮図を見てるみたいだねえ」

「お前達がこの学校の生徒じゃなくて、さらに、女じゃなかったら五回は殺しているぞ。まったく……縁ってもんは繋がるな。ここは出雲大社かどこかか?」

 ぶっきらぼうにそう言う橘先生から、天文部の扉の開け方を教えてもらった私達は屋上へ向かう。


     追いかけられる僕 5

     

 頼むから今日は来ないでくれ、と僕はありもしない可能性にすがりつきながら、スマートフォンを確認する。

 時刻は夕方の五時過ぎ。だいたいこの時間には、母と父からの電報という名のメールが届く。

 スマートフォンを操作し、メールをソフトを開く。登録相手が母と父だけというのは、自分でもどうかと思うのだが、友達なんて生まれてから出来た事がないので仕方がない。

「まずは母さんからのメールの確認だな」

 僕は母のメールを確認する画面には、

『ハハ ケンザイ コドモ コイシ』

 とだけ書いてある。

 子供が恋しいなら、とっとと夫婦喧嘩をやめてくれればいいのに、と思わなくもないが、とりあえず、当たり障りのない返信を送っておく。

『僕はいつものところにいるよ。お弁当ありがとう』

 次は、父さんのメールの確認だな。

 僕は父からのメールも確認する。

 どれどれ。

『チチ ヒモジ メシ コイシ』

 腹が減ってるなら、土下座でもなんなりして、仲直りすればいいのに、と僕は素直に思う。

 というか、なんでそこまで金がないんだ?

 女か? という考えが頭の隅に過るが、あの父親に限ってはその可能性はない。

 僕から見ても分かるが、父親からは他所の女の気配は感じない。

 じゃあ、なんで食うに困っているのだろうか。

 答えは簡単だ。母が家庭の財布を握っているからだ。

 というか、なんでこんなに夫婦喧嘩をくり返しているのだろうか。

 答えなど、僕の頭では考えつかない。

 真実は闇の中か。

 とりあえず、父親には、おざなりに

『とりあえず、お母さんに土下座でもしてみたら?』

 とだけ、返信しておいた。

 本当は、僕が母に泣きつけば、僕だけは温かいご飯にありつけるのだけど、それはそれで人道的にどうかと思うので、今の身に甘んじている。

 三日分の食料はもって後二日だ。

「食糧事情に加えて、謎の女子高生の案件もあるしなあ」

 僕はため息を吐く。

 昨日、謎の女子高生に渡したTAB譜で満足してくれるとは思えない。

 というか、絶対来る。

 嫌な予感が予感を呼び、確信に変わる。

 どちらにせよ。僕に出来るのは、この吹けば飛ぶような部室に籠城するだけだ。

 もう、水泳部のシャワーを借りて体は洗った。冷たいご飯も食べた。あとは、寝るまで適当にギターを弾くだけだ。

「今日は何の曲を弾こう。シューベルトの『魔王』を弾けたら迷わず弾くのだけど」

 僕は、数少ない曲のレパートリーから、何を弾くべきか思案する。

 しばらくの思案の末行き着いたのは、何も弾かない、という決断だった。

 より詳しく描写するなら、屋上の階段を上ってくる足音のせいで、選択肢を奪われたのだ。

 しかも、昨日より騒がしい音を立てて屋上の階段を上ってくる。

 先日の正体不明の女子高生だけじゃない。おそらく、先々日に現れた残り二名も上ってきている。更に厄介なのは足音以外にも別の音が混じっている事だ。

 金属音がすれるような無機質な音が聞こえてくる。かしまし娘達は静かに階段を上ってきているつもりだろうが、静寂が支配する屋上では、そんな涙ぐましい努力は意味をなさない。 

 屋上の扉が開く音が聞こえてくる。

 僕は気配を消して、部室の壁に背中を預け、外の様子を窺う。

「お次は何だ?」

 ガチャガチャと何かを組み立てる音が聞こえる。時折、とん、という腹の奥を響かせるような低い音が、僕に届く。

「これは……ドラム」

 僕は窓から外の様子を見る。おおよそ屋上には相応しくない光景が、そこにはあった。 夕日の逆光で黒い影となった人物が三人。これは予想通りだ。ドラムを組み立てている影から発している声には聞き覚えがあった。

「本当に、大丈夫なのかなあ」

 この声も聞き覚えがある。

「大丈夫と信じるしかないでしょ」

 この声は、すでに嫌というほど聞いた声だ。昨日、彼女に合わせる形でギターを弾いた。 今日は一体、何なんだ?

 ガチャガチャと五月蠅い音を立てながら、三人は何かの作業をしている。何かの作業といっても、どうせ楽器のセッティングでもしているのだろう。

 馬鹿でも分かる。

 一度あることは二度ある。そして、一度例外を認めればそれが当たり前になる。

 どれも僕の嫌いな言葉だ、と僕は自嘲気味に笑った。

「とにかく、あの子達の出方を見るしかないか」

 僕は独りごち、耳をすました。昨日とは違い、屋上に響き渡る音が聞こえてくる。ギターはギターの音、ドラムはドラムの音、ベースはベースの音。

 どの音も、明らかに電子的に出力してるほど大きい。

「ちょっと待ってよ。まさか、この屋上でライブでもするつもりか?」正気の沙汰じゃないと僕は「……マイファーザ。マイファーザ」とシューベルトの『魔王』の一節を口ずさむ。

 僕は愕然と三人の挙動を見守る。

 止めるか? と僕は自分に問いかける。僕が人前に? しかも説教染みた事を?

 結論は簡単だ。

 無理だ。

 僕は、友達が一人もいない社会不適合者の鏡だぞ。

 というか今からでは、止めようにも止められない。

 僕はその場にしゃがみ込み、この後、襲い来る爆音に備えて耳に手を当てた。

 静かな、しかしながら力強いベース音が、僕の手を貫通して鼓膜を震わせる。三小節目をすぎた辺りからドラムン音も入ってきた。

 それと同時に、謎の女子高生のボーカルも入ってくる。

「このリズムは……」僕は両耳から手を離して、三人の奏でる音に耳を傾ける。「ラグタイムかあ」

 僕は、三人が演奏している曲のジャンルを口にする。ベースの段階でソレっぽさはあったけど、このジャズなのかブルースなのか分からない感じは、無理矢理ジャンル分けするならラグタイムだ。

 そこにドラムと、ボーカルまで入ってきている。

「どっから持ってきたんだこの曲」

 僕はこそりと疑問を口にする。

 わざわざ僕に聞かせたという事は、十中八九ギターパートもあるはずだ。しかし、ギターの音が聞こえてくる気配はない。

 曲自体は軽快だが、ぼくはそれ以上に三人の行動に警戒する。

「ラグタイムのボーカルありって珍しいのかな」

 僕は一人でしかギターを弾かないので、そのあたりの知識はないに等しい。

 今回も一分半から二分ほどで曲が終了した。ガチャガチャと楽器を直す音が聞こえ、数秒間の時間をおき、またもやドア全体がガタガタと崩壊しそうな勢いで揺れる。

 見事なまでのデジャヴだ。

 しばらく扉の様子を見ていると、扉の向こうから話し声が聞こえてくる。

「本当にこれでよかったのか?」

「よかったのかなあ。突然、部室の前で演奏する人間に心なんて開いてくれないよお」

「大丈夫よ。たぶん。きっと。この二日間の流れなら大丈夫……だと思う」

「本当に?」

「疑わしいねえ」

「大丈夫よ。幽霊さんを信じましょう」

 誰が幽霊だ、という言葉が喉元までせり上げってくるが、僕はそれを賢明に飲み込む。

「じゃあね。幽霊さん。私達明日も来るから」

 頼むから来ないでくれ、と僕は心の中で念じるが、おそらくこの願いは神には届かないだろう。もし神様がいるなら、持ち得る限りの罵詈雑言をぶつけている。

 三人の足音が遠のき、夜の屋上に静けさが戻ってきた。

「あの人達、もうほとんどヤのつく自由業じゃないか」

 僕は立ち上がり、三人が残していったバンドスコアを扉の隙間から引き抜く。

 残されたバンドスコアの表紙には『屋上の幽霊さんへ』と昨日と同じ文言が書かれている。

 ページをめくり、バンドスコアに目を通す。

「たしかに、ラグタイムだよなあ。それでギターは?」

 僕はバンドスコアのギターパートを目をやる。そこには赤いマークがつけられており、さらにそこから矢印が伸び、何か文字が書かれていた。

 僕はその文字を目を細め読み上げる。

「なになに『昨日みたいに素敵なアレンジをよろしくお願いします。幽霊さん』か」

 読み終えた瞬間僕は、感情の赴くままにバンドスコアを床に叩きつけた。ぱしっという軽い音が部室の空気をわずかに震わせる。

「ふ、ざ、け、な、い、で!」僕は肩で息をしながら叫ぶ。「ラグタイムなんて、僕は弾いたことないぞ」

 それをどうアレンジすればいいのか。皆目見当もつかない。

 だいたいから、昨日、二人で曲を合わせられたのも奇跡に近いんだ。それを四人であわせたアレンジをしろだと? そんな無闇に法外な要求聞いた事なんてない。

 僕の交友区域を分かっているのか。僕の財布の中にあるある残高と同じだぞ。

 それすなわちゼロだ。

 友達残高ゼロのひとりぼっちの僕に、顔さえ見たこともない女子高生三人と曲を合わせられる可能性は絶望的と言って良かった。

「やってられない」

 僕は投げやりに言い放つ。なんで見ず知らずの女子高生三人に協力せねばならないのか。そんな事している暇があるなら、両親の仲を取り持つ方が先決だ。

 訳の分からないバンドごっこをしている余裕など、僕にはない。

「でも……なんで、あの三人はそこまで、僕に絡んでくるんだ」

 絡む相手がいない、という風情でもなかった。どちらかというと、何かしらの消去方が働いて、僕しか頼れない状況になっているとかか。

「ど、どちらにせよ。僕には関係ない」

 僕は腕を組みながらそっぽを向く。それでも押し付けられた物に意識が向かうのは人間の性で、目だけで、床にたたきつけたバンドスコアを見る。

 僕には一切関係ないが、彼女達も、のっぴきならない状況なのだろう。そこだけには共感がもてる。

 僕は熟考を重ねる人間だ。熟考に熟考を重ね腐敗するまで考える人間だ。

 僕ほど自己嫌悪を極めた同年代の人間はいない自負がある。

 その自負が僕に語りかける。

 このまま、あの女子高生三人を放置してもいいのか、と。

「ああっ! もう!」

 僕は頭を掻きむしりながら、部室の床に散らかったバンドスコアを拾った。

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