第三十九話 心霊スポット突撃動画撮ったから見て!⑫
「む、これは、知ってる匂い」
「お?」
「血の匂いもだけど、吉村さんの香水の匂いだこれ。人工的なお花っぽいやつ」
「右からなら、俺もそっちから、おい……じゃなくて、新鮮な死体の匂いがしてるからアタリじゃないか」
「行ってみますか」
「行ってみよう」
「これで別の新たな犠牲者だったらマジで笑えない」
「本当にこっちの人たちにここ片付けてもらわないと」
一階を練り歩き、使えそうな階段を確認して回ると、エントランスに一番近い階段は、地下へ続くところが崩れていたが他は、床も含めて安全そうだ。
現状もっとも新鮮な死体の匂いと、薔薇の記憶にある香水の香りは、階上から漂ってくる。二人は慎重に、老朽化した階段を登り始めた。
経年劣化以外全くしていない、奇怪な廃墟に警戒心が高まる。そこらじゅうから腐敗臭がするのに、廊下は埃や窓ガラスの破片、風で入り込んだだろう枯れ葉と砂利しかない。多少、足跡の痕跡はあるものの、追跡の知識がなければ見落とすほどに、目立たないのだ。
侵入者の少なさと、建物に蓄積された死者数の噛みあわなさが気色悪い。
薔薇はほどなく、かすかな石川たち五人の体臭や彼らが纏っていた人工的な匂いも嗅ぎ付ける。更に上の階だ。
幸広と目を合わせれば、彼も匂いがするのは上の階だと無言で頷く。
三階への階段に差し掛かったところで、鼻が曲がりそうな腐敗臭の中から、知った匂いであり、酸鼻な匂いを薔薇もやっと判別できた。
「流石に分かった。これだ」
「まだ三日? 四日? 腐り始めたところかな」
訓練された使役犬か、あるいは野生動物のごとく。
言葉のやり取りは呑気なものだが、会話の内容と二人の動きは、物見遊山の心霊スポット侵入者というより、狩りの途中の狼のようだ。
相変わらず、一切の生命の気配はなく、二人には察知不可能な「なにか」があることが、わかる。流石の二人も理由がなければこれ以上、こんな場所をウロチョロしないが、薔薇を含めた数十人の命がかかっている。奥へと進む。
四階は、入院病棟であり、応急処置室やカルテなどをしまう部屋もあるようだ。開け放たれた扉をチラリと覗けば、書類棚に書類箱が並んでいたり、ベッドの骨組みだけが残る部屋もある。
二人の嗅覚は、廊下の中央あたりの部屋だと嗅ぎとった。
そこだけ、ご丁寧に扉が閉まっている。
まず匂いや音で確認するが、遺体の匂いはすれど、それを食べに来る生き物の音や匂いが全くしない。窓は割れているし、隙間もたくさんあるのに、ハエ一匹いないのだ。
生存本能に、状況に合わない警報が鳴り響き続ける。
薔薇と幸広は顔を見合わせると、幸広が引戸に指をかけて一気に引いた。姿勢を低くし、脇に隠れていた薔薇が全神経を集中する。
「みっけ」
部屋はたぶん、簡易的な処置室兼検査室だったのだろう。医療機器っぽい機械が数個、部屋の中央には角度調整ができそうな医療用ベッド。
そのベッドに、日野凱斗の遺体はあった。
まわりには、錆び以外で黒く汚れたメス、骨切り用の小さなノコギリ、なぜかトンカチ、用途不明の鉄パイプがメスと同様の黒に汚れている。日野の体が、これらで破壊されたのは、遺体の様子からも察せられた。
「幸ちゃん、日野くん見えてる?」
「見えてる。良かった」
幸広もクラスメイトのように日野の遺体を認識できなかったら、これからする作業を薔薇一人でやるはめになるところだったが、血の匂いを辿れた時点で幸広も、薔薇のように「呪われた」に違いない。被害者が増えたことになるが、それは幸広も納得済みでついてきたのだ。
二人は、テキトーに物をどけて床に一定の面積を確保すると、リュックにいれてきた市販の青いビニールシートを広げた。家の倉庫に何年か前からあったものだ。
強い洗剤を使うとき用の厚手のビニール手袋をはめて、ちょっと汁気を帯びた日野の遺体を、二人でそっと持ち上げ、ビニールシートに移動させる。それからビニールシートを巻いて畳んで、やはり家の倉庫にあった古いビニール紐でぐるぐる巻きに縛る。
非常に手際が良く、会話すらもないことについては、別の話にしておこう。
二人はビニール手袋を裏返しに脱いで、そこらに落ちていた金属製のトレーに乗せると、ジッポーライター用の油をかけて火をつけた。あっという間にこの世から消えていく。
「ふー。それじゃ、日野くんちへ連れて帰ってあげるか」
「家、分かるのか?」
「うん、学校のそばのマンション。入ってくの何度か見たことあるから、棟もわかるし、見つけられると思」
刹那、薔薇が襲いかかるようにして幸広に飛び付き、勢いのまま部屋の扉から、廊下へ転がり出た。ほとんど宙を舞う勢いだった。
その背後で、つまりは部屋の中からガラガラと重くて固いものが大量に砕けて崩れる音。
「嘘お?!」
「だから廃墟は危ないんだよなあ」
部屋の床が、なかった。崩れ落ちている。数秒前までしっかりしていたというのに。人の利用しなくなった建物は、不思議なくらい急速に劣化するとはいうが、あまりにも突然だった。薔薇が反応したのも、突然の浮遊感めいたものを感じたからだ。もうどうしようもないのだが、意味不明すぎて嫌な気分だ。
最悪なのは、日野を包んだビニールシートごと崩落した点だ。そのうえ、
「…え?!」
いつでも飛び退けるように気を付けつつ、陥没した床を覗き込むと、そこは奈落の底ーー薔薇と幸広の視力でも見通せないほど深い縦穴が口を開けていた。階下の、三階からおそらく一階まで、床が全部抜けたのだ。
「ナニコレ。どういうこと?」
「自然現象というより、怪奇現象だと思うぞ、コレ」
驚きを通り越して不機嫌になり始める薔薇に、幸広はあくまで冷静。
「えええ…めんどくせえ…日野くん、瓦礫で埋まってないよね? あ、スマホ先にとっといて良かった」
指先でつまむようにして、最新型のスマートフォンをプラプラさせる薔薇。日野をくるむ前に尻ポケットから回収してあったのだ。むろん粉々に壊すために。
「失くすと厄介ごとが増えるし、やっちゃえば」
「オッケイ」
吉村たちのスマホ同様、金属その他の小さなゴミと化した日野のスマホは、埃だらけの床で念入りに踏みにじられて、廃墟の塵と化した。
「とりあえず、見に行って、無理そうだったら帰ろうか」
「スマホは壊したから、半分達成したしな。お葬式もかなり大事みたいだけど」
どこまで続くのか分からないほど真っ暗な床の穴を見下ろして、やはりどこか呑気な風情の二人。異常に慣れた者、常に野生に身を置く者の、油断のない余裕。
「ああ、浮くとか、飛ぶとかできたらなあ」
「だめだって、危ないから」
「分かってますー。急がば回れ」
すごく飛び下りたそうな薔薇だが、幸広にいわれずともそんな危険は侵さない。
二人は忘れ物がないかだけ手早く確認すると、足元に気を付けながら、階下へと階段を戻り始めた。




