第二十九話 心霊スポット突撃動画撮ったから見て!②
さすがの薔薇も、こんな大惨事になるとは思わなかった。
コンクリートに人体が叩きつけられる音と、割れたガラスが降り注ぐ音を聞きながら、薔薇は五分に満たない過去を回想する。
◈だいたい五分前◈
終業のホームルーム。特段の連絡事項もなかったため、いつもどおりに淡々と教室を去っていこうとする担任の折笠。続けて生徒たちもてんでに動き出すーーそんないつもの放課後は訪れなかった。
「みるなあああああああああああああああ!!!!!」
突然、青山宇宙が、雄叫びを上げた。偶然すぐそばを通りすぎようとしていた折笠や、周囲のクラスメイトが、ぎょっとして凍りつく。薔薇すらも目を見開くだけで、動きを止めてしまった。
次の瞬間、青山は自らの手を自分の顔へと持ち上げ、躊躇うことなく、自分の目玉に突き込んだ。
いつも無表情かつ冷静な折笠が、手にしていた学生簿や書類教科書を投げ捨て、青山の両手を掴んで即座に引き剥がそうとする。むろん、青山自身の顔からだ。
なんて早いんだ、と薔薇の思考がやっと起動する。
「青山! 青山宇宙!! どうしたんだ?!」
折笠の教室じゅうに轟く大喝に、他の生徒たちが益々震え上がるが、青山の「みるな」という叫びは止まらず、彼の手は執拗に己の目玉を狙っている。その指先が血に染まっているのを、薔薇は見て、
『来ちゃった来ちゃった! 心霊スポットー!!』
青山の悲痛な叫びを圧する、更なる爆音が弾けたのは、石川大聖のスマートフォン。動画が、心霊スポットへ行って撮ってきたという動画が、最大音量で再生されている。スマホの持ち主は、椅子の上で膝を抱えて縮こまり、「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」と涙と鼻水と失禁をしながら呟き続けている。
次いで、同じく心霊スポット突撃メンバーのひとり、藤田ここみが、バターン! と複数の机と椅子を巻き込んで、直立体勢で倒れた。薔薇の位置からはよく見えないが、石川と同じく失禁しているらしく、アンモニア臭が増す。
更なる凶事が畳み掛ける。
「みないでえええええええええええええええええ!!!!!」
青山と同じ叫びが、やはり突撃メンバーのひとり、吉村夢奈の口から迸り、あろうことか彼女の手には茶色く錆びた手術用のメスが握られ、呆然としているクラスメイトの顔面ーーおそらく目玉めがけて振り下ろされる。
やっと、薔薇の思考と身体が、事態に追い付いた。
だが絶望的といっていい数十秒。
しかし悔やむ時間はない。
薔薇は椅子の背を掴んで、全力の半分くらいで投擲。あやまたず、椅子は吉村夢奈に激突し、彼女を窓際まではね飛ばす。椅子を投げたと同時に走り出していた薔薇は、どこかへ落ちたメスのチャリンという音を聞きつつ、吉村夢奈をそのまま床に押し付けようとする。
しかし、予想を遥かに上回る力で夢奈は暴れ狂う。人間が、我を忘れて本気で暴れるときの力は一対一で容易に押さえ込めるものではない。
メスは失ったが、煌びやかなネイルを施されたファンシーな長い爪が、薔薇の顔へと、目玉を狙って伸びてくる。
そこでやっと、正気で凍りついていた時間が動きだす。他のクラスメイトが悲鳴を上げ、その場にへたり込むもの、あるいは逃げ出すものがいる。正常な反応だ。特に、現代人の。
栄地が、逃げる人の波に逆らって加勢にきてくれた。薔薇が青山のほうを見れば、そちらは両手を掴んでいる折笠に夕映と、学級委員長の一柳がしがみつき、三人がかりで押さえようとしている。
だが、力のある男性三人がかりでも、完全に制圧できていない。青山は、夢奈と同様に「みるな」と、血も凍るような恐怖に満たされた絶叫をひしりあげながら、暴れ続けている。その手が狙うのは、自分の目玉。あるいは真正面に立つ折笠の目玉だ。折笠のトレードマークのスクエア型メガネはとっくにどこかへ吹っ飛んでおり、切れ長の鋭い眼差しが、混乱しつつも毅然と青山を見ている。
二人の叫び声の合間を埋めるように、心霊スポット突撃動画の楽しそうな声が大音量で響く。
そして、最後の一撃。
「みないでえええええええええええええええええ!!!」
第三の叫喚。ほぼ生徒の逃げ出した教室で、棒立ちになっていた小松梨杏ーー彼女もまた心霊スポット突撃メンバーのひとりーーが、自らの顔面をかきむしりながら走り出す。
一直線に、窓へ。
腕の下で暴れ続ける吉村夢奈の力は凄まじい。体重差だけなら簡単にはね飛ばされるところを、薔薇の腕力でねじ伏せている状態だ。
でも、そこに栄地が駆けつけた。彼の腕力なら任せられる。
目が合う。
十年以上の付き合い、互いのいろんなことを知り尽くした親友で悪友のひとり。
寸毫で栄地と入れ替わり、薔薇は、顔面を血みどろにして走る小松梨杏に襲いかかるような勢いで跳びーーー猛禽の強襲のごとき突進は、しかし、小松梨杏の狂奔に届かなかった。
間違いなく、人間の肉体限界を越え、自らの筋肉を引きちぎりながら駆け抜けたのだろうーー薔薇の指先がわずかに制服をかすったが、小松梨杏の小さな身体は弾丸の速さで窓を突き破り、重力に我と我が身を差し出した。




