廃墟と暗い夢 2
昼間、森に行っていたアスタとマトが館に帰って来ると、ヨルンと行き会った。
「ヨルンさん、見てください。大物でしょう」
足をつかんでいた鳥を掲げる。
「アスタが獲ったのか?」
「はい! 飛んでいる鳥相手でもよく命中するようになりました」
「そうか」
遺跡に行った後に戦闘訓練を積めと言われた。弓の練習は狩猟も兼ねてやるのに限る。
最初に森に行ったときは木登りすら苦労していたのに、我ながらたくましくなったものだと思う。前世では身体が弱くて基本的に室内にいたのが遠い昔のように感じられた。
「夕食は鶏肉料理ですね」
「では、午後は買い物に行ってきます。材料が足りません」
鳥を捌くために受け取りつつ、ノーラが口を挟んできた。
「じゃあわたしが行きますよ」
「ついでにネアに薬を届けて、ヒスキに催促して来てくれ」
「催促はわたしよりもヨルンさんが行ったほうが効果的なんじゃないですか?」
「そうか――そうだな」
渋々といった様子ながら、ヨルンはわりとすんなりと返事をした。
「素材も見たいし、大通りのほうへ久しぶりに行ってみるか」
「なら、食材の買い出しが終わったら一緒にネアさんのお見舞いに行きましょう」
「ああ。それから――マトの報告によると最近不穏な商品が出回っているらしいから、なにか情報をつかめるといいんだが」
表情を曇らせて、ヨルンはそう口にした。
荷物運びの仕事をしている最中、ヒスキは近くにいた知り合いに声をかけた。
「なあ、トーベって最近見かけないけど。弟がいたよな。会ったことあるか?」
確かそいつが、この間病院の前にいたネアにちょっかいをかけた子供のはずだ。別に本気で粛清する気なんてないが、不意に思い出して世間話のついでに話を振ってみたのだった。
「ああ、親が死んだんだよな。馬車の事故で両親とも」
「へえ……」
「トーベは職人の住み込みになり、その弟……フーゴだったっけ? そいつは親戚に引き取られたとか聞いたな。これまでガキ大将気取りで子分を引き連れて好き勝手して、悪戯し放題で逃げ回ってたツケが来たって感じだな」
トーベとは知り合いだったが、家族離散の憂き目に遭っていたとは知らなかった。我が身に置き換えて考えて、病気のネアを一人にできるはずがないな、と思った。
昼までの予定だった仕事の時間が押して、終わったときには昼飯時はとっくに過ぎて午後を回っていた。
その分、賃金は上乗せされた。多くもらえた分の金でなにを食べようか。
そう考えながら空腹を抱えたヒスキが昼食を求めて食堂や酒場が建ち並ぶ辺りを歩いていると、客が多い時間が終わって暇なのか、この辺りで働く給仕の女性たちの立ち話が聞こえてきた。
「――だから子供を店に連れて来たんだけど、大人しくしてくれなくて困ったもんだわ」
「子供を嫌う客も多いしねえ。もう少し大きくなれば、手伝いをさせられるんだけど」
「でも、こうたびたび子供がいなくなる話を聞くと、家に置いておくのも心配だし……」
彼女たちが話しているようなことは、ここ最近、ヒスキも噂で聞いていた。子供の失踪。下町では珍しくもないが、頻度が高いと噂にもなるし心配する親も出てくる。
人買いが攫って行って遠く離れた国で奴隷にされるとか、街の人口を制御をするために不要な子供は危険区域の外に捨てられるとか、そんな根も葉もない噂が飛び交っていた。
――物騒な世の中だな。
もっとも、ネアは基本的に家で療養しているのだから、人攫いの餌食になるようなことはないだろう。
そう思いつつも、食堂に寄るのではなく屋台でなにか買って行ってネアの顔を見てから家で食べようか、と思って行き先を変えようとした矢先。
「ヒスキ?」
と名前を呼ばれた。
振り返ると、見覚えのある面影を持つ若者と目が合った。波打つ亜麻色の髪に鳶色の瞳。仕立てのいいジャケットとベストとズボン、瞳の色に合わせたような襟元の明るい色のタイ。
穏やかな笑みを浮かべた端正な姿は下町の雑然とした街並みからは浮いていたが、かつてそんな子供と裏路地で何度も会ったことがあった。
「お前、セリムか?」
「久しぶり。覚えていてくれたとは光栄だね」
セリムは優雅に微笑む。本物の貴族を見た後でも平民とは一線を画すと思ってしまう、洗練された所作だった。こういう仕草が身に着いている者なら、貴族でなくとも上流階級の人間とかかわっても違和感がないのだろう、と思えるような。
とうに完治したはずの左腕が、痛んだ気がした。しかしそんなことは無視して、かつての友人に笑いかける。
「ああ、何年ぶりだっけ。こんなとこに来る暇がなかったってことは、商人として儲かってんだな」
「まだ基礎を学んでいる最中だよ」
「嘘吐け。そんな豪勢な格好で一人でうろうろしてると、それこそ悪人に身ぐるみ剥がされるぞ」
「忠告どうも。大丈夫、自分の身の守り方くらい心得てるから」
そしてセリムはヒスキの薄汚れた古着をまじまじと観察した。
「ヒスキは昔のほうが羽振りがよくなかった?」
「どこを見てそんなこと言ってんだよ」
「親の服を仕立て直したという君が着ていた服、着古していたけどいい生地だったじゃないか」
「そうかあ?」
正直、生地の良し悪しなんて気にしたことがなかった。
「家族仲はどうだい? 以前は母親が病弱な妹につきっきりとか言っていたけど」
ヒスキ自身が覚えていないような会話内容を、まるで昨日のことのようにセリムは語る。子供の頃なら家族の愚痴の一つや二つこぼしたかもしれないが、いまになって掘り返されるといかにもな子供染みた不満で気恥ずかしいものがあった。
「その親も、二人とも現在失踪中でさ」
「そうなのか? 大変だな」
「大変ってほどでもねえけど、どっか行くなら行き先といつ帰って来るかくらい言っておけっての。子供には散々そうしたことを言い聞かせておいて、自分たちは真逆のことをしてんだから」
そうこぼすと、セリムはくすくすと笑った。
「ヒスキの家ってなんていうか、下町の平民のわりに真っ当だよな」
「真っ当ってなんだよ」
「模範的というか、規律正しいというか。この辺りの住人はもっと荒っぽいし粗雑だよ」
セリムの言わんとすることはなんとなく理解できた。父親の立場が弱かったのも、ヒスキが子供の頃に近所の悪ガキどもに舐められたのも、大体その辺が理由なのだろう。
だからヒスキは親を反面教師にして、下町のやり方に馴染もうとした。それなのにセリムに両親の影響を指摘され、ヒスキは渋面になった。
「気分を損ねたかな。すまないね」
「いや、別にいいけどさ」
「オレとしては、美点と思っていると言いたかったんだけど。ヒスキだって、粗野なだけの人間じゃないことがいい方向に働いたこともあったんじゃないか?」
「なんだそりゃ。俺のようなのは貴族や豪商の子息の足元にも及ばない、ちっぽけな存在なんだよ」
そう笑い飛ばした。その程度の美点なんて、現実の身分の差の前ではなんの意味もないのだと、自分に言い聞かせるように。
「そういえば、食堂を覗いていたようだね。邪魔したかな。なんなら奢ろうか?」
「だったら屋台の串焼きとパン屋のパンを。二人分あるとなおいい」
「帰るところだったのか?」
「飯食うついでに、ネア……妹の様子を見に行こうかと思ってさ」
「ああ、身体が弱いと言っていたね」
「そう」
答えると、セリムの顔に憐憫が浮かんだ。
「親がいなくなって、ヒスキが一人で面倒を見ているのか……大変だね」
「そうでもねえよ。知り合いが気にかけてくれて、なにかと助けてもらってる」
「ふうん」
なにやら考えている様子で屋台のほうへ一緒に歩くセリムが、ふと顔を上げた。
「ヒスキの妹に会ったことはなかったな。食事を奢るついでにお見舞いに行っていいかな」
「寝てるかもしれねえぞ」
「だったら諦めるよ。自分用に買った串焼きを食べて退散しよう」
旧友の提案を断る理由が見つからず、屋台とパン屋の食べ物を買い込んだ後、ヒスキはセリムを連れて集合住宅の一室を目指した。




