廃墟と暗い夢 3
大通りの食料品の店が建ち並ぶ辺りで、アスタとヨルンは買い物をしていた。アスタはいつも通り、白い髪をまとめて帽子を被っている。
「あら、今日は錬金術師さんと一緒なのね。よかったわねえ」
「はい!」
しかしアスタがホムンクルスでヨルンがその主の錬金術師というのは、もはやこの辺りでは公然の秘密になっているようだった。そして噂好きで図太い店員たちの興味は、アスタだけに留まらない。
「そうそう、錬金術師のヨルンさん。あんた、夏に王都からこの街に来た侯爵様と知り合いなんだって?」
「僕の知り合いじゃなく、アスタと領主の家の令嬢の知り合いだ」
「それで、リンドグレン家のご令嬢に求婚しに来たってのは本当かい?」
女性店員たちが楽しそうに黄色い悲鳴を上げる。
「本人に訊けばいいだろうに……」
「そういうわけにはいかないからわたしたちに訊いてるんですよ。あと、求婚なんて浪漫溢れるものじゃなかったことも、言わないほうがよさそうですね」
ヨルンが苦い顔をする中、アスタは着々と食料品の新鮮さを吟味し、買い物籠の中身を増やしていった。
「そういや錬金術師の館に続く街外れの道に、廃屋があるだろう。そこに出入りしている者がいるって話を聞いたんだが、あんたたちは見たことはないかい?」
筋肉質の身体に前掛けをつけた男性店員に話を振られ、アスタとヨルンは顔を見合わせた。
「下町で後ろ暗いことに手を染めてるやつなんかが、そういう空き家を根城にしてることがあるんでな。あんたたちがよく行き来する道なら、気を付けたほうがいい」
「は、はい。助言ありがとうございます」
買い物が終わり、ヒスキの家のほうに足を向けながら、アスタは息を吐き出した。
「この街にも悪いことをする人っているんですね……」
「それはいるだろう。王都だろうが辺境だろうが、人が集まれば秩序に反することを率先してやろうとする人も出てくるものだ」
「それはわかっているんですが」
「そもそも君が街に行くようになって知り合ったヒスキは、領主の屋敷に盗みに入ろうとしていたことを忘れたか?」
「それはやむにやまれぬ事情があったからで……」
「事情があればいいのか?」
アスタは言葉に詰まった。ヒスキの件だけではない。
ハイメリン家の男爵とファニーは、ラミと男爵夫人にとって害悪だからと先代を間接的に殺そうとしたらしい。カティヤはその件を公にしなかった。
ディックとともにクーユオの街にやって来たロジャーはヒスキに怪我を負わせたが、いまも侯爵家の屋敷でディックの護衛をしているという。ヒスキいわく、貴族階級の者が平民を斬り捨てても平民からは文句は言えないらしい。
罪が明るみに出ない事例をいくつか体験してしまい、改めてこの世界は前世の世界とは違うのだと実感してしまっていた。
前世の法律や倫理観は役に立たない。犯罪者に対する明確な処罰があっても、貴族から平民への危害には適用されない。逆に平民を断罪するための理由はいくつも生み出される。身分差社会というのはそういうものらしい。
ならば法や処罰については置いておいて、理由があれば、罪を犯しても納得ができるのか。許せるのか。その理由が切実なものならよくて、快楽のためなら駄目なのか。なにがよくてなにが悪いのか。――事情さえあれば、なにをしてもいいのか。
「うーん……」
「アスタ……その、そこまで考え込むとは思わなかった。戻って来てくれ」
「あ、はい。ええと、そもそもなんの話でしたっけ」
「思えば君がヒスキを捕まえたのがきっかけで、ヒスキやネアと知り合ったんだったな」
「そういえばそうですね」
そんな話ではなかった気がしたが、思考はヒスキとネアのほうへ向いた。あのときヒスキが捕まっていたら、ネアはどうなっていただろう。
「ネアさん、今日は体調いいといいですね」
そう結んだとき、ヒスキが住む集合住宅が視線の先に見えてきた。
「ヒスキさん、いますか?」
ノックをすると即座に扉が開き、いつになく切羽詰まった様子のヒスキと目が合った。
「アスタ――に、ヨルン……」
来客二人を見て、ヒスキは目的の人物でなかったとばかりに意気消沈した。眉間には苦渋によるしわが寄っている。
「ど、どうかしたんですか?」
「……ネアがいなくなった」
「ええっ!?」
「自分から外に行ったわけじゃないんだな?」
「当たり前だ!」
ヨルンの問いに、余裕なくヒスキは声を上げた。その大声に自分で驚いた様子で目を見張る。そしてアスタたちを部屋の中に招き入れ、壁にもたれかかった。
「……悪い。そう、今日はずっとベッドで伏せっていたんだ。外出なんて……」
「鍵が壊された様子はなさそうだな。押し入られて攫われたのか?」
「そうじゃない。知り合いを家に上げたんだ。その後、窓の外から近所のやつに声をかけられて、そいつを部屋に待たせたまま、少しの時間家から出て、ついさっき帰って来たら――知り合いも寝室で休んでいたはずのネアもいなくなってた」
自分の行いを悔いるように、あるいは動揺を無理やり抑えるように、ヒスキが握り締めたこぶしは小刻みに震えていた。
「その知り合いは、この辺りの住人なのか?」
「いや……金持ちなんだからもっと街中に住んでいるはずで」
「名前はわかっているんですか?」
「セリム・ギルデンっていう商人だ」
商人と聞いてアスタは真っ先に大通りの食料品店の店員を連想したが、金持ちというならそうした大衆向けの店ではなく、立派な店で高価なものを売っているのだろうか。それこそ貴族御用達だったり、異国から珍しいものを仕入れたりするような。
「子供の頃、下町でよく顔を合わせて、今日久しぶりに再会して――」
「家も出自も詳しく知らないなら、名前も経歴も偽れるな。その状態だと、この街に住んでいるとしても特定するのは難しいな」
ヨルンの指摘に、ヒスキは愕然とした。
「……顔。顔ならわかる」
「そうか。知り合いの家族を攫ったのなら、早急に街を離れることを選ぶか――」
不穏な推測は合理的かつあり得そうなもので、アスタとヒスキから血の気が引いていった。
「で、でもさっきまでここにいたんですよね。そんなすぐには……」
「近くに馬車を待機させていたら、そこまで運ぶだけでいいだろう。馬車でなくても、子供が入るほどの荷車に入れて運んだとか」
「そ、そうです! この部屋から運んで行ったのなら、目撃者がいるかもしれません!」
急いで聞き込みに行けばなにかわかるのではないかと部屋から飛び出しかけたアスタだったが、ヒスキの言葉で足を止めた。
「この辺、昼間はあんま人いねえんだよな。目撃者を探すより、行き先がわかれば……でも街の外に出られたら手も足も出せねえし」
「街の外まで行かずとも、裏街道に人を攫って閉じ込めるような場所はないのか?」
「心当たりはなくもねえが……」
「でもその人、下町に住んでいる人じゃないんですよね。よく知りませんが、それぞれ縄張りとかあるんじゃないんですか」
前世で見たヤクザやマフィアが出てくる映画を思い出しながら、アスタは言う。この世界でも通用するのかわからなかったが、ヨルンも頷いた。
「そうだな。この辺りから離れた場所の空き家なら、不法占拠しても下町の顔役にはなにも言われないだろうが」
そこまで話を交わし、アスタとヨルンは顔を見合わせた。
「街外れの廃屋……!」
大通りの食料品店で聞いた話が蘇り、アスタは声を上げた。
その日の午後、ベッドで休んでいたネアは、物音と話し声が聞こえて目を開けた。少ししてから寝室の扉が開き、カーテンを閉めた部屋に光が差し込んでくる。
「ただいま、ネア。……騒がしくて目が覚めたのか?」
「ううん。お客さん?」
「ああ。セリムっつー昔の友人。昼飯はもう食ったよな。そいつがうまいもんをネアの見舞いにくれたから、夕食は豪勢だぞ」
「そうなんだ。ありがとうって伝えて」
「おう」
それからしばらくヒスキとセリムは声を潜めて話をしていたようだったが、窓の外から呼ぶ声に、一人は部屋から出て行ったようだ。
お客さんは帰ったのかなと思っていると、寝室の扉が開いた。
「お兄ちゃ……」
食べ物のにおいとともに室内に入って来たのは、兄ではなかった。ベッドが占める面積が大半でそれ以外の余裕なんてない狭い部屋の中、我が物顔で誰かが近づいてきた。
薄暗い部屋に佇む青年は、見た目だけなら下町にいる若者とは一線を画す優雅な姿をしていた。彼はネアを見て、柔和な笑みを浮かべた。
「はじめまして。もっともオレは君のことを多少は知っているけれど」
「え……」
「子供の頃、ヒスキの話で興味が沸いて何度か見に行ったな。あとは、最近病院の前で見かけたよ」
それだけ聞くと、兄の知り合いからのよくある世間話かのようだ。しかし暗い部屋に光が差して明暗を分ける室内で、ベッド脇にやって来てネアを見下ろす青年は、一種異様な雰囲気があった。
見知らぬ来客は驚いて固まるネアの様子など気にも留めない様子で、ネアの口になにかを押し込んだ。
甘ったるい液体が滲み込んだパンの欠片だ。独特のにおいは最近どこかで嗅いだような。
そういえば幼い頃、両親に知らない人から食べ物をもらっても食べてはいけないと教え込まれた気がする。なにが入っているかわからないから。毒かもしれないから。
吐き出したいのに口と鼻を抑え込まれ、やがて耐え切れなくなり、ネアは口の中のものを飲み込んだ。
逃げ出したいのにネアの意識は遠のいていき、悪夢に沈んで行った。




