地下迷宮と呪われた子供たち 7
アスタはごくりと喉を鳴らして結果を見守る。やがて小さな音がしたかと思うと、透明な覆いの手前部分が扉のように開いた。
ラミは宝石に近寄り、手を伸ばして家宝を手にした。アスタたちのほうを振り返り、青い宝石を掲げる。
成功した。カティヤとファニーの目的である家宝の入手は、達成できた。
緊張の糸が切れて、アスタは安堵の溜息を吐き出した。
「なんだ、別に男の人でなくてもハイメリン家の一族なら誰でもよかったんですね」
アスタが思わずこぼしたことに、ヨルンは不思議そうに首を傾げた。
「そうか? ラミだから成功したんだろう」
「おじい様の先祖が考えそうな差別的な仕掛けだよね。女性は家宝を手にする資格はないとでも言いたかったのかな。取り出してしまった以上、もうこの仕掛けが使われることはないけれど」
相変わらずの先祖に対する皮肉気なラミの物言いに、引っかかる部分があった。
「……いや、ラミさんはいまこうして宝石を手にしているじゃないですか」
ラミと宝石と、台座にある石板の指令と家宝を守っていた最後の覆いを見比べながら、アスタは言う。
それに影響されてかラミもあちこちに視線を向け、なにやら考え込んでいたようだが、思うところがあったのか、アスタに問いかけた。
「あれ、もしかしてアスタ、ぼくのこと女だと思ってたのかい?」
迷宮の最深部に沈黙が落ちた。
アスタはしばし固まっていたが、やがて声を上げた。
「ラミさん、男の子だったんですか!?」
「そういうことは先に言え、紛らわしいな!」
ヒスキが続いた。
当のラミは、そんな反応こそ不本意だと言いたげだった。
「そんなに驚くことかい? 女だと言った覚えはないし、ファニーが書庫に連れてきた客人なんだから、とっくにみんな知ってると思ってたよ」
確かに少年のような口調だとは思っていたが。ファニーよりは低い声だとは思っていたが。
「その様子だと、ヨルンさんは気づいてたようですね……」
「ラミはこの国では男の名前だ」
平然とヨルンは返す。
「私はてっきり、呪われた子供だからあえて娘に男の名前をつけたのかと思ったわ」
アスタとヒスキだけでなく、カティヤも誤認していた仲間だったらしい。よかった、一人じゃないって素晴らしい。
「じゃあその服装は……」
「呪われた子供だから、魔物の格好をしていると言っただろう。魔女の格好だ」
手を広げてラミは語る。動作に合わせてたっぷりとした袖が揺れた。
そういえば最初にラミのドレスを見たときに、幅広の袖が賢者のローブのようだと思ったものだ。賢者ではなく魔女を模したものだったようだが。
「そうですか……おじいさんに意に添わぬ格好を強いられていたんですね」
「いや、ただの趣味だけど」
「趣味!?」
「幽閉されて虐げられている者は、可憐でか弱い薄幸の美少女のほうがさまになるだろう?」
「そんな理由ですか!?」
「それにしばらくすれば成長して、こうした格好は似合わなくなるからね。いましかできない装いをしてなにが悪いんだ」
「悪くはありませんが……」
「それに正直、女ならぼくの境遇も許されただろうさ。屋敷から出ることを許されない、抑圧されて自由がない少女なんて、物語の中ならありふれている。世の人間は、そうした可哀想な存在を心のどこかで求めているのだから」
突然明かされたことに振り回され、混乱しつつ流されそうになったアスタだが、付け足すように言われたラミの主張には頷けなかった。
「それが理由なら、いますぐやめてください。その思い込みも呪いです。おじいさんの持論と似たようなことを言っているんじゃないですか」
ラミは肩を跳ねさせ、愕然とした顔になった。見開いた瞳が揺らぐ。
「ああ、そういえば――でも、そんなつもりは」
いくら反面教師にしようと思っても、幽閉されて育ったラミの人間関係は閉ざされていた。もっとも身近にいてたびたび差別的な発言をする祖父の影響を、知らないうちに受けてしまっていたのだろう。
「わたしは病気で外に出られない女の子を知っています。彼女は体調のせいでやりたいことがあってもままならず、行きたいところへも行けず、友達が欲しくても作れなかったんです」
ネアを例に出そうとしていたのに、途中から前世の自分の話になっていた。
「ラミさんの行動力なら、もうどこへだって行けます。自由のなさの象徴を魔女を模した服装に求めないでください」
ラミに近づき、まっすぐに目を見つめてアスタは言った。
「あなたを虐げていたおじいさんは亡くなったんでしょう?」
アスタの視線を受け止め、瞳を閉じてから、ラミは頷いた。
「……そうだね」
そして自らを省みるように、これまでの堂々とした饒舌さが嘘のような掠れた声でつぶやいた。
「呪われた子供だと言われ続けて、外に出ることも普通の人生もすべて諦めていたんだ。だけど自分から諦めて自虐的になる必要なんて、なかったのかもしれないな」
ドレスを見下ろし、ラミは胸に手を当てた。
「この格好はしばらく続けるけどね。似合うだろう?」
「やりたくてやるのなら、わたしはなにも言いませんよ」
ラミの態度は自嘲ではなく自信に満ちたもので、アスタは笑顔を返した。
そういえば、と思い出すことがあった。
「ところで、魔女は魔物の一種のようにラミさんは言いましたが」
「当たり前じゃないか。魔女は人間じゃないだろう? 大昔、戦争で沢山の人間を殺した、魔物にして化け物だ」
「だから先祖返りのラミさんは人間扱いされていなかったと……?」
「そうだよ」
この世界ではそういう定義なのだろうか。なんだか釈然としなかった。
「ホムンクルスのわたしだからこそ言わせてもらいますが、ラミさんは人間ですよ」
「そうかい?」
「そうです。おじいさんに人間扱いされなかったからといって、ホムンクルスのように活動年数が十年なんてことはないじゃないですか」
ラミが目を瞬かせた。
「そもそもこの世界の魔物と動物の差は曖昧じゃないですか。わたしが住む館近くの森には、小動物と大差ない魔物がいます。なら人間と魔女だって、ラミさんのような力が使えるかどうかの違いがあるだけで、あまり変わらないのではないでしょうか」
「どうだろうね」
「え……」
「この国の住人は、魔女を恐れていた。だから大昔の戦争の後、狩り尽くしたんだ」
なんだろう。似たような話を聞いたことがあるような気がした。この世界ではなく、転生前の世界で。
「でも、アスタの考えは素敵だな。さっき言っていただろう、魔法とか超能力とか。邪悪な力ではなくそういう名前にしてしまえば、ぼくの能力も先祖が使っていたという力も、そう悪いものじゃない気がしてくるよ」
「そ、そうですよ。その意気です」
膨らみかけた連想が、ラミの言葉でしゃぼん玉がはじけるように、消えた。
最深部からは、階段を下りた先の迷宮への扉がある空間に戻って来られる一方通行の通路があった。
侵入者を警戒してのものならこの通路は不要な気もするが、そもそもハイメリン家の血筋以外は家宝を入手することすらできないのだった。
地下迷宮から出ると、外は陽が落ちてきていた。
「思ったより時間がかかったね。みんな、今日は泊まって行けばいい。ああ、ヒスキはうちから馬車を出そう」
「え、なんで俺だけ」
「病気の妹がいると聞いたから――」
「ラ、ラミ!」
ファニーに呼ばれてラミがファニーが指し示したほうを見て、アスタたちも視線を向ける。すると夕日に照らされて逆光になった長身の人影が近づいてくるのが見えた。
「お父様……」
ファニーが父と呼ぶ人物。銀髪に青紫の瞳、立派な装いの四十前後の男だ。
アスタは硬直して動けなくなった。そもそも双子の両親に露見しないようにするために、怪盗に盗まれたことにする予定だったはずだ。それなのに迷宮から出てきたところで鉢合わせしてしまったのだから。
「なにやら秘密裏に動いていると思って来てみれば。まさか君たちだけで迷宮へ行ったのか?」
最初に双子、次に来客たちを見渡し、男爵は低い声でそう問いかけた。
ラミはこぶしを握り締めつつも、父の視線を受け止めた。
「そうだよ。お父様が隠しておきたいことも、理解したつもりだ」
「それで、目的のものは得たと?」
「は、はい」
ファニーが相手の出方を窺うように、控えめに頷く。
「見せなさい」
ラミが渋々といった様子でハンカチで包んで袖の中に入れていた宝石を差し出した。夕日が反射してきらめく。
「なるほど、確かに」
手に取りすらせずに一瞥すると、それ以上興味はないとばかりに視界から外し、男爵は客の中にいる一際華やかな少女に視線を向けた。
「それで、君はリンドグレン家の令嬢だったね」
「ええ。現在、呪いの宝石と呼ばれる家宝のせいで屋敷の中に不穏な空気が満ちているようですから、一時的に私の家で預かろうかと思いまして」
「そうか」
頷いてから、彼は相好を崩した。
「よくやった!」
ハイメリン家当主の反応に、双子と来客たちは目が点になった。
「あ、あああの、お父様、それでよろしいのですか?」
「そうだな、複製品は宝物庫から出してしばらく隠しておこう。あれが本物だと思っている者も多いからな」
「そうだけど、でも」
「私の子を呪われた子供などと呼ぶ者とともに、古くから伝わっていた家宝も姿を消した。明日にでもそう発表しよう。それで万事解決だ」
それだけ言い残して、男爵は去って行った。
「……あの様子だと、ハイメリン卿もファニーたちと似たような計画を立てていたんじゃないか?」
ヨルンの推測に、他の面々は頷くしかできなかった。
「やべ、持っててって言われてそのまま帰ってきちまった」
馬車で送ってもらって帰宅したヒスキは、ジャケットのポケットを探って小さな箱があることに気づき、取り出して頭をかいた。
家宝の宝石は一度離れのほうへ行ったラミが箱に入れて持ち運べるようにして、カティヤに渡した。その後、ハイメリン家の屋敷で少し早い夕食をご馳走になった際、食事の間ポケットに入れておいて、とカティヤに頼まれたのだった。
滅多に食べられないような豪勢な食事に浮足立ち、すっかり返すのを忘れていた。先に帰るヒスキを見送るカティヤたちもなにも言わなかった。みんな、迷宮で疲れていたのかもしれない。
「ま、いいや。明日屋敷に届けねえと」
どちらにしろ服も返さないといけない。ジャケットを脱ぐとアスタに指摘したのと同じくらい埃っぽくなっていて、落とし穴に落ちたのを思い出した。
居間で窓を開けて埃を払っていると、扉が開いた。
「お兄ちゃん……?」
「ああ、悪いなネア。起こしちまったか」
「ううん。おかえり」
埃をはたいてから振り返ると、ネアが居間の食卓の近くに来ていて、宝石が入った箱を見下ろしていた。
「ネアもこういうのに興味あるのか? さすがにここまでのものは買ってやれんけど――」
ふと悪戯心が沸いた。ラミは家宝を取り出す際に素手で触っていたし、一方通行の通路で最深部から脱出する際に、アスタたちにも見せてあげていた。
値段がつけられないような宝石の扱いとしては大分雑だと思うが、本来の持ち主の血筋がああした扱いをしていたのなら、平民が触れたところでそこまでの問題は生じない気がした。それになにか輝きが曇るようなことがあっても、カティヤの屋敷の使用人が磨き上げてくれるだろう。
箱を開けると、ペンダントにできるよう鎖がついた宝石が目に入った。
「わあ、綺麗……」
「よし、じゃあつけてやる」
「え、でも」
「大丈夫、いまだけ。明日になりゃ、領主の屋敷に持って行くんだから」
鎖を指先でつかみ、食卓の椅子に座らせたネアの首にかけて背後にまわる。金具を止める間、ネアは緊張した様子で固まっていた。
「ほら、できた。おお、すげえ、お姫様みたいだ」
「……こんなのつけたのはじめて」
頬を染めたネアが、そう口にする。
「ああ、そっか。そうだよな」
本物の宝石なんてついていない安物の装飾品なら買ってやれるだろうか、などと思いながらヒスキはネアを見下ろした。
ふと、宝石を見つめるネアの表情が、これまで見たことのないものに見えた気がした。伏せた睫毛の下にある瞳に、一言では言い表せない複雑な感情が内包されているような――。
「ネア?」
「……え?」
兄を見上げる瞳と目が合う。
「ありがとう、もういいよ。なんかすごく豪華なものだし、やっぱりわたしには似合わないよね」
「いや、んなことねえよ。ほら、親父たちが帰って来たら、これまで勝手にいなくなっていた分の埋め合わせとして好きなだけ欲しいもの買ってもらおうぜ」
「えー、お父さんたちも大変なんだよ、きっと。連絡を入れる暇もないくらいに」
「そうかあ? 宝石の一つや二つ、要求してもいいって」
そんな実現しそうにない夢物語を口にしながら首飾りを外し、箱に仕舞い直した。
「ところでさ、ネア。さっき……」
「さっき、なあに?」
先程の表情の理由を聞こうとしたが、ついさっき見たはずのものは、時間が経つと印象が薄れていき霧散してしまった。引っかかりすらなかったかのように、ヒスキの頭から消え去る。
「いや、なんでもねえよ」
「そう。おやすみ、お兄ちゃん」
ネアは椅子から降りて、寝室に戻った。
昼間は迷宮探索なんてものに乗り出したが、夜はいつもと変わらない。こんな日々がずっと続いていくのだろう。
ネアと二人で、街の寂れた一角に立つ古い集合住宅で寝起きする、それがヒスキの日常だ。
最近はその日常に、これまで非日常だと思っていた存在が浸食してきているけれど。ホムンクルスとか錬金術師とか貴族とか、令嬢とかが。
ふと頭に浮かんだカティヤの顔。落とし穴に落ちたときのことが蘇る。今日はいい夢が見られそうだ。
「おやすみ、ネア」
扉に向かってそうつぶやき、ヒスキは借り物の服から普段着の古着に着替えだした。