来訪者と錯綜する想い 1
去年の劇から一年以上経った。また新しい劇をやりたい様子のカティヤに誘われて、話し合いをするためにアスタとヨルンは領主の屋敷を目指していた。
「それにしても、最近は平和ですね」
「そうだな。春になっても雪がやまなかったり、王都で足止めを食らったり、地下迷宮に行ったりしたが、このところは平穏無事に過ぎているな」
ヨルンの返事に、アスタはくすりと笑った。
「カティヤさんに呼び出されるのも、もはやヨルンさんにとって非日常じゃなくなった感じですね」
「人はどんな環境にも慣れるものだな」
「なんでそこで諦めたように言うんですか」
「アスタをはじめとして、周囲の者に大分振り回されている気がするから」
「人聞きが悪いですね。わたしもカティヤさんも、ディックさんほど周囲を振り回してはいませんよ」
「やっとあのときの出来事が薄れてきたというのに、あの貴族の名前を出さないでくれ」
ヨルンは苦い顔になり、額に手をやった。
「最終的にディックさんも心を入れ替えて、打ち解けたじゃないですか、わたしたち」
「アスタはそうかもしれないが、僕は彼と打ち解けた覚えはさらさらないが」
「ええっ!? 窮地を一緒に乗り越えた仲じゃないですか!」
「なぜそこで驚くんだ……」
どうやらヨルンのディックに対する苦手意識は、遺跡での一件の後も変化はないらしい。
「アスタはあの一件をいい思い出だったかのように語るんだな。下手をしたら押し切られて買い取られていたかもしれないのに」
「そうならなかったんだから、こうして一緒に回想できています。渦中にいるときは大変に思えても、終わりよければすべてよしです」
「できれば思い返したくもないんだが。もっとも王都に行かない限り、顔を合わせることもないだろうが――」
「見つけたぞ! アスタ、そしてヨルン!」
噂をすればなんとやら、街の中心部に差し掛かった辺りで浪々とした声が響き渡った。
アスタが振り返ると、この街においては若干派手な装いの金髪碧眼の青年、ディック・ローゼンブラドが目に入った。相変わらず自信満々の様子で、大股で近づいて来る。
その後ろから、従者のロジャーが早足で追いかけて来たのが見えた。
「ディックさん!」
「アスタの街での普段着はそんな格好か? ホムンクルスの白い髪を隠してどうする!」
「大声でホムンクルスって言わないでください!」
髪をまとめた帽子を押さえてアスタは反論した。
たびたび出入りする大通りの店では公然の秘密になっている気もするが、街の住人全員と知り合いになったわけではない。そしてこの辺りに王都ほどの人の行き来があるわけではないが、まったく人通りがないわけでもなかった。
「……なぜこの街にいるんだ」
隣のヨルンが、現実を認めたくないと言いたげなぎこちない動作でディックのほうに顔を向けた。
「うむ。王都から遥々足を延ばして来たからだ!」
腰に手を当て、足を広げて背筋をピンと伸ばし、ディックは堂々と言い放った。
「そうか帰れ」
「ヨルンさん、本音が駄々洩れですよ! もう少し歯に衣着せましょう!」
「辺境の街に侯爵家次期当主がいらしても得るものなどないのだから早々に帰還されることを勧めさせていただきたく」
「丁寧に言っただけで内容同じですね!」
ヨルンの反応が気に食わないのか、ディックは近づいてきてヨルンを見下ろした。
「なんだ、つれないな、ヨルン。ともに絶体絶命の窮地を潜り抜けた仲ではないか」
「ローゼンブラド家のいざこざに巻き込まれただけの身で、貴族の方とお近づきになれたなんて思っていないので」
「ああいう局面で友情が芽生えるのが王道ではないか。俺とアスタのように!」
「アスタの交友相手に口を出す気はないつもりだったが……だったが……」
ヨルンは視線を伏せて、肩をわななかせる。脳内で様々な葛藤が渦巻いているらしい。
「……そもそもアスタのことは諦めたんじゃなかったのか?」
「手に入れることは諦めた。だが、友達になったのだ。会いに来てなにが悪い?」
ヨルンはアスタに視線を向けた。
「アスタ。頼むから、自分に都合がいいように解釈するやたらと行動力がある人間に、甘い言葉をかけないでくれ」
「す、すみません……まさかこんなすぐに会いに来るとは思わず」
アスタやヨルンからしたら、片道半日かかる王都はなかなか行けない場所という印象だが、ディックからしたらそうではなかったらしい。
考えてみたら当たり前だ。王都に滞在していた間、ディックはアスタやカティヤをあちこちに連れ出し、あの遺跡にだって結構な時間をかけて馬車に揺られて向かったのだから。
「よいではないか。王都からクーユオの街など、異国に比べたら近所の類、気軽に会いに来られる距離だ」
「それはそうかもしれませんが」
「ではアスタ、街の案内を頼むぞ!」
「えっ、すみません、先約があって」
「それはヨルンと出歩くことか?」
「二人ともカティヤさんに呼ばれたんですよ」
「カティヤか……」
ディックはわずかに言い澱み、視線を泳がせたかと思ったが、すぐ後にはいつもの調子に戻っていた。
「よしわかった。道中、街の様子を案内してもらいつつ、カティヤの屋敷へ俺も向かうとしよう!」
とても素晴らしいことを思いついたといわんばかりに、高々とディックは宣言した。
「呼ばれていないのに訪れたら困るのでは……ただでさえディックさんのほうが格上の貴族なのに」
「別に盛大にもてなせなどと言っていないぞ。友人に顔を見せに行くだけだ」
ヨルンの主張と同様に、カティヤがディックと親しくなったと言っていた記憶もなかった。
「ロジャーさん、止めてください」
「なぜですか? ディック様がわざわざ会いに行って差し上げるのですから、喜んで歓迎しこそすれ、困るなんてあるわけがないでしょう」
そうだった。ロジャーは主のやることは全肯定する護衛だった。
「では行くぞ皆の衆!」
カティヤの屋敷とは違う、明後日の方向を指さすディック。もはや彼を止められる者は誰もいなかった。
「人通りが少なく、街の整備がなってないな。王都に比べたら田舎だ、辺境と言われるだけのことはあるな」
そんな居丈高な感想を街の住人の前で口にしつつ、ディックは大通りを闊歩して行った。
「さすがディック様。率直で素晴らしい着眼点の感想ですね」
「うむ、そうであろう」
主を賞賛する従者と、満足したように頷く侯爵家次期当主。そんな二人のあとをついて行きながら、ヨルンは渋面を険しくさせていった。
「この分ではカティヤの屋敷に行っても劇の話し合いは進まないだろう。僕は帰っていいか?」
「ディックさんの相手をわたしとカティヤさんだけでするんですか」
「ヒスキも来るんだろう? 領主の家の令嬢とだって気がついたら打ち解けていたんだ。王都の貴族相手でも、物怖じせずにうまく立ち回れるんじゃないのか」
「そうだといいですね」
しかし得てして楽観的な予想は当たらないものだ。
リンドグレン家の屋敷の門を潜り広い庭園を進んで行ったディックは、植え込みの前で箒を手にカティヤと親しげに会話をしていたヒスキを見て、こう言った。
「頭が高いぞ、使用人。辺境の街では庭師が令嬢と気軽に会話できるのか?」
「俺は使用人でも庭師でもねえ。アスタたちが来るまで雑用の仕事を回してもらっただけで……と」
売り言葉に買い言葉が出たらしいヒスキは、領主の家の客が立派な身なりの貴族らしいことと、その後ろにアスタとヨルンがいることを認め、目を見張った。
二の句が継げずにいるヒスキとディックの間に、カティヤが立ち塞がった。
「いきなり来訪しておいて、最初に言うことがそれなの? ヒスキは私の友人よ。侮辱するようなことは言わないでちょうだい」
「友人? 平民だろう?」
信じられないといった調子で、ディックはまじまじとヒスキを見つめた。
なんとか取り成そうと、アスタは口を挟んだ。
「それを言うなら、わたしやヨルンさんだって貴族じゃありませんよ」
「爵位などなくとも俺はヨルンの錬金術師としての能力を買っているし、アスタは他にない特性を持ったホムンクルスではないか。だがそこの平民は違うだろう?」
その言い方に悪気など一切なさそうで、ただ思ったことを口にしているだけに見えた。ごく自然にそうした言葉が出てくるのが、ディックにとっての普通のようだ。
「王都の貴族が階級と特別さでしか人を推し量れないのはよくわかったわ。ここは僻地の街で、私はこの街を治める領主の娘。あなたから見て低俗な場所にいられないというのなら、即刻お引き取りいただきましょう」
「ほう。俺の顔を立てるよりも、その平民を庇うか」
ヒスキを睥睨するディックを、カティヤは毅然とした態度で受け止めた。
一悶着ありそうな緊迫した空気になったかと思われたが――ディックはうむ、と頷いた。
「カティヤに免じて出直そう。来訪の知らせも出さずに来たのはこちらだったな。明日改めて訪問しよう」
「え、ええ……」
ディックはあっさりと踵を返して去って行く。だがその後ろのロジャーは、顔を背ける前にヒスキをにらみつけたように見えた。
突然の来訪者の後ろ姿が小さくなっていき、門から姿を消すのを見届けると、アスタたち四人は安堵の息をついた。
「ディックさんがヒスキさんに対して、ああいう言動になるとは思いませんでした……」
「僕やアスタをそこまで下に見ていなかったから、油断していたな」
しかし冷静に考えたら一般的な貴族らしい言動とも言えた。
「カティヤさん、すみません。街にやって来たディックさんと鉢合わせしまして」
「それで強引について来た、と。災難だったわね」
ディックの人となりはカティヤも理解しているらしく、状況を的確に当ててみせた。
「ヒスキさんもごめんなさい」
「アスタが謝ることじゃねえだろ。気に入らん平民をいきなり殴りつけたりしないだけ、まともなやつなんじゃねえの」
そういう横暴な貴族を知っているかのような言い方だった。同じ街に暮らしていても、錬金術師の館に住むアスタと下町に住むヒスキとでは、見えている現実は違うのだろう。
「ひとまず中に入ってお茶にしましょうか。甘いものを食べれば嫌な気分が吹き飛ぶわ」
カティヤの提案で屋敷に入り、廊下を歩いている最中、ヒスキがぽつりと言った。
「ところでさ。俺、お嬢様の友人だったんだ?」
「あら、なにその反応。友人だと思っていたのは私だけなの?」
先導していたカティヤがヒスキを振り返り、微笑んだ。
「一緒に劇を成功させた仲間でしょう」
「……そうだったな」




