幕間 黄昏の記憶
「スノーベル。 聖なる白銀の鐘? 」
凛とした静かな声に名を呼ばれて、クラトスは振り向いた。
とても懐かしい響きの名前に、クラトスは少しだけ引っ掛かりを覚えたが次の瞬間に忘れてしまった。
「はい、何でしょうか、アルヴィド姉さま。」
勇ましくも美しい真っ白な鎧を身にまとい、ゆったりと優雅に歩く姿はヴァルキュリヤらしく。
神殿で見慣れていたとしても、その美しさにスノーベルはうっとりとした。
しかし、いつも優しくて常にニッコリと微笑んでいるはずのアルヴィドの表情が硬く、心なしか色が青い。
スノーベルは、心配になってアルヴィドを見上げた。
「……雄鶏が哭いた……。
……とうとう、戦が始まるのだ。」
聞こえないほど小さく呟くように、それでも良く通る声によって言葉が確かに紡がれた。
「……え? いく、さ……?」
スノーベルが聞き返すと、アルヴィドは苦しそうにその麗しい顔を歪めた。
「巫女たちが嘆いたのだ。雄鶏が哭けば、黄昏が来ると……、速やかに支度を始めユグドラシルの、ミーミルの森へお行きなさい。」
「なん、という……っ!!」
あまりの言葉に衝撃を受けた。
『黄昏』とは、世界の終焉。 神々の最後の大戦。
地上に生きる生き物も含め、世界が終わる、世界の黄昏と呼ばれるもの。
預言の巫女たちが、以前より主神ヴォーダン様へと警告していた全世界を賭けた戦。
この戦は、嘗て無いほど、あまりにも激しいものになると言われている。
森は焼かれ大地は裂け、劫火と煙を噴き上げ海中へと沈む。
悪が蔓延り疫が流行り、風は悲鳴と恐怖を木霊させ。
水は濁り、日照り、草花は枯れ。
総じて生きとし生けるモノは死に絶え、神々の争いに天は焦げ暗雲により光は陰り。
人々は愛するものを手にかけて殺し合い、正義や秩序は折れ萎えて、瞬く間に思いやる心を失くし。
そういった、あらゆる禍が嵐となって襲い来る。
まさに世界が一度終わり、新たに始まる『世界の黄昏』……。
「……先より頼んでいたことを、どうかよろしく頼む。」
スッ、と無駄のない優美な動作でアルヴィドは頭を下げた。
スノーベルは、ハッとして慌ててアルヴィドに近寄って肩を支えた。
「アルヴィド姉さま! おやめください!
誇り高き戦乙女が、僕のようなものに首を垂れてはなりませんっ!」
「スノーベル、しかし、わたくしたち戦乙女隊の総意なのだ。
巫女たちは、預言を外さない。なれば、我々は皆、戦いの末に儚く散るのだろう……!
しかし、唯一、宿命とはいえ……世界の為に残していくあの子が不憫でっ!
どうか、新しき時代が来るとき、末の妹たるレギンレイヴのことを宜しく頼む!」
「アル、ヴィド……ねえ、さま……っ!!」
いつもにこやかなアルヴィドが、苦渋に満ちた表情で嗚咽を殺して泣いていた。
ポタリ、ポタリと石畳の床に水晶のような涙が落ちて、涙型の染みをつくった。
悲痛な声と言葉に、スノーベルは息をのんだ。
「すでに、あなた以外の七色のこどもたちは、ユグドラシルの聖櫃に横たわる準備をしているわ?
黄昏が終わる新時代まで、ミーミルの森で眠りにつくために。
精霊たちも戦の為に武装し鬨の声をあげるだけ。
スノーマリアベル、もう、残されている時間は無いのですよ。」
「スクルド姉さま!」
カツン、カツンと天馬のブーツを鳴らしながら、歌うように言葉を紡いで、金の混じった黒髪の美少女がマントを翻しながら近づいてくる。
コツン……と、スノーベルのそばで止まる。
いつもは希望に満ち溢れて輝き、まるで晴れ渡った天空のような澄んだ青の瞳が、今は……あらゆる感情が渦巻く『 影 』を落としていた。
スクルドは音もなく膝を折ると、スノーベルと同じ目線になった。
「スノーベル。あと数時間後には世界が壊れるのです。
七色の一欠片、白銀の賢者たるあなたになら、どれだけの傷跡が世界に残るのか分かりますね?」
スノーベルは、グッと目を見開くと口を固く結び顔を歪め、カタカタと恐怖と畏れと悲しみに身を震わせ、爪が掌を破くのではないかと云うほどに拳を握りしめた。
こくり、と首肯すると、スクルドがそっと頭をなぜた。
「あなたたちには酷なことをします。
しかし半神と言っても死せる英雄たちのように戦える翼も悪神より逃れる術もなく、しかし一人一人が希少で尊い魂なれば……あれらが利用しようと欲しがるのも時間の問題。それならば聖櫃にいれて戦火が引くまで、あらゆる禍から遠ざけたいのです。
そしてなにより、我々の小さな愛しい幼子たちに、我々が無様に散る姿を見せたくないのです。」
「そんな、ことっ、ありません!! 勝つはずです!! 巫女様たちも申していたではありませんか!
黄昏は勝利に終わり、新たな暁を呼んで、私たちに光をもたらすと、そう言っていたではありませんか!!」
「スノー?」
アルヴィドに名を呼ばれて、スノーベルはビクリと体を震わせた。
この神殿に召し上げられて、主神ヴァーダン様の七色の侍従がひとりとなり早幾十年。
主神ヴァーダン様の直属の騎士、十二姫からなる戦乙女隊とは、本当の姉弟のような関係を築き上げてきた。
色鮮やかな日々が脳裏を過ぎていく。
だからこそ、名前を呼ばれて瞳で窘められ慰められれば、なにを言わんとしているかなど、すぐに解ってしまった。
ボロッと、大粒の涙がスノーベルの頬を転がった。
「……レギンレイヴ様は、どちらで……? 私たちと共に、聖櫃で眠るのですか……?」
スクルドは、様々な感情を飲み込んで苦しそうに……それでもニッコリと微笑みながら、スノーベルの涙をそっとぬぐった。
「いいえ、あの子とてヴァルキュリヤが一角。ヴォーダン様のお側にて遊撃を行うでしょう。
巫女の預言では、我らが至高の主、誇り高きヴォーダン様は『 悪名高き絶氷の狼』によって戦いの末、儚くなると。
その時に、私の力を使い、次の世界へと送り届けるつもりです。 」
「スノーベル……、スクルドの力は万能ではないから、レギンレイヴが、どの時代の、どの場所に堕ちるかは分からないのだ……。
だから、あなたには……きっと、果てしない旅路が訪れることになるだろう……。
たくさんの絶望や拒絶や別れ、恐怖や辛酸を舐めることもあるのだろう。
けれどっ、どうか勘弁しておくれっ……、わたくしたちを憎んで呪ってくれても構わないっ!
恐ろしく身勝手な願いだと、わたくし共は分かっているっ!
それでもっ! どうか、どうか……!
孤独になるだろうレギンレイヴを探して寄り添って、護ってあげて欲しい……っ!」
「……ねえ、さま……! 」
必死に頼み込む姉姫たちに、スノーベルは息をするのも忘れるほど熱く煮えたぎって燃え盛るような様々な感情の波にのまれた。
大きな悲しみと絶望、そして神聖な使命感が胸の中を焦がし渦巻いて、その苦しさに涙があふれて止まらなかった。
「スノーマリアベル、あなたに祝福を。」
ちゅ、とアルヴィドがスノーベルの額に女神の祝福のキスを落とした。
「私からも。我々の頼りになる小さな弟へ、祝福を。」
ちゅ、とアルヴィドと同じように、女神からの祝福を与えた。
「では、わたくしからもスノーマリアベルに最高の祝福を。」
「え!? ブリュンヒルデ姉さま!? 」
ふわりと天空から舞い降りたブリュンヒルデに、スノーベルは驚いて目を見開きながら見上げた。
ふぁさり、と大きく真っ白な翼をはためかせると、次の瞬間、少し透明度のある純白な羽衣へ変化して腕と背中に巻き付けた。
これは、ヴァルキュリヤだけでなく、女神たちの特徴で大きく優美な翼を生活や式典などで困らないための工夫だった。
キラキラと、白金に輝く髪が陽の光に透けて虹色に瞬く。
意思の強い、深い金朱の瞳が炎のように揺らめいた。
女神たちの中でも一、二を争う美しい容貌。
しかし、その頬につけられた生々しい爪痕を見つけて、スノーベルは小さく悲鳴をあげた。
「ひぇっ!? ヒルデ姉さまっ、そのお顔の傷は!?」
「これ? うふふっ、大したことはないのよ?
ローザに離れたくない、と泣きながらごねられてしまって、ね……。」
クスリ……と、嬉しそうに微笑んで、ブリュンヒルデは自分の頬を撫でた。
「あぁぁ!? 太陽が愛でし薔薇っ!?
なななっ、なんてことをっ!? 」
スノーベルは、卒倒しそうになった。
七色の侍従のひとり、赤のローザは侍従頭だ。
おっとりとした、おおらかな性格な彼女が……まさか、このような情熱的な事をするとは知らなかった。
スノーベルは勢いよく頭を下げて直角になると、ブリュンヒルデにひたすら謝った。
「ろ、ローザルムがっ、誠に申し訳ありませんでしたっ!」
「よいのですよ、スノーベル。 わたくしは嬉しかった。
いつも飄々として穏やかなローザが、取り乱してすがり付く姿の愛らしいこと……。
わたくしは、満足しているの。
泣きすがり、眠りの魔法に抗おうと必死にわたくしに爪を立てた健気さ。本当に……本当にうれしかったの。」
うっとりと微笑みながら、ブリュンヒルデは頬の爪痕をなぞった。
それを見て、スノーベルは苦笑した。
ローザルムとブリュンヒルデとの掛け合いは、いつも、姉妹というより恋人に近いような接し方だったことを思い出したからだった。
「此度の最後の決戦、わたくしたちは死ぬでしょう……。」
ハッとして、スノーベルは顔を上げた。
三人の麗しい戦乙女たちは、慈愛の微笑みを浮かべてスノーベルを見つめていた。
「けれど、消滅するわけではありません。
新たに始まる世界と時代の糧となるのです。
土に、水に。風に、炎に……。空に、大地に。
わたくしたちは溶け込んで、世界の一部となるのです。
輪廻がない魂なので、遠い世界に旅立つわけではないのですよ?
またいつの日にか、世界が必要としたとき。
わたくしたちは違う存在として、新たな使命を持って産まれるのです。
どうか、側にいることを忘れないで……。
どうか、いつまでも哀しまず、幸せを見付けて笑っていて?」
ブリュンヒルデは、穏やかで静かな水面を思わせる慈愛に満ちた微笑みをスノーベルに向けると、額に祝福のキスを落とした。
「さぁ……、お行きなさい……。」
優しいヴァルキュリヤたちの声に、目を瞬くとぽろりと大粒の涙が零れた。
「 クゥ……。」
愛称を呼ばれて振り向くと、場面が切り替わった。
そこは、いつもの待ち合わせにしている草原で。
唯一ポツンと草原の真ん中にある岩棚の、その頂上の端から足を投げ出して座っているレギンレイヴが、嬉しそうに微笑んでスノーベルの名を呼んでいた。
「シャロン……」
レギンレイヴの固有名を呼ぶと、小首を傾けてふわりと嬉しそうに笑う。
畳んでいた漆黒の翼をばさりと伸ばして、次の瞬間、黒銀の羽衣に変えて纏う。
その柔らかな衝撃に、さらりと、黒くて長い髪が風に舞った。
レギンレイヴの甘い香りが、まるでここまで漂ってきたような気がした。
「……クゥ、あのね、ぼく、これから戦に行くことになってね、クゥに……クラトスに、お別れを言いにきたの。」
「っ!?」
レギンレイヴは、世界の要。
彼女の存在は、世界と魔法と理を繋いでいる要なのだ。
だからこそ、生き延びねばならず。
彼女なくては、魔法が世界に満ちず、彼女がなければ魔法が発動しない。
彼女があれば日が昇り、彼女の為に時が進み、日が落ちる。
レギンレイヴの存在値は、世界の基準値。
だから、死に行く他の神々を置いてでも、主神よりも優先され、他の時空軸へ飛ばされるのだ。
女神であって、神々とは異質な存在。
それこそ、神という存在より自然界に近い存在。
世界が、存続するための楔。
その重要性を、彼女は知らされているはずだ。
生き残るのに、なぜお別れを告げようとしているのか……。
スノーベルは戸惑いと恐怖と焦りに、じわじわと侵食されていた。
「お別れ、とは?
どうして、僕がシャロンと別れなければいけないの?
もしかして、……嫌いになっちゃったの? 」
ギリッと、噛み締めた奥歯が嫌な音をたてて軋んだ。
ふるふると、シャロンが首を降った。
「ぼく、このままいつか、クゥのお嫁さんになるんだと思ってたんだ。
でもね……、スクルド姉さまが言ったの。
時間軸と混沌の海を飛び越える衝撃に、もしかしたら記憶と人格を壊されてしまうかもしれないって。」
悲しそうに、そう言って微笑むシャロンに、スノーベルは絶句した。
「記憶と人格が、壊れるって……!
でも、じゃあ、そんな……なんで?! 」
「クゥ……、ごめんね……。
世界の理に必要なのは、ぼくの存在値だよ。
ぼくという存在の値が、輪廻の理に固定されていれば、運命の環は廻れるから……。
だから、ぼくの魂と……魂の依り代になりうる肉片さえあれば、ぼくの『個性』の優先順位は限り無く必要ないの。」
「っ、ぅ……ぁ……っ!?」
あまりの衝撃に、スノーベルは思考することを放棄した。
まるで大岩に頭から潰されて、臓腑も血肉も粉々に砕け散ったような錯覚に陥った。
世界の残酷さに、堪えきれない憎悪が沸き上がった。
パリィ……ン、と世界にひびが入る。
きゃらきゃらと悲しげな音をたてて、崩れた硝子の様に空がひび割れ壊れていく。
草原が深い深い混沌の闇の沼に変わり、ガラガラと奈落に吸い込まれていく。
シャロンがぐらりと後ろに倒れこむ。
クラトスは悲鳴をあげた。
何度も何度もシャロンの名を呼んで、愛しい彼女を助けんと全力で走るのに、有らん限りに手を伸ばすのに、身体が重たくて素早く動けない。
ゆっくりと奈落に向かって傾いていくシャロンが、硝子のような世界の欠片に傷付けられて傾く度に血塗れになっていく。
「ぃっ、いやだあぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
長く豊かで美しいシャロンの黒髪が、血飛沫と共に細切れに散っていく。
音もなく、手足の骨が砕けていくのを目の前で見て、クラトスは発狂したように叫んだ。
シャロンの美しい紫の瞳が緩やかな弧を描いて、哀しげに微笑んだ。
「……さようなら、クラトス……どうか……」
「ァアァァアアアァァアァァアアアァっ!!!
いやだっ、いやァアァァアだぁアアァ!!
シャロンっ!! シャぁぁぁロぉぉぉンんんん!!」
とうとう混沌の海に吸い込まれて闇に消えていった彼女に、クラトスは魂のそこから絶望した。
「ぼくのっ、チャロをぉぉぉぉ、還してぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!!」
ハッ!
っと、クラトスは目を見開いた。
この天井はなんだ、と茫然と眺めた。
混乱する頭が冷え、自室の天井であることを思い出すと、つめていた息をゆるゆると吐きだした。
ドグっ!っと心臓がイヤな音をたてて、拍動した。
次いで悪夢を思い出して、バクバクと全力疾走をしたように心臓が悲鳴をあげる。
全身が、余すことなくびっちょりと汗をかいていた。
イヤな……本当にイヤな思い出だ。
外はまだ、夜明けを遠ざけている闇夜が広がっていた。
「ぼくの、シャロン……ぼくの、だいじな、チャロ……」
ポツリと呟くと、生々しい夢の残滓が心を引っ掻き回して絶望を撒き散らす。
ぽとりぽとりと、夜着に涙が落ちては吸い込まれていく。
身体が勝手に部屋を出て、チャロの部屋に向かう。
そっとドアの隙間から身体を滑り込ませて、音をたてずにチャロのベットの脇に腰掛けた。
ぐっすりと、満たされた表情をした愛らしい寝顔。
けれど、短くなった髪。
起こさないように、クラトスはチャロの髪を鋤く。
「……ぼくの、シャロン……」
ため息のように呟く。
そぅっと頬を撫でれば、チャロの暖かさを感じた。
チャロのゆっくりとした穏やかな呼吸に安堵すると、夢の残滓のせいで凍えきった心に、じんわりと熱が戻ってきた。
「……たとえ、君が……ぼくを忘れても……。
ぼくは君の、魂を……シャロンをずっと愛してる……。」
そう呟くと、寝ているはずのチャロがニッコリと微笑んだ。
きっと、幸福な夢でも見ているのだろう。
ぽとりと、また涙がこぼれた。
幾月、幾年過ぎ去って。
世界を何百、何千、何万周も巡り探して。
もしかしたら、とっくの遠の昔に、気が狂っていたのかもしれないけれど。
まるで、世界をさ迷う幽霊の様に、ずっとずっと探し続けて待ち続けた。
クラトスの愛は、不滅だった。
あるいは執着であり、使命だったのかもしれない。
けれど、やっといま、焦がれた幸福の日々が訪れているのだ。
クラトスは、チャロをじっと見詰めた。
息をしている、眠っている。
朝になれば、クラトスのために食事を用意し共に食卓を囲える。
そして明日も、愛らしい声をたてて笑ってくれるのだ。
ぐしゃりと顔を歪めると、クラトスは嗚咽を殺しながら泣いた。
黄昏が過ぎ去って幾百、幾千年。
いま、やっと、幸せを噛み締めている。
お久しぶりです、遅くなりました!
待ってて下さったかた、本当にごめんなさい!
今回は、クラトスの記憶のお話でした。
少し二人の関係の謎が解ければ幸いですw




