第8話 父との約束
「全部だ」
父さんは、まっすぐ私を見ていた。
怪我のせいで顔色はまだ悪い。
右腕は固定され、身体を少し動かすだけでも痛むはずなのに、その目だけはいつものように力強かった。
「……全部って?」
何を聞かれているのかは分かっている。
それでも私は聞き返した。
父さんは少しだけ黙り、それから口を開く。
「お前の魔法だ」
やはり。
「あれは普通じゃない」
「……」
「俺だって騎士だ。魔法を使う奴は何人も見てきたし、魔獣と戦ったことだってある」
父さんがゆっくり息を吐いた。
「あの魔獣を止めるなら、普通は何十人も集めて挑む相手だ」
昨日村を襲った魔獣は、グラウスと呼ばれる種類だったらしい。
本来はこの辺りに生息していない。
もっと山奥、人間が滅多に立ち入らないような場所に棲む危険な魔獣で、討伐するなら熟練した騎士を何人も集めて挑む相手なのだという。
「それを四歳のお前が一人で止めた」
父さんはそこで一度言葉を切り、こちらを見る。
「しかも、俺が今まで見たこともない魔法でな」
冷却。
凍結。
私としては必要な現象を起こしただけだ。
魔素を使って熱運動を抑え、温度を下げる。それによって周囲の水分を凍らせ、魔獣の動きを封じた。
理屈としては、それほど複雑ではない。
少なくとも私にとっては。
だが、この世界では違うらしい。
氷を作る魔法そのものは存在している。
ただ一般的には、水属性魔法の一種として扱われている。水を生み出して凍らせるか、最初から氷そのものを形成するという考え方だ。
私のように、対象から熱を奪うことで温度そのものを下げるという方法は、少なくとも父さんは知らなかった。
「アル」
「うん」
「お前は何者だ?」
静かな声だった。
責めているわけではない。
怖がっているようにも見えない。
ただ。
知りたい。
そんな声だった。
私は父さんを見る。
言うべきか、ずっと迷っていた。
私には前世の記憶がある。
七十四歳まで生きた。
医師だった。
物理学者だった。
ノーベル賞を受賞した。
そして死んだ。
目を覚ますと、この世界にいた。
そんな話を。
信じてもらえるのだろうか。
「……父さん」
「ん?」
「変なこと言っても、笑わない?」
「内容による」
「そこは笑わないって言ってよ!」
父さんが少し笑った。
「分かった分かった、笑わん」
私は小さく息を吸った。
「私には……前の人生の記憶がある」
父さんの笑顔が消えた。
「前の……人生?」
「うん」
そこから私は話した。
別の世界。
魔法が存在しなかった世界。
鉄で作られた巨大な機械が空を飛び、地球の反対側にいる人間とも瞬時に会話ができる。
人間は月へ行き、目では見えないほど小さな物質を調べ、星がどう生まれ、宇宙がどのように始まったのかまで研究していた。
病気を治す技術も発達していた。
心臓。
脳。
細胞。
細菌。
ウイルス。
人体の仕組みを調べ、壊れた部分を治し、ときには身体の中を切り開いて命を救う。
父さんは一度も口を挟まなかった。
ただ、黙って聞いていた。
「私はそこで七十四年生きた」
口にすると、自分でも妙な気分になる。
目の前にいる私は四歳。
小さな手。
小さな身体。
なのに頭の中には、七十四年間生きた人間の記憶が残っている。
「最初は医者になった」
「医者?」
「この世界でいう治療師に近いかな。病気や怪我を治す仕事」
父さんの表情が僅かに変わった。
昨日、私が怪我人の扱いに妙に詳しかった理由に気付いたのだろう。
「それから研究者になった」
物理学者。
世界の仕組みを研究する人間。
光。
熱。
電気。
重力。
物質。
宇宙。
目の前で起きている現象がなぜ起こるのか。
私はずっと、それを知りたかった。
「でも」
私は自分の小さな手を見る。
「本当に知りたかったものは、別にあった」
「何だ?」
「…魔法」
父さんが少し意外そうな顔をする。
「魔法?」
「うん」
子供の頃からずっと憧れていた。
炎を生み出す。
空を飛ぶ。
手を触れずに物を動かす。
現実には存在しない、不思議な力。
「だから勉強した」
世界の仕組みを知れば。
科学を突き詰めれば。
いつか、自分が魔法と呼んでいるものへ辿り着けるのではないか。
そんなことを本気で考えた時期もあった。
だがいくら調べても、いくら研究しても魔法は見つからなかった。
「最後には……存在しないって結論を出した」
父さんは黙っている。
「それから私は死んだ」
「……どうやって?」
「心臓が止まった」
正確には心筋梗塞だった可能性が高い。
だが、今それを説明しても仕方がない。
「それで次に目を覚ましたら……父さんたちがいた」
知らない天井。
知らない言葉。
小さくなった身体。
何が起きたのか分からなかった。
そして、指先に浮かんだ小さな光。
今でも覚えている。
あの瞬間を。
「嬉しかった」
七十四年間探して。
結局、存在しないと結論を出したものがここにはあった。
本物の魔法が。
「だから研究した」
魔素を調べた。
火を出した。
水を動かした。
空気を操った。
電気を発生させた。
自分の中にある魔素だけではなく、周囲に存在する魔素を取り込み、自分の魔法へ利用する方法も見つけた。
同じ魔素量でも、現象を理解して無駄なく作用させれば、より大きな結果を生み出せることにも気付いた。
私は覚えている限りのことを話した。
すると、父さんの顔がだんだん険しくなってきた。
「……待て待て」
「なに?」
「お前、いつからそんなことやってた?」
「…三歳くらいから」
「夜中に?」
「……主に」
「一人で?」
「……はい」
「危ない魔法も?」
「…危ないの定義によるかな」
「アル」
まずい。
声が一段低くなった。
「電気でちょっと腕が痺れたり」
「おい」
「風で木を切ったり」
「おい!」
「石を溶かしたり――」
「待て待て待て!」
父さんが勢いよく身体を起こそうとして。
「痛っ!」
「ほら! 動かない!」
「誰のせいだと思ってる!」
「私!?」
「今の話を聞いて誰が悪いと思う!」
怒られた。
前世の話より。
転生の話より。
夜中に一人で実験していたことの方を怒られた。
「お前な! もし何かあったらどうするつもりだった!」
「安全には気をつけてたよ」
「四歳児が夜中に一人で石を溶かすのを安全とは言わん!」
「それは……確かに」
反論できない。
父さんは頭を押さえ、大きく息を吐いた。
「ったく……」
「……信じるの?」
私は聞いた。
父さんの動きが止まる。
「前世の話」
「……」
「…普通は信じないと思うけど」
父さんはしばらく私を見つめた。
そして。
「分からん!」
そう答えた。
「え?」
「俺には、お前の言ってることが本当かどうか確かめる方法がない」
その答えは、少し意外だった。
「空を飛ぶ鉄の塊だの、月に行っただの、正直何を言ってるのか半分も分からん」
「……うん」
「前世なんて話も聞いたことがない」
父さんが左手を伸ばす。
私の頭へ乗せた。
「でも、お前が俺を助けてくれたのは本当だ」
「……」
「ユリーカを守ってくれたのもな」
大きな手。
温かい。
「それで十分だ」
「……前世が誰でも?」
「ああ」
父さんが笑う。
「七十四歳の爺さんだろうが」
「爺さん……」
「偉い学者だろうが、医者だろうが」
少し乱暴に頭を撫でられる。
「今のお前は、俺の息子だ」
「……」
まただ。
胸の奥が熱くなる。
視界が滲む。
昨日。
父さんと呼んだときと同じ感覚。
どうにもまだ慣れない。
「だから」
父さんの声が低くなった。
嫌な予感。
「二度と一人で危険な実験はするな」
「……」
「返事」
「はい」
「夜中に勝手に外へ出ない」
「はい」
「あと電気とかいうやつ」
「うん」
「一人では禁止」
「……一人では?」
父さんが私を見る。
「完全に禁止したところで、お前どうせ隠れてやるだろ」
「…そんなことは」
「やらないのか?」
「……」
答えに詰まった。
父さんは呆れたようにため息をつく。
「なら最初から、俺か誰かがいるところでやれ。危ないと思ったら止める」
「……分かった」
正直、完全禁止と言われると思っていた。
これなら研究は続けられる。
「ただし」
父さんが続ける。
「魔法を研究するなとは言わん」
私は顔を上げた。
「……いいの?」
「ああ」
「本当に?」
「お前からそれ取り上げたら、それこそ何するか分からんからな」
否定できない。
「その代わり、約束しろ」
父さんが小指を出した。
「自分の命を粗末にするな」
「……」
「知らないことを知りたい、魔法を研究したい、好きにすればいい」
父さんは私をまっすぐ見る。
「だが、生きて帰ってこい」
その言葉を聞いた瞬間、前世の最後を思い出した。
深夜の研究室。
誰もいない部屋。
胸の痛み。
床へ倒れ、一人で死んだ。
怖くはなかった。
七十四年生きたし、やりたい研究もした。
ノーベル賞まで取った。
もう十分だと、そう思っていた。
だが今は違う。
「……分かった」
私は父さんの小指へ、自分の小さな指を絡める。
「約束するよ」
この世界ではまだ知りたいことが山ほどある。
研究したい魔法も。
見たことのない現象も。
知らない場所も。
帰ってきたい場所もある。
「よし!」
父さんが笑った。
「約束だからな!」
「うん!」
そのとき、扉が勢いよく開いた。
「父さーん!」
ユリーカが入ってきた。
手には食事の乗った皿を持っている。
「ごはん持ってきた!」
「おお、ありがとうユリーカ」
ユリーカがこちらを見る。
「あれ? アルもいたの?」
「いたよ」
「何話してたの?」
「……」
私は父さんを見る。
父さんも私を見る。
一瞬だけ目が合った。
「男同士の秘密の話だ」
父さんが答えた。
「ちょっと、なにそれ!」
「秘密は秘密だ」
「もー!ずるい!」
ユリーカが頬を膨らませる。
私は思わず笑った。
前世のことはユリーカにはまだ話さないことにした。
隠したいわけではない。
ただ、すぐ全てを話す必要もないと思った。
いつか話せるときが来たらそのときでいい。
数日後。
父さんはまだベッドから動けなかった。
それでも村は少しずつ日常を取り戻し始めていた。
問題はあの魔獣だった。
私が凍結させたグラウスは、その後騎士たちによって処理され、身体や周辺の森についても調査が行われた。
その結果、いくつか奇妙なことが分かった。
グラウスが現れた森には、通常では考えられないほど濃い魔素が残っていた。
さらに、魔獣そのものにも異常があったという。
通常の個体より明らかに大きく、身体能力も高い。
何より保有する魔素量が多すぎる。
「……突然変異?」
私は机に広げた森の地図を見ながら、父さんから聞いた情報を整理する。
本来の生息地から遠く離れた場所に現れた魔獣。
異常な巨大化。
通常個体を上回る魔素量。
そして、森に残された高濃度の魔素。
偶然か?
もちろんその可能性はある。
だが、あまりにも条件が重なっている。
調べたい……
「駄目だぞ」
背後から声。
振り返る。
ベッドの上から父さんがこちらを見ていた。
「まだ何も言ってないよ」
「顔に書いてある」
「……」
「約束したばかりだろ」
「一人では行かないよ」
「誰かとなら行くつもりだったのか?」
「……」
「アル」
「分かってる」
今すぐ森へ向かうつもりはない。
少なくとも今は。
「それより」
父さんが一枚の紙を差し出した。
「何これ?」
「王都からだ」
「王都?」
この国の中心、国王が住む都市。
当然行ったことはない。
私は紙を受け取った。
だがまだこの世界の文字を完全には読めない。
「何て書いてあるの?」
「魔獣の件を報告した」
「うん」
「当然、お前のこともな」
「……」
嫌な予感がする。
「四歳の子供が、一人でグラウスを止めました」
「そうなるな」
「信じてもらえた?」
「信じてもらえなかったよ」
だろうな。
私でも報告書だけ見たら疑う。
「それで」
父さんが続ける。
「確認したいそうだ」
「何を?」
「お前を」
「……」
私は紙を見る。
王都。
今まで私が知っている世界のほとんどは、この村と周囲の森だけだった。
だが王都なら。
本がある。
魔法の専門家がいる。
研究施設も。
見たことのない魔道具も。
そして何より。
この世界で積み重ねられてきた魔法の知識がある。
「……行きたい」
即答だった。
父さんが呆れた顔をする。
「はぁ、そう言うと思った」
「いつ?」
「今すぐじゃない」
「明日?」
「違う!」
「一週間後?」
「話を聞け!」
どうやら正式に呼び出されたわけではないらしい。
今回はあくまで状況確認。
それに、四歳の私を王都へ連れていくつもりも、今のところ父さんにはない。
「じゃあ、いつ行ける?」
「そうだな……」
父さんが少し考え。
「まずは、ちゃんと魔法を学べ」
「学んでるよ」
「独学じゃなくてだ」
「……誰に?」
父さんが笑った。
「ユリーカの母親が使っていた魔法書が残ってる」
「……魔法書?」
思考が止まった。
「そんなものが家にあったの?」
「ああ」
「どこ!?」
「落ち着け!」
無理だ。
魔法書。
この世界へ来て初めて手に入る。
体系的に書かれたまともな魔法の資料。
「見たい!」
「分かった分かった!」
「今!」
「飯食ってからだ!」
「先に本!」
「飯!」
「本!」
「飯だ!」
「……」
父さんは頑固だった。
怪我人なのに。
夕食後。
一冊の古い本が私の前に置かれた。
革張りでかなり使い込まれている。
表紙にはこの世界の文字。
私はゆっくりと読む。
『魔法基礎理論』
「……」
胸が高鳴る。
ようやく。
この世界の人間が、魔法という現象をどのように理解しているのか知ることができる。
これまで私がやってきたのは。
観察。
実験。
推測。
ほとんどが独学だった。
だが、この世界では私より遥か昔から魔法が使われている。
何百年。
あるいは何千年。
その間に蓄積された知識があるはずだ。
私が知らない法則も。
魔素の正体へ近づく理論も。
すでに発見されているかもしれない。
期待しながら私は表紙を開いた。
最初のページ。
そこには、こう書かれていた。
『魔法とは、魔素を六つの属性へ変換することで発生する現象である』
「……」
手が止まった。
もう一度読む。
火。
水。
風。
土。
光。
闇。
世界を構成する六属性。
全ての魔法は、この六つのいずれかに属する。
「……違う」
思わず声が漏れた。
父さんがこちらを見る。
「どうした?」
「……いや」
私は答えず、ページをめくった。
火属性、魔素を炎へ変換する。
水属性、魔素を水へ変換する。
風属性、魔素を風へ変換する。
土属性、魔素を大地へ変換、あるいは干渉する。
光。
闇。
ページをさらにめくる。
しかしどこにも書かれていない。
なぜ?
どうやって?
魔素が炎になるとは、具体的に何が起きている?
魔素そのものが物質へ変換されるのか?
それとも既存の物質へ作用している?
どれだけの魔素を使えば、どれだけの熱量が生まれる?
変換効率は?
損失は?
温度は?
圧力は?
魔素量と現象の規模には、どんな関係がある?
何もなかった。
代わりに書かれているのは。
イメージ。
詠唱。
適性。
感覚。
より鮮明に炎を想像せよ。
魔素の流れを感じよ。
属性との親和性を高めよ。
「……これが」
私は本を見つめる。
「この世界の魔法理論……?」
一瞬、落胆しかけた。
もっと進んでいると思っていた。
私が八十年近く待ち続けた魔法という現象を、この世界の人々は生まれたときから知っている。
なら当然、私より遥か先まで研究しているものだと思っていた。
だが違う。
少なくとも、この本に書かれている内容を見る限りでは。
この世界は、魔法を使う方法は知っている。けれど、魔法がなぜ起こるのかはほとんど説明できていない。
私はもう一度、最初のページへ戻る。
『魔法とは、魔素を六つの属性へ変換することで発生する現象である』
本当に?
なぜ六つなのか。
なぜ火と水と風と土と光と闇なのか。
昨日、私が使った冷却はどこに入る?
熱を奪っただけなら水属性なのか?
では電気は?
風属性?
なぜ?
魔素そのものに属性が存在するという証拠は?
「……」
口元が。
勝手に上がっていった。
「アル?」
父さんが怪訝そうにこちらを見る。
落胆ではない。
むしろ逆だった。
まだ分かっていないことがある。
それも山ほど。
この世界では何千年も魔法が使われているのかもしれない。
だが、使えることと理解していることは違う。
前世でも同じだった。
人類は物が地面へ落ちることを、重力という言葉が生まれる遥か昔から知っていた。
雷も。
星も。
病気も。
ずっと存在していた。
それを、なぜ起こるのか。
どういう法則に従っているのか。
一つずつ調べていったから科学になった。
なら魔法だって同じはずだ。
「父さん」
「なんだ?」
「紙ほしい」
「紙?」
「いっぱい」
「何に使うんだ?」
私は魔法書を閉じる。
頭の中ではすでにいくつもの疑問が並び始めていた。
魔素とは何か。
属性とは何か。
魔素量と出力の関係。
現象ごとの消費量。
距離による損失。
制御精度。
詠唱の意味。
魔法陣の構造。
そして、そもそもこの本に書かれていることは、本当に正しいのか。
私は笑った。
「新しい魔法理論を作る」
父さんはしばらく黙っていた。
「……お前、四歳だよな?」
「今はね」
前世では、世界の法則を研究した。
光を。
熱を。
物質を。
宇宙を。
そして今世ではそこに、魔法という未知の現象が加わった。
ならば、やることは同じだ。
観察する。
仮説を立てる。
実験する。
結果を見る。
間違っていれば修正する。
何度でも。
火とは何か。
水とは何か。
魔素とは何か。
属性とは何か。
そして魔法とは一体何なのか。
既存の理論が答えてくれないのなら。
自分で調べればいいし、自分で確かめればいい。
そしていつか答えを見つければいい。
こうして、後に世界中の魔法使いが学ぶことになる全く新しい学問。
『魔法物理学』
その最初の研究が。
小さな村の一冊の古びた魔法書と、一人の四歳児から始まった。




