第55話 魔素で動く世界
三日間の帰省を終え、私とユリーカは再び王都へ戻った。
帰りの馬車では、ユリーカが母親の残した『魔法基礎理論』をずっと読んでいた。
村を出る前、ダンネルから「持っていけ」と渡されたらしい。
以前のユリーカなら難しいところを何頁か読んで閉じていたと思うが、工房で魔道具を扱うようになった今は違う。
余白に残された術式図を見て、ときどき何かを書き写している。
「分かる?」
私が聞くと、ユリーカは本から顔を上げた。
「全部じゃない。でも前よりはかなり分かるよ。母さん、やっぱり魔素の流れを調整する書き込みが多いんだよね」
「工房で見た古い術式板と似てたやつ?」
「それも。戻ったら親方に聞いてみる」
楽しそうだった。
母親の話を聞く前と後で何か大きく変わったわけではない。
でもユリーカにとってあの本は、もう単なる遺品ではないのだと思う。
自分と同じように魔道具へ触れ、壊れたものを直し、魔素の流れを考えていた一人の人間が残したもの。
そのことが分かっただけでも、今回帰った意味はあった。
王都へ着くと、私たちは門の近くで別れた。
「じゃあ私、工房戻るね」
「今日から?」
「休み三日しか取ってないもん」
「もう一日休めばいいのに」
「……アルに言われたくない」
学院に直行しようとしていた私には何も言い返せなかった。
ユリーカは荷物の中から工具が入っているらしい鞄を持ち直すと、そのまま工房の方向へ歩いていった。
私は学院へ向かう。
久しぶりと言っても三日しか離れていない。それなのに、正門をくぐった瞬間には完全にいつもの感覚へ戻っていた。
研究室。
授業。
訓練場。
そして、私を見つけるなり駆け寄ってくるリーナ。
「おかえり」
「ただいま」
「どうだった?」
「普通だったよ」
「それだけ?」
「父さんの料理、量が多かった」
「そこ?」
他にもいろいろあったけれど、ユリーカの母親についてどこまで話すかは私が決めることではない。
だから、その部分は話さなかった。
ただし、私が村から戻ってきた日に待っていたのは普通の学院生活だけではなかった。
昼休みが終わる頃、私とリーナは揃って学院長室へ呼ばれた。
「何かした?」
廊下を歩きながらリーナが聞く。
「何もしてない…と思うけど」
「アルの場合その言い方が信用できないんだよね」
「今回は本当に何もしてない!」
「今回?」
……揚げ足を取られた。
学院長室へ入ると、グレアムのほかに数人の教員がいた。
実技担当。
術式理論担当。
魔法史の担当までいる。
……少し嫌な感じがする。
「座れ」
グレアムに言われ、私とリーナは並んで椅子へ座った。
「先に言っておくが、叱るために呼んだわけではない」
「それなら良かった…」
「アル、お前は叱られるような危険な事をよくしでかすが、今日は違う」
……余計だよ。
グレアムは机の上に二枚の書類を置いた。
一枚には私の名前。
もう一枚は、リーナ・フェルミアと書かれている。
「以前から教員間で検討していたが、二人には次の学期から上位課程へ移ってもらう」
リーナが瞬きをする。
私は少し遅れて意味を理解した。
「飛び級?」
「そうだ」
グレアムは簡単に答えた。
学院では原則として年齢と在籍年数に応じて課程が分かれている。
ただ、実力差が大きすぎる場合に限り、試験と教員会議を経て上位課程へ移る制度があるらしい。
存在は知っていたが……でも。
「リーナも?」
私が言うと、隣から肘が飛んできた。
「何でアルが驚くの」
「いや、そういう意味じゃなくて」
「どういう意味?」
話が面倒な方向へ行きそうだったので黙る。
グレアムが咳払いをする。
「アルについては説明するまでもない。実技、術式理論、魔素制御のどれを見ても、現在の課程へ置いておく理由がない」
そこまで言われると少し恥ずかしい。
「問題行動は多いがな」
……さっきから一言余計だよ!
「一方でリーナは、単純な魔法出力では上位課程の平均に届かない」
リーナの表情が僅かに固くなった。
だが、グレアムは続ける。
「だが精密制御、術式理解、測定技術、理論面ではすでに上位課程の水準へ入っている。特にアルの研究へ長く付き合ったせいで、普通の学生が触れない測定方法まで覚えてしまった」
「付き合ったせいで?」
リーナが聞く。
「……褒めているんだが」
「そうは聞こえませんでした」
私と似たようなことを言っている。
術式理論担当の教員が、リーナの試験結果を机へ置いた。
「魔法出力だけで評価すれば君は目立たない。しかし、制御誤差は同学年で最小、術式の修正課題ではすでに上位課程の平均を超えている。今の授業を繰り返すより、難度を上げた方が伸びる、という判断だ」
リーナはしばらく書類を見たあと、小さく頷いた。
「そのお話、お受けします」
即答だった。
私も断る理由はない。
「私も」
「お前は聞く前から決まっておったわ」
……選択権はなかった。
こうして、私とリーナは次の学期から一緒に上位課程へ移ることになった。
年齢だけ見ればかなり早いらしい。
特に私は十三歳なので、しばらくは周囲から目立つだろうと言われた。
でも研究できる内容が増えるなら問題ない。
むしろ嬉しい。
学院長室を出てから、リーナはしばらく黙っていた。
「嬉しくない?」
私が聞く。
「嬉しいよ」
「じゃあ何でそんな顔?」
「アルと一緒に飛び級かぁって」
「嫌?」
「……逆だよ」
それだけ言うと、何故か少し先を歩いていった。
意味は分からなかった。
その日の放課後。
私は研究室へ向かった。
帰省中に途中まで読んでいたエルグラッド関連資料が、机の上へまとめて置かれている。
探索は禁止されている、でも研究は禁止されていない。
この二か月で翻訳が進んだ記録の中に、一つ気になるものがあった。
『外周供給路』
『自動流入』
『負荷追従』
『中枢外設備』
この四つ。
最初は、塔へ魔素を送るための設備だと思っていた。
だが、地下都市で見た構造図と照らし合わせるとおかしい。
供給路は塔だけへ向かっていない。
住宅らしき区画、工房、研究施設、通路。
さらに、用途不明の小型設備へも枝分かれしている。
私は構造図を広げた。
地下都市の中央には塔。
そこへ巨大な魔素流が集まっている。
しかし、その手前で何本もの流れが分岐し、都市全体へ伸びている。
「……アル」
後ろから声がした。
リーナだった。
「まだ帰ってなかったの?」
「アルもじゃん」
そのまま私の横へ座る。
「何見てるの?」
私は図を指した。
「エルグラッドの魔素供給路。前は全部塔への魔素供給だとおもっていたけど、違うかもしれない」
「どこが?」
「ここ」
住宅区画らしき場所へ伸びる線。
その先には、大きな術式施設があるわけではない。
小さい。
むしろ、生活設備と思われる。
「もしこれが魔素を運ぶ線だったら?」
私が聞く。
リーナが少し考える。
「家まで魔素を送ってた?」
「多分。でも、それだけじゃない」
私は別の記録を出した。
『自動流入』
『負荷追従』
使用者が自分の魔素を入れる、もしくは魔石に蓄えられた魔素を使用する。
今の魔道具はほとんどそれだ。
加熱器、照明、冷却器、生活用の魔道具。
そのどれも、人間が魔素を供給して動かす。
大きな設備なら魔石を使うこともあるが、どちらにしても魔素源を個別に用意する必要がある。
エルグラッドでは魔脈から直接供給していたのだろうか?
「周囲の魔素を勝手に取り込んでた?」
リーナが言った。
私は頷く。
「それなら『自動流入』と『負荷追従』の意味が通るね」
使っていないときは取り込みを減らす。
動かしたときだけ必要量を吸収する。
人間が毎回自分の魔素を流さなくても装置そのものが、周囲から魔素を供給される。
私は前世を思い出した。
電気、発電所、送電線。
そして、コンセントへ繋げば動く機械。
もちろん同じではない、この世界には電力網がない。
少なくとも今は。
でも、魔脈を巨大な供給源として使い、そこから各設備が必要な魔素を受け取っていたなら。
役割としては。
「……電動機に近い」
私は呟いた。
「でんどうき?」
リーナが聞く。
「あ、いや魔道具のことだよ。人や魔石以外の外部から供給される動力を受け取って動く装置みたいなイメージ」
「じゃあエルグラッドも?」
「そういった魔道具や魔素の供給網が普及していた可能性はある」
私は地下都市の図を見直す。
用途は分からないが、古代都市には大量の魔道具が存在していた形跡がある。
全部を人間が一台ずつ魔素を流して動かしていた?
いや、さすがに効率が悪すぎる。
それよりも、地下を流れる魔脈から自動的に魔素を取り込み、必要な場所へ配る。
その方が遥かに自然だ。
「だからあれだけ大きな地下都市を維持できたのかな?」
リーナが言う。
「多分ね」
さらに考える。
もしエルグラッドだけではないなら、同じ時代、別の都市、別の国、古代文明全体がこの技術を使っていた可能性もあるのか?
「世界中にあった?」
自分で言って少しぞっとした。
「何が?」
「魔脈の魔素を利用する魔道具」
リーナが黙る。
私は別の年代別地域の古代資料を広げる。
直接エルグラッドと繋がる証拠はない。
でも、古代の遺跡では現在でも用途不明とされている魔素導管、自動発光設備、使用者不明の動力術式。
そういうものがいくつも報告されている。
当初、私は単に高度な魔道具なのだと思っていた。
でも、もしかしたら個々の装置がすごかったのではなく、魔素供給の仕組みそのものが違っていた?
「……文明の前提が違う」
リーナが私を見る。
「そこまで?」
「今の魔道具は、人が魔素を入れることが前提。でも古代は、魔道具が自分で魔素を取ってくることが前提だったのかもしれない」
もしそうなら差は大きい。
今の世界では魔法使いの数、魔力量、魔石、それが魔道具の普及限界になる。
でも、周囲にある魔素を装置が直接使えるなら話が変わる。
人間の魔素量に依存しない。
「なのに、何でなくなったの?」
リーナが聞いたそれが一番おかしい。
二千年以上経っている。
技術は普通なら少しずつ残るはず。
完全な形でなくても何かは継承される。
それなのに、現代では周囲の魔素を能動的に取り込む魔道具など、私は一度も見たことがない。
古代遺跡の技術は、一部だけ断片的に残った魔法陣、術式、加工法。
でも、それらの基盤になるはずの外部魔素利用に関する情報だけが異様なほど抜け落ちている。
「塔の事故?」
リーナが言った。
私はすぐには答えなかった。
……あり得る。
古代エルグラッドで塔が暴走し、世界規模へ影響が拡大。
もし、原因が魔脈を利用した大規模な魔素供給技術だったなら、事故のあと技術そのものが危険視されてもおかしくない。
禁止、破棄、封印、記録の削除。
それならある程度は説明できる。
でも全部?
世界中から?
何百年も、何千年も?
「それだけで、ここまで綺麗に消えるかな…」
私は言った。
リーナも首を傾げる。
エルグラッドの記録には、神を意味する可能性のある記号がある。
塔の停止、外部干渉、境界外。
それらとの関係はまだ分からない。
「神が消した?」
リーナが小さく言った。
「分からない」
私は即答した。
そこは推測を越えない。
「でも、誰かが意図的に残さなかった可能性はあると思う」
技術が自然に失われたのか、古代人が自分たちで捨てたのか、それとも別の何かが失わせたのか。
今は分からない。
ただ、現代の技術水準を見れば見るほど、後退が不自然に感じる。
空中魔法陣、結界、自動補正、座標固定、そして魔脈利用。
古代人は今より明らかに先へ進んでいた、なのに現代はその一部を再発見しながら進んでいる。
まるで、一度積み上げた階段を途中から全部壊されたように。
私はそこまで考えて、止めた。
「今考えても、答えは出ないね」
リーナが言う。
「うん」
「……珍しい」
「最近、よく言われるよ」
今は歴史ではなく目の前の理論。
もし古代文明が、周囲の魔素を魔道具へ自動的に取り込んでいたのなら、再現できるかもしれない。
私は紙を一枚新しく出した。
「やるの?」
リーナが聞く。
「まずは理論だけ」
「本当に?」
「とりあえず、今日はね」
……ラウエルがいなくても同じことを言われるようになった。
まず必要なのは、入口魔素を周囲から装置内へ引き込む方法。
私は自分自身でそれができる。
でも、私の方法では意識が必要。
魔道具には意識がない。
なら自動的に流れが生まれる条件を術式側で作ればいい。
「濃度差?」
リーナが言う。
「それも使える。でも、吸い込むだけだと周囲と同じ濃度になったら止まる」
「じゃあ中で消費する」
「そう」
魔道具内部へ魔素を流す。
消費すれば、内部濃度が僅かに下がる。
そして外部から入る、さらにまた使う。
循環。
ただし、自然流入だけでは遅い。
そこで魔法陣。
外側に誘導層、魔素が装置へ近づきやすい流向を作る。
結界が、周囲の魔素を避けさせたのと逆で、避けるのではなく集める。
「第一結界の逆?」
リーナが言った。
「かなり近い」
エルグラッドの結界、バルディオス、外部魔素制御。
今まで、別々だと思っていた研究が一つへ繋がる。
私は術式を四つへ分けた。
第一、周囲の魔素を装置側へ誘導する。
第二、取り込む量を制限する。
第三、内部で必要な術式へ分配する。
第四、余った魔素を外へ戻す。
「余ったら捨てるの?」
リーナが聞く。
「溜めすぎた方が危ない。少なくとも最初は、蓄積しない方がいい」
魔石のような貯蔵はあとでいい。
まず、安全に外から取り込み、使い、余剰を逃がす。
さらに負荷、魔道具が停止しているとき吸収まで続ける必要はない。
術式が動いたときだけ内部魔素が消費され不足が発生する。
その不足を、取り込み層へ伝える。
つまり。
「負荷追従……」
私は古代文字を思い出した、リーナも同時に気付いた。
「エルグラッドの記録と同じ」
「多分これだ」
何かを使えば必要量が増える、止めれば減る、魔道具側が自動的に取り込み量を変える。
人が魔素量を調整する必要はない。
「これなら……」
リーナが紙を覗き込む。
「魔素が少ない人でも使える?」
「使えるね」
「魔素を持ってない人は?」
私は少し考える。
起動信号だけ必要なら、外部から小さな魔石、あるいは機械的な切り替え、他の方法が使える。
一度動けば主なエネルギー源は周囲にある魔素だ。
「理論上は使える」
リーナが目を大きくした。
それが何を意味するのか、多分分かった。
魔力量に依存しない魔道具。
もし安定して動かせるなら。
生活、産業。
……何もかも変わる。
でもまだ紙の上の空論だ。
私は最後に術式構造を一枚へまとめた。
外周、集束誘導、その内側。
流入制限、中心。
負荷検出と出力術式、余剰魔素は別経路から外へ逃がす。
人間が、自分の魔素を送り続けなくても周囲から必要な分だけ取り込む。
「……できた」
リーナが紙を見る。
「これ、名前は?」
考えていなかった。
「外部魔素供給式魔道具?」
「長い」
「周辺魔素自動供給?」
「まだ長い」
「じゃあ後で決めよう」
「それがいい」
名前はどうでもいい、大事なのは理論。
私は完成した術式図を見る。
まだ一度も動かしていない。
本当に自動で周囲の魔素を取り込めるのか、取り込み量を負荷へ合わせられるのか、暴走しないのか、検証することは山ほどある。
それでも初めて形になった。
私が、幼い頃に自分自身で周囲の魔素を取り込めた。あの技術、それを人間ではなく魔道具へ移す。
もし成功すれば、失われた古代技術の一部を現代で再び作れるかもしれない。
「アル」
リーナが呼ぶ。
「何?」
「楽しそう」
「うん」
今回は否定しなかった。
エルグラッドの塔、世界規模の事故、神、不自然な技術の後退。
それらの答えはまだ遥か先、でも失われたものが何だったのか、一つだけ見え始めた。
古代文明は、魔法使いの魔力量だけで動いていた世界ではない周囲にある魔素、魔脈、世界そのものに満ちている力を道具が自分で取り込み使っていた。
地球で、電気が無数の機械を動かしていたように。
この世界には、かつて魔素で動く文明が存在したのかもしれない。
そして今その入り口となる理論が私たちの机の上に、もう一度生まれた。




