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魔法を否定した天才物理学者、異世界で魔法の神になる  作者: 月城宮 雅仁
第六章 封じられた研究

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第54話 帰る場所

エルグラッド地下遺跡深域への追加探索が保留になってから二か月ほどが経った。


何も起きなかったわけではない。


むしろ私個人で言えば、研究だけならかなり進んだ二か月だった。


ただ、ここ最近のように短期間に厄災級が現れたり、古代遺跡の結界を突破したり、世界が滅びかけた記録を発見したりするようなことはなかった。


普通に授業を受け、放課後に研究し、セレナから空中魔法陣を教わり、ミレイユとは治癒魔法と医学の知識を交換する。


リーナとも以前から続けている術式効率の実験を何度も行った。


久しぶりに、時間がちゃんと流れている感覚があった。


その間に進めていた研究は、大きく三つある。


一つ目は魔獣。


バルディオスとの戦い以降、王立魔法研究院には魔獣が持つ魔素器官や、通常の動物とは異なる組織構造に関する資料が集まり始めていた。


以前の私は、魔獣を「魔素を多く持つ生物」くらいに考えていたが、調べるほどに単純ではない事がわかってきた。


種類によって違いはあるものの、魔獣の多くには体内魔素を一時的に集める部位があり、そこから身体強化や属性現象へ振り分けているらしい。


人間の魔法使いが、意識的に魔素を制御して術式を作るのとは少し違う。


魔獣の場合もっと身体機能に近い。


「臓器みたいなものかな?」


私が言ったとき、ミレイユはかなり嫌そうな顔をした。


「アル、それ解剖したいって言わないよね?」


「資料だけで分からなかったらね」


「……言うと思った」


まだ実際にはやっていない。


……今のところは。


興味深かったのは、バルディオスが周囲の魔素を大量に取り込んでいたことだ。


私の外部魔素取り込みとは仕組みが違う可能性が高い。


私は周囲の魔素を意識的に取り込み、自分の内部魔素へ一度組み込んでから使用する。


一方、バルディオスは魔脈から流れ込む魔素をもっと直接的に身体機能へ利用していたように見えた。


つまり、外部魔素を利用する生物は私だけではない。


それが分かっただけでも大きい。


二つ目は魔脈。


北東山地だけではなく、王都周辺や過去の調査記録も含めて流向を比較した結果、魔脈は完全に固定された地下の「川」ではない可能性が高くなった。


大きな流れは長期間維持される。


ただし、周囲の魔素濃度、地形、巨大な術式の稼働、そして魔獣の活動によって細かな経路は変化する。


バルディオス出現前後で北東山地の支流が動いたことも、それなら説明できる。


さらに、エルグラッド周辺だけは少し特殊だった。


探索そのものは禁止されているが、地上と既存観測地点からの測定は続いている。


その結果、地下深域の方向へ向かう流れは現在も残っているものの、二重結界の内側で確認した痕跡ほど大量ではない。


昔はもっと大きな流れが、あそこへ集まっていた可能性がある。


……おそらく、塔が存在していたからだろうか。


三つ目はエルグラッドから回収した記録。


翻訳はまだ終わっていない。


二千年以上前の文字であるうえ、専門用語が多すぎる。


それでも二か月前より読める部分はかなり増えた。


『共振』


『中枢』


『境界』


『流量』


『循環』


頻繁に出てくる言葉はその辺り。


ただし、一番知りたいのは何を研究していたのか、何を起動したのか、なぜ塔が周囲の空間ごと消えたのか。


その答えに直接繋がる部分は、相変わらず抜けている。


意図的なのか、記録が失われただけなのかまだ分からない。


そして神を意味する可能性がある、あの古い記号。


同じ記号は、別の記録板からも二つだけ見つかった。


ただし、どちらも文章の中心ではない。


一つは『停止後』という記録の近く。


もう一つは『境界外』と読める文字の近く。


それだけだ。


何者かが実際に存在した証拠にはならない、でも偶然とも少し言いにくくなってきた。


「また難しい顔してる」


声を掛けられて私は顔を上げた。


学院の研究室、向かいにいるのはリーナ。


「そんな顔してた?」


「してたよ。最近エルグラッドの資料読むと毎回その顔だよ」


「……どんな顔なの?」


「世界の全部を今すぐ理解したい顔」


「そんな顔ある?」


「アルにはある」


……なんだよそれ。


私は資料を閉じた。


今日はここまで。


「そういえば」


リーナが言う。


「明日だっけ?」


「何が?」


「帰る日」


一瞬考える。


「ああ」


「ユリーカと一緒に村へ帰るんでしょ?」


「うん。数日だけね」


二か月ぶり。


ダンネルが王都を離れてからは、村へ帰る機会がなかった。


ユリーカから帰ると聞いた。


工房からも数日の休みをもらえたらしい。


「いいな……」


リーナが言う。


「リーナも来る?」


何となく聞いた。


「……え」


固まった。


「嫌ならいいけど」


「い、嫌じゃないけど!」


何でそんなに慌てるんだろうか?


「こ、今回は家族の話もあるみたいだからさ!」


少ししてリーナが言った。


「家族の話?」


「ユリーカから聞いてないの?」


「ん? 何を?」


リーナは少し困った顔をした。


「……じゃあ私からは言わない方がいいね」


気になる。


でも、聞いても教えてくれなかった。



翌朝。


王都の門前でユリーカと待ち合わせた。


「アル! 遅い!」


ユリーカの第一声だった。


「時間通りだよ」


「私が早かったの!」


「じゃあ遅くないじゃん」


「気分の問題!」


……意味が分からない。


ユリーカは工房の作業着ではなく、久しぶりに普通の服を着ていた。


荷物も少ない。


「それだけ?」


「三日くらいだし」


「工具入ってない?」


「少しね!」


……入っているらしい。


馬車へ乗り、王都を出る。


しばらくして建物が減る。


畑、森、街道。


見慣れた景色。


学院へ入る前、何度も通った道。


不思議だった。


たった一年ほどしか経っていないのに、随分昔のことに感じる。


「アル」


ユリーカが窓の外を見ながら呼んだ。


「ん? 何?」


「王都、楽しい?」


「うん」


「即答だね」


……どこかで聞いた言い方。


「ユリーカは?」


「楽しいよ!」


やっぱり即答。


「親方に怒られてるらしいけど」


「誰から聞いたの?」


「手紙」


「父さん!?」


……犯人はダンネルだ。


二人で少し笑う。


馬車が揺れる、久しぶりに二人だけでゆっくり話した。


工房のこと、学院のこと、ミレイユのこと、セレナの訓練。リーナのこと。


ユリーカは何故か、リーナの話になると少し楽しそうだった。


「何?」


「……別に」


「絶対何かあるでしょ」


「ないない」


……怪しい。


でも追及はしなかった。



昼を過ぎ。


見覚えのある森が見えてきた。


小川、古い橋、そして家だ。


「帰ってきた……」


ユリーカが小さく言った。


私も少し懐かしかった。


扉を開ける。


「ただいまー!」


ユリーカが先に言うと、奥から大きな足音が聞こえてきた。


ダンネルだ。


「おぉ! 二人ともおかえり!! 遅かったな!」


「時間通りだよ!」


ユリーカが即答する。


似た会話を、今日二回はした気がする…


「アルも元気そうだな」


「うん」


ダンネルが私をじっと見る。


「背、伸びたか?」


「…多分?」


「まだ小さいがな」


「そりゃ、十三歳だからね」


「はははっ! そーいや、そうだった」


……忘れるな。


家の中はほとんど変わっていなかった。


机、椅子、暖炉、棚。


そして一冊の本。


ユリーカが足を止めた。


『魔法基礎理論』


私は懐かしいと思った。


昔この本を何度も読んだ。


私が魔法を研究し始めたかなり早い時期、そのきっかけになった本。


「この本、まだ置いてたんだ」


私が言う。


ダンネルが少しだけ表情を変えた。


「ああ」


ユリーカは本へ手を伸ばし、ゆっくり開く。


書き込み、余白、図。


いくつも残っている。


「父さん」


ユリーカが言った。


声がいつもより少しだけ静かだった。


「手紙に書いたこと、覚えてる?」


ダンネルは答えなかった。


でも、分かっている顔だった。


「……母さんのこと」


そこで私はようやく、リーナが言っていた家族の話という意味を理解した。


私は黙って椅子へ座った。


ダンネルはしばらく立ったままだった。それから暖炉の近くの椅子へゆっくり座る。


「……何から聞きたい?」


ユリーカは少し迷った。


「どんな人だった?」


ダンネルがほんの少し笑った。


「ふっ……変な女だったよ」


「ちょっと! 最初からそれ?」


「本当だから仕方ない」


その言い方は懐かしそうだった。


「魔法が好きだった。強い魔法じゃない。派手な魔法にも興味はなかった」


ユリーカが本を見る。


「じゃあ何が好きだったの?」


「…仕組みだ」


その言葉で、私は少しだけ顔を上げた。


ダンネルは続ける。


「どうして魔法陣を一つ変えるだけで魔素の流れが変わるのか。どうして同じ魔法でも人によって安定したり、しなかったりするのか。そういう細かいことを、いっつも調べてた」


ユリーカが小さく笑った。


「……やっぱり」


「ん? 何がだ?」


「私、多分母さんに似てるよね?」


「……そうだな、俺もそう思う」


ユリーカが少し嬉しそうに本を撫でる。


「この書き込み、母さん?」


「ああ」


「全部?」


「多分な」


「多分?」


「俺は魔法陣のことなんか分からん」


それは知っている。


ダンネルは騎士だ。


理論より剣、その方が似合う。


「母さんって研究者だったの?」


私が聞いた。


ダンネルがこちらを見る。


「正式な研究者ではない」


少し間を置く。


「魔道具工房で働いていた。王都じゃなく、もっと小さい町だ」


ユリーカが驚く。


「工房?」


「ああ」


なるほど、それならユリーカが魔道具を好きなのも少し分かる気がする。


「何をしてたの?」


「修理と調整が中心だったらしい。特に魔素の流れが不安定な魔道具を直すのが得意だった」


ユリーカが本の余白にある一文を見る。


『安定しないなら、力を足す前に流れを見る』


「これ……」


「ああ……あいつの口癖だった」


ユリーカの手が止まった。


部屋が少し静かになる。


「私、これ好き」


「…そうか」


ダンネルは頷いた。


「なら、あいつも喜ぶ」


ユリーカが少し目を伏せた。


私は質問を変えた。


「どうして母さんは村に来たの?」


「俺と結婚したからだ」


「その前は?」


ダンネルが嫌そうな顔をする。


「……細かいな、お前は」


「気になる」


それから少し考えて話し始めた。


母親は工房で働きながら、独学で魔法理論を学んでいた。


正式な学院教育を受けたわけではない。でも、魔道具を直すために魔法陣を読む必要があり、読むうちに仕組みそのものへ興味を持った。


本を買い、書き込みし、試し、直す。


その繰り返し。


「研究院へ行こうとは思わなかったのかな?」


私が聞く。


「誘われたことはあったらしい」


私は少し驚いた。


ユリーカも同じ。


「断ったの?」


「ああ」


「何で?」


ダンネルは少し笑った。


「本人曰く、壊れた道具を直してる方が面白い、だとさ」


ユリーカが吹き出した。


「それ、私も同じこと言いそう……」


「だから似てると言っただろ?」


今度は三人で笑った。


少しだけ、重かった空気が軽くなる。


ただ、一つまだ聞いていない。


多分ユリーカも分かっている。


しばらく誰も口にしなかった。


そしてユリーカが小さく聞いた。


「母さんは……どうして死んだの?」


ダンネルから笑顔が消えた。


私は黙った、これは私が聞くべき話ではないのかもしれない。


でも、席を立つのも違う気がした。


ダンネルは長く息を吐く。


「……病気だ」


ユリーカは黙っている。


「急だったの?」


「……最初はそうでもなかった」


ダンネルがゆっくり話す。


身体が少しずつ弱っていった。


最初は疲れやすいだけ、それから熱が続き、食欲が落ち、寝込む日が増えた。


治癒師にも診てもらった。


でも、原因が分からなかったそうだ。


「治癒魔法で治らなかったの?」


私は思わず聞いた。


ダンネルが頷く。


「ああ……治らなかった」


その言葉が妙に重かった。


私はミレイユと治癒魔法について意見を交わしている。


診断、症状、原因。


状況によっては、傷を治すだけでは助からない人がいる。


ユリーカの母親もそうだったのか?


でもこれは家族の話だ、研究対象として考えるべきではない。


少なくとも今は。


「どんな病気だったの?」


ユリーカが聞く。


「…分からん」


ダンネルが答える。


「…最後まで分からなかった」


治癒師にも、医者にも、正確には分からなかったらしい。


もう、具体的な症状の記録もほとんど残っていない。


私は何も言わなかった。


前世の知識があっても、二十年以上前の曖昧な話だけで病名なんて決められない、それをするべきでもない。


ユリーカが本を閉じる。


「…そっか」


ダンネルが心配そうに見る。


でもユリーカは泣かなかった。


少し笑った。


「でも、聞けて良かったよ!」


「…そうか」


「うん!」


それから本をもう一度開く。


「母さん、こんなの書いてたんだね〜」


「俺には何が何だか分からん」


「今なら、少し分かる」


その言葉にダンネルは何も言わなかった。


ただ、少し嬉しそうだった。


私は横から本を見る。


昔魔法を理解するために何度も読んだ本。


そのときは書き込みを、ただの誰かの補足くらいに思っていた。


でも違った。


これはユリーカの母親が実際に魔法を使い、魔道具を直し、考えた痕跡。


「この図」


ユリーカが一か所を指す。


三重の補助線。


中心から外へ魔素を逃がす簡単な構造。


私は少し気になった。


「それがどうかしたの?」


「王都の工房で、似た術式板を見たの」


私は図を見る。


「古いやつ?」


「うん、結構古い。でもエルグラッドとか、そういうのじゃないよ。普通の昔の魔道具」


「……母さんが使ってた術式なのかもね」


私がそう言うとユリーカは少し考えた。


「父さん、これ知ってる?」


「知らん」


やっぱり即答だった。


私は図を見る。


確かに珍しい。でも、今すぐ大きな意味を付けるほどではない。


昔の工房で使われていた設計、それを母親が覚えていた。


それだけかもしれない。


「今度、工房で調べてみたら?」


私が言う。


「うん、そうする!」


ユリーカが嬉しそうに答えた。


その日の夜、久しぶりに三人で同じ食卓を囲んだ。


……ダンネルの料理は、相変わらず量が多い。


「父さん、これ三人分じゃないでしょ」


ユリーカが言う。


「三人分だろ?」


「…五人分くらいあるよ」


「余った分はアルが食う」


「え…何で私?」


「育ち盛りだからだ」


「……限度がある」


普通の会話。


普通の家。


食事が終わったあと、私は昔使っていた部屋へ向かった。


ほとんど変わっていない。


窓、机、棚。


ここで魔法陣を何度も書いた。


……何度も失敗した。


幾度とない失敗の記憶が蘇る。


最初に周囲の魔素を取り込めたのもこの家だった、あれからまだ十年も経っていない。


それなのに随分と遠くへ来た気がする。


私は机へ座る。


外は静かだった。


王都のように夜まで人の声が聞こえない。


研究院や学院とは違い、エルグラッドもここからは遠い。


明日何かを研究する必要もない。


そう思うと少し落ち着かなかった。


……でも悪くない。


隣の部屋からユリーカとダンネルの話し声が聞こえる。


多分まだ母親の話をしている。


私はその声を聞きながらベッドへ横になった。


この二か月、研究は進んだ。


魔獣、魔脈、エルグラッド。


どれも少しずつ前へ進んでいる。


でも、今日分かったのはそういう世界の謎ではない。


ユリーカがどうして魔道具を好きなのか、あの本に残されていた走り書き、ダンネルがなぜずっと捨てなかったのか。


家族の中にずっとあったもの。


それを少しだけ知った。


それは研究とは関係ない。


でも、多分大事なことだった。


私は目を閉じる。


久しぶりの実家。


明日は何もしなくてもいい。


そう思った直後、机の上にあった『魔法基礎理論』をやっぱり少しだけ読みたくなった。

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