第56話 魔素を自ら取り込む魔道具
私とリーナが、周囲の魔素を自動的に取り込んで動く魔道具の理論をまとめてから三日後。
机の上には、最初に描いたものより随分まともになった術式図が置かれていた。
外周に魔素を引き寄せる誘導層、その内側に流入量を制限する調整層、中心には実際に魔法を発動するための出力術式。
さらに、使い切れなかった魔素を外へ逃がす排出経路も組み込んでいる。
仕組みだけなら単純だ。
周囲から集める、必要な分だけ入れる、使う、余れば戻す。
問題は、それを本当に魔道具として作れるかだった。
「だから私?」
ユリーカが術式図を見ながら言った。
今日は学院ではなく、ユリーカが働く工房の一角を借りている。
親方には事前にグレアムから話が通っており、危険な高出力実験をしないことを条件に、空いている作業台を一つ使わせてもらえた。
「こういうのはユリーカが一番向いてると思ったから」
「褒めても何も出ないよ」
「お世辞じゃないよ。私は術式なら考えられるけど、実物を作るのは得意じゃない」
リーナが横から頷いた。
「壊れたら術式の問題か部品の問題か分からなくなるしね」
「いや、壊さないよ」
「この前、実験用の術式板割ったじゃん」
「あれは出力を少し上げすぎただけで……」
「それを壊したって言うんだよ」
ユリーカまで頷いた。
二対一。
……勝てない。
今回作るのは小型の照明魔道具だった。
普通の照明魔道具は、人間が魔素を流すか、内部へ組み込まれた小さな魔石から魔素を供給して発光術式を動かす。
構造が単純で、必要な魔素量も少ないので、最初の実験にはちょうどいい。
ただし今回は魔石は使わないし、人間も魔素を送り続けない。
起動時にごく少量の魔素を与えたあとは、周囲から自動的に魔素を取り込ませる。
「最初から自動起動にはしないんだね」
ユリーカが聞く。
「うん。そこまで入れると、どこで失敗したか分からなくなるから」
「珍しく慎重」
「最近みんなに言われる」
……私は慎重な方だと思っているんだけど。
ユリーカは術式図を見ながら、木板の上へ部品を並べ始めた。
導魔線、小型術式板、発光部、魔素の流れを安定させるための中継部品。
私はその様子を横から見ていたが、すぐに口を出したくなった。
「そこ、もう少し短くできない?」
「できるけど、近すぎると取り込み側の術式と発光術式が干渉するかもしれないでしょ」
「ああ」
「理論だけじゃなくて、部品には大きさがあるの」
「なるほど…」
「分かってなさそう」
紙の上なら線は好きなだけ細くできる。
でも、現実の術式板には加工限界があり、導魔線にも抵抗がある。
魔素を流したときに熱を持つ部分もあれば、隣接した術式同士が影響し合うこともある。
その辺りは完全にユリーカの領域だった。
「これ、お母さんの本にあったやつ使えないかな?」
ユリーカが突然言った。
「どれ?」
持ってきていた『魔法基礎理論』を開き、余白の図を見せる。
中心から外へ魔素を逃がす補助線。
以前、工房の古い術式板にも似た構造があったという。
「これ、排出側に使えると思う。今のアルの図だと、余った魔素を一か所から逃がすでしょ?」
「うん」
「一気に出すと、その場所だけ流れが強くならない?」
私は術式図を見る。
……確かに。
取り込む側ばかり考えていたが、排出も外部魔素の流れを変える。
負荷が急に下がった瞬間、内部に残った魔素を一方向へまとめて放出すれば、周辺の魔素分布を一時的に乱す可能性がある。
「三方向に分ける?」
「その方が滑らかだと思う」
リーナが測定器を準備しながら口を挟む。
「それなら三か所とも測ろう。どこか一つだけ強くなったら調整できるし」
大方、決まった。
ユリーカが術式板へ細い溝を刻み始める。
私は横で図を書き直し、リーナは測定点を決めていく。
なんだか不思議な感覚だった。
学院でも研究院でも、研究は何度もしてきた。
でも、こうして三人で一つの物を作るのは初めてかもしれない。
私が仕組みを考え、リーナが数値を見て、ユリーカが実物へ落とし込む。
役割が綺麗に分かれていた。
二時間ほどして、最初の試作機が完成した。
……見た目は酷い。
木板の上に術式板と導魔線が剥き出しで固定され、その中央に小さな発光部が付いている。
「……魔道具っていうより実験装置だね」
リーナが言う。
「試作だから」
ユリーカも少し不満そうに見る。
「動いたら次はちゃんと箱に入れる」
まず動かさないと始まらない。
工房の窓と扉を閉め、周囲の魔素流をできるだけ安定させる。
私は何もしない、今回重要なのはそこだ。
私が外部魔素を直接動かしてしまえば、この魔道具が自力で取り込めたのか分からなくなる。
「周辺濃度、安定」
リーナが言う。
「流向も大きな変化なし」
ユリーカが起動部へ指を置いた。
「入れるよ」
最初の一度だけ、ごく少量の魔素を流す。
起動術式が反応し、中心の発光部が一瞬だけ光った。
そして消えた。
三人で黙る。
「……終わり?」
ユリーカが聞く。
「まだ、終わりじゃないよ」
「光、消えたよ?」
「…それは見れば分かる」
最初から成功はしない。
原因を調べる。
起動時に内部魔素が消費され、想定通り内部濃度は下がっている。しかし、外部からの流入がほとんどない。
「誘導層が弱い?」
リーナが測定値を見る。
「反応自体はあるよ。周りの魔素、ほんの少しだけ内側へ動いてる」
「でも発光術式を維持できるほどじゃない」
私は誘導層を見る。
魔素を装置へ向ける方向性は作れている。
ただ、それだけだ。
私が外部魔素を制御するときは、周囲の流れを直接感じながら、その瞬間に一番動きやすい方向へ調整している。
でも、この術式は固定されている。周囲の魔素が右から流れていても、左から流れていても、同じ形で引き込もうとする。
「これ、固定しちゃ駄目だね」
私が言うと、ユリーカが眉を寄せた。
「術式を動かすの?」
「形じゃなくて、流れを受ける場所」
私は紙へ新しい図を描く。
外周全体を一つの吸収口として使うのではなく、小さな取り込み部を複数に分ける。
右、左、上、下。
それぞれが独立して周囲の魔素濃度を感じ、最も流入しやすい場所から多く取り込む。
「負荷追従だけじゃなくて、流向追従もってこと?」
リーナが言った。
「そう。必要量だけじゃなく、どこから取るかも変える」
「できるの?」
ユリーカが聞く。
「やってみる」
ここからが難しかった。
二号機は取り込み口を四つに分割したが、右側に魔素が偏りすぎて、流入制限術式が一瞬で閉じた。
三号機では各取り込み口へ独立した制限を追加した。
今度は全部が互いに遠慮するように流量を絞り、必要量へ届かない。
「……性格悪い人みたい」
ユリーカが言う。
「誰も責任取りたくない感じ?」
リーナまで乗る。
「……術式に性格はないよ」
「今のはあるように見えたよ」
……否定しづらい。
四号機では、流入制限の基準を一つへまとめ、その値を各取り込み口へ分配する。
少し良くなった。
発光部が三秒、五秒、七秒と光り続け、そこまで維持して消えた。
「伸びた!」
ユリーカが嬉しそうに言う。
「でも足りない」
私は測定記録を見る。
問題は、装置へ魔素が集まり始めると、周辺の分布そのものが変わることだった。
最初は右側から流れているので右から取り込む、すると右側の濃度が下がり、今度は別方向から魔素が流れ込んでくる。
魔道具側はそれへ追従しようとするが、一歩遅い。
外部魔素制御で私が無意識にやっていたことを、初めて数値として見た。
「私、こんな面倒なことしてたんだ」
「知らなかったの?」
リーナが聞く。
「感覚でやってたから」
周囲から魔素を取り込む。
言葉にすれば簡単だ。
でも実際には、取り込むたびに周囲の魔素分布が変わり、その変化によって次に流れ込む方向も変わる。
私は今まで、それをほとんど無意識に補正していた。
「じゃあ、そのやり方を魔道具に覚えさせればいい?」
ユリーカが言う。
「多分。でもその前に、私自身がちゃんと理解した方がいい」
私は試作機から少し離れ、周囲の魔素へ意識を広げた。
右から細い流れ、床付近からもう一つ、天井付近は薄い。
私はごく少量だけ、自分へ向かう流れを作る。
いつもならそのまま取り込むが、今日は取り込まない。途中で止める。
右の流れが変わる、次に床側が強くなる、そこへ別の細い流路を作る。
すると今度は左側から補うように魔素が動き始める。
「リーナ、測って」
「もう測ってる」
……仕事が早い。
私は一度に二方向、次は三方向へ意識を広げる。
それぞれを完全に支配するのではなく、流れやすい道だけを作る。
以前の外部魔素制御は、もっと大雑把だった。
一本の流れを曲げる、合流点をずらす、大きな方向を変える。
バルディオス戦でも、既に存在していた強い流れを利用したからこそ大規模に動かせた。
でも今は違う。
目の前にあるのはごく弱い流れ、それを三本、四本、同時に扱う。
一つを動かせば他が変わる、その変化を見ながらさらに補正する。
「……面白い」
思わず声が出た。
ユリーカが嫌そうな顔をする。
「完全に研究モード入ってる……」
「ちょっと待って」
五方向。
今までなら、一つずつ認識していた。
でもそれでは遅い。
全体を見る。
どの場所が高いか、どこが低いか、どこへ流れたがっているか。
一本ずつの魔素ではなく、分布として見る。
その瞬間、感覚が少し変わった。
周囲に漂う魔素が、点ではなく一つの場として感じられる。
濃い場所、薄い場所、流れ、停滞。
私はその中へほんの小さな傾きを作る。
すると複数の方向から同時に魔素が動いた。
一つずつ引っ張らず、流れる条件だけを作った。
「今の!」
リーナの声が上がる。
「何?」
「四方向がほぼ同時に動いた。しかも、さっきより使ってる魔素少ない」
今まで私は外部魔素を「動かす」意識が強かった。
でも、押す必要はないし、引っ張る必要もない。
流れたい方向を少しだけ作ればいい。
結界を突破したときにも似たことはしていた。ただ、あのときは対象となる結界の補正を利用していただけだ。
今回は、周囲の魔素そのものに対して、複数方向へ同時に条件を作れている。
「これならいける」
私は作業台へ戻った。
「何が変わったの?」
ユリーカが聞く。
「誘導層を、吸い込み口として考えるのをやめる」
「じゃあ?」
「周囲に小さな傾斜を作る」
二人とも少し分かりにくそうな顔をした。
私は紙へ新しい図を描く。
魔道具を中心として、その周囲に複数の補助術式を置く。外から魔素を引っ張るのではなく、中心へ近づくほど僅かに流れやすくなるようにする。
水をポンプで吸うというより、緩い坂を作る。
「勝手に転がってくるようにする?」
ユリーカが言う。
「そう! そんなイメージ」
説明が上手い。
五号機では外周術式を大きく変更した。
ユリーカが新しい術式板を加工し、私は細かな線を修正する。
リーナは四方向の測定器に加え、試作機から一メートル、二メートル、三メートルの位置にも測定点を置いた。
今度は周辺への影響まで見る。
完成した頃には外が暗くなり始めていた。
親方が一度様子を見に来た。
「おめぇら、まだやってたのか」
「あと一回!」
ユリーカが言う。
「その台燃やすなよ」
「燃やしません!」
……私も同意しようと思ったが、こちらに飛び火しそうだったのでやめた。
五号機を起動する。
ユリーカが最初の魔素を流す。
発光部が光った。
一秒、三秒、五秒。
……消えない。
「周辺魔素、流入開始」
リーナが記録する。
「右〇・八、左〇・六、床側一・一……変動してるけど、合計はほぼ一定」
内部魔素量も安定している。
二十秒。三十秒。
ユリーカが私を見る。
「まだ光ってる」
「うん」
一分。
人間からは、誰も魔素を送っていない。
それでも光は消えない。
周囲から少しずつ魔素を集め、必要な分だけ使い続けている。
「……できた?」
リーナが聞く。
私はまだ答えなかった。
発光部の出力を上げる。
必要魔素量が増える。
一瞬遅れて、外周からの流入量が増えた。
「負荷追従した!」
リーナが声を上げる。
出力を下げる、流入も減る。
消灯、流入停止。
内部に残った余剰魔素が、ユリーカの追加した三方向の排出経路から、ほぼ均等に周囲へ戻っていく。
「今度こそ」
私は言った。
「……できた」
ユリーカが笑った、リーナも笑っている。
私は試作機を見る。
見た目は相変わらず酷い。
木板、剥き出しの線、不格好な術式板。
でも、世界で初めての人の魔素にも魔石にも依存せず、周囲に存在する魔素だけで自動的に動き続けている魔道具だ。
「これ、ずっと動く?」
ユリーカが聞いた。
「周りに魔素がある限りは。ただし、今は照明だから必要量が少ない。もっと大きなものなら話は別」
「送風器とか?」
「次はそれくらいかな」
工房設備を動かせたら、さらにその次は大型設備。
でも、そこで問題になる。
周囲の魔素だけでは足りなくなる。
この小さな照明なら、空気中に存在する魔素で十分だ。
でも、大出力の設備を何十台、何百台と動かすなら、局所的な魔素濃度は確実に下がる。
では、もっと大量の魔素を安定して供給するにはどうすれば良いのか。
答えは既に分かっている。
私は机の上に置かれた、エルグラッド地下都市の魔素流向図を見る。
地下を流れる巨大な流れ。
……魔脈。
「アル?」
リーナが私の視線に気付いた。
「これ、小さいうちは周囲の魔素だけで動く」
私は言った。
「でも大きくしたら足りない」
ユリーカも図を見る。
「じゃあ魔脈から取る?」
簡単に言う。
でも、その通りだった。
地球の電気も、一台の機械だけを動かす話ではない。
大量の機械へ安定した動力を送り続けるから、文明の基盤になる。
この世界で、その役割を担えるもの。
魔脈。
私は魔脈の流量記録を見る。
王都周辺、北東山地、エルグラッド。
場所によって規模が違うし、流れの安定性も違う。
そして、もし魔脈の上にこの技術を接続できれば一つの工房どころではない。
町、都市、国。
必要な魔素を供給できる可能性がある。
「これ……場所によって価値が変わるね」
リーナが言った。
私は顔を上げた。
「何が?」
「土地。魔脈が大きい場所なら、たくさん魔道具を動かせるでしょ?」
その言葉に少しだけ手が止まった。
確かに、今までは魔脈が近くにあるからといって、土地の価値が大きく変わるわけではなかった。
魔獣が寄ってくる危険、魔法使いが僅かに周囲の魔素を利用しやすい、それくらいだ。
でも、魔脈を動力源として使えるなら話は全く違う。
太い魔脈、複数の支流、安定した流量。
それを持つ土地は、巨大な資源地帯になる。
「……まだ」
私は言った。
「今は、小さい照明が一つ光っただけ」
リーナが頷く。
ユリーカも、「じゃあ次は?」と聞いた。
私は試作機を見る。
「もっと大きい負荷で試す。それから、取り込みを安定させる。今は私が理論を組んだけど、魔脈から使うなら流量変動も大きくなるし、吸いすぎれば周囲へ影響が出る」
そして、その研究をするなら私自身の外部魔素制御ももっと精密にする必要がある。
今日、初めて分かった。
大きな流れを一方向へ動かすことと、複数の小さな流れを全体として制御することは、全く違う。
私はこれまで力を伸ばしてきた。
次に必要なのは精度だ。
どこから、どれだけ、どう流すか。
しかも一つではなく、同時に何十もの流れを扱う。
「手伝ってくれる?」
私は二人に聞いた。
リーナが即答する。
「今さら聞く?」
ユリーカも試作機を軽く叩いた。
「これ、ちゃんとした形にするの私でしょ?」
「うん、お願いユリーカ」
「任せて!」
それで決まった。
魔脈の魔素を動力へ転用する。
そのときの私はもちろん、この後どうなるのか深くは考えていない。
ただ、周囲の魔素で小さな灯りを一つ灯しただけだ。
でも、その光は今までの魔道具とは根本から違っていた。
世界に満ちる魔素を自分で取り込み、必要量だけ使う小さな照明魔道具。
そして、その先には地下を流れる巨大な魔素の流れ、魔脈がある。
私たちはまだ知らなかった。
この研究が、いつか国境の価値まで変えることを。
この日、工房の片隅で誰にも注目されていない一つの灯りが静かに光り続けていた。




