第51話 約束の治癒魔法
エルグラッド地下深域から回収した記録は、その日のうちに王立魔法研究院へ運び込まれた。
『第三段階、予定値超過』
『連鎖域、拡大』
『このままでは全域へ至る』
『周辺国家へ警告』
そして、古代エルグラッドの研究者たちですら説明できなかったらしい外部干渉。
光。
声。
神を意味する可能性のある宗教記号。
どれも決定的な答えではない。
それでも、地下都市の中央が巨大な範囲ごと消失していた事実まで合わせれば、単なる古代遺跡の調査として扱える段階を越えていることだけは明らかだった。
翌日。
私は研究院の会議室へ呼ばれた。
……嫌な予感がする。
グレアム、ラウエル、ソフィアのほか、普段は見ない研究院上層部の人間が何人もいる。
王国側からも文官が来ており、机の上には昨日持ち帰った記録の写しが並べられていた。
「結論から伝える」
ラウエルが言う。
「エルグラッド地下深域への追加探索は、当面保留になった」
……やっぱり。
「期間は?」
「未定だ」
「…これ、長いやつですよね」
「そういう顔をするな」
「普通の顔です」
「不満って書いてあるぞ」
……顔に文字は出ないよ。
ただ、今回は反対する材料が少なかった。
地下都市に何があったのかは分からない。
塔で何を起動したのかも、なぜ世界規模と思われる異常が発生したのかも不明。
さらに、最後に何者が介入してそれを止めたのかさえ分かっていない。
そのうえ、二重結界には『再起動を防ぐ』と読める記録まで残っている。
ここまで揃っている状態で、さらに奥を好き勝手に触るべきではないことくらいは私にも分かる。
「探索そのものを中止するわけではない」
研究院上層部の一人が言った。
「回収資料の翻訳、地下都市の構造図、魔素流の記録、結界の維持状態、それらを先に整理する。再調査は、その結果を見て判断する」
「中央の消失区域は?」
私が聞く。
「接近禁止だ」
即答だった。
「測定だけでも?」
「禁止だ」
「遠隔での測定も?」
「禁止だ」
……禁止が強い。
グレアムが横から口を挟む。
「アル、今回は諦めろ」
「……学院長まで」
「わしも昨日の記録を読んだ。あれを見て『とりあえず中央を調べよう』と言えるほど若くない」
「私は十三歳です」
「だから私が止めている」
何も言い返せなかった。
それでも、完全に何もできないわけではない。
持ち帰った記録の解析には参加できる。
S-071関連資料との照合も継続し、透明な石の観測も止めない。
さらに、魔脈とエルグラッド周辺の長期測定も続けることになった。
つまり、現場へ入るのが止まっただけだ。
「……分かりました」
私が答えると、ラウエルが少し驚いた顔をした。
「随分あっさりだな」
「何ですか。反対してほしいんですか?」
「いや、成長したと思ってな」
……失礼な。
でも、無理に入って何かを再起動させたら洒落にならない。
古代文明ですら止められなかったものを、十三歳の私が興味だけで触るほど無謀ではない。
会議が終わり、研究院を出る。
外へ出た瞬間、妙に空が明るく感じた。
ここ最近、エルグラッド、結界、地下都市、消えた塔、世界規模の異常、そして神。
そんなことばかり考えていたせいだろう。
王都の通りには人が歩き、店からは焼いた肉の匂いが流れ、向かいでは子供が母親に菓子をねだっている。
普通だ。
世界は今日も普通に動いている。
「アル」
後ろから声がした。
リーナだった。
「どうしてここに? 私を待ってたの?」
「うん」
私は少し考える。
「今日、予定何かあったっけな?」
リーナが止まった。
じっと私を見る。
……嫌な予感。
「忘れてる?」
「何を?」
「ミレイユ先輩との約束」
「……あ」
完全に忘れていた。
あのバルディオス戦のあと、ミレイユとは約束をしていた。
私が人体や治療の考え方を教える、その代わり彼女が私へ治癒魔法を教える。
「今日だったっけ?」
「たしか、今日だよ」
「何時?」
「もうすぐじゃない?」
……それはまずい。
私たちは学院へ急いだ。
医療系の実習室へ入ると、ミレイユは既に待っていた。
机の上には治癒魔法の教本、術式板、人体を簡略化した模型まで並んでいる。
準備がいい。
……非常に。
そして笑ってはいるが、怖い種類の笑顔だった。
「こんにちは、アル」
「こ、こんにちは」
「何か言うことは?」
「遅れてすみません…」
「どれくらい?」
私は時計を見る。
「……十五分くらいかと」
「約束した本人が忘れてたって聞いたけど?」
リーナ。
……言ったな。
「少し研究が…」
「エルグラッド?」
「知ってるの?」
「学院中で噂になってる。詳しい内容までは知らないけど」
……まぁ、当然か。
王立魔法研究院と学院長が何度も出入りし、調査隊まで組まれている。
何も話題にならない方がおかしい。
ミレイユは呆れたように息を吐いたあと、隣の椅子を指した。
「まあいいや。座って」
……ふぅ、怒ってるようだけど、あまり怒られなかった。
リーナも一緒に残るらしい。
「リーナもやるの?」
「ちょっと見学」
「治癒魔法使える?」
「少しだけ」
「じゃあ一緒にやろうか!」
いつの間にか参加者が増えた。
最初に教えるのはミレイユ側だった。
治癒魔法。
私はこれまで見る機会は何度もあったが、体系的に学ぶのは初めてだ。
ミレイユは術式板を机へ置く。
「基本は、損傷した場所へ魔素を送り込んで、身体が本来持っている状態へ戻すこと」
「直接組織を作ってるわけじゃない?」
「少し違うかな。損傷部位を全部作り直してるわけじゃない。治る様子を強くイメージしてる感じ」
……なるほど、面白い。
前世の言葉に置き換えるなら自己修復の促進。
細胞の再生や炎症反応を直接知っているわけではないだろうが発想は近い。
「骨折は?」
「骨が繋がる位置を物理的に合わせて、そこへ術式を集中する」
「血管が切れてたら?」
「出血を止めるかな」
「どうやって?」
「損傷位置を探して、閉じる」
「神経は?」
ミレイユが止まった。
「……いきなり質問多くない?」
「気になるので」
「まだ基本の説明中!」
……怒られた。
私は少し黙る。
ミレイユは話を続けた。
治癒魔法には大きく分けて三つの工程があるらしい。
損傷位置を探す、治癒対象を決める、そこへ魔素を集中する。
高度な治癒師ほど、複数箇所の損傷を同時に感じ取り、必要な場所へ必要な量だけ魔素を分配できる。
「これ、術式分割と似てる」
私が言う。
「またそれ?」
「本当に似てるんだよ」
一つの大きな治癒術式を使うのではなく、止血、組織修復、痛みの軽減。
それぞれを分ける。
重傷者を助けたときにエレノア団長がやったことも、考え方としては同じだった。
ミレイユが小さな切り傷を再現した訓練用の魔法素材を出す。
本物の人体ではない。
治癒術式へ反応する特殊な練習素材らしい。
「まずこれ」
「治す?」
「そう。傷の位置を感じて、魔素を流す」
私は手をかざす。
魔素を送る、傷へ少しづつ。
なにも反応しない。
素材の裂け目が、閉じない。
「……難しい」
思わず言った。
ミレイユが笑う。
「でしょう?」
嬉しそうだ。
「もっと簡単だと思ってた?」
「ええ」
「戦闘用の魔法とは全然違うからね」
確かに。
火なら温度、空気なら圧力、電気なら電位差。
ある程度、物理現象として目標を決められる。
でも治癒魔法は対象が生き物だ、戻すべき状態が場所ごとに違う。
「治癒魔法って情報量多いね」
私は言った。
ミレイユが少し驚いたように見る。
「情報量?」
「どこが傷ついてるかだけじゃなく、元々どういう形だったかも知らないといけない。間違った状態で治したら、そのまま固定される可能性もある」
ミレイユの表情が変わる。
「……それ」
「何?」
「エレノア団長も似たこと言ってた。治せることと、正しく治せることは違うって」
……やはりあの人は優秀だ。
何度か練習する。
三回目でようやく傷が半分ほど閉じた。
「おお」
私が言う。
ミレイユは腕を組む。
「まだ半分」
「初めてなら十分じゃない?」
「バルディオスを倒した人が何言ってるの」
「今バルディオスは関係ないでしょ」
五回目で傷が綺麗に閉じた。
少し嬉しい。
「できた」
「うん。魔素制御はやっぱり上手い」
「治癒魔法も面白いね」
「でしょう?」
ミレイユがかなり嬉しそうだ。
自分の得意分野へ私を引き込めたのが楽しいらしい。
次は私の番、机の上へ簡単な人体図を広げる。
もちろん、前世のような細かな医学書はない、だから私が覚えている範囲で簡略化して描いた。
心臓、肺、胃、肝臓、腸、血管。
それぞれの大まかな位置関係。
ミレイユが目を見開く。
「これ、アルが描いたの?」
「うん」
「いつ?」
「昨日」
「エルグラッド行ってたよね?」
「その日の夜にね」
「寝なかったの?」
「いや、寝たよ」
「何時間?」
「三時間くらい」
ミレイユとリーナが同時にため息をついた。
「え、何で?」
私が聞く。
「……何でもない」
二人同時だった。
私は説明を始める。
「まず、前に助けた騎士の話から」
胸を強く打った。
傷は治ったが、呼吸が戻らなかった。
「治癒魔法は傷を探す。でも、症状の原因が傷そのものとは限らない」
私は肺の図を指す。
「例えば肺が壊れてなくても、周りに空気や血が溜まれば、肺が広がれなくなる」
ミレイユが真剣な顔で見る。
「だから傷を治すだけじゃ駄目だった」
「なるほど…」
「先に原因を取り除く感じ?」
「そういうこと」
次に腹部。
「こっちはもっと厄介。外から見える傷がほとんどなくても、中で出血してることがある」
「どうやって分かるの?」
「症状から推測する」
顔色、脈、意識、痛みの位置、腹部の張り。
全部を合わせて総合的に考える。
「一個の症状では決めない」
私は言った。
「いくつかの情報を集めて、一番可能性が高い原因を考える」
ミレイユが小さく繰り返した。
「複数の症状から、原因を考える……」
「うん。それから治す」
この世界の治癒師にとっては、傷を見つけることが治療の始まり。
でも、前世の医師にとっては診断がもっと前にある。
私はその違いをできるだけ簡単に説明した。
病気、外傷、感染、臓器、血液。
全部を細かく教えれば、何年掛かるか分からない、だから今日は考え方だけ。
ミレイユは途中から、一度も話を遮らなくなった。
紙へ必死に書いている。
リーナまで隣で聞いている。
「……ねえ、アル」
しばらくして。
ミレイユが顔を上げた。
「何?」
「これを治癒魔法と組み合わせたら、今まで治せなかった人も助けられる?」
私は少し考える。
「全員は無理だと思う」
ミレイユが少し意外そうな顔をする。
「医学だって万能じゃない。もちろん、治癒魔法も万能じゃない。でも、両方を使えば助けられる人は増えると思う」
それが一番正しい答えだと思う。
ミレイユはしばらく人体図を見る。
そして小さく笑った。
「じゃあ覚える」
「全部?」
「できるだけ」
「かなり多いよ」
「アルが教えて」
「私も治癒魔法覚えるから」
「交換でしょ?」
そういう約束だったな。
授業が終わる頃には外は夕方になっていた。
机の上には、治癒魔法の術式板、人体図、ミレイユのノート、そして私が治癒に失敗した治癒訓練素材。
普通の学院の一日。
世界を滅ぼしかけた古代文明も、消えた塔も、神も、今日はここにはない。
少なくとも今は考えなくていい。
「次いつやる?」
ミレイユが聞く。
「もう次の話?」
「当たり前でしょ」
「私には研究が……」
「約束」
「……はい」
……強い。
リーナが横で笑っている。
「アル、逃げられないね」
「逃げるつもりはないよ」
それは本当だった。
治癒魔法も、現代医学との組み合わせも面白い。
研究したいことはまた増えた。
「……また増えたな」
私が呟く。
ミレイユが聞く。
「何が?」
「研究対象」
「今さら?」
私は少し笑った。
今、エルグラッドの探索は止まった。
でも、私まで止まる必要はない。
次に地下へ戻れる日までやることは山ほどある。
そして、その中には世界の謎とは少し違う、目の前の人を助けるための研究も増えていた。




