第50話 消えた塔
二重結界を突破してから三日後。
私たちは再びエルグラッド地下遺跡へ向かっていた。
前回は結界の向こうへ入れたこと自体が最大の成果だったため、滞在時間は僅か五分。
確認できたのは、保存状態の良い通路、三つの円を刻んだ壁、そしてさらに地下へ続く階段だけだった。
今回は違う。
第一結界と第二結界を一時的に通過する方法は既に分かっているため、調査の目的はその先。
地下深域。
古代文字に『中枢』『塔』と残された場所まで進むことだった。
「今回も五分ですか?」
遺跡の入口で私が聞くと、ラウエルが呆れた顔をした。
「お前は五分と言われたことをまだ根に持っているのか」
「短かったので」
「今日は一時間を上限にする。ただし、状況が安定していれば延長する」
思わずラウエルを見る。
「随分緩くなりましたね」
「前回の調査で内部環境が安定していることは確認できた。何でも禁止すれば安全になるわけではない」
かなり嬉しい変化だった。
もっとも、条件がないわけではない。
結界外には研究院の調査班と王国騎士団が待機し、第一、第二結界の状態を常時監視する。内部へ入るのは前回と同じく、私、リーナ、グレアム、ラウエル、ソフィアを中心とした少人数だけ。
さらに、結界を通過させるための制御を私一人へ集中させず、グレアムが空中魔法陣を維持する役割も前回と同じだ。
慎重ではある。
でも止まってはいない。
それで十分だった。
地下百メートルへ到達すると、手順通りに第一結界を局所的に薄くする。
仕組みを理解したからといって簡単になったわけではないが、最初の頃より遥かに速い。
グレアムが五つの空中魔法陣を維持し、私が外部魔素の流向を読みながら補正先を順番にずらす。
第一結界へ人一人分の通路ができる。
続いて第二結界。
四つの固定点が参照する位置を僅かにずらし、結界面そのものを斜めへ移動させる。
「安定」
ソフィアが確認する。
ラウエルが頷いた。
「入るぞ」
私たちは二重結界を越えた。
前回見つけた階段まで進む。
そこで全員が一度止まった。
階段は暗闇の中へ続いている。前回は時間がなく、ここから先を調べられなかった。
「深さは?」
グレアムが聞く。
ソフィアが測定器を向ける。
「正確には測れないけど……かなりあるわ。少なくとも数十メートル」
私は魔法灯の光を下へ向けた。
途中で闇に消える。
「……行きましょう」
ラウエルが私を見る。
「先頭には出るなよ」
「分かってます」
騎士二人を先頭に、ゆっくり階段を降りる。
十メートル。
二十。
壁面には古代文字と術式が残っているが、上層とは密度が違う。
装飾ではない。
何かの配管や配線のように、魔素を運ぶ術式が壁の内部へ何本も伸びていた。
「これ……全部下へ行ってる」
リーナが言う。
「うん」
私は流れを見る。
ほとんどの術式は停止している。
ただし痕跡は残っている。
かつて、この階段のさらに下へ大量の魔素を送っていた。
あるいは。
下から上へ。
「魔素の輸送路みたいですね」
私が言うと、ソフィアが壁へ測定器を当てる。
「一部は双方向だった可能性があるわ」
「双方向?」
「流れの痕跡が一方向じゃないの」
……中枢、そして塔には大量の魔素が行き来していたのか?
さらに降りる。
やがて階段が終わり、広い地下空間へと出る。
私は最初、目の前にあるものを理解できなかった。
「……何これ」
リーナの声が漏れる。
……とてつもなく広い。
遺跡の一室という言葉では足りない。
巨大な地下空洞。
魔法灯の光だけでは端まで届かず、調査員が複数の照明術式を浮かべると、ようやく全体の一部が見えてきた。
建物がある。
それも、一つではない。
石造りの施設、細長い建物、広場、通路、階段。
複数階の構造物まで残っている。
「町……?」
ソフィアが呟く。
確かにそう見える。
地下に造られた小さな都市、ただ人はいない、音もない。
二千年以上前の建物だけが、時間を止めたように並んでいる。
私は思わず歩みを止めた。
これほどの空間を地下にどうやって造ったのか。
それだけでも異常だ。
でも、もっと異常なものが中央にあった。
「……あれ」
リーナが指を差す。
地下都市の中心。
そこには何もなかった。
ただ何も建っていないという意味ではない、地面そのものが円形に消えている。
巨大なくり抜かれた空間。
直径は百メートルを超えているかもしれない。
私は近づく。
ラウエルが止めようとしたが。
「縁までです」
それだけ言うと今回は止められなかった。
中央へ近づくほど異常さがはっきりする。
建物が途中で切れている、地下都市の中央へ向かって建っていた施設の壁がまるで巨大な刃で切断されたように途中から消えている。
崩落ではない、吹き飛ばされた痕跡もない。
建物の半分が存在しない。
その建物の断面は異様なほど滑らかだった。
「……爆発じゃない」
私は言った。
グレアムが断面を見る。
「これだけの範囲が消えたなら、普通は周囲も壊れる」
「でも残ってる」
中央から数メートルしか離れていない建物ですら。
残っている部分はほぼ無傷、ただしある線を境にその先だけがない。
ソフィアが慎重に距離を測る。
「ほぼ円形……中心から一定距離で切れてる」
リーナが中央の空間を見る。
「ここに……何かあった?」
私は透明な石が映したあの光景を思い出す。
三つの輪。
塔。
「……多分」
自分でも驚くほど、声が小さくなった。
「ここに塔があった」
誰も否定しなかった。
断定できる証拠はまだない、それでも地下都市の中央、周囲から大量の魔素が集まる構造、壁に残された『中枢』『塔』という文字。
そして何より、円形に失われた巨大な区画。
そこに三つの輪の塔が建っていたと考えるのは自然だった。
「じゃあ塔はどこへ行ったの?」
リーナが聞く。
分からない。
壊れたなら残骸があるはずだ、崩れたなら瓦礫が、爆発なら周囲に破壊痕が。
でも何もない。
塔だけではない。
塔の周囲、地面、近くの建物。
全部。
一定範囲だけが綺麗に切り取られている、まるでそこにあった空間そのものを持っていったかのように。
「……嫌な消え方だな」
グレアムが言った。
同感だった。
ノエル・バーク。
S-071-02。
四十一年前、人とS-071が同時に消えた。
そして今、目の前には二千年以上前に巨大な範囲ごと消えた何かがある。
……似ている。
そう思った。
でも、まだ口にはしなかった。
規模が違いすぎる。
同じ現象だと決めるには証拠が足りない。
ラウエルが周囲を見る。
「まず残存施設を調べる。中央へ降りるな」
問題は消えた場所ではなく、残っている場所にもあるかもしれない。
地下都市の西側。
比較的保存状態の良い建物へ入る。
入口の上に古代文字がある。
ソフィアが読む。
「……『中枢術式研究区』」
研究施設。
……当たりだ。
内部には複数の部屋があった。
机、石板、壁面術式、壊れた測定器らしき物、そして大量の記録板。
紙ではなく、薄い石板のような媒体。
それが、何枚も棚へ残されている。
「読めます?」
私は聞く。
「時間を掛ければね」
ソフィアと研究員たちが、慎重に記録を確認していく。
最初は、意味の分からない技術記録ばかりだった。
魔素流量、共振、位相、中枢、塔、出力。
いくつか現代にも近い概念がある。
だが、途中から記録の雰囲気が変わった。
文字が乱れ、整然としていた測定記録が急に短くなる。
『第三段階、予定値超過』
『中枢側応答、停止せず』
『外周流量、推定値の四・七倍』
『北部観測所、同時上昇』
ソフィアの声が止まった。
「……これ」
「何?」
リーナが近づく。
ソフィアは次の石板を見る。
『南西域に同一変動を確認』
さらに別の記録。
『遠隔地域からも報告』
私は眉を寄せた。
「遠隔地域?」
「この都市周辺じゃない」
ソフィアが地図記号を確認する。
「かなり離れてる。少なくともエルグラッド周辺だけの現象じゃない」
私は記録を追う。
塔で何かを起動した、その結果魔素の異常が遠方へ広がった。
一地点の事故ではない。
「魔脈……?」
リーナが言った。
その可能性はある。
塔が、地下を流れる魔素の流れへ何かをした、なら遠く離れた場所へ影響が出ても不思議ではない。
でも、まだ何をしたのか分からない。
次の石板。
『第四調整失敗』
『連鎖域、拡大』
『停止術式、効果なし』
『中枢切断を提案』
その下。
別の筆跡で『不可』。
そして、さらに強く刻まれた文字。
『このままでは全域へ至る』
誰も言葉を発しなかった。
全域。
どこまでを意味するのか。
この地下都市か、エルグラッド全体か、国か、大陸か、世界か。
そこまでは分からない。
次の記録がその疑問を少しだけ消した。
『周辺国家へ警告』
私は息を止めた。
国を越えている。
つまり少なくとも一都市、一国家だけの危機ではない。
「……世界規模?」
リーナが小さく言う。
ラウエルもグレアムもすぐには答えない。
無言だった。
私は石板を見る。
世界が滅びかけた、そう断定するにはまだ足りない。
でも、その可能性を笑うこともできない。
塔で起きた何か、それが魔素の流れを通じて遠方へ連鎖し、止められなくなった。
そして、古代エルグラッドの人々は二重結界まで作って再起動を防いだ。
……繋がる。
でも、一番重要なところが抜けている。
「何を起動した?」
私は呟いた。
記録を探す。
しかし、その部分だけ不自然に少ない。
名称が削られている、あるいは意図的に記録から消されている?
塔、中枢、共振、境界。
それ以上分からない。
さらに奥の棚。
そこに一枚だけ、他とは違う石板があった。
割れており、半分ほど文字が失われている。
ソフィアが慎重に読む。
『……我々の停止術式では……』
欠損。
『……中枢反応、継続……』
さらに欠損。
『外部干渉を確認』
私は顔を上げた。
「外部?」
「そう読めるわね」
「誰かが何かした?」
「……分からない」
ソフィアは続きを読む。
『既知術式に一致せず』
部屋の空気が少し変わった。
既知術式に一致しない。
古代エルグラッド、今の王国より明らかに高度な魔法技術を持っていた文明。
その研究者たちが知らない術式。
次の文字。
『光……』
その先は割れている。
さらに下、僅かに残った文章。
『声を聞いた者……』
欠損。
『停止……成功』
私は何度も文字を見る。
外部干渉、未知の術式、光、声、そして停止。
人間だった可能性もある。
未知の研究者、別の国、別の組織。
いくらでも説明はできる。
でも、その横に小さく刻まれた一文字。
いや、記号がある。
ソフィアの表情が変わった。
「これ……」
「読めます?」
ラウエルが聞く。
「文字というより、古い宗教記号に近いと思う」
宗教?
私は少し嫌な予感がした。
「何を意味するの?」
ソフィアは迷ったあと答えた。
「現代語なら……『神』に近い」
長い沈黙。
「神?」
リーナが確認するように言う。
ソフィアがすぐ続ける。
「だからといって、本当に神が現れたという意味ではないわ。当時の研究者が理解できない現象をそう記録した可能性もあるし、宗教的な表現だった可能性もある」
正しい。
それ以外の読み方を今するべきではない。
ただ、私は石板から目を離せなかった。
古代文明が、制御できなくなった何か、世界規模へ広がりかけた異常、既知術式ではない外部からの干渉。
光、声、神、そして停止。
偶然にしては出来すぎている、だがそれでも答えには遠い。
「この記録、全部持ち帰れる?」
私は聞いた。
ラウエルが頷く。
「持ち出せるものは回収する。ただし記録位置も残す」
「中央は?」
「今日は行かん」
私は、中央の巨大な空白を思い出す。
塔があったかもしれない場所、綺麗に切り取られた地下都市、そして記録の最後。
停止。
もしあの消失が、停止と同じ時期に起きたのなら何が塔を消した?
神?
それとも塔そのものの何か?
まだ分からない。
だから面白いが、少し怖い。
研究施設を出る。
地下都市の中央が再び見える。
巨大な円形の空白、周囲の建物が切断されたまま、二千年以上残っている。
私はその中心を見た。
透明な石の向こう側で見た三つの輪の塔。
ノエルが消える直前に残した。
『像、完全視認』。
そして、四十一年後の今、私たちは塔がかつて存在したかもしれない場所へ辿り着いた。
なのに塔はここにない。
「アル」
リーナが隣へ来る。
「何?」
「何考えてる?」
「…」
「かなり危ないやつ?」
「かなりね」
リーナがため息をつく。
「……やっぱり」
私は少し笑った。
古代エルグラッドで何が起きたのか、まだ全体の形は見えない。
ただ一つだけ分かった。
これは、失敗した研究の跡なんかじゃない。
世界そのものを巻き込みかけた何かの跡、そしてそれを最後に止めた何者かがいた。
人なのか、本当に神だったのか。
それすら今は分からない。
私は中央に残る巨大な空白を見る。
塔は壊れたのではない。
そこにあった場所ごと消えている。
まるでこの世界から切り離されたように。




