第49話 二重結界の向こう側
第一結界の一部を薄くし、測定棒をその向こうへ通すことには成功した。
そして、その約一メートル先に第二結界があることも確認できた。
第一結界とは性質がまるで違う。
外側の結界は周囲の魔素流を利用し、負荷を受ければ供給経路を組み替えながら補強する。
それに対して第二結界は、観測した限りでは周囲の魔素をほとんど動かしていなかった。
何をしても反応しない。
揺れない。
ただ、そこに存在して全てを拒絶する。
翌日、研究院へ集まった私たちは、その第二結界の測定結果を机いっぱいに広げていた。
「……第一結界と同じ方法は使えない」
私は最初にそう言った。
ラウエルも今回は否定しない。
「外部からの供給変化がほとんどないからな」
「はい。第一結界は周囲の魔素を使って維持されてるから、流れを追いかけさせることで一部を薄くできた。でも第二結界はそれがない」
ソフィアが記録を指でなぞる。
「内部で循環している可能性は?」
「高いと思います。ただ、こちら側から観測できる範囲では流入口が見つからない」
リーナが首を傾げた。
「二千年以上、内部の魔素だけで動いてるの?」
「いや、それは無理だと思う」
少なくとも、完全な閉鎖系ならいつか必ず損失が出る。
どれだけ効率が良くても二千年以上だ。
間違いなくどこかからエネルギーを得ているはずだが、それが見えない。
グレアムが腕を組む。
「第一結界より厄介ということか…」
「多分。でも、第一より単純かもしれません」
ラウエルが眉を上げた。
「どういう意味だ?」
「第一結界は外部の変化に合わせて動く。でも第二結界は何をしてもほとんど変わらない。だったら、考えることは少ないです」
「力ずくで破るつもりではないだろうな?」
「それは最後です」
「最後でもやるな!」
……やっぱり駄目か。
とはいえ今回は、最後以外は強く止められなかった。
バルディオス戦より前なら、おそらく第二結界の存在を確認した時点で調査は数週間止められていたと思う。
だが今は違う。
王国騎士団長と魔導士団長が実戦で私の能力を直接見ていること、グレアムが監督についていること、さらに第一結界を破壊せず一時的に無力化できたこと。
それによって、研究院側の私に対する扱いも少し変わっていた。
何もさせないのではなく、条件を決めた上でやらせる。
……その方が私にはありがたい。
「今日、第二結界まで調べます」
私が言う。
ラウエルはしばらく黙ってから頷いた。
「第一結界の維持は十五分以内。第二結界へ直接高出力は当てない。異常が出た場合は即撤退。それから今回は、お前だけで全部やろうとするな」
最後だけ少し予想外だった。
「どういう意味です?」
「第一結界を維持しながら、第二結界を解析するつもりだろう?」
「その予定ですが…」
「一人でやれば処理負荷が大きすぎる」
……確かにそうだ。
第一結界だけでも、空中魔法陣と外部魔素制御を同時に使う必要がある。
その状態で未知の第二結界まで解析すれば、バルディオス戦ほどではないにしても頭への負荷はかなり大きい。
「……じゃあ誰が第一結界の意地を?」
「私が第一結界の維持を補助しよう」
グレアムが言った。
私は少し驚いた。
「……できます?」
「お前より魔素制御が下手だと思われているのは心外だな」
「外部の魔素制御ですよ?」
「そこはお前がやれ。空中魔法陣の維持と、必要な位置への魔素供給を私が担当する」
……なるほど。
私が流れを読み、グレアムが術式を支える。
「それならかなり楽です」
「全部を自分でやろうとするな! 最初からそうしろ!」
……怒られた。
リーナも手を上げる。
「私は?」
「測定だな」
「測定だね」
私とラウエルが同時に答えた。
「分かりました。けど、二人同時に言わなくてもいいじゃん…」
少し不満そうだった。
その日の午後、私たちは再び地下百メートルへ立っていた。
前回と同じ位置に流向計を配置し、第一結界の補正方向を確認する。
一度仕組みが分かってしまえば、最初ほど時間は掛からない。
私は周囲の魔素へ意識を広げ、グレアムが五つの空中魔法陣を展開する。
驚いたことに綺麗だった。
……私のよりかなり。
「……上手い」
「当たり前だ」
「でも、五つ使えるんですね」
「維持だけならな。セレナのように二十一枚を全部別処理するのは無理だ」
それでも十分すごい。
私は第一結界が補正しようとする方向を読み、グレアムへ指示を出す。
「上」
魔法陣が動く。
「次、右」
右側の魔素流が僅かにずれる。
第一結界が左から補う。
「左」
さらにずらす。
……前回より、速い。
私が魔法陣そのものを維持しなくていい分、外部魔素の流れだけに集中できる。
結界中央の密度が落ち始めた。
五パーセント。
十、十五、二十。
透明な境界の一部から揺らぎが消える。
「第一結界、局所低下確認」
ソフィアが言う。
「通路幅は?」
「約八十センチ。まだ広がる」
私は少しだけ範囲を広げる。
一メートル。
人一人なら通れる。
ラウエルがこちらを見る。
「安定しているか?」
「問題ありません」
「頭痛は?」
「ないです」
「なら次へ進む」
前回までは測定棒だけだった。
今回は、初めて第一結界の内側へ調査機器を設置する。
長い棒の先端へ小型の魔素測定器を取り付け、開いた領域を通して第二結界の直前まで運ぶ。
リーナが数値を読む。
「第二結界、変化なし。第一結界を薄くしても反応してない」
「やっぱり、独立してるね」
私は答えた。
第一と第二は連動していない。
少なくとも、第一結界を突破しただけで第二結界が強化されるような仕組みではないらしい。
次に、微弱な魔素を第二結界へ近づける。
触れる。
しかし、消えない。
反射もしない。
ただ止まる。
「内部に入ってない?」
私が聞く。
ソフィアが計器を見る。
「うん。第一結界みたいに一度受け取って返す動きもないわ」
やはり、単純な拒絶。
私は少し考える。
「結界そのものの厚さは測れる?」
リーナが聞く。
「やってみる」
感知用の魔素を極端に細くする。
一点。
第二結界の表面へ。
押さない。
流し込まない。
ただ、境界がどこにあるかを見る。
表面。
そこから奥。
……反応が薄い。
「これ」
「何?」
リーナが聞く。
「第二結界、第一結界よりずっと薄い」
「弱い?」
「違う。薄いけど密度が高い」
第一結界は厚みを持った柔らかい壁だった。
負荷を受ければ変形し、流し、逃がしながら侵入を止める。
第二結界は逆で、紙のように薄い。
でも、その紙が異常に硬い。
「膜みたいなものか?」
グレアムが言う。
「近いです」
私は測定値を見る。
厚みが薄い。
内部循環はほとんど見えない。
外部からの供給も見えない。
なのに強度だけは異常に高い。
……何かがおかしい。
「術式が動いてない?」
私は呟いた。
ラウエルが聞く。
「何だと?」
「完全に動いてないわけじゃない。でも、魔素を流し続けて壁を作ってる感じじゃない。もっと……固定されてる」
「固定?」
私は言葉を探す。
「空中魔法陣に少し似てます」
グレアムが反応した。
「どこがだ?」
「座標です」
セレナから教わった空中魔法陣。
空中に魔法陣を置くには、まず位置を決める。
空間上の基準点、そこへ魔素で線を固定する。
第二結界にも似たものがある。
壁そのものへ魔素を流し続けているのではなく、空間に境界そのものを固定している。
「だから揺れない」
私は言った。
「魔素量で壁を維持してるんじゃなくて、ここから先を『通れない位置』として固定してる?」
リーナが言う。
「そんな感じ」
もちろん、そんな術式は現代にはない。少なくとも私は知らない。でももしそうなら、壊すべきなのは壁ではない。
……固定点だ。
私は感知範囲を広げる。
第二結界の中央、上、下、左右。
さらに壁際。
そこで引っ掛かった。
「右下」
私は言った。
「何がある?」
ソフィアが測定器を向ける。
微弱。
でも、結界面とは違う反応。
「点?」
リーナが呟く。
さらに探す。
左上、天井付近、床近く。
結界の周囲に複数の小さな反応がある。
「座標固定点……」
私は思わず笑った。
グレアムが嫌そうな顔をする。
「その顔は何か見つけた顔だな?」
「多分、第二結界の支点です」
「壊すなよ」
「……壊しません」
壊す必要はない。
空中魔法陣を習っていたから分かる。
座標固定は、位置が少しずれるだけで形状維持が急激に難しくなる。
第二結界そのものを破壊する必要はない。
四つの固定点のうち、一つをほんの少しずらせばいい。
「……やっていいですか?」
私はラウエルを見る。
以前なら、多分駄目だった。
……でも今は。
「どの程度ずらす?」
「最初は一ミリ以下」
「戻せるか?」
「多分」
「多分では困る」
「戻せる範囲だけやります」
少しの沈黙。
「やれ」
私は一瞬、聞き返しそうになった。
「いいんですか?」
「言わせておいて何だ?」
「いや、もっと止められるかと」
「お前を全部止めるのは諦めた。だから監督下でやらせる」
グレアムが笑った。
「ありがとうございます」
私は第二結界へ向き直る。
第一結界の制御はまだ安定している。
残り時間は十分以上。
……十分だ。
私は第二結界右下の固定点へ細い魔素を伸ばす。
周囲の魔素分布を僅かに変える。
固定点そのものを動かすのではなく、固定点が参照している位置をほんの少し誤認させる。
コンマ数ミリ。
測定器が動いた。
「第二結界、密度変化!」
リーナが声を上げる。
全体ではない。
右下だけ。
ほんの僅かに薄くなった。
「戻せ」
ラウエルが言う。
私は流れを元へ戻す。
数秒。
第二結界も元に戻った。
……できる。
私は息を吐いた。
「壊さなくてもいける」
グレアムが第二結界を見る。
「第一と同じか」
「考え方は。でも方法は違います」
第一結界は魔素供給を追わせた。
第二結界は空間の固定条件をずらす。
全く違う結界、だから二重の意味がある。
一つの方法では、両方は抜けない。
……作った側はそこまで考えていたのか。
「……嫌になるな」
私は呟く。
「何が?」
リーナが聞く。
「作った人たち、本気で誰も入れる気がない」
第一を攻略しても、第二には通じない。
第二を攻略するには、全く別の知識が必要。
外部魔素制御。
空中魔法陣。
この一年で私が偶然積み重ねてきた二つの技術。
その両方が、ここで必要になった。
偶然にしては、出来すぎている気もする。
でも、今はそれでいい。
ラウエルが時計を見る。
「残り八分。続けるなら今だ」
今回は止められない。
むしろ、進めと言われた。
私は頷く。
「第二結界を開けます」
四つの固定点を一つずつ、僅かに参照位置をずらす。
右下、左上、天井、床。
同時ではなく、順番にだ。
一つずらせば他が補正しようとする。
その補正量を測る。
次、さらに次。
第一結界ほど動的ではない。
でも、完全に固定されているわけでもない。
四点が互いの位置関係を保っている。
なら一つを動かすのではなく、四つ全部を同じ方向へ同じ量だけずらせば、結界そのものの形は維持される。
ただ、場所だけが動く。
「……これだ」
私は言った。
「何?」
リーナが聞く。
「第二結界は、消さなくていい」
四つの固定点を奥へ僅かに押す。
結界が動いた。
「位置変化!」
ソフィアが声を上げる。
「何センチ?」
「まだ一未満!」
もっとゆっくり、全固定点を同じだけ奥へ。
第二結界の面が移動する。
消えていないし、壊れてもいない。
ただ、奥へ下がっている。
十センチ。
二十。
三十。
そこで抵抗が増した。
「アル、負荷上昇」
グレアムが言う。
「分かってます」
これ以上は危ない。
でも、必要なのは人が通れる空間だ。
第二結界全体を何メートルも動かす必要はない。
なら、位置ではなく角度。
私は右側二点だけをさらに少し奥へ押し、左側をそのままにする。
結界面が斜めになる。
通路の左側に隙間ができる。
十センチ。
二十。
四十。
「通路幅六十!」
リーナが言う。
……あと少し。
「七十……八十!」
これで、人一人は通れる。
第二結界は消えていない。
通路右側へ斜めにずれたまま残っている。
「開いた……」
ソフィアが呟いた。
私はすぐに訂正する。
「あくまでも、どけただけです」
ラウエルが何とも言えない顔をした。
「十分だ」
第一結界は局所無力化。
第二結界は位置と角度をずらし、一時的に通路を確保。
二枚とも通れる。
誰も話さなかった。
多分、全員が同じことを考えている。
……向こうへ行ける。
「誰が最初に入る?」
グレアムが聞いた。
ラウエルはしばらく結界の向こうを見た。
そして今回は止めなかった。
「調査班全員では入らない。私、グレアム、アル、リーナ、ソフィア。それだけだ。護衛は結界外で待機。五分で戻る」
「五分?」
私は言う。
ラウエルが睨む。
「十分にするか?」
「はい」
「五分だ」
……交渉は失敗した。
それでも入れる。
私は少しだけ息を整えた。
最初にグレアム。
次にラウエル。
ソフィア。
リーナ。
そして最後に私。
第一結界の薄くなった領域へ足を踏み入れる。
何も起こらない。
一歩。
二歩。
第一結界を越えた。
目の前には、斜めへ退いた第二結界。
その左側に僅かな隙間。
グレアムが先に抜ける。
続いてラウエル、ソフィア、リーナ。
私も身体を横にしながら、その隙間へ入る。
一瞬、肌に冷たいものが触れたような感覚。
それだけだった。
次の瞬間、私は第二結界の向こう側に立っていた。
誰もすぐには話さなかった。
振り返る。
二重の結界。
向こう側には調査員たちが見える。
今まで何度もこちらから見ていた境界を、今は反対側から見ている。
「……入った」
リーナが呟いた。
私は前を見る。
通路。
それだけだった。
巨大な装置も、塔もない。
ただ、古い石造りの道が奥へ続いている。
でも空気が違う。
いや、空気ではないか。
魔素だ。
結界の外より遥かに静かで、流れがほとんどない。
まるで、この区画全体が二千年間、時間から切り離されていたような感覚だった。
ソフィアが壁へ光を向ける。
「保存状態が……」
上層とはまるで違う。
崩れがない。
亀裂もほとんどない。
床には砂すらほぼ積もっていない。
壁面には古代文字が刻まれている。
今までより遥かに鮮明だ。
ラウエルが低い声で言う。
「触るなよ。記録だけ取れ」
「はい」
今回は私も素直に従った。
この場所は何かが違う。
通路をゆっくり進む。
十メートル。
二十メートル。
曲がり角。
その先に、少し広い空間があった。
壁には巨大な円形の紋様がある。
一つ。
二つ。
三つ。
三つの円は互いに重ならず、少しずつ位置をずらして並んでいる。
私は足を止めた。
透明な石で見た塔、その上にあった三つの輪、同じものかはまだ分からない。
形も完全には一致しない、それでも似ている。
「アル」
リーナも気付いたらしい。
「うん」
それ以上は言わなかった。
偶然かもしれない。
古代エルグラッドでは、よく使われる意匠なのかもしれない。
その横の壁面に文字がある。
ソフィアが魔法灯を近づける。
古代文字の対応表を開き、一文字ずつ追っていく。
「これは……」
ラウエルが聞く。
「読めるか?」
ソフィアがゆっくり頷いた。
「完全ではないけど……『深域』」
次の文字。
「『中枢』」
そして最後に。
「『塔』」
私の背筋が僅かに震えた。
塔。
透明な石越しに見たもの。
三つの輪を持つ、あの塔。
……でも、まだここにあるとは限らない。
私は前を見る。
広い空間のさらに奥に、下へ続く石造りの階段があった。
封印は最深部ではなかった。
結界は入口だった。
その先に、まだ深い場所がある。
ラウエルが時計を見る。
「時間だ。戻るぞ」
五分間だけ。
それだけでも十分すぎる。
私たちは二千年以上誰も入れなかった場所へ、確かに足を踏み入れた。
そして、その先に何があるのかを確認した。
地下深域。
中枢。
そして塔。
帰り際、私は奥へ続く階段を一度だけ振り返った。
まだ、三つの輪の塔そのものを見たわけではない。
それでも、透明な石が映した光景とエルグラッド地下の失われた区画、その二つが少しずつ同じ場所へ近づき始めていた。




