第5話 世界を満たすもの
初めて自分の手で魔法を発動してから、アルの頭の中は以前にも増して魔法のことで埋め尽くされていた。
炎を生み出せた。
それだけなら、七十四年間追い続けた夢が叶ったと言っていい。
だが、実際に成功してみると感動だけでは終われなかった。
むしろ、疑問が一気に増えた。
なぜ魔素を使うと熱が生まれるのか。
魔素そのものが熱へ変換されたのか、それとも周囲の物質へ干渉して分子運動を増大させたのか。
同じ量の魔素を使った場合、炎を発生させるのと、炎を介さず直接加熱するのではどちらが効率が良いのか。
「……調べるしかないな」
当然の結論だった。
それから数日、アルは夜になるたび庭の隅で実験を繰り返した。
最初は小さな炎。
次に、炎の大きさを変える。
その次は、同じ量の魔素でどこまで温度を上げられるかを試す。
さらに、炎を発生させずに直接木片を加熱する。
結果は予想以上に面白かった。
炎そのものを作るよりも、加熱したい場所だけへ魔素を集中させた方が、明らかに少ない魔素で大きな変化を起こせる。
薄い木片の一点へ熱を集めると、その部分だけがじわじわと黒く変色し、やがて小さな煙を上げ始めた。
「やっぱり、現象を分解した方が効率がいい」
アルは地面へ座り込み、焦げた木片を眺めた。
この世界の魔法使いは、火を出したいなら火を思い浮かべる。
水を動かしたいなら水を思い浮かべる。
だが、自分はそこからさらに一歩踏み込める。
欲しいのが熱なら炎を作る必要はない。
必要な場所だけを加熱すればいい。
同じように、風を起こしたいなら「風」という完成した現象ではなく、空気の移動や圧力差そのものへ干渉できる可能性がある。
「だったら、火とか水とかって分類そのものが本質じゃないのかもしれないな」
そう考え始めた時点で、アルにとって魔法はすでに憧れの対象だけではなくなっていた。
完全に研究対象だった。
そして、研究を続けるうちに別の疑問が浮かぶ。
魔素は使えば減る、しかし休めば回復する。
ではその魔素はどこから戻ってくるのか?
身体の中で新しく作られているのか。
食事によって補給されるのか。
呼吸から取り込んでいるのか。
アルはさっそくダンネルへ尋ねた。
「父さん」
「ん?」
最近では、その呼び方も自然になっていた。
「魔素って、使ったら減るよね」
「ああ」
「でも休んだら戻る」
「そうだな」
「なんで?」
ダンネルは少し考えてから肩をすくめた。
「身体が回復するからじゃないか?」
「どうやって?」
「知らん」
「食べ物から?」
「それもあるかもしれんな」
「呼吸は?」
「さあな」
「外にも魔素ってある?」
その問いに対してだけは、ダンネルがすぐ答えた。
「あるぞ」
アルの表情が変わった。
「外にも?」
「ああ。空気にも土にもあるし、森なんかは村より濃いって言われてる。魔獣が多い場所は特に魔素が濃いらしいな」
「……世界中にある?」
「そういう話だ」
アルは黙り込んだ。
頭の中で、今まで聞いた情報が一気に繋がっていく。
世界中に魔素がある。
人間の身体にも魔素がある。
魔法を使えば減る。
休めば戻る。
ならば、体内魔素の回復は外部魔素と無関係ではないのではないか。
「身体の魔素って、外から入ってくるの?」
「そうなんじゃないか?」
「どうやって?」
「それは知らん」
「意識して取り込める?」
「それは聞いたことないな」
ダンネルはそう答えてから、少し笑った。
「普通はそんなこと考えん。減ったら休めば戻るんだからな」
「……なるほど」
普通は、考えない。
その言葉に、アルの目がわずかに細くなった。
つまり、誰も試していない可能性がある。
その夜。
アルはいつもの実験場所に座っていた。
ただし、今日は魔法を使わない。
知りたいのは、自分の外側にある魔素だった。
目を閉じる。
まず、自分の身体の中にある魔素へ意識を向ける。
これはもう難しくない。
胸、腹、腕、脚。
正確に臓器のどこかへ存在しているわけではないが、全身に薄く広がるような感覚がある。
次に意識を外へ向ける。
風、草、土、木、空気。
そこにあるという魔素を探す。
「……」
分からない。
それでもやめなかった。
一日目は何も感じなかった。
二日目も同じだった。
三日目、少し場所を変えた。
庭の端より、森に近い場所。
さらに魔法を使って体内魔素を少し減らしてから試す。
条件を変えながら何度も繰り返した。
そして十日ほど経った夜。
アルは突然、微かな違和感に気づいた。
身体の外側、皮膚のすぐ近くに何かがある。
空気とは違う、温度でもない、風でもない。
だが、体内の魔素を感じたときとよく似ている。
「……これか?」
心臓が高鳴る。
アルはその感覚を追った。
体内の魔素が減っている状態だと、外側から本当に僅かな何かが身体へ入り込んでいることが分かった。
ゆっくり、非常にゆっくり。
意識しなければ気づかない程度の流れ。
「やっぱり外から入ってる……」
仮説は当たっていた。
人間は、何らかの形で周囲の魔素を自然に取り込んでいる。
ならば次に考えることは一つだった。
自然に入ってくるなら。
自分の意思で、もっと速く取り込めないだろうか。
アルはすぐ実験へ移った。
体内の魔素を指先へ集める、そこからほんの少しだけ外へ流す。
魔法として消費するのではなく、身体と外界の間に細い道を作るイメージ。
「……こうか?」
最初は何も起きない。
二度目も同じ。
三度目。
少し流れを変える。
四度目。
さらに意識を細く絞る。
それでも変化はない。
「じゃあ逆か」
アルは方法を変えた。
外から無理に引っ張るのではなく、体内の魔素を一度外へ薄く伸ばし、その流れを折り返すように戻してみる。
その瞬間だった。
指先から、何かが入ってきた。
「……っ」
アルは思わず目を開けた。
身体の内側へ、新しい魔素が流れ込んでいる。
自分のものではない。
それでも、入った瞬間に違和感なく馴染んでいく。
「できた……?」
もう一度。
今度はさっきより少しだけ強く、外から内へ流れを作る。
今度ははっきり分かった。
魔素が入ってくる。
「はは……」
笑いが漏れた。
普通なら休息によって少しずつ戻るはずの魔素を、自分の意思で取り込んでいる。
「…どこまでいけるかな?」
その疑問が浮かんだ瞬間、アルは次の実験へ進んでいた。
最初は一割だけ流れを強くする。
これは問題なし。
さらに少し。
腕が熱くなるような感覚はない、頭痛もない、呼吸も普通。
なら次、さらに流量を上げる。
周囲の魔素が、指先から腕へ、腕から身体の奥へ入ってくる。
アルは自分の状態を確認しながら、少しずつ流れを増やしていった。
「……面白い」
怖さがないわけではない。
未知のものを身体へ入れているのだから当然だ。
しかし、それはやめる理由にはならなかった。
むしろ危険だからこそ、一度に増やさず、変化を観察しながら条件を詰めていけばいい。
前世でもそうしてきた。
未知だから触れないのではなく、未知だから安全に近づく方法を作る。
やがて、自然回復とは明らかに違う速度で魔素を取り込めるようになった。
そこで、当然のように次の疑問が生まれる。
「魔法を使いながら吸収したらどうなる?」
試さない理由はなかった。
右手へ魔素を集め、掌の上に小さな炎を作る。
同時に、左手側から周囲の魔素を取り込む。
一度目、炎が消えた。
二度目、吸収が止まった。
三度目、両方とも中途半端。
「同時処理が難しいのか」
なら練習すればいい。
四度目、失敗。
五度目、炎だけ成功。
六度目、吸収だけ成功。
そして七度目、右手の炎が消えない。
同時に、左手から周囲の魔素が流れ込んでいる。
「……できた」
アルは息を止めた。
体内では確かに魔素を消費している。
しかし、その一方で外部から新しい魔素が入ってきている。
消費と回復が同時に起きている。
「じゃあ、吸収量を増やしたら……?」
今度は炎を少し大きくする。
消費が増える。
吸収も少し強くする。
体内魔素の減少が緩やかになる。
「本当にできる…できるぞ!」
アルの口元が大きく歪んだ。
嬉しい。
それ以上に、研究者として興奮している。
もし吸収速度をもっと上げられれば。
もし複数箇所から同時に取り込めれば。
もし魔法を発動しながら常時補給できれば。
自分の体内に最初から蓄えている魔素量だけで、魔法の限界を決める必要がなくなる。
「……これは、まずいな」
言葉とは裏腹に、アルは笑っていた。
「…面白すぎる」
その夜から。
アルは魔法の練習と並行して、外部魔素の吸収訓練を本格的に始めた。
数秒、十秒、一分。
歩きながら、座りながら、火を使いながら、水を動かしながら。
どうすれば集中を分散せず、自然に魔素を取り込めるのか。
どうすれば流入量を細かく調整できるのか。
失敗するたびに方法を変え、成功すればさらに条件を厳しくする。
そしてしばらく経った頃には、アルは周囲の魔素を取り込むという行為を少しずつ呼吸に近いものへ変え始めていた。
この世界の魔法使いたちは、自分の中に蓄えた魔素を使う。
使えば減る、減れば休む。
それが当たり前だった。
しかしアルは。
その当たり前の外側へ一歩踏み出していた。
そして、この時点ではまだ。
その技術が将来、自分だけの戦い方を作ることになるとは思っていなかった。
ただ一つ分かっていたのは。
前世で七十四年間探しても見つけられなかった魔法が。
この世界では自分の身体だけでなく、世界そのものに満ちているということだった。




