第46話 通すための結界
地下百メートルで見つけた透明な結界と、S-071-01、それに研究院で保管されている透明な石。
互いに直接繋がっている証拠はない。
それでも三つが約二・七分という同じ周期で反応している以上、何も関係がないと考える方が難しくなっていた。
ただし、だからといってS-071をここへ持ってくるという選択肢はない。
……少なくとも今は。
「もう一度言っておく」
結界の前でラウエルが私を見る。
「攻撃するな」
「しません」
「高出力の魔法を当てるな」
「分かってます」
「外部魔素制御で無理やり流れを変えようとするな」
「……それも?」
「おい、今の間は何だ」
「確認しただけです」
ラウエルが眉間を押さえ、その横でグレアムが笑っている。
「気持ちは分かるが、今回はラウエルが正しい。二千年以上正常に動いている術式を、構造も分からんまま刺激する理由はない」
もちろん私も壊すつもりはなかった。
バルディオスとの戦いなら相手を止めるために多少強引な方法も使ったが、目の前にあるものは古代エルグラッドの技術そのものだ。
壊したあとで「やっぱり調べたかった」と思っても遅い。
最初に調べたのは、結界そのものではなく周囲だった。
左右の壁、天井、床、それから結界の手前にある通路。
ソフィアたちが術式の位置を記録し、私はリーナと魔素の流れを測る。
やはり、結界へ向かう魔素は数メートル手前から左右や上下へ分かれていた。
正面から流れてきた魔素を結界面で弾くのではなく、そもそも当たりにくい流れを作っている。
「でも変なんだよね」
私は床へ置いた流向計を見る。
「何が?」
リーナが隣へしゃがむ。
「全部避けてるわけじゃない」
結界へ向かう大部分の魔素は曲げられているが、ごく僅かな量だけは正面へ進んでいる。
その魔素は境界に触れた瞬間に消えるわけでも反射するわけでもなく、一瞬だけ結界内部に留まったあと、こちら側へ戻ってきていた。
「……調べてるみたい」
リーナが言った。
私は顔を上げる。
「私もそう思った」
壁なら、入ってきたものを止めればいい。
それなのに、この結界は少量だけ受け入れてから返している。
まるで、通していいものかどうかを判定するかのように。
私はラウエルを見る。
「これ、遮断結界じゃないかもしれません」
「どういう意味だ」
「最初から全部を拒否するためのものじゃなくて、何か条件に合ったものだけ通すための結界なんじゃないですか?」
ラウエルはすぐには答えず、ソフィアが記録していた術式へ目を向けた。
「根拠は?」
「八十七メートル地点の文字です。『この先』『許可』『維持』『接触』。危険とか禁止じゃなくて、許可という概念がある。それに、ここでは魔素を一度受け取ってから戻してる」
グレアムが腕を組む。
「つまり、門番ということか」
「多分そんな感じです」
「何を企んでる?」
「それを調べたいです!」
ラウエルが嫌そうな顔をした。
「はぁ……安全に、だぞ」
「もちろん」
「その返事が怖いんだが…」
まずは魔素量を変えた。
調査員が用意した測定用術式から、ごく少量の魔素を結界へ送る。
量を少しずつ変えても反応は同じで、境界へ入った魔素は僅かな時間だけ保持されたあと、こちらへ戻った。
次に属性。
火、水、風、土に分類される一般的な術式を、現象を発生させない程度の微弱な状態で送る。
これも変化なし。
「……量でも属性でもないか」
私は記録へ書き込む。
リーナが覗き込んだ。
「術式の形?」
「あり得る」
次は魔法陣を試すことになった。
ただし攻撃術式ではない、単純な光を作るだけの小さな術式で、結界へ触れる直前に停止する。
結果は同じ。
では魔法陣そのものならどうか。
私は右手を上げ、空中に一枚だけ魔法陣を作った。
セレナから教わり始めた空中魔法陣。
最初の頃よりかなり安定するようになったとはいえ、まだ複数枚を自由に動かせるほどではない。
円形の術式を結界から二十センチほど手前へ浮かべる。
「アル、近づけすぎるなよ」
グレアムが言う。
「分かってます」
私は魔法陣をゆっくり前へ移動させた。
十センチ、五センチ。
そして結界に触れた瞬間、空中魔法陣の外周だけが淡く光った。
「そこで止めて!」
ソフィアの声。
私はその位置で固定する。
「今、反応したよね?」
リーナも気付いている。
結界全体は変わっていない。
だが、私の空中魔法陣が触れている部分だけ、薄い波紋のようなものが広がった。
数秒後。
魔法陣が押し返された。
「通らない」
私はすぐに消す。
それでも今までとは違った。
金属棒も単純な魔素も、触れれば止まるだけだった。
しかし魔法陣には反応した。
ラウエルが尋ねる。
「何を組んだ?」
「ほとんど空の術式です。形状維持と座標固定、それから最低限の魔素だけ」
「属性は?」
「ありません」
グレアムが結界を見る。
「……術式構造を見ている可能性があるな」
私もそう思う。
そこから試験を変えた。
円、二重円、三重円。
放射状に伸ばした補助線。
単純な四分割。
何を試しても結界面には僅かな波紋が起こるが、それ以上の変化はない。
ただ一つ気付いた。
「反応の強さが違う」
ソフィアが記録を見比べる。
「本当ね。三重円のときだけ少し大きい」
三重円。
私は八十七メートル地点の壁を思い出した。
小さな円形の窪みが三つ、透明な石に映った三つの輪の塔、三重円にだけ強く反応する結界。
「また三つだね…」
リーナが呟く。
「うん。でも、まだ意味は分からない」
偶然かもしれない。
古代エルグラッドでは三という数字が何かの規格としてよく使われていただけかもしれない。
大事なのは、先に答えを決めないことだ。
私は三重円の空中魔法陣をもう一度作る。
外周、中周、内周。
今度は三つを完全に同じ強さでは維持せず、それぞれへ流す魔素量を僅かに変えた。
外、中、内。
順番に。
すると、結界の波紋が変わった。
「…待って!」
リーナが身を乗り出す。
私は止めずに維持する。
外側へ魔素を送ったときの小さい波紋。
中へ、少し強い。
内へ、また小さい。
同時に送ると、三つの波紋が重なった。
何か違う。
私は時計を見る。
結界が持つ二・七分周期の反応まで、あと四十秒ほど。
「もしかして……」
「何か分かった?」
リーナが聞く。
「まだ。でも次の周期まで待ちたい」
誰も止めなかった。
三十秒、二十秒、十秒。
私は三重円を結界面へ触れさせたまま維持する。
そして、測定器の針が動いた。
二・七分周期の反応。
その瞬間、空中魔法陣の三つの円が同時に明るくなった。結界面へ今までより大きな波紋が広がる。
「アル、出力を上げるな!」
ラウエルが言う。
「上げてません!」
本当に上げていない。
むしろ私は一定に保っている。
変わったのは結界側だ。
透明だった境界に、薄い光の線が浮かぶ。
最初は一本。
そこから円を描くように広がり、やがて人一人が通れるほどの範囲へ淡い輪郭を作った。
誰も動かない。
私は魔法陣も動かさない。
「開いた?」
リーナが小声で言う。
「分からない」
見た目だけならそう見える。
だが通れる保証はない。
ラウエルが検査棒を用意させ、私の空中魔法陣には触れない角度から、光の輪郭の中央へゆっくり差し込む。
十センチ、二十センチ、三十センチ。
入った。
さっきまで止められていた位置を越えた。
「……通った」
ソフィアの声が低くなる。
だが、完全には通らない。
棒をさらに押し込むと、五十センチほど進んだ場所でまた止まった。
「……二重!?」
私は思わず言った。
グレアムが眉を寄せる。
「何がだ」
「結界は一枚じゃない」
私は魔素を感知する。
確かに、表面の境界を越えた先にもう一つ薄い層がある。
外側の結界は、三重円と周期反応によって一部だけ通せる状態になった。
だが、その奥にもう一層。
「認証が二段階?」
リーナが言う。
「……かもしれない」
ラウエルが検査棒を引き戻す。
「今日はここまでだ」
「え……」
「え、ではない」
「でも今!」
「今だからだ。初めて結界の一部が反応し、外層らしきものを通過した。この状態だけでは人間を入れる理由はない」
……悔しいけど正しい。
私は空中魔法陣への供給を止める。
三重円が消えると同時に、結界に浮かんでいた光の輪郭もゆっくり薄れ、数秒後には元の透明な状態へ戻った。
測定器を見る。
結界は何事もなかったように、元の静けさへ戻っている。
ただ一つだけ前とは違う。
「……通せる」
私は言った。
ラウエルがすぐに訂正する。
「外層を一時的に変化させただけだ」
「でも壊さなくても反応しました」
それには否定が返ってこなかった。
帰る前に、八十七メートル地点の刻印をもう一度確認することになった。
『この先』
『許可』
『維持』
『接触』
そして三つの円形の窪み。
ソフィアは壁面を照らしながら、以前は読めなかった文字を一つずつ確認している。
「待って。ここ、擦れてるんじゃなくて文字が重なってる」
「読める?」
ラウエルが聞く。
「全部は無理。でも……『三』に相当する記号と、その後ろに『順』か『段』に近い字がある」
私はリーナを見る。
リーナもこちらを見る。
三つ、順序、段階、結界は二層以上。
偶然として処理するには、また一つ材料が増えた。
ただし、ここにもS-071という文字はない。
装置を持って来れば開くとも、S-071が鍵だとも書いていない。
私は壁の三つの窪みへ視線を向ける。
大きさは手のひらより少し小さい。
S-071-01とは形も違う。
無理に結び付けるべきではない。
「アル」
ラウエルが呼ぶ。
「はい」
「研究院へ戻ったら、今日使った三重円の術式構造を全部提出しろ」
「分かりました」
「…それとS-071には触るなよ」
「はい? まだ何も言ってないですが…」
「顔が言っている」
……また顔かい。
遺跡を出たのは夕方だった。
地上へ戻ると、ずっと石の天井しか見ていなかったせいか空が妙に広く感じる。
リーナが隣で大きく息を吸った。
「疲れたぁ〜」
「私はもう一回行けるよ」
「…行かないよ?」
「今日はね」
「……明日も」
厳しい。
王都へ戻る馬車の中でも、私は記録から目を離せなかった。
約二・七分。
三重円。
三段階を思わせる刻印。
外層を一時的に通過した検査棒。
その奥にあったもう一枚の境界。
少なくとも分かったことがある。
あの結界はただ侵入者を拒絶する壁ではない。
条件さえ満たせば向こうへ通すための仕組みを持っている。
誰を、何を通すために作られたのか、そして四十一年前、ノエル・バークはこの条件をどこまで知っていたのか。
私は揺れる馬車の窓から、遠ざかるエルグラッドの方向を見た。
地下百メートルの先には、まだ通路が続いている。
三つの輪の塔がある保証はない。
ノエルがいる証拠もない。
それでも初めて、壁だったものが扉に見え始めた。




